朝井まかてのレビュー一覧
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知らなかった。こんな女の人が日本にいたなんて。
朝井まかての本によく抱く感慨ではあるけれど、これは群を抜いていた。
前半は痛快だ。
ご一新直後の明治、「わたくしも開化致したく候」と書き置きを残して笠間から江戸まで歩き通す。連れ戻されても絵が描きたいという熱は冷めない。
東京ではできたばかりの芸術大学を試験だけでもと受けて合格し、ついには通うことになる。
やがて師を失い、友に誘われ教会に入り、ついにはそこからロシアへ留学する。
ロシアでの日々は読むこちらも苦しかった。冬の暗さや寒さ、押し込められたような空気がりんをますます追い詰める。彼女の姿は青ざめ彷徨う宗教画の登場人物そのものだ。
「聖像画は芸術であってはなりません」というオリガ姉の言葉は、りんだけでなく私にもショックだった。美術館でいわゆる宗教画を観てもなにも響いてこないと感じるのは、このあたりに理由があるような、と思い当たったからだ。
しかし一方で、知人の芸術家が言っていた言葉がよみがえる。「東南アジアとかインドの石窟寺院や遺跡のレリーフや仏像・神像の無名性に惹かれる。個性が没した先の個性に興味がある」という主旨だった。
若き頃のりんは、ロシアで学べると思った西欧画(ルネサンスのイタリア画)から遠ざけられて憤慨する。まずは型があってこそ、万人が見てその時々に彼・彼女らの心持ちを映すものであるべきで、そこに個人の思い入れや考えは邪魔である、という教えに気付けない。
いや、彼女には夢と希望があったのだ。華やかで生き生きした、美しい絵画を描きたかった。その技術をモノにしたかった。それを言葉もわからず押さえつけられては、誰だって反発するだろう。
この点ーーーなぜりんにじゅうぶんなロシア語教育を施してから発たせなかったのか、行きの船での仕打ちーーーについてはニコライ師の判断を疑う。
最近世界史の教科書的なものを読んでいるので、プロテスタント、カトリック、正教会の考え方の違いやそれらが引き起こした国同士のあれこれに深く納得がいった。ニコライ師の考え方が正教の考え方だとするなら、正教は日本人向きだ。「沈黙」の宣教師たちとの考え方・感じ方の違いの大きさに驚く。かねてから「人は生まれながらに罪を背負っている」という考え方がどうにも腑に落ちなかったのだが、正教はそうはとらえておらず、性善説だというのも視界が明るくなるようだった。落語の人間感に通ずるところがある。
歳を重ね、一度は放擲した聖像画に戻ってからのりんが、じわじわと信仰について、描くということについて腹落ちしていく過程が生々しい。
芸術とはなんだろう、と考え込まされる。
長生きしたりんが次々人を見送って、でも穏やかに郷里で暮らす姿にホッとする。ロシアという国の越し方にも思いを馳せた。地政的にも難しい国だ。
大河か朝ドラになってもおかしくない、波瀾万丈な山下りんの人生であった。
直後に読み始めた「猫の刻参り〜三島屋変調百物語」の冒頭、冨次郎がりんと同じようなことを言われるのでぶんぶん頷いてしまった。洋の東西を問わず、絵の習得の肝は同じらしい。
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2024年7月に朝井まかて先生の『朝星夜星』を1ヶ月かけて読み終えました。この小説は、早朝から夜遅くまで働くという料理人の重労働を描きつつ、自分の好きなことに一生懸命になる姿を描いています。最初は少し心配でしたが、読み進めるうちに面白くなり、一気に読み終えました。ユーモアと感動が織り交ぜられており、笑ったり涙が出そうになったりしました。料理のレシピや晩年の認知症についての描写もあり、現代の問題にも触れています。
舞台は幕末から明治維新。その偉人の活躍の話ではなく、ごく庶民の眼からみた話です。主人公の草野丈吉とその妻ユキのホテル創業の苦労が描かれ、丈吉は自分の命をかけて働く偉大な人で、日本の洋食の父と称されるにふさわしい人物です。丈吉夫妻は読み書きができなかったものの、行動力と記憶力、実践力で大成功を収めました。
小説を読んで感じたのは、仕事は健康あってのものであり、一生懸命になることが重要だということです。また、目標を持ち、それに向かって努力する姿勢が大切だと感じました。草野丈吉が外国語の知識を実践で習得したことや、部下との関係をうまく築き、尊敬される人物であったことも印象的でした。ユキの性格にも親近感を覚え、夫婦の在り方や和を保つことの大切さを学びました。
今後、朝井まかて先生の他の小説や陸奥宗光の作品も読みたいと思っています。また、草野丈吉の偉業を偲んで、長崎や大阪の地を訪れたいと考えています。
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彼女と私を考えた。
少し似ていて、決定的に違っていて、彼女は私の師匠にはなるかもしれない、同年代なら親友にはなれないけど、ライバルにはなれるかもしれない。
志すものは違えど、無二のライバルに。
それは自分を高く見積もりすぎかしら、「あんたなんか眼中にありゃしねぇよ」と嗤われるかしら。
そんなことを考えた。
彼女の生き様は私には決して真似できないものではあって、美しくも不格好で誇り高い絵師の生き様だった。
時折あまりに女の思考回路に虫酸が走ったこともあったけど、最後の数章のお栄は生き生きとしてこれぞ葛飾応為なのだと思った。
波乱であったとしてもいい人生を生きたのだろうと思うこの物語の最後がとても美しくてとても清々しいと思う。
いい作品を読めた。
作中の葛飾北斎の言葉を自分自身のために残しておこうと思う。
「たとえ三流の玄人でも、一流の素人に勝る。なぜだかわかるか。こうして恥をしのぶからだ。己が満足できねぇもんでも、歯ぁ喰いしばって世間の目に晒す。」
私も忘れてはいけない言葉だと思う。
まだ三流であったとしても、玄人でありたい。
これからも高みを目指す、玄人であり続けたい。 -
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ネタバレ森鴎外の末子、類を主人公とする小説。
評判の良い小説と聞き、内容を全く知らずに読んだが面白かった。
昔の風俗などよく調べ、上質の文章で綴られていると感心しながら読んでいたが、途中でモデル本人たちの著作が多いに下敷きになっているはずと気づいた。
よって、評価はできないが、引き込まれて読んだことは確かだ。
戦後は、お金がないないと貧しい生活に終始した類だが、晩年は別荘地の家を建て替え、後添いをもらって暮らす。一体庶民には真似のできない暮らしぶりだ。どうやって成り立っていたのか、謎のまま終わった。
どんなに貧しくても生まれながらのお坊ちゃんは内面が貴族のままなのであった。
もともと鴎外はあまり好きではないが、やや興味をひかれた。 -
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幕末、長崎の油商・大浦屋の女あるじ、のちの貿易商・大浦慶の胸躍る生涯の物語である。
個人的に、ラストシーンが膝を打つほど決まっている作品は傑作だと思っている。本作はまさに膝を打つほど。胸アツでございました。
幕末のころ、いわば「女子はだまっとれ」という時代に、海の外の者たちと商売を始める──お慶とともに「どうやって!?」と胸をつかれ、「なんとかしたい」と願い、失敗し、商機を手に入れてホッとしたり。そんな思いを存分に楽しめる作品なのだ。
中盤から幕末でおなじみの面々の名前がにぎやかしていくのも楽しい。後半では、きっと朝井さんもお慶たちと別れるのが淋しくなっているんだなあとまで感じる愛おしい文章。
最初から最後まで、お慶とともに怒涛の日本を駆け巡っている心持にさせてくれた、わくわくする1冊だ。 -
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NHKの人形劇『新八犬伝』観てたんだけど覚えてない。ただ、八犬士が持つ珠の文字「仁義礼智忠信孝悌」はあの番組で覚えた。そっか、曲亭馬琴さんが原作者なんだ。しかしなんとも精力的な執筆活動ではありませんか。筆が早いったって矢継ぎ早の創作。おまけに超几帳面で、徹底した校正は出版社泣かせ。妻の百はかなりの癇癪持ちとあるけど、馬琴の性格に対するストレスは相当なものだったんじゃないの。滝沢家再興へのこだわりは尋常ではないし、歳時における食などの支度も指示があまりに細かい。とはいえ、江戸読本を育んだあの気力は凄まじい。
PS これってタイトルと中身がどうなんだろう? -
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大河ドラマ、というよりは連続テレビ小説。
なんと激動の世の中を生きた画師であることよ。
生きるとはままならないなあ。
しゃあんめえ。
祈ることの尊さと描くことへの業がないまぜになって明治から大正、昭和という時代の荒波に揉まれている。こういう時代が有ったのだと、一口に語ることは簡単だけれど、社会の有り様というのはこうまでも変化してしまうものであるのだと驚愕する。
いま私が見ている景色、社会はほんの少し先にはまったく違ったものになっているかもしれない。
それでも生きていく。
醜かろうが、過去の己の無知に恥の念を覚えようが、圧倒的劣勢だろうが、誰かに嫌われようが。
しゃあんめえ、と唱えて、それでも歩いていく。
生きるとはそういうことかもしれない。