村田沙耶香のレビュー一覧
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著者本人がどのくらいたいへんに思っていたのかわからないが、村田沙耶香くらい名の売れた作家でも長いあいだアルバイト生活をしていたんだな、と思った。たぶん「コンビニ人間」で芥川賞を受賞するまで、そういう生活をしていたのではないか。
各エッセイには初出時の年月日が書かれており、受賞あたりから海外の文学祭に参加していたり、編集者に誘われて旅行してみたり、行動の幅が広がっているように見える。でも、ぜんぜんちがうかもしれない。
「コンビニ人間」で海外へ行ったときのエッセイで、小説の主人公に共感を覚える読者の話がある。村田沙耶香の小説は、かなり変わっているように見えて、その実は共感の原理で動いている部分も大きい。小説のすべてに共感できなくても、世の中とはちがう自分の変わっているところと共鳴する部分が小説内のどこかにある。このエッセイもその調子で書かれているし、小説よりも軽く読めて良かった。 -
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【目次】
Better late than never(島本理生)
肉体が観た奇跡(村田沙耶香)
「妊娠」と過ごしてきた(藤野可織)
身体に関する宣言(西加奈子)
汚してみたくて仕方なかった(鈴木涼美)
胸を突き刺すピンクのクローン(金原ひとみ)
私は小さくない(千早茜)
てんでばらばら(朝吹真理子)
両乳房を露出したまま過ごす(エリイ)
敵としての身体(能町みね子)
愛おしき痛み(李琴峰)
肉体の尊厳(山下紘加)
ゲームプレーヤー、かく語りき(鳥飼茜)
私と私の身体のだいたい五十年(柴崎友香)
トイレとハムレット(宇佐美りん)
捨てる部分がない(藤原麻里菜)
私の三分の一なる軛(児玉雨子) -
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【変半身】
序盤は島の伝統かつ異常な祭りの話、
神話の話かなと思い読み進めていたが…
地球に住む人間、教科書に記載された歴史、
少しづつ事実を揺るがすポーポー様とポピ原人
その後全てひっくり返る展開
村田沙耶香さんにしか描けない世界。
ポーポーで埋め尽くされたページを見て
狂気を感じ笑ってしまった。
【満潮】
全くの素人だが潮は何かのメタファーかな。
付き合った男性によって性の何もかもが
変わってしまう経験はよく分かる気もした。
なんとなく村上春樹さんの小説を
読んだ時と同じ感情になった。
途中読んでいてタイトルなんだっけ?
と思って満潮で…納得。
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「汚してみたくて仕方なかった」鈴木涼美
売春が無くならないのは、男側の問題の方が大きいけど、自分に値打ちが付くことに依存する女側の問題もあるのかもしれないと思った。女は性処理として利用されてきた時代が長く続いたせいもあり、完全に無くすことは難しいのだと悟った。
「トイレとハムレット」宇佐見りん
面白かった、、!確かに腹痛と苦悩のポーズは似ている。舞台が好きな理由として「シンプルだから」っていうのはすごく腑に落ちた。たった一つの物語、感情を演じているだけだもんな。現実の方が感情ごちゃ混ぜで騒がしいもの。
「私の三分の一なる軛」児玉雨子
生物は毎日ちょっと死んでおかないと生きられないって興味深い。睡眠を取ること=意識を手放すことが「生」繋がるのだとしたら、なんか「死」も生の延長のような気がして、恐怖心が払拭できる気がする。
自分は随分と「身体」というものに向き合っていなかったのだと思ったのと同時に、向き合わなかったという事はそれだけ健康であり、真っ当な人生を歩んでこられたという事なのかもしれないと思うと、親や環境に感謝した。でも1番大事な事は、何も深く考えず、ただ「人間」という生物として生きていく事だけを考えることかもしれない。 -
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身体や性についてのエッセイ集。この中で柴崎友香さんが呈示していた疑問「なぜ書き手の性別を限っているのか」、私もこれと同じことを思った。もう、このフェーズは終わっていないか。いま、同じテーマで、男性やその他の性の人の語ることも聞きたいし、それらが同じひとつの場所に並べられているところを見たい。
どのエッセイもそれぞれ興味深かったし、色んな方向に心動かされたが、上記の意味で、柴崎さんが「このような疑問を私が持っていることを編集者と共有できたので、書くと返答した」という経緯を書いてくれていたことが、いちばん嬉しかった。もちろん、疑問の詳細は私が書いたこととは違ったけれど。 -
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ネタバレ変半身
要素が多すぎて、圧倒されてる間に終わっていった。p107「目の前の生き物たちは、いつでも、新しい「真実」を喜んで受け取る。それに飽きてくると、今度は次の新しい真実を受け取る。まるで、真実を食べ続ける化け物みたいに。」
結局これが言いたかったことなのだろうか…?
満潮
自分の体を、大事にしたい話だと受け取った。潮を笑う人達を許せない。友人の雪子のように、「男が潮を出したいなんて許せない!」とも思わない。ただ男女関係なく、自分の体にある、まだ見たことない神秘みたいなものを見てみたい。要求されても液体を出せない夫と一緒に、それを主人公は体験してみたい。
変半身あらすじ
島の奇祭「モドリ」で生贄と無差別のまぐわいから逃げた中学時代から一転、「勝ち組」を装う会社の夫と結婚。島の奇祭は最近淫行目当てに作られ歴史的根拠がないと知らされる。久しぶりに訪れた島はポーポー様もなにも消え、別のプロデューサーが作り出した歴史に塗り替えられ主人公は反発する。「モドリ」は復活し、生贄だった少年は卵を産まされ、と思ったら千年の「ニンゲン」の祭りの終わりが来る… -
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嫌悪、不快といった負の感情や感覚が生来自分に根ざしているものと思いやすいのはなぜか
これをしてもいい、くらいならあるけど、これをめちゃくちゃしたいって思えるものはあまり思い浮かばなくて、確実に自信を持って主張できるのは、これは嫌だ、っていう抵抗感だけ
そもそも、好きを探して能動的に生きることを強要されるのが意味がわからない。好きなものを無理やり模索させて開示させて「ほら大丈夫だよ、あなたにも好きなもの、夢中になれるものがあるじゃない」と、安心感が保証されたかのように慰められようものなら、豆腐にかすがい状態、フラストレーション溜まりながらも服従を受け入れる諦めモードに入る。
生きているだけじゃダメか。
と、マリーになっていない状態の瀬里奈の主張を読んで思った。
正解の範囲が暗黙の了解で決まっている「好き嫌い」を主張してそれなりに納得のいくアイデンティティを保持する面倒くさい生活。ワークブックのように愚直に都度正解を探す主人公の普段の生き方より、マニュアルが決まっているという点で、ファミレス店員とかマリーとかに嵌まり込む方が楽そう
いつもワークブックをこなし続けては、たまに三角をつけられて落ち込む主人公が、マリーをやめてワークブックの存在すら意識せず奔放に振る舞ってもやがては周囲に受容されるだろう瀬里奈を羨ましく思うのは理解できる
そのまんまの自分でもみんな分かってくれるという綺麗事はよく聞くが、まず、そのまんまの自分というものは「そのまんま」に見えているだけかもしれないし、そのまんまが、周りの許容範囲内に入っているというラッキーを手にしている人のおめでたい発言だと感じる
両者世界との触れ合い方が違うけど、どうにか生き延びたいだけなのに、互いに相手との間に努力や臆病さに差があるように感じられてしまうよね、どっちもマウスなだけなのに
他人の生き方と自分の生き方を比較しても隣の芝生は青く見えるだけ。自分を品種改変すると改良された気になるが、ただの変化をベクトルと捉え、良方向に向かっているとするのにはどうしても抵抗があるので、すっきりとしない後味のラストだった。 -
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どんなことをどんな風に語るかは自由なはずなのに、不思議と受ける印象が近い方も多い。圧倒されたのは、自身の自慰について複数名の方が赤裸々に書かれていたこと。もちろん秘めておくべきかどうかは個人の自由だが、同じことを目の前の男性に言われたらきっと眉間にシワを寄せてしまうと思うので、(こんな性差を感じてどうかとも思うが)そうならないのを織り込み済みの、女性性を逆手に取った表現ような気もする。私のお気に入りはセブンルールで見たことのある藤原麻里菜さん。「もし、技術が発達して、アバターを作って仮想空間で生きれるとしたら、私は女の身体を選ばず、カービィみたいなピンク色の球体を選ぶだろうと思うのだ。そうしたら、女であることの不安や恐怖から解放される。ピンク色でかわいいし。丸くてかわいいし。そういった願望があるけれど、身体からは解放されない。生殖器があるからだろうか。生殖器が私の身体にばっちり組み込まれてるからかな。テトリスだったらセックスしたときに消えそうだけど、そうもいかない。私の身体は消えない。だから、愛するしかないのだ」。