Posted by ブクログ
2016年04月20日
『ひとり横溝正史フェア』のつづいての作品は「仮面舞踏会」。
こちらも読んだことがなく今回入手した。映像化されたのかどうかもよくわからない。
ここまで『ひとり横溝正史フェア』をつづけてきて、ふと思った。横溝正史じゃなくて金田一耕助だったかな。金田一耕助の出てくる横溝正史作品をひとりで読んで盛り上がろう...続きを読むというフェアなので、ひとり金田一耕助フェアが正しいかもしれない。何という今更な気づき。
まあ、小さい問題なのでこのまま。
ここまで金田一耕助の出てくる作品を読んできて、あと何作あるだろうと思ったりする。全部読もうかどうしようか、ちょっと悩む。
何故悩むかというと、ここのところの横溝正史作品がいまひとつだから。これは大きな問題。
そして今回の「仮面舞踏会」も実はいまひとつな感じだったのだ。どうするかなあ。
夏の避暑地である軽井沢で殺人事件が起きた。
被害者は画家の槇。映画女優である鳳千代子の別れた夫である。
実は千代子の別れた夫が殺害されたのは今回がはじめてではなく、二年前からひとりづつ殺害され、槇は三人目の被害者であった。
知人に招かれ軽井沢にやってきた金田一耕助は事件の解決に奔走することになる。
面白そうだなと興味を惹かれ購入したのだが、本作はいつも以上に登場人物の整理がしにくい。横溝正史作品は登場人物が多く関係も複雑なことはよくあり慣れていたはずなのに、とっちらかる脳内。
えっと、これ誰だっけ、と目次の次にある登場人物一覧を何回も見て確認した。
登場人物に混乱するのはわたしの問題なので構わないが、構う問題として、犯人がすぐにわかってしまうこと。
登場人物が混乱しているにも関わらず、結構早々に犯人はこのひとだろうなと目星がつく。
なんなんだろう。横溝正史の犯人設定の癖というか、犯人の描写の癖というか、自分でもわからないけれど読んでいると犯人に印がついているようにわかってしまう。
こういうのは、もしかしたら『ひとり横溝正史フェア』の弊害かもしれない。
横溝正史作品では気が触れる、横溝正史の言い方だと発狂したひとというのは時々登場するけれど、ひとってそんなに簡単に発狂なんてするだろうか。
というか、発狂って何。
どういう状態。
横溝正史作品によると、意思疎通が出来ないような状態ではなく、会話は出来たりするけれど、平気でひとは殺してしまったりする感じだが、それは発狂というのだろうか。昨今推理小説に登場するサイコパスとも違い気がするし、一体何なのだろう。謎だ。
鳳千代子の元夫のひとりが亡くなったときに、パンツ(洋服のじゃなくて下着の)一枚という姿でプールに浮かんでいたというものがある。何故そういう姿だったかというと、泥酔しているところを風呂に入るよう誘導されて衣類を脱いでプールに入ってしまったということになっているのだが、入浴するときならパンツも脱ぐのでは、と細かいところが気になったりした。
この作品が少々満足いかないものであったこと、犯人がすぐにわかってしまうということから、次の横溝正史作品まで少し日を置いたほうがいいのかもしれないと思っている。
せっかくひとりで盛り上がっていたのに残念だ。