夏目大のレビュー一覧
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礼儀について文面として学ぶ機会があまりなかったので今回この本を読み、深く学びたいと思いこの本を選んだ。実際に社会人になってからの話があり、今はピンと来ないこともいくつかあったので社会人になってからもう一度読み返したいと思った。でも今できることも沢山学べた。例えば笑顔でいることも礼節のある人になるということを知り、疲れている時は笑顔が薄れてしまうため、そういう時こそ笑顔でいることをこれから心がけていこうと思う。また、メールをする上で気をつけることや周りの人に失礼なことをされたときの対応など知らなかったこともたくさん知ることが出来、これから社会に出ていく上で必要なことを理解したと思う。
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ソクラテスなど哲学が盛んだったの古代の時代、活版印刷が発明され、宗教改革が起きた中世、ファシズムの横行した世界大戦期、SNSが普及した現代など、さまざまな大きいイベントごとに言論の自由に対する認識や規制がどのように変化してきたのかが詳しく記されている。
こうして本書を通して歴史を振り返ると、新しい技術の登場、宗教などによる価値観の変化など要因はさまざまあるが、言論の自由の規制と緩和が繰り返されてきたことがわかる。
そして、規制が強化された先にあるのは中央集権化や独裁など社会や世界にとって悪い影響を与えてきたこともわかる。
現代はSNSで個人の発信が容易になり、真偽とわず数えきれないほどの情報があふれている。
別の書籍でも問題として挙げられていたが、SNSにおいてフェイクニュースは正しい情報より70%ほど早く拡散されることや、陰謀論の吹聴やヘイトスピーチが際限なく発信され続けてしまう。
これらの弊害によって発信を規制すべきと考える人が増えているように思うが、確実によくない方向に向かっているのだろう。
実際、世界で見て殺害されるジャーナリストの数は近年増えており、言論の自由は縮小している傾向にあるとのこと。
また、SNSを運用する企業が非常に大きく中央集権化していて言論の規制と相性がよい(容易に規制ができてしまう)状況であることもあわせて言論の自由の縮小を促進している。
本書とは別の話だが、あるyoutubeで、マリファナと言っていいのかな、言ったらBANされるのかな、といった旨の発言をしていたのが気になった。
当初はそんなことでアカウントに制限がかかるわけないと思った程度だったが、本書を読み終えて考え直すと、SNSなどのサービスでは発言した内容次第では制限されるということになんの違和感ももっていない、むしろ当然とも思っている人が多いのではないかということ。
つまり言論の自由が規制されることを無意識に賛同している人はかなり多いのではないかと思う。
本書によればより透明性がい場での自由な議論は誤情報の拡散に一定の効果があるとのことなので、もちろん言論の自由のデメリットはあるかもしれないが、個々人が意識を変えていける社会を望む。 -
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因果推論ができるようになるのが子供の頃からというのが重要。ある日突然自由意志をもらって喜ぶのはおかしいから。これは私の敬愛する哲学者の永井均さんの例。僕たちはいつ自由意志をもらったかわからないところで自由意志を得ている。
三段のはしご。観察、行動、反事実であるが、反事実の段階で、善悪がわかっても遅い。おそらく観察段階で、単なるA.I.兵器として使われるだけだ。でも、三段のはしごに分類したことはある程度成功している。
因果ダイアグラムのように視覚化されると、たいへんわかりやすくなる。ただ実践して使えるかと言われれば首を横に振るだけだ。ただ少し図を変形することによって意味合いが変わってくるのは感慨深いものがあった。
A.I.の内容が透明になることを望んでいるようだが、そして、それは強いA.I.を目指しているのだろうが、それは全くどうでもいいことのように思われる。そのA.I.が因果推論をしないならばという条件をつけてのことだが。
どうしても最後のA.I.のところばかり集中して考えてしまう。でも、因果関係を科学の言葉に翻訳した功績は大いに認めてよいと思う。
古代の人は確率に弱かったが、因果推論には強かったと思われる。それは今の現状にも言えること。 -
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ヘイトスピーチや誹謗中傷は禁止するべきものだという先入観が見事に覆された。直感的に間違っていると感じる言論まで開かれた自由が、破滅的な弾圧や粛清を防止することにつながるという歴史的実証を知れただけでも読んだ価値がある。
現代はネットにより個人があらゆる情報にアクセスでき、逆に個人の意見を全世界に発信できる歴史的にみて特異的な状態である。一部の独占的な企業による恣意的な規制は許されるのか、または正当性を真摯に受け入れられるものなのか。
今後さらに発展する情報社会での身の振り方や考え方をアップデートしながら、当事者として暮らしていこうと思わせられたのだ。 -
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タコやイカは知性が高いと言われている。進化樹の中でははるか昔に枝分かれした人類とタコであるが、異なる進化の中で神経系をそれぞれで発達させているのが興味深い。人間は脳で集中制御しているのをタコでは腕部にも脳のような機能があるなど、違いはあるもののタコにはタコの心があるようだ。また、もし異星人が存在するのであれば、独自進化した異星人の心を知るためにもタコの心を研究するのは有意義だ。まずはタコになった気分を考えるというのは面白い思考実験になりそう。こんなことを考えられるのも人間の特権のようなのだけど。何冊か類書を読んだうえで、この本にたどり着いたが、読みやすくて分かりやすい。
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世界屈指の人工知能科学者が因果推論について、過去の事例や著者自身の経験・研究をもとに解説している。そもそも因果推論とはなにをすることか、人工知能の科学者がどうして因果推論について研究することになったのか、因果推論を蔑ろにしていた統計学者などの歴史、一貫して重要性を主張していた因果ダイアグラムの解説などさまざまなことが学べる。
私自身、計量経済学を中心にデータ分析を学んでいたこともあり、もともと因果推論には関心があった。本書でも述べられていたが、伝統的に?計量経済学のほとんどの教科書では因果ダイアグラムを使われることがなかった。しかし、因果ダイアグラムを駆使することで、交絡・コライダー・媒介などを明確にできることが説明されていた。このことは非常にまなびになった。あの有名なモンティ・ホール問題も因果ダイアグラムで解説されている。
データのみから情報を得るだけでは因果推論はてきない(因果のはしご一段目)。介入や反事実(因果のはしごの二段目、三段目)を扱うには、推論したい事象の分野についてよく考察できるだけの知識や経験が必要だと実感した。なお、観察データから純粋な効果(本書ではdo演算子が式にある問題)を推定できる方法も本書では解説されている(フロントドア調整など)が、これらもそれぞれの因果の向きや理屈を理解していないといけない。
本書では因果推論をうまく扱えなかったがために間違った道に進み、多くの失敗(たばこや壊血病など)をしてきたことが紹介されている。私自身、本書の内容についてまだまだ理解不足なことばかりであるが、因果推論の考え方で正しい道の方向に向いていきたいと思った。
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ネタバレとてもいい本だったが、タイトル通りの内容でないことは指摘しておきます。
原題は「a wonderful life:insights on finding a meaningful existence」
直訳すると「素晴らしい人生:意味のある存在を見つけるための洞察」
フィンランドに関係する内容はほとんど記載されていません。
人生の意味はあるのかという問いは割りと最近の問い。
これまでの宗教などによる超越的なものが前提の社会では、人生の意味があることが前提だった。
その呪縛から放たれた現代では、自分で人生の意味を見つけないといけない。
人生に意味や価値を与えるのは自分自身である。
ロマン主義が掲げる運命の人という理想は、非現実的。妥協しないことは、多数の問題や複雑な環境にうまく対処できない。
現代における天職も近いものがある。
普遍的な人生の意味を考えるのではなく、自分自身の人生に個人的な意味を与えることを考える。
自分の人生を捧げるのに値するほどの価値があると思えればいい。これまで生きてきて、どういうときに人生の意味を感じられただろうか。
人生をプロジェクトのように思わないほうがいい。人生が単なる手段となってしまい、なにかを得るために人生を利用することになる。
人生そのものを大切にして、人生を生きることを楽しんでほしい。そのためには、人生を物語と考えるのが良い。
人生はある日終りを迎えるが、それまでのすべての日に美しいもの愛でて、楽しみを味わい、人生の意味を追求できる。
主要な要素は4つ。自律、関係、能力、慈善。
■関係
他者と繋がって、周囲の人達と良好な関係を築くこと。
■慈善
他人にとって意味のある存在であると感じられると自分の人生に意義を感じられる。
内容は些細なことでもいいが、決して自分を犠牲にしてはいけない。また、強制されてもいけない。
■自律
自分自身とのつながり。自己表現。
自分にとって意味のある行動をとること、意味があると思える目標に向かって進むこと。自分の興味を大切にすること。
■能力
没頭そのものが魅力。
自分が成長できる場所、自分の持っている能力を発揮できる場所を探すこと。 -
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『自主的に薬Dを服用した患者の寿命Lの観察頻度は、数学的にはP(L|D)という式で表すことになる。これは、統計学の教科書に出てくる標準的な条件付き確率の式だ。この式が表現しているのは、患者が薬Dを服用したのを見て考慮に入れた場合の寿命Lの確率Pである。P(L|D)とP(L|do(D))ではまったく違うことに注意してほしい。見ること(観察)と行動すること(介入)は根本的に違う。そしてこの違いは、私たちが気圧計の測定値の低下を嵐が来る原因とみなさない理由の説明になる。気圧計の値が下がっているのを見て、それを考慮に入れれば、嵐の確率は上がっていると考えていいが、気圧計の値を無理に下げたとしても、嵐が来る確率に変化は起きないのだ』―『序章 「因果推論」という新しい科学/因果ダイアグラムと記号言語』
1999年に書いたテクニカルノートの冒頭に「一般に回帰法を用いたデータ処理においては、データ空間の中に潜在する関係を見い出すデータモデリングに着目した部分と、データから推定されたモデルの評価/最適化に着目した部分があり、各々に技術的な要素がある。ここではまずデータモデリングの部分について技術的要素を整理し、その後、モデルの評価/最適化に係わる技術的要素について言及する」と記してある。拙い論考ではあるが、ここでデータ解析の実務者としての自分が考えていたことは、物理学的なデータ間の関係性と統計学的な関係性とは分けて考えておかなければならない、ということであったと顧みる。如何にそれらしい関係性をデータ群から見出しても物理学的な関係性に落とし込めなければ意味はないとの戒めが当時の自分にもあったのだ。だからこそ、非線形の回帰法を利用しつつ如何に物理的な裏付けのある関係性を見い出すかということを懸命に模索していた時にこんなメモを残したのだ。その「物理的な関係」を広義に言い直してみれば「因果律」ということになる。それは、原著のタイトル「The Book of Why」の答えとしてデータを前にした者が求めたいものである。しかし、アインシュタインは一般相対性理論を展開する中で全ての事象は相対的な関係でしか著せないと言った。事象Aに事象Bが先行しているように見える世界もあれば、その逆に見える世界も同時に存在し得る。だとすればAがBの結果であるという単純な因果律など存在しないのかという極端な話にもなるが、ヒトは自分の生きている世界観の中で因果律を求めたがる生き物だ(だからこそ都市伝説や陰謀論に引き付けられる人々も多いのだろう)。ラプラス的世界観は現代物理学では否定されているにも拘らず、人は因果律を求めその応用として未来を予想しようとする。閑話休題。
本書は、一般ビジネス書の書棚に平積みされるような本ではあるけれど、決して万人が読んですぐに得心できる類の本ではない。少なくとも、統計学的な一般素養が必要とされる。統計学的な一般素養とは、単に統計処理ソフトを使えるという意味では決してなくて、その処理で用いられている手法についての理解、データを扱う上での注意点などを理解している、という意味である。例えば、職場のパソコンに必ず入っているであろう表計算ソフトを利用して二つのデータの関係性が近似式で散布図に挿入されたのを見て係数を知れば充分という人に、この本はお勧めできない。多変量解析において独立変数の選択や次元の呪いに苦しんだことがあり、より自然な関係性を求めて非線形の関係式をモデルとして検証したいと思いつつ不用意な変数の変形によるデータの偏重を如何に避けるかということに取り組んだことのある人であれば、ひょっとすると面白く読めるかも知れない。データマイニング的な手法を扱ったことがあれば申し分ないし、ディープラーニングの理論的な側面を学んだことがある人なら正に著者が想定している読者になれるだろう。それでも統計学者ではない実務者にとってはやや意外でもある「因果律」を否定する統計学界の風習に対して、それを形而上学的な論争ではなく数学的に自明な解決を目指して理論を展開してきた著者の技法については、この本を読んだからと言って完全に理解できる訳ではない。だが、著者が何故「因果ダイアグラム」という手法に拘り、do演算子などを駆使して「左辺」と「右辺」の関係性を単純な「対比」から「因果」へ導こうしているのかの主張はよく理解できる。ただし繰り返しになるが、表計算ソフトで回帰分析をする際に、XとYを入れ替えることの意味や主成分分析との違いを(つまり、観測されたデータは、観測されていないデータも含めたデータ群が形成する空間をより低い次元の空間に落とし込んだ「影」に過ぎないのだと)認識していない人には、回りくどく、そして、やや自慢話的な語りの多い本書はとても読み難い本ではあるだろう。
『科学的な問いの中でも回顧的な思考が関わるものには、「反事実」と呼ばれる因果推論に特有の、別の種類の表現が必要になる。たとえば、ジョーが薬Dを服用して、一カ月後に死亡したとする。ここで問いたいのは、果たして薬Dは彼の死の原因なのか否かということだ。この問いに答えるには、ジョーは薬を服用しようとしていたが、結局は気が変わって服用しなかった、という架空の筋書きを想像する必要がある。この場合、果たしてジョーは死なずに生きているだろうか。すでに書いたとおり、古典的な統計学はデータを要約するだけである。つまり、この問いを表現するための言語すら持っていないということだ』―『序章 「因果推論」という新しい科学/反事実的推論の重要性』
著者が断言する「データは何も教えてくれない」とは、実に刺戟的だが、昨今のディープラーニング型の人工知能信奉が蔓延る中、心に留めておくべき言葉であると思う。そんな風潮に流される若い世代の技術者に接して思い出すのは、データ解析初学者であった頃によく先達から言われた「ガーベージ・イン・ガーベージ・アウト」という言葉。何でも良いから大量のデータを読み込ませて、どうしてそうなるのかも解らない畳みこみニューラルネットワークの出した答えが見た目それらしいからと言って受け入れる風潮には自分も違和感がある。私見だが、ニューラルネットワーク的な手法がやっているのは極端に言えばデータのオーバーシュートで、幾重にも再帰的に入れ子になった多変量の多項式。そこから見い出される関係性の頑健性はそもそも考慮されていない。データには常にエラーがあり、それを理解しつつ確度の高い関係性を構築するかが本来解析者のやるべき仕事ではないのか。そんな誰に言うともなく言いたかったことを久しぶりに思い出した。 -
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著者は熟練ダイバーでもあるそうだが、「オクトポリス」でのタコに手を引いてもらった(と感じた)体験、ジャイアントカトルフィッシュという種のイカとの交感の描写が、実らない愛を感じさせ切ない。
頭足類が地球上の動物の中で極めて特殊な位置づけの生き物であることに改めて感心。ボリュームあり読むのはちょっと大変だが良書。
P10 頭足類を見ていると「心がある」と感じられる。それは何も私たちが歴史を共有しているからではない。進化的には互いに全く遠い存在である私たちがそうなれるのは、進化が、全く違う経路で心を少なくとも二度、作ったからだ。頭足類と出会うことはおそらく私たちにとって、地球外の知的生命体に出会うのに最も近い体験だろう。
P13 よい哲学は日和見主義だ。つまり、どのような情報であれ、どのような道具であれ、役に立ちそうであればすべて利用するということだ。
P40 クラゲのように上下の区別はあっても左右の区別はない構造の動物を「放射相称動物」と呼ぶ。一方、人間、魚、タコ、アリ、ミミズなどは「左右相称動物」と呼ばれる。【中略】元来、左右相称の身体は、移動に向いている。またこの身体の構造は、ほかにも多くの複雑な行動に適していた。
P65 タコは、ラットやハトなどに比べてはるかに、自分でこうしようという考えを強く持っているようである。【中略】タコの行動にどうも「いたずら」の要素が多くあり、また彼らには多分に狡猾な面もあるようなのだ。
P80 脊索は動物の背側にあり、身体の中央を貫く。瀬木作には神経が通り、一方の端には脳がある。一方、頭足類は、それとは大きく違った身体の設計、違った種類の神経系を進化させる。脊索動物の神経系を中央集権型だとすると、頭足類の神経系はそれよりも分散型だと言える。(はしご状神経系)【中略】頭足類の場合は(食道が)脳の中央を貫いているということだ。その位置関係はあまりにもおかしいように私たちには思える。そこは絶対に脳があってはならない場所だと感じるのだ。
P88 タコには余計なことをするだけの、内面の能力の余剰があるようだ。
P92 タコの身体には決まった形というものがなく、変貌自在だ。可能性のかたまりだと言ってもいい。決まったかたちを持ち公道をある程度決定する身体を持つと、そのためのコストが発生する一方で利益も得られるが、タコにはどちらもないということになる。多くの動物では脳と身体が明確に分かれるが、タコはその区別とは関係のない世界に生きている。
P163 ヒヒはメロドラマのような生活を送っており、おそらくストレスも多い複雑な社会にいる。にもかかわらず、情報を発信するための手段は非常に貧弱だ。反対に頭足類の場合、社会生活は非常に単純なもので、したがって言うべきことも非常に少ない。にもかかわらず異様なほど多くの表現をする。
P174 言語が思考のための重要な道具であることは間違いない。そして内なる声はただ泡のように無意味に湧いているわけではない。しかし、秩序だった思考をするのに言語が絶対に必要だとまでは言えない。言語は複雑な思考を一手に引き受ける媒体というわけではないのだ。
P191 皮膚に現れる色や模様は、たとえどれほど複雑なものであっても受取り手のいない一方通行のものである。頭足類は、自らの発する色や模様を、人間が言葉を聞くように認識するわけではないのだ。
P194 頭足類の多くは、その寿命の短さに比してあまりに大きく、あまりに賢いと言える。タコが卵からかえって2年以内に死んでしまうのだとしたら、彼らの高度な知能は一体何の役に立っているというのだろうか。
P253 この地球上では、少なくとも2回、同じような能力が、全く別のところで無関係に生まれ、進化したということである。【中略】頭足類は、独立して進化を遂げたにもかかわらず同じようなmindを持った非常に不思議な生物だ。昔から、異星人の想像図はタコに似た姿になっていることが多かった。偶然にしてはできすぎている。(訳者あとがき) -
Posted by ブクログ
本書でいう礼儀正しさは、 堅苦しさではなく、親切さや温厚さなどを含む、 他者への肯定的な態度のことを表している。
道徳的な意味だけでなく、 組織における成長や発展においても「他者への肯定的な態度」 が如何に必要であるかが、 分かった。
無礼な人・攻撃的な人がいると、それだけで周囲の生産性が下がり、シンプルに損害に繋がるというデータがあったり、 オンラインでも、攻撃的・高圧的・ 無礼なメール1通で多大な損害に繋がることもあるという事例などが紹介されている。
オフラインで直接会うと丁寧な人でも、オンラインの文面だけでは印象が変わることもある。
組織において多様性が重視されている昨今だが、多様性そのものよりも互いに礼節があること、無礼な人がいないことのほうが重要であると。
業績が高い組織は肯定的なフィードバックが行われ、更なる業績の向上に繋がり、 批判的なフィードバックがされる組織ではどんどん業績が低迷するというデータがあると本書は述べている。
傾聴はとてもエネルギーを使うが、 親切さ・温厚さ 共感性がコミュニケーションを円滑にする。
感謝を他者に伝える人は収入が高いというデータもある。 ただ、 感謝のされ方は人によって好みがある。人前で感謝を言葉で述べられたい人もいれば、人前で直接的に述べられたくない人もいるので、注意が必要だ。