磯野真穂のレビュー一覧
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テーマが深く、集中して読まないと筆者の言いたいことがなかなか頭に入ってこない。が、それは単に読者の私の集中力のせいであり、すぐに頭に仕掛かり中や納期に迫られる仕事に神経がついてしまう様な私には合わなかった。だが、本書のテーマは冒頭申し上げた様に深く考えさせられるものだ。
もし私が何らかの病気を患い、明日死の宣告を受けたらこれまでの自分の人生を振り返り、良かった、充実した人生だったと納得がいくだろうか。まだやり足りないことが沢山あり、ここで死ぬのは嫌だと最後まで治療法を探し生に執着するだろうか。読み終わった瞬間に頭を過ったのはこの思いだった。私が生きている上で、仕事でもプライベートでも様々な人(他人)と関わり合いを持ち、必ずしも心地よい関係だけではなく、中には面倒だったり会うことに恐怖や嫌気がさす人もいるだろう。後者がパッと頭に思い浮かばないものの、恐らくはこれまでの経験から、特定の人を嫌いになったりしてしまうと、途端にどうしても会わなければならない状況に陥った場合に、自分の時間が無駄に感じられたり、心に負担になるのがわかっているから、敢えてそう思わない様な自己防衛策が働いている事を自分で理解している。少々周りくどい言い方ではあるが、多くの人が嫌な人に会っても顔では笑いながら挨拶できるのと同じことだ。
そうやって自分の人生は他者と共にあり、他者との関係性によって、幸せだったりそうで無かったりと価値が変わっている様に感じる。自分の未来はわからないことが多いが、就職や結婚など自分が選んだ道は少なくとも、そうした未来を決定づけるイベントとして、自己の責任の上に成り立っている。時には失敗と感じる方もいるだろうが、そこで人生が終わるわけではないので、その後の人生に深みを持たせられる人間関係を築くのは、またこれも自分次第である。
人が生きていく上で他者と共にあるのは当然だが(どんなに田舎に閉じこもっても、地球上の最後の1人になる事は考えられない)、より深みがあり、充実した幸せな人生だったと最後の瞬間に思える様、今何を選択していくかは、自分次第だ。 -
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現在2023年4月末。先日、まもなく新型コロナが5類になることが正式決定されたとニュースで流れた。
この本に掲載されているインタビューや手記は2020年。コロナ禍がいよいよ始まり、おそらく世界中の誰もが、今まで非日常と思ってきたことを日常的なものとしなくてはならないという不安に覆われはじめてきた、そんな時期の発言だ。そのような意味では、更に数年後、コロナ禍を振り返るための格好の史料となりうると思った。
この本の中で多くの識者たちが言及していたと思うが、人間にとって一番厄介なのは、人間の心の中に生じる差別、偏見、批判なのだ。どのような状況下にあっても生じるこの心の動きに、私たちはどのように打ち勝っていけばいいのだろうか? -
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ネタバレ「話を聞くだけで看護」という言葉が、何もできない時の逃げ道のようで、好きではなかった。けど、この本でその重要性が説得力をもって書かれていた。
「標準化が不可能なそれぞれの患者の文脈に、医学という知を混ぜ合わせていく」「医療者の専門知と患者の人生の間に、再現性のない知を立ち上げる」「人間の営みが本来そのような再現性のないものである以上、医療という知もまた再現性のなさをはらむ」。
話を聞くというのはその過程で必要なことであり、医学の知と(治療しないことも含めて)融合させるところに目的がある。つまり看護においては、車の片方のタイヤだ。積年のモヤモヤがすっきりした。
あと、手術(科学)と呪術の話、漢方の歴史など、これまでボヤッと存在だけわかっていたものが解説されていて面白かった。 -
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第一部、第二部、そして終章と続く。最初の二部は全て終章のためにある。難解なテーマを平易な言葉で紡ぎ、一気に最終章まで引き込まれてしまった。前著の「急に具合が悪くなる」は未読であるが、もしかしたらそれに続くものかもしれないと思いながら終章を読んだ。「私たちが生の実感を感じる時はいかなる時か。それは少なくとも関係論的時間においては、相互作用の中で他者と時間を生成している局面のことであり、その時、時間の曲線は統計学的時間を凌駕する」。著者は終末期の人との対話で考察された。私自身は、読みながら、自助グループにおけるハイヤーパワーを連想した。「唯一の生への畏怖を宿した慎み深さ」による他者との関係で、人は生まれ変わる。
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ちょっと不思議な構成の本だった。
第一部は病気のリスクの話。
統計的なリスクと個人に降りかかることとの落差。こういうことをしたらしなかった場合と比べてこうなる人の割合は◯%アップする、とか。いや、だけどこうなるかどうかは、個人にとっては一かゼロでしょ、というのはいつもわたしが思ってることだし、対策を講じても確率的に何割かの人はそうなるわけで。平均値というのは平均でしかなくて、わたしのことじゃない。…わたしの視点に落とし込めば、そういう話が書いてある。
が、筆者が何を言いたいのかはいまいち判然としない。
第二部は自分らしさとはどんなことなのかについて。
ここでもやはり統計上の平均人と個人とは別物であるという下敷きの上で、自分らしい、その人らしいというのは一体何なのかが探られていく。
自分らしさというものは、大勢の人とは違う自分らしいものでなくてはならないと同時に、大勢の人に認められる必要があるのだ、と筆者は言う。この辺り、自分らしいとは自分が定義するものではなく他者によって定義されるものであるという筆者の立ち位置が透けて見える部分である。
そしてやはり筆者によって取り上げられる人類学者の観察した文化の異なった人たちの行動のパターンがいかに私たちとは違っているかという例、それは筆者の持つ文化パターンを浮き彫りにする。
が、第二部でも筆者が何を言いたいのか全く判然としない。
この辺りでわたしは「もしかしてこの人、めっちゃ若いんちゃう?少なくとも氷河期世代以降の人やな」との思いが強くなり、思わず略歴なんかを見てしまう -
Posted by ブクログ
ネタバレ選ばれる側と選ぶ側の話は本当に考えさせられました。いつのまにか、自分は選ばれる側にまわっているのだと気付かされた。色や数字の話も、そうですが人間の本来のあるべき姿(最初の原点)から時代が成長し、かけ離れて本質を見失ってしまう。感覚や感情など人間にしかないものを存分に味わい吸収するべきだなって思いました。
食べる時に数字だけ気にするようになった社会。美味しいと純粋に言えることほど幸せなことはないのかもしれない。
女性が弱くないとモテず、可愛いと思われないという話はまさに日本の社会が抱える、ジレンマで大人になるとその可愛さは痛い人へと変わっていく、やめ時を知らないといけないと思った