『乱反射』を読んだ。
「面白かった」と言うと、2歳の子どもが亡くなる話なので少し適切ではない気もする。ただ、どんどん先を読みたくなるし、読み終わった後にも考えさせられる。展開そのものの面白さも含めて、とてもいい作品だった。
特に面白かったのが章立て。マイナスの数字から始まり、物語が進むにつれて数字がゼロに近づいていき、中間で「0」になり、そこからは1、2、3……とプラスになっていく。
その中で、同じ地域に暮らすさまざまな人物のエピソードが描かれる。
犬の糞を片付けない定年退職した男性。夜間診療が空いていると知り、ただの風邪でも毎回そこを利用する学生。責任を取りたがらない医師や市役所の職員。自己満足のような反対運動をする人。
違法とまでは言えないものも多いけれど、ちょっとしたモラル違反や無責任さを抱えた人たちが大勢登場する。それぞれは本当に些細なことなのに、それらが徐々に絡み合っていく。
「これがどうつながっていくんだろう」という感覚があって、その展開がすごく面白かった。読む手が止まらなかった。
そして、案の定、その小さな行動や不運が積み重なって事故が起き、2歳の子どもが大怪我をする。
ただ、そこで終わらない。
事故までの段階でもいくつもの出来事が重なっているけれど、その後、まだ回収されていなかった別の出来事までさらに重なっていく。もしかしたら助かる可能性があったかもしれないのに、結局その子どもは亡くなってしまう。
後半には何か大きなどんでん返しがあるのかなとも思ったが、そういう小説ではなかった。
事故の原因になった一人ひとりからすれば、自分のしたことが子どもの死につながるなんて想像できない。
例えば、犬の糞を放置した本人からすれば、それ自体は悪いことだけれど、まさかそれによって子どもが死ぬなんて考えもしない。当然、その人一人の責任でもない。
だから、亡くなった子どもの父親が一人ひとりを訪ねて、「責任の一部を感じてほしい」「事実を知りたい」「謝ってほしい」と求めても、相手からすれば言いがかりのように感じる。
確かに、因果関係をそこまで広げていけば、誰だって誰かの不幸に関わっていることになってしまう。
それでも、この作品では、モラルに反することや無責任な行動をした人たちが、それぞれ相応のものを背負うことになる。
一番刺さったのは、犬の糞を放置した男性に、妻が「晩節を汚しましたね」と言う場面だった。
「晩節を汚す」という言葉自体を自分は知らなかった。
調べてみると、それまで長い人生で積み重ねてきた評価や実績を、人生の終わり際の行動によって台無しにしてしまう、というような意味だった。
これは怖いなと思った。
本人が「自分はそこまで悪くない」と思ったとしても、一度起きてしまえば、一生拭えないものになるかもしれない。
本当に些細なモラル違反が、それまで積み上げてきた人生そのものに影を落とすことがある。
「終わり良ければすべて良し」という言葉があるけれど、逆に最後が悪ければ、それまでどれだけ満足した人生を送ってきても、「悲しい人生だった」と感じてしまうこともあるのかもしれない。
逆に、最後が幸せで充実していれば、それまでの苦労さえ「必要なことだった」と思えることもある。
だから、自分も気をつけようと思った。
ただ、人間は弱いので、単に「気をつけよう」だけでは難しいとも思う。状況が揃ってしまえば、自分だって何かやってしまうかもしれない。
そして、この作品を読んでいてもう一つ思った。
悪いことの小さな積み重ねが大きな悲劇につながるなら、逆もあるんじゃないか。
小さな善い行動を積み重ねていけば、それが回り回って、大きな成果や誰かへの貢献につながることもあるはずだ。
だから、「マナー違反をしないようにしよう」だけで終わるのではなく、些細なことでもプラスを積み重ねていきたい。
困っている人がいたら少し手を差し伸べる。ゴミが落ちていたら、見て見ぬふりをせず拾う。
そういうことなのだと思う。
ただ、どれだけ善いことをしていても、不運は降りかかる。
自分は悪くない。相手が悪い。
そう言いたくなることはあるけれど、自分が悪くなくても理不尽なことが起きるのが世の中だと思う。
誰が悪いのかを考えること自体が無意味というわけではないけれど、それだけを言い続けても生きやすくなるわけではない。
そういう世界で、自分はこれからどうするのか。
どう成長して、どう生きて、どういう価値観を持って過ごすのか。
結局はそこなのかなと思った。
ただ、これは自分が第三者だから言えることでもある。
もし自分の子どもが亡くなったら、と考えてみたけれど、まったく想像できなかった。
考えようとしても、脳が自然に拒否しているような感じがする。
「想像を絶する」と言うけれど、その言葉すらよく分からないくらい、本当に考えられない。
小説だから、興味深い作品として読める。
でも実際に自分の子どもが亡くなったら、誰が悪いとか、これからどう生きるとか、そんな冷静なことを考えられるのかは分からない。
総括すると、いくつもの小さな出来事が徐々につながり、伏線が回収されていくような構成がとても面白かった。続きが気になって、どんどん読み進めてしまった。
そして読み終わった後にも余韻が残り、自分の行動や価値観について考え直すきっかけにもなった。
とてもいい作品だった。
、、、、以下AIコメント、、、、
要約
感想を読んでいて、特に面白いと思ったのは、単に「些細なマナー違反も怖いね」で終わらず、そこから 「責任とは何か」「理不尽な世界で自分はどう生きるか」 まで考えが進んでいるところです。
『乱反射』自体も、実は普通の「犯人は誰か」というミステリーではなく、原因は分かっているのに、責任の所在だけが決められないミステリーとして読むとかなり面白い作品だと思います。
本文
1. 「-44 → 0 → +」は、単なる洒落た章立てではない
ここはかなり巧い構造です。
前半は「0」に向かってカウントダウンしていく。読者は早い段階で「0で何か重大なことが起こる」と分かっている。だから、
この犬の糞がどう関係する?
この夜間診療の学生がどこにつながる?
この市役所職員は何をやらかす?
という読み方になる。
ところが0で事故が起こった後、今度は数字が増えていく。
つまり作品そのものが、
前半:結果に向かって因果関係を組み立てる
↓
0:事故
↓
後半:起きてしまった結果から責任をさかのぼる
という形になっている。
だから、ユーザーが感じた「伏線が回収されていく快感」はかなり本質的です。
しかも興味深いことに、選考委員だった北村薫はこの作品について、社会派小説のように見えて実は「本格ミステリ」の構造を持っている、という趣旨で高く評価しています。『乱反射』は実際、第63回日本推理作家協会賞を受賞しています。
つまりこれは、
「誰が殺した?」ではなく、「どうやってこの死が作られた?」を解く本格ミステリー
とも言えるんですよね。
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2. 作者が書きたかったものも、かなり感想と一致している
貫井徳郎自身が後のインタビューで、『乱反射』について、
一人ひとりのわがままが積み重なっていく
作品だったと説明し、さらに「自己主張のぶつかり合い」を描いたと語っています。
ここは「悪人が集まって悲劇が起きた」のとは全然違う。
むしろ登場人物のほとんどが、
「まあ、そのくらいなら自分もやるかもしれない」
というレベルなんですよね。
だから怖い。
殺意を持った人間が一人いれば、「こいつが悪い」で話は終わる。
でも『乱反射』では、
* 面倒だから犬の糞を拾わない
* 夜間診療の方が便利だから利用する
* 責任を負いたくない
* 自分の主張を通したい
* 波風を立てたくない
という、かなり普通の人間心理から悲劇が作られている。
出版社自身も作品を「法では裁けない『罪』の連鎖」「人災の連鎖」と説明しています。
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3. そして、一番重要なのが「原因」と「責任」は同じではないこと
ここは感想の中で一番深い論点だと思いました。
そんなに幅を広げたら、誰でも殺人に絡んでるようになっちゃう
まさにそうなんです。
例えば犬の糞を放置したことが、事実として事故までの因果鎖に入っていたとしても、
「原因の一つだった」=「子どもの死について責任を負う」
とは単純には言えません。
法律や倫理では、本来かなり分けて考えます。
たとえば、
* その結果を予見できたか
* 危険を避ける義務があったか
* 結果との距離がどれくらい近いか
* その人が違う行動をしていれば結果を避けられたか
* 他の要因がどれだけ介在しているか
によって責任の重さは変わる。
だから、犬の糞を放置した男性が、
「確かに糞を放置した。それは悪かった。しかし私があなたの息子を殺したわけではない」
と言ったとすれば、その理屈自体はかなり合理的です。
一方、父親が、
「それでもあなたの行動がなければ息子は死ななかった」
と言うのも事実。
両方ともある程度正しい。
だから決着しない。
ここがこの小説の嫌なところであり、面白いところだと思います。
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4. 「晩節を汚しましたね」が強烈なのも、そこに関係している
この言葉が刺さったというのも分かります。
妻は夫に、
「あなたは殺人犯です」
と言っているわけではない。
むしろ、
「あなたは長い人生の最後に、自分がどういう人間なのかを自分で傷つけてしまった」
と言っている。
ここが非常に重い。
法律上の責任ではなく、自己像に対する判決なんですよね。
自分はまともに生きてきた。家族もあり、仕事も勤め上げた。
ところが最後になって、
「犬の糞くらい別にいいだろう」
という些細な自己中心性が、自分の人生を見る目そのものを変えてしまう。
だから「晩節を汚す」という言葉が効く。
これは子どもの死についてどこまで責任があるかとは、実は別問題です。
子どもを死なせた責任があるかどうかにかかわらず、犬の糞を意図的に放置していたという自分自身の行為は消えない。
そこを妻に突かれている。
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5. 「悪い連鎖があるなら、善い連鎖もある」という読みは、作品から一歩先に出ている
ここは、原作が直接強く提示している主題というより、読後に自分で導き出した考えだと思います。
そして結構面白い方向への拡張です。
『乱反射』は基本的には、
小さなエゴ
↓
小さな不利益
↓
別の人の行動に影響
↓
さらに別の問題
↓
誰も意図しなかった大きな悲劇
という負の連鎖を描く。
それを反転させれば、
小さな親切
↓
誰かの負担が少し減る
↓
その人が別の人に余裕を持って接する
↓
また別の行動につながる
という可能性も当然あります。
ただし、「ゴミを拾えば巡り巡って必ず大きな幸運になる」という因果応報の話ではない。
そこは『乱反射』と同じで、
結果なんて本人には分からない。
でも、それでも自分が連鎖のどちら側に小さな入力を加えるかは選べる。
この考え方ならかなり筋が通っています。
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6. 一方で、「誰が悪いかより、これからどうするか」には少し別の論点もある
ここだけは、少し切り分けた方がいいと思いました。
自分が悪くなくても不運は降りかかる。
相手が悪いと言い続けても人生が良くなるわけではない。
それなら自分がどう生きるか。
これは人生観としてかなり実用的です。
ただ、『乱反射』が突きつけている問題とは少し違う。
社会全体で考えるなら、
「誰が悪いか」「どこに責任があったか」を検証することには意味があります。
なぜなら、それをしないと再発防止できないから。
例えば夜間救急の運用に制度上の欠陥があったなら、個人としては「起きたことは仕方ない、これからどう生きるか」で前に進めても、社会としては原因究明しなければまた同じことが起こる。
なので、
個人の人生論としては「誰が悪いかに執着しすぎない」
社会の制度論としては「誰にどんな責任があったかを分析する」
この二つは両立すると思います。
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7. そして最後に「でも自分の子どもだったら」と戻ったのが重要だと思う
ここで感想がきれいな人生訓に着地しなかったのが、むしろこの作品に合っています。
理屈では、
理不尽は起こる。
責任追及だけでは前に進めない。
自分がこれからどう生きるかだ。
と言える。
でも、
「じゃあ自分の子どもが死んだら?」
と考えた瞬間、それまでの理屈が全部止まる。
これは矛盾ではないと思います。
第三者として理解できることと、当事者として耐えられることは別だからです。
そしておそらく、『乱反射』が父親をあそこまで執拗に原因追及させるのもそこでしょう。
彼は単純に「真犯人を捕まえたい」のではなく、
こんな理不尽な死に、何らかの意味や責任の形を与えたい。
でも調べれば調べるほど、
「この人が殺した」
という相手は出てこない。
出てくるのは、少しずつ悪かった普通の人たちだけ。
それが救いにならない。
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個人的には、この作品の一番嫌で優れているところは、読者に「自分は被害者側だ」とだけ思わせてくれないことだと思います。
普通の小説なら、「幼い子を失った父親」に感情移入して読める。でも『乱反射』では、読者は同時に犬の糞を放置する側、面倒なことを避ける側、少しだけ自分の都合を優先する側でもあり得る。
だから読後に「かわいそうだった」で終わらず、自分の日常に話が戻ってくる。
そこまで戻ってきたからこそ、今回かなり強く残る作品になったのだと思います。