磯野真穂のレビュー一覧
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ネタバレ「話を聞くだけで看護」という言葉が、何もできない時の逃げ道のようで、好きではなかった。けど、この本でその重要性が説得力をもって書かれていた。
「標準化が不可能なそれぞれの患者の文脈に、医学という知を混ぜ合わせていく」「医療者の専門知と患者の人生の間に、再現性のない知を立ち上げる」「人間の営みが本来そのような再現性のないものである以上、医療という知もまた再現性のなさをはらむ」。
話を聞くというのはその過程で必要なことであり、医学の知と(治療しないことも含めて)融合させるところに目的がある。つまり看護においては、車の片方のタイヤだ。積年のモヤモヤがすっきりした。
あと、手術(科学)と呪術の話、 -
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第一部、第二部、そして終章と続く。最初の二部は全て終章のためにある。難解なテーマを平易な言葉で紡ぎ、一気に最終章まで引き込まれてしまった。前著の「急に具合が悪くなる」は未読であるが、もしかしたらそれに続くものかもしれないと思いながら終章を読んだ。「私たちが生の実感を感じる時はいかなる時か。それは少なくとも関係論的時間においては、相互作用の中で他者と時間を生成している局面のことであり、その時、時間の曲線は統計学的時間を凌駕する」。著者は終末期の人との対話で考察された。私自身は、読みながら、自助グループにおけるハイヤーパワーを連想した。「唯一の生への畏怖を宿した慎み深さ」による他者との関係で、人は
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ちょっと不思議な構成の本だった。
第一部は病気のリスクの話。
統計的なリスクと個人に降りかかることとの落差。こういうことをしたらしなかった場合と比べてこうなる人の割合は◯%アップする、とか。いや、だけどこうなるかどうかは、個人にとっては一かゼロでしょ、というのはいつもわたしが思ってることだし、対策を講じても確率的に何割かの人はそうなるわけで。平均値というのは平均でしかなくて、わたしのことじゃない。…わたしの視点に落とし込めば、そういう話が書いてある。
が、筆者が何を言いたいのかはいまいち判然としない。
第二部は自分らしさとはどんなことなのかについて。
ここでもやはり統計上の平均人と個 -
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ネタバレ選ばれる側と選ぶ側の話は本当に考えさせられました。いつのまにか、自分は選ばれる側にまわっているのだと気付かされた。色や数字の話も、そうですが人間の本来のあるべき姿(最初の原点)から時代が成長し、かけ離れて本質を見失ってしまう。感覚や感情など人間にしかないものを存分に味わい吸収するべきだなって思いました。
食べる時に数字だけ気にするようになった社会。美味しいと純粋に言えることほど幸せなことはないのかもしれない。
女性が弱くないとモテず、可愛いと思われないという話はまさに日本の社会が抱える、ジレンマで大人になるとその可愛さは痛い人へと変わっていく、やめ時を知らないといけないと思った -
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痩せている方が美しい。痩せなくては…。
可愛くあらなくては…。
これは私たちにかけられた一種の呪いである。
本著ではその呪いのありかをあぶり出し、言語化し、その価値を問いかけている。
そして本当に自分がなりたいと思う自分とはどんな形をしているのか?
著者のそんな問題提起メッセージや問題提起が伝わってくるようだった。
美醜の呪いに囚われている人の解放の一冊だと思う。
本著の中に出てきた「あなたは大人になっていい。」の一文にはかなり痺れた。
ダイエットに関する文化や先人の考察にも触れられており、文化的な美醜の歴史の読み物としても面白かった。 -
Posted by ブクログ
文化人類学者(のサブジャンルである「医療人類学者」)である著者が、コロナ禍を分析する本。本書が主に採りあげるのは、3年経って理解が進んでも撤去がままならなかった「アクリル板」、ウイルスが行政区画を意識するわけでないのに想定された「県外リスク」、現代の医療の専門家までも懸念事項として挙げた(緊急事態宣言解除後の)「気の緩み」。これを第5章で総括するにあたり「ハビトゥス」という概念で説明する。ハビトゥスとは、「社会化の過程で個々人の身体に埋め込まれた、言葉や振る舞い、さらには趣味のような心的傾向を生み出す装置」(p.170)。
また、本書補論4として「緊急事態宣言」を「雨乞い」と結びつけ、コロナ禍