横溝正史のレビュー一覧
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横溝正史のミステリ作品集『白と黒』を読みました。
『人形佐七捕物帳 新装版』、『悪魔の降誕祭』に続き横溝正史の作品です。
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平和そのものに見えた団地内に突如、怪文書が横行し始めた。
プライバシーを暴露した陰険な内容に人々は戦慄!
金田一耕助が近代的な団地を舞台に活躍。新境地を開く野心作。
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地方の村や大家族、風俗的な舞台などが多かった金田一耕助シリーズが現代の団地を舞台にした長篇作品です。
1960年(昭和35年)10月11日、金田一耕助は、古いなじみの元ホステス・須藤順子の案内で、彼女の住む日の出団地を訪れた… 近頃団地内に怪文書が出回っており、それが順子を悩ませているという、、、
Ladies and Gentlemenという書き出しで始まるその文書は活字を切り貼りして作られており、順子の夫・達夫に宛てて順子の不倫を暴露したものだった… 一方その頃、団地内のダストシュートで女の変死体が発見され、身につけた物から女は団地に隣接する洋裁店・タンポポの主人と見られたが、塗装用タールの下敷きとなっていたため、その容貌がわからなくなっていた……。
眼前で起きた恐ろしい殺人に団地の人々の恐怖は頂点に達する…… 謎のことば「白と黒」の持つ意味とは? 団地という現代都市生活特有の複雑な人間感情の軋轢と、葛藤から生じる事件に金田一耕助が挑戦する!!
怪文書を作成・送付した人物、殺人を犯した人物、遺体を隠した人物… それぞれが、異なる動機で犯罪を犯していたので、単純な殺人事件が複雑怪奇な事件に変貌していたんですねー 新興団地を舞台に金田一耕助が活躍するという意外性も印象的で面白かったですね。 -
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ネタバレ横溝正史のミステリ作品集『悪魔の降誕祭』を読みました。
『人形佐七捕物帳 新装版』に続き横溝正史の作品です。
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金田一耕助が悪魔のような犯人に挑む! 本格推理小説の最高傑作!
金田一耕助の探偵事務所で殺人事件が起きた。
被害者は、その日電話をしてきた依頼人だった。
彼女は、これから殺人事件が起きるかもしれないと相談に訪れたところ、金田一が戻ってくる前に青酸カリで毒殺されたのだ。
しかも、その時、十二月二十日であるべき日めくりのカレンダーが何者かにむしられ、十二月二十五日にされていた。
降誕祭パーティーの殺人を予告する犯人とは―(表題作より)。
そのほか「女怪」「霧の山荘」の全三編を収録。
本格ミステリの最高傑作。
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1950(昭和25)年から、1958(昭和33)年に発表された金田一耕助シリーズの中篇~短篇ミステリ3作品が収録されています。
■悪魔の降誕祭
■女怪
■霧の山荘
■解説 中島河太郎
■愛すべき名探偵――金田一耕助 山前譲
金田一耕助の事務所で起こった殺人事件という大胆かつ屈辱的な犯行と新聞の切り抜きの裏表が印象的な『悪魔の降誕祭』、
まさか、愛する人と憎んでいる人が… 金田一耕助の大失恋と悲劇的な結末が印象的な『女怪』、
殺人事件なのか狂言なのか… 虚実の入り混じった展開が愉しめる『霧の山荘』、
どの作品も愉しめました… 今度は長篇を読んでみたいな。 -
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ネタバレ猟奇的事件と悲恋の一作。
佐藤春夫が探偵小説を猟奇耽異の果実と評した感想に思わず感嘆の吐息を洩らす。
以下、ネタバレです。
憑かれた女はただエマ子が不憫。罪を犯したのは彼女だけど江南が悪戯心を起こさなければこんな悲劇はなかったものと思いたい。最期を五月と共に逝けたのが救いだけど、それでも悲しいな。
首吊り船は三津木くんの活躍が見事。フットワークが軽くて度量が大きい。さすが花形記者というところ。それ以上に由利先生の理路整然とした推理が素晴らしかった。
最後の幽霊騎手は由利、三津木ペアは出てこないものの、風間辰之助のキャラクタがとても魅力的でヒヤヒヤもワクワクもしながら読めた。
悪友三人の友情にほっこり。恋心にそっと蓋をする風間がいい男だった。 -
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「由利麟太郎」探偵ものの3作品、300ページほどの表題作が1947(昭和22)年、短い2作「蜘蛛と百合」「薔薇と鬱金香」は共に1936(昭和11)年の作である。
表題作は金田一耕助ものの最初の作品『本陣殺人事件』と同時期のもので、トリックに凝ったかなりややこしい話。怪奇趣味やそれに伴う濃厚な情緒はここには見られず、むしろ機械的に物語は進む。横溝正史自身が四六時中トリックを考案しているようなマニアックな作家であったので、凝ったトリックを設定しエラリー・クイーンばりの本格推理小説を実現したこの作品は、自信作であったのかもしれない。が、情緒性がなさすぎて、私にはさほど面白くなかった。
むしろ、併収の短い2作品の方が、怪奇風の情動があって面白く感じた。これらは本格推理小説としては全然成立していないのだが、私はこういう雰囲気ある物語の方が好きだ。
そっち系の、古い横溝正史作品をもっと探索してみたい。 -
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1954(昭和29)年発表の金田一耕助もの。『獄門島』(1948)と『白と黒』(1961)の中間辺りの時期だ。
この付近の東京界隈の世相がどんな感じだったのかよく知らないが、本作に出てくる様相はかなりいかがわしい。写真や絵画のためのヌードモデルを派遣する神田の「共栄美術倶楽部」なる事務所が最初の舞台となっており、どうやら当時はカメラを持ちヌード写真を撮ることが流行っていたようだ。だが、これはいかがわしい会社なので契約した客とモデルの間で性交渉もありがちだという設定。この会社に所属するモデルの一人は、のちにストリッパーに転身する。横溝正史は当時のこのような「いかがわしい界隈」をとても愛好していたのかもしれない。
本作は怪奇趣味を前面に出していて、以前の『真珠郎』(1937)などを彷彿とさせるが、何故かエモーショナルになりきれず、どこかB級映画的な安っぽさを漂わせる。
ストーリー展開は、まるで江戸川乱歩の『怪人二十面相』を思わせるような荒々しい活劇調を呈して進み、かなり現実離れした世界が繰り広げられる。後の『白と黒』『仮面舞踏会』(1974)に見られたような、昭和がなだれ込んでいった「シラケ化」の波動が、ここにすでに始まっているのだろうか。
しかも、ここでも作者は「ヘンタイ的な性」の主題に突入していく。
全体的にB級映画ふうであるが、ロバート・ロドリゲス監督の確信犯的なそれよりも面白くはない。だが、何となく昭和の東京のウェットないかがわしさをさらけ出している点に興味を覚える。 -
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1974(昭和49)年刊。横溝正史の生没年1902-1981を考えるとこのとき既に72歳。もう晩年と言ってよいかもしれない。
本作では4回も結婚し今新たに5人目と交際している大女優を中心に、避暑地の軽井沢で複雑な人間関係が殺人事件の背景として構築される。別荘を持っている人々が大半だから、富裕な層である。
本作の舞台は1960(昭和35)年。テレビが各家庭に爆発的に普及し始めた頃のようだ。
『白と黒』(1961)と同様、文体は軽く、江戸っ子の口上のように剽軽で滑らかだ。この軽さは、昭和20年代の『八つ墓村』等の傑作群で恐怖やおどろおどろしさを喚起し読者を巻き込んでいったあのエモーショナルさとはほとんど反対のものである。「そのとき、金田一耕助はこの後すぐにあの陰惨な事件に発展しようとは夢にも思わなかった」というような煽りの予告もかなり減った。あの怪奇趣味とエモーショナルな物語ストリームに惹き付けられた者としては、ちょっと物足りない。
老齢によって文体が淡泊になったのだろうか。時代の変遷により、かつてのあからさまな情動喚起の手法が古びてしまい、ドライで軽く、「シラケ」へと向かって世間の言表フィールドが変容してきたことも、この作家のフィールドに作用しているのではないだろうか。ドライさへの時代変容は、松本清張ミステリのクールで残酷な文体の展開とも一致しているようにも見える。昭和49年といえば昭和30年代に充実期を経験した清張作品よりも、さらにそのずっと先の時代に突入している。
そう思うと、失われたストレートさ、あのエモーショナルな文学ストリームへの郷愁は深い。ストレートな気分の表明がダサくなってしまった時代、全共闘以後のこの時代は何かを隠蔽することによって成立しているようにも見える。
しかし、本作はクライマックスから終結までの部分は緊張感があって良い。最後まで読むと、『白と黒』と同様に、どうも横溝正史はかつての怪奇趣味の代わりに、歪んだ性のグロテスクさに心を惹き付けられたようだという風に思える。中盤の弛緩を補うような終結部だ。 -
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前年から1961(昭和36)年に連載終了。これまでに読んできた横溝正史作品は戦前から戦後間もない頃の作品ばかりで、映画化もされた有名作はその頃のものが多いようだが、果たして後年の作風はどんな感じだろう? そう思ってとりあえず読んでみた。
本作の舞台は1960(昭和35)年の東京で、5階建て20棟から成る当時としては巨大な新築団地である。団地住まいという新しい生活様式がにわかに出現してきた時代と思われる。作者自身がこの新しさについて簡潔に指摘している。
「日本全国にニュー・タウンとよばれる団地が、ぞくぞくと建設されるにしたがって、そこに居住するひとたちの社会心理学というものが、ちがごろ問題になってきている。
団地という従来にまったく見られなかったタイプの住居と、そこにおける生活が日本人の社会心理に、どのような影響をおよぼすだろうかということは、これからますます必要になってくる研究課題にちがいない。」(P.63)
東京の都市化による必然的な心身まわりの激変のプロセスが見られたのであろう。団地の生活という密室の孤独化は、確かにこれより昔の「長屋」生活とはまったく異なるものであったが、この作品で描かれているのはまだそのプロセスの入り口あたりのようだ。分厚い壁によって隣の世帯とは隔絶しているが、電話はまだ各戸に敷かれておらず、敷地内の公衆電話を共用するかたちであった。
そのうえ、近所の世帯同士がそれなりに交流しあっている様子が描かれている。この様はたぶん、その後出現する「ママ友社会」とは少し違う、「隣近所」のつきあいの状態だったとおぼしい。
だが、戦後間もない時代に横溝正史が『八つ墓村』『獄門島』『犬神家の一族』等の名作で描いてきたのは、田舎の地主的な大所帯に、大勢が同居しているような家庭生活であって、それゆえに沢山の容疑者や、複雑に絡み合う愛憎関係が物語を支え、推進してきたのだった。
しかし本作のような「団地」社会では、そこまで密接な人間関係は自然には成立しがたい。そのために本作では緊張感を欠いたゆるさや、わざと込み入らせたような不倫関係の導入が目立つように思った。
特に真ん中辺りではすっかり緊張感が失われていて、横溝作品を読んでいて初めて退屈を感じた。団地の関係者たちの様々な場面が牧歌的に描かれ、殺人事件という緊迫が鈍らされてしまっている。
ところが本作では最後の方になって、やけに性的関係の露出が強烈に描かれている。この作品が、私の知る限りではテレビドラマ化されていないようなのは、恐らく、この性テーマゆえに扱いがたかったからではないか。
この最後の部分、昔には書き得なかったものではないかと思われ、大変興味深かった。この主題がもっと作品全体に浸透して緊迫感をもたらせば、さらに面白い小説になったのではないかと思う。
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すっかり気に入って読み継いでいる横溝正史4冊目。本巻には5編の金田一耕助シリーズの短編が入っている。執筆年は1947(昭和22)年から1960(昭和35)年。
何となく、横溝正史を好んで読みまくるというのは、何やら淫靡な趣味のような感じがする。淫靡と言ってもそんなにエロくはないけれども、当時としてはあからさまに性交を扱った作風として、同時代においてやはり淫靡な世界と扱われたのではないか。それに加えて、おどろおどろしい怪奇趣味。本巻に収められた短編には、屍姦とか、作者にとってグロく思われたらしい「義眼」が複数回出てくる。
しかし、このように短編の体裁の中に本格推理の構成をもってくるとなると、複雑なプロットを急いで進めなければならないので、そんなに「雰囲気」に浸ってはいられない。トリックと種明かしに相当な分量を取られるから、本格推理の短編小説は、お決まりのフォームを手際よく機械的に展開した、アイディア一発勝負で行くしかないといった観がある。
この短編集はそうした「大急ぎ」の印象が強く、ちょっと情趣や物語の推移の面白さが、いくぶん抑えられてしまっているように感じた。
それにしても、金田一耕助シリーズはやたらと岡山県に行く話が多いようだ。作者は神戸出身のようだが、よほど岡山県が気に入っていたのだろうか。 -
Posted by ブクログ
これといえるトリックなりロジックなりがあるわけではないのだが、やはり読者を物語に入り込ませる力やリーダビリティは一級品...しかし、正直全く新しさがない。既視感すら覚えてしまう。
つまり、面白いは面白いのだが、少しマンネリ化してきてしまっている印象。
横溝さんの最近読んだ作品はどれも軒並み面白さは☆4前後という感じだし、内容も正直そんなに大差はない。
(とはいってもやはり犬神家や悪魔が来りて〜の方が上)
だが、「姫野はなぜ19年前の殺人のことを遊佐に話したのか」という点に着目して推理するのは面白いし、トリックと言えるのかはさておき、肩透かしとも言えるがまぁ心理的密室とも言える密室トリックも悪くはない。
文句ばかり言いながらも次こそはと期待してしまう。そろそろ応えてほしい...
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ネタバレ金田一耕助もの。金田一耕助の小説は大好きだけれど、この「悪魔の百唇譜」は金田一耕助ものっぽくない。哀愁漂う雰囲気がない、というか。
昔、この「悪魔の百唇譜」のドラマをちらりと見たことがある。確か、吉川十和子と火野正平が出演していたように思う。古谷一行が金田一耕助のドラマだ。
その吉川十和子が大変健気な感じで、小説もそういう感じなのかと思っていたら、全くそんなことがなかった。
「仮面舞踏会」もそうだったけれど、ドラマより小説のほうが酷薄で読者の一人としては小説の酷薄さが現実に近い感じがして、本格推理小説という現実離れした設定に一つの落ち着きを与えているように思っている。
朱美の遺書を読んで、李がどう思ったのか、というところは聞きたいところであった。写真をネタに強請っていた人物が変遷していくが、強請りを行う人間は本当にどこまでいっても強請りで食べていこうとするのだな、とある種感心してしまった。もちろん、小説の中の話だけれど、現実の世界でもこれについては同じじゃないかと思ってしまう。