あらすじ
あたしの本当の人生はこれから始まる。小説家志望のゆめは90歳の憎たらしいばばあと母親と3人暮らし。ままならなさを悪態に変え奮い立つ、19歳のヘヴィな日常。第167回芥川賞候補作。
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先日亡くなった祖母と母の関係を思い出す。
老いや孤独を武器に好き放題に悪態をつく祖母に母は頭を悩ませていたし、時には泣いたりしてた。
老いからくる孤独感や疎外感、自分が思うように身体がついてこないことへの苛立ちなどは、自分がその状況に置かれなければ完全に理解できるものではないと頭の隅では理解しているから、こちらは同じ熱量で張り合えないし、張り合ってしまったことを反省したりする。
相手はじいちゃんに先立たれて施設で1人暮らしているおばあさんやぞって。優しくしてあげないとあかんやろって。分かってても、イラついてしまう。分かっていることとイラつかないことは同義ではない。
お人好しで気使いな母を介護する時がすごく怖くなる。何も
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いやぁ、辛い痛い苦しい。
なんで自分がこんな目に、と思いながらも正論だけではどうにも出来ないし誰も助けてくれない。
だけど毎日は続いて行くのだ。
絶望の先にも絶望しかないなんて…
介護の現実が突きつけられて苦しい。自分が向き合っている介護が生ぬるく感じられるくらいだ。この程度でも腹が立ってイライラして仕方ないのに。
感動、とは全く別の「心揺さぶられまくる」だな。映画になりそう。
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幼い頃から一緒に暮らしてきて、かわいがってもらった時期や、甘えていた時期もあったはずなのに、今ではわずかでも肌に触れることに抵抗を感じ、日常的な会話のキャッチボールをするのにも妙な緊張感を覚える。(p.14)
食べることが生きることに直結しているのだ、おそらく、本能的に。(p.17)
あたしにとっては、行儀やマナーの問題ではなく、理性より先に欲が勝る感じが、人間の本質を見ている気がして怖いのだ。(p.30)
夢を応援してくれるのはありがたいが、話を聞いてほしいかわりに、放っておいてほしい。関心を持たれたり、踏み込まれるとかえって疎ましい。しかしそのあまのじゃくな性質を、きいちゃんの前ではうまく表せなかった。(p.36-37)
来年には成人を迎える娘を、きいちゃんは無条件に褒める。何もかも、全肯定してくる。おそらく、きいちゃんの中のあたしは幼いままなのだ。幼いあたしが抱く無垢な夢は、いつしかそのままきいちゃんの希望になっていた。きいちゃんの希望は、あたしの重荷だった。(p.38)
昔、ばばあに幼いあたしの面倒を見てもらったことに、きいちゃんは深く恩義を感じているのだ。だが、あたしにはわからない。わかるはずもない。あたしには、表面的なことしかわからない。今しかわからない。わからないから、この現実に不満を並べ立てることしかできない。(p.50)
その人の笑顔を煩わしく感じるようになったら、関係性はもう破綻しているものなのかもしれない。(p.57)
言いたいことは、言葉にならない。何に怒っているのか、何に不満があるのか、わかっているはずなのに言えない。もやもやする。(p.67)
小説の中に存在する言葉は、あたしの思考や感情を表すのに足りない言葉のパーツを補ってくれた。握りしめたパーツを武器に、あたしはこうして親父の前にいるばすなのに、自分でも気づかないうちに言葉は零れ落ちている。あたしの思いは、うるせえな、に集約される。感情をうまく言葉にできない自分への苛立ちも含めて、浅はかで卑しい言葉の羅列に集約されていく。あたしは、ただ、あくてえをつくしかない。(p.68)
あたしが普段あまりばばあとの接触を好まないのは、嫌悪からではない。頭皮の、あの何とも言え剥き出しの感覚がこわい。やせ細った二の腕も、尖った肩甲骨も、かろうじて肉がついている脚も。色々なものが削ぎ落とされ、芯になっていく過程のような、生の境界に触れているような恐怖と居心地の悪さを覚えるのだ。(p.76)
別に、感謝されたいから、見返りがほしいから、面倒をみているわけではない。それでも、ばばあの心につめたい隙間風が吹き込む瞬間、彼女の頭に真っ先に浮かぶのは親父やその息子なのだと考えると、何とも言えない虚しさに襲われる。(p.86)
優しくしすぎると人はつけあがるし、毎度寛容であれば舐められる。底なしの柔らかさを前に、人は遠慮しない。どこまでも沈み込んできてずぶずふになる。(p.92)
あたしは隙を見せたくなかった。誰にも隙を見せたくはなかった。わがままで高慢で強気で怒りっぽく、言葉で相手をなじり、責め立て憎たらしいあくてえばかりつく手に負えない女だと思われていた方が楽だった。その方が、傷つかずに済んだ。人に期待せずに済んだ。先に相手を傷つけた方が、自分は傷つかずに済むと信じていた。(p.92)
家庭環境のまるで違う人と話をすると、どんなに相手が寄り添う姿勢を見せようとすると、突き放されている感覚は否めない。勝手に卑屈な気持ちになって、勝手に苛立つ。(p.98)
そうやって自分ができないことをできないまま、放置してきた。言い訳という言葉の鎧で自分を固めて、人に頼り、甘え、自分が傷つかないように、傷つけられないように振る舞ってきたのだ。(p.102)
こうやって、すべてがなあなあになっていく。直前までの苛立ちも、不満も、怒りも、言葉をぶつける前に身体が重なって、そしてだれていく。根気強く怒りを保持できず、収まるべきところに収まってしまう。しかし、些細な違和感や苛立ちが消えるわけではない。いつまでも心の内に消化不良のまま滞留し続ける。子供の頃、友達と仲直りするのには時間を要した。ばばあとは、互いに気が済むまで言葉でなじりあうことで、怒りを放出させてきた。渉とセックスをし、一時的に抑え込まれた感情の靄は、この先長い時間をかけて膨れ上がっていくはずだ。(p.105)
あたしは焦っていた。学歴もない、仕事に役立つ資格もスキルもない、あたしにあるのは若さだけだった。若さとは可能性だった。あたしは自分の可能性が狭まっていくのを極度に恐れていた。そしていつかは失われていくものに縋り、恐れる自分に虚しさを感じた。(p.117)
年をとると、世界との距離ができる。危うい距離だ。若い頃、何気なく歩いていた階段も、容易に手が届いたはずのキッチンの戸棚も、ごく普通のボリュームでの会話のキャッチボールも、何もかも遠い。ばばあは常に、きいちゃんの手を借りながらその距離を埋め、日々ギャップに直面している。きいちゃんが屈んでばばあの足にサンダルをはめる。右手でキャスター付きの点滴スタンドに寄りかかるように握りしめ、左手をきいちゃんに引かれながら、ばばあはゆっくりと前へ進む。悲しいほど小さな背中だった。(p.123)
言葉にしないと伝わらないのに、あたしはいつも、言葉にする前に断念した。どうせ、自分の気持ちなどわからない、意味など通じないと高を括って、伝えようとする労力を怠ってきた。いつか、このツケがまわってくるような気がしてならなかった。(p.125)
自分ではわかりきったことをわからない人に説明する時、事実が改めて明瞭になる感覚が嫌だった。(p.135)
きいちゃんはぬるかった。何もかもぬるかった。この寛大でぬるま湯のような愛情に浸かっていたら、あたしは永遠に今の生活から抜け出せない気がした。(p.136)
傷を負った箇所の皮膚が時間をかけて再生していくように、もとの状態に戻ろうとする力が働いているだけなのだ。家族というものがもともと丸い円の形をしているとするのなら、その円が、円ではなくなるとこを強く怖れている。完全にもとに戻れないことなどわかっていた。しかし戻らない部分には執着せず、修復できた部分を慰みながら円が楕円になったら、今度はその楕円の状態をなんとか維持し続けようと努めていく。崩れそうで崩れない生活であり、これが現実だった。(p.154)
そういう時、あたしは、女に走った父親の気持ちが、ほんの少しだけ理解できてしまう。逃げ場を作っておきたいのだ。困難な日常に真摯に向き合おうとするほど、逃げ場は必要だった。(p.156)
目の前で通りの飲食店が次々にシャッターを閉めていくと、まるでこの世界から弾き出されたような疎外感をおぼえた。(p.156)
きいちゃんは深夜に帰宅するあたしを見ても決して怒らなかった。ただ心配するだけだった。あたしは心のどこかで、彼女に怒られるのを待っていたのだと思う。きいちゃんが、壊れるのを待っていた。感情を露わにし、人を責め、罵るのを待っていた。怒られたら、すぐにでも戻るつもりだった。怒られないことは余計にあたしの罪悪感を煽る。きいちゃんを、ばばあとふたりきりで残して、自分だけが逃げているようだった。自由は、かえってあたしをあの家に縛り付けるのだ。(p.160)
息を吸った瞬間、不意に脱力し、涙があふれた。あたしが書く小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。優しくしようと穏やかな気持ちで思った直後に殺したいほどの憎しみが襲ってくる。家族三人で頑張ろうと決意を固めた翌日には、三人で死んでしまえたらと本気で思う。(p.174)
ゆめは、意地汚いばばあを殺してしまいたい、見捨ててしまいたいと思いながら、ふとした瞬間に憐れに思ったり、気持ちと身体が振り子のように動いていた。元旦那の親を介護するだけでも考えられないのに、暴言を吐き、都合の悪いことは人のせいにするばばあの面倒を見るきいちゃん。優しい人は好きだが、きいちゃんは優しすぎてイライラした。もっと言いたいことを言えばよいのに…と。恩義があると言っても、あそこまでできるなんて、女神様でもないと無理だと思う。カツカツの生活で仕事も必死にやっていれば、いらいらしてもぶつけられる場所がないと思う。生きることが全てで、日常を楽しむなんて選択肢はないのだろう。ゆめの生き甲斐は、渉と会うことだったのではないだろうか。現実世界から救ってくれる唯一の存在であり、嫌なところが見えても、自分を理解してくれる人として心を開いているのだと思う。アイスコーヒーばかり飲むクズな父親や、暴言ばかり吐くばばあと向き合っているからこそ、なじり合うし、暴言も吐く。ゆめは上手く言葉にできないが、それは当たり前で、誰だってイライラした時は、上手く感情を表現出来ないと思う。かつかつの生活の中できいちゃんと食べたスーパーのお寿司や、旅行の計画など、ささやかな幸せもあって、決して不幸せという訳でもないのに、ゆめが思う「普通」の人とは程遠い生活をしているという、明らかな差を見た時、なんとも言えない気持ちになるのだろう。小説家になりたいと願っていたのは、現実から逃げるためもあるが、デビューして家計を支えたいというゆめの優しい気持ちも混ざっていると思う。いつも変わらず、いつまで続くかわからない日常に辟易しながら生きていく、そして解放された時、ゆめに大きな幸せが訪れて欲しいと思った。老いを恐れ、壊れそうなものに触れるのが怖い。私も祖母に抱いた感情と同じで、会いに行けなかった理由が言語化されている気がした。
Posted by ブクログ
この本を読んで学んだことは
読書は絶望に近い孤独を埋めるかもしれないということ。
昔は知り合いに数名いた読書家のいう、活字中毒の意味が理解できませんでしたけど
(アホの子なので)
あくてぇ
芥川賞カテゴリ。
90年代生まれの作家さんです。
甲州弁で悪態をあくてぇと言うそうです。
主人公はユメ
小説家志望の19歳
他にも
90歳の“ババア”と心の中でユメが呼称する
父方の祖母
そして黄色い色が好きだから
“きぃちゃん”と娘のユメに呼ばれる
沙織という母親と暮らしています。
キィちゃんこと沙織については
90歳の祖母は元“姑”にあたります
義理の母です。
“元”夫の。
がしかし
総じて無神経な元旦那は
ユメが中学生の時に
よそに子供を作り認知して
慰謝料もなく
ユメが高校生のころ
沙織と離婚して新しく家族を作り
父方の母である、ばあちゃんも最初こそ
新しい家族へ招き入れ引き取ったものの
ばあちゃん裸足で飛び出し
沙織とユメの元に帰ってきてしまい。
あくてぇ(悪態)だけに
綺麗とは言えない言葉が並びますから
ザリガニの鳴くところと、また違った
序盤の読み辛さはあります。
彼女の周りで起こる事象も酷いですからね。
(父親の女癖や娘に対しての無神経な下ネタなど)
最初こそタイトルがタイトルだけに
心して読まなければならないと思っていました。
芥川賞にノミネートというカテゴリへの印象もあり
(暗く悍ましいイメージ)
けっこう重い感じを覚悟してたんですけど
作者の年齢がポップだからか
重いは重いですけど、そこは、もうポップです。
個人的な所感ではありますが
この本は目を背けたい現実がモチーフながら
ページを捲る指が止まらない本でした。
でも著者の他の本はモチーフに興味が持てず
後回し感が強くなっていますが
小説の中で感じ取れる格差による
育ちが下品と取れる悪態も
俯瞰で見ると
そんな簡単には括れてないですね。
そこが小説のいいところだと思いました。
1と100の間の人々の様々な感情のひだを読むことが出来る。
甲州弁というのもあるのか
一般の悪態とは
響き的に少しは和らいでいるような気がします。
1997年生まれの作家さんなのに
人物描写や起こってる事象への感情表現は
割と圧巻です。作者の実年齢は、まだ20代と思われますけど
文章が良い意味で老けてます。
とてもリアルかつ魅力的な感情表現の数々。
まず、ユメの母親であるキイちゃんの(おそらく40代)の
聖人君子ぶりに慄き。
この歳なると偽善を疑うが、それも見当たらず
背負った荷物の下ろし方を知らないタイプ
いるのは、いるんでしょうけど
(ワタシの周りにも居るのは知ってる)
そこには何かしらの理由があるのだろうと
90の姑を見捨てない見限らない理由。
それを知るために読み進めていくことになります。
(個人的には)
この90歳の祖母も19歳の孫娘にババアと心の中で呼ばれるだけのことを“痴呆でもないのに”、しまくってますし
婆ちゃんの育った時代や環境背景による
学のなさと意地汚さに不潔さと生命力があり
この孫娘も、
無神経な男親のせいで大学に行けずとも
本ばかり読んでおり
そんなに頭が悪くないので
そういう相手を見てます。
そんなバカじゃないんで
イライラまかせに言う悪態とは違う感じ。
相手を見た上で
この婆さんに対しての“あくてぇ”なんだなと徐々に判明していく流れになってはいきます。
主人公の母親である、きいちゃんの聖人君子ぶりもあいなって
90歳のイジワル婆さん悪目立ちしてますもんね。
話を読み進めていくうちに
19歳のユメは、実にごもっともな不満を相手に
ロジカルにぶつけてるだけで
それこそ黙ってる方がオカシイと思います。
きいちゃんみたいに黙っていてはいけない。
19歳のユメだって分かってる。年寄りには優しくしなければなんて
ごもっともな意見など。
そんな傍若無人な外面は良いだけの悪態婆さんに
ユメの母親のきいちゃんは感謝してるという。
その理由を聞いてもユメには理解できるはずがない。
推測ですが、こういう
何不自由ないお嬢様の檻から脱走してきたタイプは
脱走の要因となった相手への意地を忍耐力で埋められる。
“あくてぇ”による
このババアの息子な親父の描写
久しぶりに目に余る嫌味な男性というか
ずるいというか………やだな、こういう男性!
そう強く感じて受けました。
言動と行動の全てに
虫唾が走るんですよ。
ほんっと虫唾が走る。
悪党やサイコパスとかとは違うんですよ。
目に浮かぶリアルさに虫唾走るいうか。
何も期待してないから基礎はちゃんとやれや!
て感覚
わたしが“きいちゃん”や“ユメ”だったら
何回も額に殺の文字が浮かび上がるとおもいます。
あんな虫唾の塊な男性
小説の虫唾人に括ると
傲慢と善良の美奈子クラスですね。
南海トラフきたーーーーって感じ
ハシゴ外したら
相手は転ぶだろうなと知っていて
他人に対してズボラするやつマジきつくないですか?
加えて男尊女卑。
人質(チビッコの息子)を盾にユメに許しを乞う時だけ
計算高くなるところ。
読んでもらったら分かるんですけど
しじょうまれに見る
とんでもない親父です。
ユメにしてみれば腹違いの弟を盾に取られたら
何をされても何も言えなくなる。
それは弟が、まだ小さいから。
きいちゃんにしても、おそらくそう。
ユメのまだ小さな弟を盾に
コウシャクを垂れて息子を溺愛。
息子を溺愛するのは構わないが
ユメもまだ未成年だし
養育費も貰えてないから大学も行けなかったし
何にせよ
自分が選んだ道とはいえ
親父と恋愛したばっかり
大した学歴も職歴もなく中年を迎えた
きいちゃんもマトモにバリバリ働けないから
あくてぇ突かれようが
下の世話させられようが
血の繋がらないババアの世話が
元夫に対する悪意や怨恨の感情のセーフティネットにならざる得ない状態。
ババアを診ることがきいちゃんの意地になってる。
そう思った。
レビューには、きいちゃんも毒親言ってる人いたけど。
よくいえば忍耐力とも取れるけど
そんな忍耐いらんからと思うような行動に
意地があるのが女性だよね。
そりゃババアを見捨てて
きいちゃんの人生を歩めばいいがなと正論では思うよ。
ユメだって若いうち自立させた方がいい。
こんなとこ(母子家庭な上に年寄りの介護)に閉じ込めちゃいけないよ。
身体はいくらあっても足りないのが介護の現状なのに無理が祟り
きいちゃんが倒れたらユメに全てがのしかかってくる。
正論はそうなんだけど
この全ての結界が、この親父にあるように思えてならなかった。
この親父と美奈子と逆転美人の豚鼻
脳内で血の気が盛んになる人物らです 笑
Posted by ブクログ
なんだか、終始、イライラしてたな〜笑笑
まず、不倫して出ていった旦那の義母を元奥さんが介護するって何よ〜〜〜。
意味わからん、絶対嫌だけど笑笑
なんで、離婚して晴れ晴れして第2の人生を、他人の元旦那の母親の介護しないといけないからよ泣。
お人好しすぎてイライラ。。。お金もないのに。。。
孫ちゃんがばあちゃんと口論してる姿に、スカッとしてその場面が無かったら途中で断念していたかも。
でも、すごく面白かった!!!
介護に奮闘する中年女性の生き様だったり、今話題のヤングケアラー問題にフォーカスを当てている具合も!
介護って終わりが見えないから辛いよね。。。
Posted by ブクログ
怒鳴りながらも愛を持って祖母の世話をしたり、次の瞬間には殺意が湧いてみんなで死にたくなったり。
ストレートすぎる感情たち。
まさに出口のない日々。
Posted by ブクログ
家庭内での祖母との対峙を中心に義理の親子という家庭環境が味付けとなり主人公のもどかしい日常が描かれています。登場人物が少ない分、主人公の心情の機微もわかりやすく描かれていますが、ただタイトルの「あくてえ」はただの暴言ではないはずで、著者の表す「あくてえ」の真意が十分伝わってきませんでした。全体する的には難解な表現もなく読みやすかったです。装丁はいただけない。
Posted by ブクログ
自分の家族にもババアのような存在がいたこともあり、まるで自分の生活が描かれているような不思議な体験をした。
現代における日本の家族って、こういうババア多いだろうなぁとも思う。
主人公である「ゆめ」が、ババアや親父に
悪態をついてることが、私にとって救いだった。
悪態をつくことは、
思い通りにならない家族、恋人、自分、時間に
向き合うための【最後のお守り】のようなものだと私は思う。
人生に悲観するより、生活を続けるために最低限の最善を尽くすゆめが逞しかった。
どうか、ゆめが諦めずに小説家になれてますように。
Posted by ブクログ
殴り書き。
起承転結がないのがより現実を描いてるようで辛かった。
この小説をきっかけにもっと介護の家族問題に目を向けるようになってくれる人が増えたらなと思う。
Posted by ブクログ
ずっと苛苛する文が続いて、ずっと嫌な気持ちのまま進んでイライラしっぱなし!!!!
なのに読みやすくてスルスル読めるのは、現実的な内容だから感情移入しやすいのかな?と思いました。
登場人物全員イライラしました笑
祖母も母も父も彼氏も……
この中に書かれてることが本当に人の人生ぽいなと思いました。
小説じゃなく現実でした。
これは小説じゃないです、ただ単に人生です!
という感想にしかならなかった。
最終の174ページで主人公が3.4行で想いを語るのですが、それが全てでした。
私の心を大荒れしてくれる本でした!
なんだか新しい感想を持てた本。
読めてよかった!
Posted by ブクログ
こんなところで終わるのか。
"あたしが書く小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。"
だからこの終わり方でいいのだ。
ずっと「きいちゃん、いい人すぎるよ。できすぎだよ。」と思っていた。途中でその優しさ、善良さがゆめを苦しめていることがわかった。そうだよ、きいちゃんは娘を守らなくては。年齢的にはビミョーなところ(19、20歳)だけど、娘の苦しさをわかってはいない。ろくでもない男性と結婚したのは自分の責任だが、娘にその責任はない。
祖母の言動はとてもリアルだった。具体的に細かい老人っぷりが描かれていてすごいと思った。逆にきいちゃんに対しては「こんな人本当にいるのかなぁ」と思ってしまう。
一気に読んだ。若い作家が、若い女性の主人公と年老いて介護が必要になっている祖母をこういう形で書くというのに引きつけられた。
Posted by ブクログ
あくてえは、甲州弁で悪態のこと。
主人公は、祖母のことを母と一緒に介護しているが、
この祖母が曲者。
悪態をつきたい気持ちがよく分かる。
その悪態はリズミカルで、文章はするする読めるが、
なんとも苦しい。
それは悪態はついていても、祖母に対する優しさが捨てられないから…。
安易にめでたしめでたしにならないラストもリアリティがあって好き。
ただ、家族は選べないけど
せめて彼氏はどうにかならないのか…
違う人がいるのでは?と思ってしまった。
Posted by ブクログ
惜しくも芥川賞受賞を逃したけど『おいしいごはんが食べられますように』と同じくらい面白い作品だった。
何人かの芥川賞審査員が指摘するように、ばばあへの愚痴が延々と続いてうんざりするというにのも分かるがあくまでタイトルは「あくてえ」。現実的にヤングケアラーの派遣社員であくてえをつきたくなるような現実に日々生きている人は日本に少なく無いのではないだろうか。今の日本で介護というテーマは避けて通れない深刻な問題であり、それを表現するのにうんざりするくらい描写が長くても真っ当なことに思える。個人的にはさほどしつこいとも思わない。
主人公は小説家になりたいという夢がある。日々生活を営む事で必死に生きている人がその苦労から抜け出し、救われたいと願う気持ちは痛いほどわかる。
ラストシーンの後味の悪さは紛れもない今の日本の事実を突きつけられるようで痛々しいほど響く。
シングルマザーというテーマも根深い現実的なテーマだ。
一方で、まだ作者の文学的手法は成熟しきっていない気がする。今後の作品が楽しみ。
Posted by ブクログ
確かほんタメ!で取り上げられていた本。
キツかった。主人公は環境に恵まれていない。いろんな種類の毒を持った家族に囲まれ搾取され舐められている。生々しかった。
母親も父親も「ババア」にも彼氏にも腹が立ち主人公が不憫で仕方なかった。あくてえを何度ついたって変わらない現状。
全てをなあなあにして受け入れて一見優しいようでそうではない主人公にとって害のある母親も無責任で良心がない父親も自己中で幼稚でわがままなババアも肝心な時に頼りにならないダサい彼氏も全員腹立たしかった。
ババアは性格の悪い年寄りでパワフル。介護の大変さと清潔感のない描写がリアルで読んでいて不快に感じるほどだった。歳をとることが嫌になる程だった。
散々お世話になってる主人公と嫁にはふんぞり返り何もしない逃げた息子には媚を売り疎遠な孫にも好かれようとする図々しさと愚かさがリアルだった。こんな人いっぱいいる。よく聞く話だ。腹立たしかった。
一気に読んでしまった。まだ成人にも満たない主人公が振り回され、怒り、傷ついている姿を見るのが辛かった。私が代わりにボコボコにしましょうか?と何度も思った。
私の心をかき乱してくれるいい文章だった。生々しくて汚くて激しくていい作品だった。良い気持ちにはならないけれど。
Posted by ブクログ
19歳のゆめは、小説家を目指している。家では、90歳の父方の祖母(ばばあ)を母と介護している。父と母は離婚していて、父は再婚し、子供もいる。
ゆめをかこむ登場人物がどうしようもなく気持ち悪い。ばばあと父はもちろん、中途半端な優しさで介護を強いて、イヤな役割は押し付ける母も、話の意図がかみ合わない恋人も。
最初から最後まで、本当に怒涛である。どうかゆめの進む人生が救われますようにと願ってやまない。
Posted by ブクログ
私も祖母とまさに「あくてぇ」な関係だったので気持ちが痛いほどわかりました。
搾取ばかりされているようでイライラするしお互い様でしょ!な気持ちで言ったこともこちらが悪者のように言われる…。
しかも終わりがない。
私も辛かった…。
Posted by ブクログ
自分のやりたい事はあるのに、環境によってやる気が削がれていく。終わりの見えない日常は辛い。優しくしたい気持ちはあるのに、できない現実は辛い。つけこまれない為に、「あくてえ」つくしかできないのが辛い。
Posted by ブクログ
パワフルな悪態小説。
19歳小説家志望のゆめと90歳の悪態ばばあの舌戦が止まらない。
前作「エラー」も激しかったが本作は更に勢いを増している。
ゆめは母親のきいちゃんと祖母の三人家族。
父親は不倫の末、子を持ち新しい家庭で暮らしている。
何が理不尽かって、ゆめと一緒に暮らしている祖母が父方の祖母だって事。
ろくに生活費も入れず自分の母親の面倒を元妻と娘に任せっぱなしの父親。
ろくでもない奴だ。
どこまでも献身的なきいちゃんが聖母マリアに見えて来る。
先が見えない介護地獄と、エンドレスな言葉の応酬。
凄まじい熱量に圧倒された。
Posted by ブクログ
「ばばあ」の憎たらしい言動は家族にとっては我慢できないものだろうが、傍から見てる(読んでる)分には十分に笑えて、そこが救いなのかな。何も解決しないけれど、きっぱりと捨てることはないだろうこの親子にどうか長生きしてほしい。
しかし、この親父、予想以上に最低だね。こいつこそこの世からいなくなってほしいよ。クソな奴ってほんとうはたくさん生息してるんだろうね。ドラマとかでいい人ばっかりやらんでよ。鶴瓶のあの番組もいってみれば脅迫みたいなもんだよな。だめな親父を叱って歩く番組ってできないのかね。と、そんなことまで考えてしまった作品でした。
Posted by ブクログ
誰が悪人というわけではないけれど、どいつもこいつもキモいんだよ!アー!!!!!!!!と頭をかきむしりたくなる。
激しくて、苦しくて、残念ながらリアルな、地獄絵図だった。
冒頭30ページ位で延々憎まれ口を読まされ、序盤からばばあに対する嫌悪感がしっかり形成される。そしてそれが最終的に人間という生物全体に対する嫌悪感に繋がってくる。かなり危険な感覚だと思う。
老害的老人に限らず、基本的に人は汚い。
できないことをできないまま放置し、環境のせいにして逃げる、甘える。聞きたいことしか聞かず、聞きたくないことは聞こえていないふりをする。優しい人から平気で搾取する。そしてそれを半永久的に続ける。心身の余裕がなくなった時、簡単に誰かを踏みにじることができる。
物理的にも、時間が経てば内側から汚れが出てくるし、外側にも付着する。不潔。死に近づくほど赤ちゃんに戻るように知能は退化し、見た目にも死が表れてくる。
どんなに消毒して白壁にして明るく振る舞っても隠しきれない暗さがある病院のように、死と汚れのにおいがする。みんな本当はわかっているけど口に出さないタブーに触れてしまったような感覚を覚えた。
きいちゃんは優しい母親のようでいて、その呼び名からもわかるように母親の役割を放棄しており、代わりに主人公にその役割を担わせている。ばばあのことは絶対無視しないのに主人公の質問は無視できるし、そのくせピンチの時にはすがるように視線を向けてくるし、終わりのない「もう少し」の地獄に道連れにしようとする。イエスとしか答えられないこともわかった上で誘っているの、ぞっとする。
最初から最後まできいちゃんはばばあを見、親父は不倫相手との子どもを見、ばばあは親父と不倫相手との子を見ている。誰も主人公を見ていない。大切にしない。愛さない。どうしようもない人とどうしようもない環境の中、もがき苦しみ、正しいことを叫び、めちゃくちゃに泣いても、誰も見ない。聴かない。
そんな中では強く在るしかなく、あくてえをつくしかやっていく術がなく、トゲトゲしていくのを止められない。なのに勝手に大丈夫と思われて、放置され、寄りかかられ続けるこの感じ…!
そして主人公も、抱えきれない苦しみから逃れようと足掻くせいで、恋人を踏みにじる。伝え理解し合う努力を怠っていることに気づかず、相手に軽んじられていると感じてしまい、結果自分も相手も軽んじる。思いやろうともがいたりもしているけどやっぱり難しく、あと一歩他者を大事にするための力が足りない。この不完全さがいかにも人間らしい。
タイトルの「あくてえ」をはじめ、憎きばばあの言葉遣いが主人公のモノローグの中にも散見されるのが痛々しく、絆のようで呪いのようだった。すごい表現力だなと思った。遠くまで逃げてしまいたいくらい限界の環境なのに、その根っこが芯まで無意識レベルまで染み付いてしまってとれない感じ。発散の手段すら汚染されているという恐怖!
これは決して「なんだかんだ言って家族愛♡」などというハッピーワードでは片付けられない。八方塞がりで、出て行く隙がないために、地獄が循環していくのがわかる。
なのに最後はこの状況が今後も続いていくよという締め方…現実が1番のホラーということか。鳥肌ものの恐怖だった。
そして問題なのは、どの気持ち悪さも他人事ではなくて、身近に存在しているということ。自分の中にもある。これは単純な介護の憂鬱とか機能不全家族の実態とかそういうレベルを超えて、もっと全員に当てはまる怪談だと思う。
Posted by ブクログ
終わりが見えないところが現実を描いているなと感じた。介護は厳しいな…自分が介護する可能性が高まり、自分が介護される側(してもらえない可能性の方が高いが)も近いので、冷え切った気持ちが残った。
Posted by ブクログ
読み終わって感じたことは、「老い」て介護が必要な人と、仕事や家事があり尚且つ老人介護しなければならない人とは、分かっていても感情的及び感覚的に相容れないところがあるということ。それでもまた、受け入れていかなければ生き辛いということ。
この小説の「ばばあ」も長く生きてきて、自分なりの生き方がある。当然これからも同じような生き方をしようとする。が、介護している方からみれば、危なっかしいし、考え方も古くて現在では通用しないものも多い。そこで溝が生じる、
「ばばあ」は負けない、我を通す。回りが自分のことを心配し、自分のためにしていることとは分かっていても、自分のやりたいことをやらせてくれない、自分の思いが自由にならない、それが「ばばあ」を苛立たせる。だから我が儘を言う。
でももし実際に危険なことが起こったら、大事なことを忘れたら、大事なことが分からなくなってしまっていたら、ひょっとしたら大変なことになるかもしれない。
「ばばあ」は、「年だから」で逃げることも出来るが、回りの人は、起こした人間が「年だから」では許されない。
だから、「ゆめ」は何も考えず我が儘ばかり言う「ばばあ」に怒りを覚え怒鳴るのだ。
でも、この小説を読んでいると、ちょっと思う。物わかりの良い老人が本当に「いい老人」なのだろうか?物わかりの良い若い者は本当に「いい若者」なのだろうか?
ひょっとして、この小説の「ばばあ」の我が儘は「今を生きるための」意欲の表れであり、また「ゆめ」の怒りは「今を生きぬくための」主張なのかもしれないと私は思ってしまう。そして、それじゃあ、何も言わない人、全てを受け入れている人は?
「きいちゃん」は人がいい!別れた夫の母親の介護を文句1つ言わずに行い、文句言う「ゆめ」を優しく窘める。「きいちゃん」は、「ばばあ」にも「ゆめ」にも別れた「クソ親父」にも気を遣うのだ、自分の思いを殺して。ひょっとして、これは諦めているのだろうか「きいちゃん」は?自分を「生きること」を?
「ゆめ」は最後まで怒っている。「ばばあ」にも「クソ親父」にも「恋人」にも。誰に何を言っても無駄と諦めかけても、自分を「生きることに」諦めてないから。
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2022年上期芥川賞候補作品
あたしは字が書けん、本が読めん、なんにもできんー。そうやって自分ができないことをできないまま、放置してきた。言い訳という言葉の鎧で自分を固めて、人に頼り、甘え、自分が傷つかないように、傷つけられないように。
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芥川賞受賞作にしては荒削りな感じがした。
小説家になりたい、ならないと人生が始まらない、という主人公。
著者がそうだったんだろうな。新人賞の予選通過のことを母親に話すところや、共同出版の描写とか、自己投影されてる感が強かった。真偽の程はともかくそう読者に思われるのは失敗だと思う。
主人公のゆめはばばあの介護をする母を助けないといけない気の毒な立場ではあるけど、ゆめ自身の人柄は好感を持てない。特に彼氏とのシーンは可愛げが全くなく常にイライラして攻撃的で、そんなんで大事にされないよという感じ。彼氏はよく我慢している。
きいちゃんは人間味が感じられずうまく描き切れていないと思った。なぜあれほどまでに怒らずいられるのか、献身的に介護をするのか。優しすぎて動かなさすぎて不気味。毒親なのは間違いない。
一番よかったのは母親であるきいちゃんに気持ちをぶつけるシーン。今までのばばあとのしんどいやり取りの積み重ねが効いていて、うんうんそうだよ、とかなり胸に迫るものがあった。でも、河川敷の堤防のところで父親と話す場面、主人公は父親からの送金を完全に諦めたことで吹っ切れ、「なぜか清々しかった」という。ここは、いやいや大丈夫なのそこで諦めて、と共感できずもやもやした。
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現実的にあり得る話に一気に読んでしまいました
幸い自分は今のところ介護問題には直面してませんが、親とかを見るとあくてえをつく
気持ちがわかる
家族だから、終わりが見えないから
ついついイライラしてしまう
それが現実
終わり方も変に希望を持たせず自然に
終わって良かったです
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好きな山田詠美氏が褒めてたので読む。
これはきっと実体験に基づく小説だろう。
細部がリアルすぎる。
”あくてえ”とは甲州弁で”悪態”のこと。
でも、実際、弁がたち介護されているのに反抗ばかりしてきてこの孫のゆめや姑のきいちゃんを困らせてばかりいるばあちゃんは、ほんとあくてえだってつきたくなるわな。
文中の心中だは”ばばぁ”ってずっと呼んでいる。
このきちゃんがこれまた、何でも受け入れてマザーテレサかって思う。だから余計ゆめもいらいらすってのもわかるしね。
なんだかんだ(まわりは疲弊してるけど)このばばあは幸せ者だと思ったね。
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辛い。
今までにない新しい辛さ。読んでる自分に主人公が乗り移ってくるような辛さと怒り。
浮気して一方的に離婚して出ていった、単純で調子の良いイイ加減な父。義理の母に尽くす人の良すぎる優しい母。(設定的に無理がありそう、こんな嫁居る?)身内には毒をはくあくてえババア(祖母)。
これで終わり?続きは?と催促したいラスト。
主人公が報われるような続巻を熱望。
個人的に、親族が山梨在住であり、方言のイントネーションが音となり、頭に入ってきた。外面の良いババアが、実家母と重なるところも辛さと怒りにつながるのかもしれない。