若林正恭のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
好きな人×好きな人の対談は面白いのか?
そりゃあ面白い
良かった
So Good!
急に英語、どうした?
まぁいい
とにかく良かった
若林さんが感じた雑多な事柄に、國分先生が哲学的な解答を提示する
そんな構成が多く見られた
でもベクトルは逆に向いてたんじゃなかろうか?
実は哲学的な話を若林さんの疑問が「解説」となっていたような気がする
これってこんな気持ちを表現するために生まれた考え方なんじゃねーか?みたいな
まぁ、とにかく頑張り過ぎないことが大切
わいは二人の対談からそんなことを受け取った
お二人はもしかしたら、いやこんなことは渡してないと言うかもしれんが、こっちの勝手である
以上 -
Posted by ブクログ
とても面白かったです。
若林さんの「表参道のセレブ犬〜」と國分さんの「暇と退屈の倫理学」のファンとしては必読の書でした。
また、最近「急に具合が悪くなる」を読み、映画も観た自分にとって、資本主義の限界と「人間」という自然の生き物である我々との相性の悪さを感じていたのですごくタイムリーな話題でもありました。
若林さんは「表参道のセレブ犬〜」の頃から一貫して、ずっと「資本主義」「新自由主義」「成果主義経済」のような今の社会を動かすシステムに対して、"今の社会の第一線にいながらも"疑問を持ち続けているのがとても面白い方だなと思います。
私自身も今後の働き方や生き方について、どういう方法が一番幸せなのか改めて考えるきっかけになりました。 -
Posted by ブクログ
この本は対談形式なので、完成された思想を読むというより、知識人がどう考えて、どう迷って、どう言葉にしていくのか、その途中を見られるのが面白かったです。
内容自体も、いわゆる知識人同士の難しい対談というより、かなり生活に近い話が多くて、普通に生きている側から見ても共感できるところが多かったです。
ただ、読んでいて少し距離を取って考えないといけないとも感じました。
本の中でも触れられていますが、國分さんや若林さんのように、資本主義社会の中で一定の成功を収めている人が、競争や資本主義への違和感を語ることに対して、
「成功した側の人がそんなことを言っても」
という批判は当然あり得ると思います。
ただ、その批判を本人たちもある程度理解した上で話していることが、個人的には意外でした。
自分は、こういう自己認識を持ちながら語る人を、これまであまり見てこなかった気がします。
そして少し考えたのですが、もしかすると、こういう人たちが人気になる理由の一つは、
「自分だけが社会の競争に疲れているわけではない」
と思わせてくれるところにあるのかもしれません。
世の中はどこまでも競争で、もっと働け、もっと成長しろ、もっと効率化しろと言われ続ける。
そこに疲れている人にとっては、社会的に成功している人でさえも同じような違和感を持っていると知ることで、少し救われるところがある。
自分も、そこにはかなり共感しました。
ただ同時に、現実にはその競争から完全に降りることも難しい。
生きていく以上、仕事もするし、お金も必要です。
競争から距離を取りたいと思いながら、競争に参加しなければ生活できない。
その矛盾は、読んでいる間ずっと感じていました。
もう一つ印象に残ったのが、「目的」に関する話です。
最近、書店のビジネス書の棚を見ていると、
「こうしなければいけない」
「こうすれば成功する」
「最短で結果を出す」
みたいなタイトルが、以前より増えているように感じます。
もちろん自分の見方が変わった可能性もあります。
ただ、社会全体が少しずつ「目的を持て」「成果を出せ」という圧力を強めているようにも見える。
このあたりは、國分功一郎さんの『目的への抵抗』を読んで、もう少し考えてみたいと思っています。
そして、この本を読んでいて、一番自分に返ってきた問いがあります。
自分が今、哲学や思想の本を読んで、こんなことを考えていられるのも、ある程度の時間的、経済的な余裕があるからです。
つまり、資本主義や競争社会から距離を取る思想を学ぶためにも、結局は資本主義の中で得た余裕が必要になる。
これは少し皮肉な話です。
そして、その余暇を使い切った先に何があるのか。
そこで得た思想を持って、また新しい労働に戻るのか。
それとも、今までとは違う働き方や生き方を選べるようになるのか。
そこには少し不安があります。
最近、自分は「学びの毒」というものについて考えることがあります。
哲学や思想を学ぶことは、必ずしも人を楽にするわけではないと思います。
むしろ、
「なぜ働くのか」
「なぜ競争するのか」
「なぜ成功しないといけないのか」
という問いを持つようになる。
今までなら疑わずに参加できていたものを、一度立ち止まって考えてしまうようになる。
その意味では、哲学には少し毒がある。
一度疑問を持つと、以前のようには無邪気に競争できなくなる。
自分は今、その毒の部分にかなり惹かれているのだと思います。
ただ、ここにも危険があります。
資本主義を批判したり、競争社会を疑ったりすること自体が、居心地のいい場所になる可能性もあります。
思想を現実から逃げるための道具にしてしまう。
考えることばかり上手くなって、現実の中で何かを作ったり、働いたり、責任を引き受けたりすることから遠ざかってしまう。
そこは、自分でも警戒しておかないといけないと思っています。
そして最後に、一番正直なことを言えば、自分も経済的な立場を手放すのは怖いです。
実際、一度かなり手放した経験があります。
その頃と比べれば、今は以前ほどお金や立場を絶対的なものだとは思わなくなりました。
ただ、それで本当に幸福になったのかと聞かれると、正直よく分かりません。
でも、一つだけはっきり言えることがあります。
以前より、不快感は減りました。
嫌なことを我慢する時間は減った。
自分の時間を自分で決められる感覚は増えた。
もしかすると、幸福を考える時に、
「幸福になったか」
という大きな問いだけではなく、
「不快な時間が減ったか」
「自分で選べる時間が増えたか」
という見方も必要なのかもしれません。
『帳の向こう』を読んで感じたのは、競争から完全に降りることでも、資本主義を否定することでもありませんでした。
むしろ、
その中で生きながら、どこまで競争や目的に自分自身を明け渡さずにいられるのか。
その距離感を考える本だったように思います。
自分自身もまだ答えはありません。
ただ、こういう問いを持ってしまった以上、以前と同じようには生きられない。
その少し不安定な感覚も含めて、今回この本を読んでよかったと思っています。 -
Posted by ブクログ
私は同じように考えすぎていて、真正面から世界と向き合っていないというか、どこか遠いところから客観視して冷笑しているという自覚があるので
あくまで「生きる理由」(というか、生きることを求められているという価値)がしっかりある側の人間に、そんなこと書かれても。と思ってしまったけど、
読むにつれて、なんだか言葉がすっと入り込んでくるようになった。
たぶん、私と同じような悩みをただ読むだけなのは苦痛でしかなくて、ただ、それを経験して思ったこと/わかったこと/見えたもの、ここにはすごく価値を感じます。先人の教え。ありがたい。
今の私はあの黒いフードの男。でも、「自意識過剰な人間は、歳を重ねると楽になって若返る」、この経験談を信じてみたいとも思った。
たまたまハイライトした部分が、著者の考えの変化をそのまま浮き彫りにさせてて面白かった。
・挙げ句の果てには「他人に自分を開かないと成長は無いよ」とか言う。こっちは自分なぞを開いたら、未来が閉じてしまうぐらいに内面が腐っている。だから、閉じているというのに。
・その時にやっと、人間は内ではなく外に向かって生きた方が良いということを全身で理解できた。