山下紘加のレビュー一覧
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ネタバレ【あらすじ】
ほしくて、ほしくて、たまらなくほしくて、いったいどうしてほしいのかも、本当にほしいのかももはやわからないーー。
中原多恵(33歳・既婚)“普通”でありたいために、夫でなくてもかまわず、ネットで見つけた好条件の男から精子を購入。
「みんなに平等に与えられる当然の権利を、自分だけが剝奪された」
守山みつき(33歳・独身)多恵の大学時代の同級生、雑誌編集者。理想を追い求めるマチアプのヘビーユーザー。
「目の前の男を好きになれる可能性を見出そうとしてる。キスできるのか、セックスできるのかと自分に問うている、常に」
安西桃(20歳・独身)推しが全てで、推し活のためにいい加減な性交渉も厭わない。ネイリスト見習い。
「好きはわかる。好きはややこしくない。一方的な好きには絶対的な安心感がある」
田崎侑美(40歳・既婚)桃の叔母。夫を愛しているがゆえに夫の分身がほしいと妊活中。
「子供じゃなくて、浩平がほしい。もう既に手に入っているはずのものをほしいと思うなんて、私はどこかおかしいのかもしれない」
恋愛、結婚、出産、「ほしい」につき動かされた女性4人の行きつく衝撃のラストとは――?
『ご飯に誘ってくれて、沈黙が訪れないように積極的に話を振ってくれて、その話もそれなりに弾んで、ご馳走してくれて、改札前まで送ってくれて、二度目も誘ってくれて、でも、また会いたいとは思わない人から、会いたいと思ってもらえない女にはなりたくない。』
『漠然としているのに強固な、「なんか好き」があるように、「なんか好きじゃない」がここにはあった。顔がタイプじゃなくても、身長が175cm以上なくても、学歴が低くても、年収が六百万以下でもなんか好きで、なんか好きだから、それ以外考えない。自分の感情以外のすべてがとるに足らないものに思える、あの、情熱めいたもの。』
『私は子供が好きでも嫌いでもなかった。子供の声は耳障りだし、お金も時間も搾取され、責任も発生する。デメリットをあげればキリがないのに、メリットをあげようとすると、「かわいい」しか浮かんでこない。』
『私の、猫や犬に向ける「かわいい」と子供に向ける「かわいい」は酷似している。でもそれが、悪いことだとは思わない。というより、そんな風に軽率に「かわいい」と思って、軽率に「ほしい」と思う、その無暗で短絡的な思考と行動が今の自分には必要だった。』
『自分には、選択権がないかもしれない。最初からAとBがあって、それについて悩むのではなく、最初からBしかないと思った瞬間、人生が塞がったように感じられた。』
『智樹との子供がほしい。両親に孫の顔を見せてやりたい。世間体が気になるー。ほしい理由を並べるのは容易いのに、どれも本心ではない気がする。わた
しの「ほしい」は、みんなに平等に与えられる当然の権利を、自分だけが奪されたような、そういう理不尽さからくる「ほしい」だった。』
【個人的な感想】
恋愛、結婚、出産、仕事など悩みが尽きない今の私にはすごく刺さる内容だった。
自分が本当に子供が欲しいのか、結婚したいのか、ただ周りが普通にしていることが自分にできないということに反発したいだけなのか、自分の気持ちが分からない。
マッチングアプリもしたことはないけど、自分が好きでもない人に会って、またすごく会いたいわけではないけど誘われないのは寂しい気持ちの描き方もリアルで苦しかった。 -
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凄かった。エッセイというものをほぼ読んだことがなかった私にとって強烈な読書体験だった。
ほんタメというYouTubeチャンネルで紹介されており興味を持って読んでみた。これは、映像化はきっと難しい、本という媒体のみを通して伝えられる感覚だと思った。
共感できる部分も多く、一方で共感できなかったあの子の振る舞いはこんな感覚にルーツがあったのではと思い至るところもあって、強烈に胸に響いた。私の感じたもやもやを言語化してもらったようで嬉しさもあった。自身も女性性を元とした経験はポジティブ面、ネガティブ面ともにあり、同じような経験をした作家がそれをどう捉えるかを聞けたことが嬉しかった。
性に関する体験をもとに感情が描かれていて、一読するだけでは飲み込みきれなかった部分もあった。一作ずつ丁寧に読みといていきたい。 -
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女性にとって、結婚して子どもを産み育てること一つとっても生きづらい世の中だと感じた。そこに価値を見出すことは人それぞれとして、結婚妊娠出産育児が普通であり、女性の幸せであり、社会的規範だと執着する多恵や侑美の欲望は異様に思えたが、そんな風に追い詰められるのは、本の世界だけではなさそうだ。
普通への欲望は、夫に内緒で精子を購入するなど、極端な行動となって表れ、自分のほしいものを充足させるために、周りを道具にしたり、自分の望む役割に当てはめたりする。普通でありたいという欲望を満たすことが誰かの苦しみになっていることにも気づかず、突き動かされている彼女たちが本当に手にしたかったものは何だったのだろうか。 -
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「私の身体」を「生きる」とは何だろう。いや、「私の身体」とは何だろう。そもそも、「私」とは何だろう。
各作家たちの切り口は様々だが、みな共通しているのが、己という存在を不可欠に構築するこの肉体というものの生物的な役割にも社会からの眼差しにもかなり戸惑い、苦しみ、受け入れたり受け入れられなかったりしながらどうにか生きている点で、強く連帯感を持ちながら読んだ。
痛ましさを感じたのが、執筆陣の女性たちはほぼほぼみな性被害の経験がある点。私にもあるし、私の友人たちもほとんどあると思う(学生の頃、痴漢が話題になったとき、その場にいた10人ぐらいのなかで痴漢に遭ったことがない子は1人しかいなかったことを覚えている)。この社会で、そうやって女性は、否応がなしに「私の身体」は本当に私のものなのかと、「私」がモノとして扱われ得るということに向き合わされてしまう。時には、まだ第二次性徴も迎えていないうちに。だからこそ、このようなアンソロジーが興味深い。
とはいえ男性視点の「身体」やその社会的表象については私にはわからない部分なのだが(この辺りのアンコンシャスバイアスについて、鳥飼茜さんとパートナーの方との会話が面白かった)。男性作家たちに、同じテーマでアンソロジーを書いてもらったらどのようなものが生まれるのだろう?と好奇心を抱く。 -
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先日亡くなった祖母と母の関係を思い出す。
老いや孤独を武器に好き放題に悪態をつく祖母に母は頭を悩ませていたし、時には泣いたりしてた。
老いからくる孤独感や疎外感、自分が思うように身体がついてこないことへの苛立ちなどは、自分がその状況に置かれなければ完全に理解できるものではないと頭の隅では理解しているから、こちらは同じ熱量で張り合えないし、張り合ってしまったことを反省したりする。
相手はじいちゃんに先立たれて施設で1人暮らしているおばあさんやぞって。優しくしてあげないとあかんやろって。分かってても、イラついてしまう。分かっていることとイラつかないことは同義ではない。
お人好しで気使いな母を介護する時がすごく怖くなる。何も -
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「掌中」
かつて友達だった人の子どもは結婚し、孫までいる人もいる中、自分の子どもは引きこもりで、これと言った楽しみもない。そんな中、スリルを求め万引きに走ってしまう女性が描かれていた。自分の大切に育てて来た息子が世間から見たら「失敗作」のようで、それが受け入れられなくて、どうしたら良いか分からない。親が1番乗り越えるのが難しいことそれは、子どもが自分たちの思い通りにならなかったことだと聞いたことがあるが、それが引きこもりとなると、四隅が塞がった感じがし、救いようのない印象を受ける。あの時、ああしていれば、こうしていれば、過去の楽しく、輝かしい記憶が邪魔をし、それが現在との対比で苦しくなる原因にもなる。過去に固執するなというけれど、過去の思い出が現在を作っているのも事実で、かつての息子の影を探すことが、自分たちが育てた息子は存在しているという、生存確認のようなものになっていたのかもしれない。節さんが、幸子が自分の家に入り、物を盗んでいくことに早々から気づき、ボケた振りをしていたとしか考えられなくなった。
「可及的に、すみやかに」
かつての旦那が、自分の1番親しい友達と付き合っているという複雑な状況の中、母親とも上手くいかず、息子を1人で育てることに苦労し、仕事もない。自分が描いていた理想とは程遠く、宝物は息子だけ。というような詩織の小さく萎んだ心が写っていた。息子が大きくなるに連れ、自分の知らないことまで知っていく、そして、学校で明かされる息子の真の性格。息子まで自分の知らないところまで行ってしまったような感じがしたのかもしれない。実家で子どもを育てるなんて、親に協力してもらえ、手間が省けると思ったが、それは親と関係が上手く行っていないとしんどいものであり、ストレスも溜まる。猫の事件は母親にイライラしたし、母親の機嫌を伺う父親にもイライラした。自分の唯一の味方であった旦那が、せっかく会える機会でも、紗希を優先し、自分に見せなかった笑顔を見せている。そこには、私が愛していたかつての旦那はおらず、まるで自分と息子が最初からいなかったような印象を受けたと思う。息子の行動を愛おしく思いながらも疲れ、自分より旦那の家族と上手くいっている紗希に嫉妬し、悲しくなる。涙を流していることさえ気づかず、唯一気づいてくれたのは息子だけだった。という事実がとても悲しい。親から見た子、子どもから見た親、どちらの視点からも描かれていて、子育ての大変さ、旦那と上手くいかなくなったときの絶望感、1人親の大変さ、親との関係。どうしようもないけれど、息子を育てていくしかないという希望もあるが、捨てることのできない使命感に狩られ、日々を闘っているような詩織にエールを送りたくなった。大丈夫。あなたは上手くやっているよ。そんな言葉をかけてもらいたいという人は大勢いるのではないだろうか。必ず、頑張りを見ている人がいる。そう信じていないと、何の原動力もないし、頑張る気力も湧かなくなる。誰か1人でも味方がいれば、頼れる人がいれば。私にはそんな人がいるだろうか。私は、法律上では大人だが、私はまだモラトリアム人間で大人になり切れていない。大人になるということは、ある程度のことは許す。自分のことを後回しにできる人間なのかなとも思った。子どもが生まれると子どもが宝物で優先すべきもので、自分の感情なんてどこかに置いてきぼりにされるのだろう。でも、気づいたらバロメーターはゼロになって、なんならマイナスになっていて…。
誰かに伝えたい。あなたは大丈夫。上手くやっているよ。 -
Posted by ブクログ
幼い頃から一緒に暮らしてきて、かわいがってもらった時期や、甘えていた時期もあったはずなのに、今ではわずかでも肌に触れることに抵抗を感じ、日常的な会話のキャッチボールをするのにも妙な緊張感を覚える。(p.14)
食べることが生きることに直結しているのだ、おそらく、本能的に。(p.17)
あたしにとっては、行儀やマナーの問題ではなく、理性より先に欲が勝る感じが、人間の本質を見ている気がして怖いのだ。(p.30)
夢を応援してくれるのはありがたいが、話を聞いてほしいかわりに、放っておいてほしい。関心を持たれたり、踏み込まれるとかえって疎ましい。しかしそのあまのじゃくな性質を、きいちゃんの前ではうまく表せなかった。(p.36-37)
来年には成人を迎える娘を、きいちゃんは無条件に褒める。何もかも、全肯定してくる。おそらく、きいちゃんの中のあたしは幼いままなのだ。幼いあたしが抱く無垢な夢は、いつしかそのままきいちゃんの希望になっていた。きいちゃんの希望は、あたしの重荷だった。(p.38)
昔、ばばあに幼いあたしの面倒を見てもらったことに、きいちゃんは深く恩義を感じているのだ。だが、あたしにはわからない。わかるはずもない。あたしには、表面的なことしかわからない。今しかわからない。わからないから、この現実に不満を並べ立てることしかできない。(p.50)
その人の笑顔を煩わしく感じるようになったら、関係性はもう破綻しているものなのかもしれない。(p.57)
言いたいことは、言葉にならない。何に怒っているのか、何に不満があるのか、わかっているはずなのに言えない。もやもやする。(p.67)
小説の中に存在する言葉は、あたしの思考や感情を表すのに足りない言葉のパーツを補ってくれた。握りしめたパーツを武器に、あたしはこうして親父の前にいるばすなのに、自分でも気づかないうちに言葉は零れ落ちている。あたしの思いは、うるせえな、に集約される。感情をうまく言葉にできない自分への苛立ちも含めて、浅はかで卑しい言葉の羅列に集約されていく。あたしは、ただ、あくてえをつくしかない。(p.68)
あたしが普段あまりばばあとの接触を好まないのは、嫌悪からではない。頭皮の、あの何とも言え剥き出しの感覚がこわい。やせ細った二の腕も、尖った肩甲骨も、かろうじて肉がついている脚も。色々なものが削ぎ落とされ、芯になっていく過程のような、生の境界に触れているような恐怖と居心地の悪さを覚えるのだ。(p.76)
別に、感謝されたいから、見返りがほしいから、面倒をみているわけではない。それでも、ばばあの心につめたい隙間風が吹き込む瞬間、彼女の頭に真っ先に浮かぶのは親父やその息子なのだと考えると、何とも言えない虚しさに襲われる。(p.86)
優しくしすぎると人はつけあがるし、毎度寛容であれば舐められる。底なしの柔らかさを前に、人は遠慮しない。どこまでも沈み込んできてずぶずふになる。(p.92)
あたしは隙を見せたくなかった。誰にも隙を見せたくはなかった。わがままで高慢で強気で怒りっぽく、言葉で相手をなじり、責め立て憎たらしいあくてえばかりつく手に負えない女だと思われていた方が楽だった。その方が、傷つかずに済んだ。人に期待せずに済んだ。先に相手を傷つけた方が、自分は傷つかずに済むと信じていた。(p.92)
家庭環境のまるで違う人と話をすると、どんなに相手が寄り添う姿勢を見せようとすると、突き放されている感覚は否めない。勝手に卑屈な気持ちになって、勝手に苛立つ。(p.98)
そうやって自分ができないことをできないまま、放置してきた。言い訳という言葉の鎧で自分を固めて、人に頼り、甘え、自分が傷つかないように、傷つけられないように振る舞ってきたのだ。(p.102)
こうやって、すべてがなあなあになっていく。直前までの苛立ちも、不満も、怒りも、言葉をぶつける前に身体が重なって、そしてだれていく。根気強く怒りを保持できず、収まるべきところに収まってしまう。しかし、些細な違和感や苛立ちが消えるわけではない。いつまでも心の内に消化不良のまま滞留し続ける。子供の頃、友達と仲直りするのには時間を要した。ばばあとは、互いに気が済むまで言葉でなじりあうことで、怒りを放出させてきた。渉とセックスをし、一時的に抑え込まれた感情の靄は、この先長い時間をかけて膨れ上がっていくはずだ。(p.105)
あたしは焦っていた。学歴もない、仕事に役立つ資格もスキルもない、あたしにあるのは若さだけだった。若さとは可能性だった。あたしは自分の可能性が狭まっていくのを極度に恐れていた。そしていつかは失われていくものに縋り、恐れる自分に虚しさを感じた。(p.117)
年をとると、世界との距離ができる。危うい距離だ。若い頃、何気なく歩いていた階段も、容易に手が届いたはずのキッチンの戸棚も、ごく普通のボリュームでの会話のキャッチボールも、何もかも遠い。ばばあは常に、きいちゃんの手を借りながらその距離を埋め、日々ギャップに直面している。きいちゃんが屈んでばばあの足にサンダルをはめる。右手でキャスター付きの点滴スタンドに寄りかかるように握りしめ、左手をきいちゃんに引かれながら、ばばあはゆっくりと前へ進む。悲しいほど小さな背中だった。(p.123)
言葉にしないと伝わらないのに、あたしはいつも、言葉にする前に断念した。どうせ、自分の気持ちなどわからない、意味など通じないと高を括って、伝えようとする労力を怠ってきた。いつか、このツケがまわってくるような気がしてならなかった。(p.125)
自分ではわかりきったことをわからない人に説明する時、事実が改めて明瞭になる感覚が嫌だった。(p.135)
きいちゃんはぬるかった。何もかもぬるかった。この寛大でぬるま湯のような愛情に浸かっていたら、あたしは永遠に今の生活から抜け出せない気がした。(p.136)
傷を負った箇所の皮膚が時間をかけて再生していくように、もとの状態に戻ろうとする力が働いているだけなのだ。家族というものがもともと丸い円の形をしているとするのなら、その円が、円ではなくなるとこを強く怖れている。完全にもとに戻れないことなどわかっていた。しかし戻らない部分には執着せず、修復できた部分を慰みながら円が楕円になったら、今度はその楕円の状態をなんとか維持し続けようと努めていく。崩れそうで崩れない生活であり、これが現実だった。(p.154)
そういう時、あたしは、女に走った父親の気持ちが、ほんの少しだけ理解できてしまう。逃げ場を作っておきたいのだ。困難な日常に真摯に向き合おうとするほど、逃げ場は必要だった。(p.156)
目の前で通りの飲食店が次々にシャッターを閉めていくと、まるでこの世界から弾き出されたような疎外感をおぼえた。(p.156)
きいちゃんは深夜に帰宅するあたしを見ても決して怒らなかった。ただ心配するだけだった。あたしは心のどこかで、彼女に怒られるのを待っていたのだと思う。きいちゃんが、壊れるのを待っていた。感情を露わにし、人を責め、罵るのを待っていた。怒られたら、すぐにでも戻るつもりだった。怒られないことは余計にあたしの罪悪感を煽る。きいちゃんを、ばばあとふたりきりで残して、自分だけが逃げているようだった。自由は、かえってあたしをあの家に縛り付けるのだ。(p.160)
息を吸った瞬間、不意に脱力し、涙があふれた。あたしが書く小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。優しくしようと穏やかな気持ちで思った直後に殺したいほどの憎しみが襲ってくる。家族三人で頑張ろうと決意を固めた翌日には、三人で死んでしまえたらと本気で思う。(p.174)
ゆめは、意地汚いばばあを殺してしまいたい、見捨ててしまいたいと思いながら、ふとした瞬間に憐れに思ったり、気持ちと身体が振り子のように動いていた。元旦那の親を介護するだけでも考えられないのに、暴言を吐き、都合の悪いことは人のせいにするばばあの面倒を見るきいちゃん。優しい人は好きだが、きいちゃんは優しすぎてイライラした。もっと言いたいことを言えばよいのに…と。恩義があると言っても、あそこまでできるなんて、女神様でもないと無理だと思う。カツカツの生活で仕事も必死にやっていれば、いらいらしてもぶつけられる場所がないと思う。生きることが全てで、日常を楽しむなんて選択肢はないのだろう。ゆめの生き甲斐は、渉と会うことだったのではないだろうか。現実世界から救ってくれる唯一の存在であり、嫌なところが見えても、自分を理解してくれる人として心を開いているのだと思う。アイスコーヒーばかり飲むクズな父親や、暴言ばかり吐くばばあと向き合っているからこそ、なじり合うし、暴言も吐く。ゆめは上手く言葉にできないが、それは当たり前で、誰だってイライラした時は、上手く感情を表現出来ないと思う。かつかつの生活の中できいちゃんと食べたスーパーのお寿司や、旅行の計画など、ささやかな幸せもあって、決して不幸せという訳でもないのに、ゆめが思う「普通」の人とは程遠い生活をしているという、明らかな差を見た時、なんとも言えない気持ちになるのだろう。小説家になりたいと願っていたのは、現実から逃げるためもあるが、デビューして家計を支えたいというゆめの優しい気持ちも混ざっていると思う。いつも変わらず、いつまで続くかわからない日常に辟易しながら生きていく、そして解放された時、ゆめに大きな幸せが訪れて欲しいと思った。老いを恐れ、壊れそうなものに触れるのが怖い。私も祖母に抱いた感情と同じで、会いに行けなかった理由が言語化されている気がした。