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あたしの本当の人生はこれから始まる。小説家志望のゆめは90歳の憎たらしいばばあと母親と3人暮らし。ままならなさを悪態に変え奮い立つ、19歳のヘヴィな日常。第167回芥川賞候補作。
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Posted by ブクログ
先日亡くなった祖母と母の関係を思い出す。 老いや孤独を武器に好き放題に悪態をつく祖母に母は頭を悩ませていたし、時には泣いたりしてた。 老いからくる孤独感や疎外感、自分が思うように身体がついてこないことへの苛立ちなどは、自分がその状況に置かれなければ完全に理解できるものではないと頭の隅では理解してい...続きを読むるから、こちらは同じ熱量で張り合えないし、張り合ってしまったことを反省したりする。 相手はじいちゃんに先立たれて施設で1人暮らしているおばあさんやぞって。優しくしてあげないとあかんやろって。分かってても、イラついてしまう。分かっていることとイラつかないことは同義ではない。 お人好しで気使いな母を介護する時がすごく怖くなる。何も
幼い頃から一緒に暮らしてきて、かわいがってもらった時期や、甘えていた時期もあったはずなのに、今ではわずかでも肌に触れることに抵抗を感じ、日常的な会話のキャッチボールをするのにも妙な緊張感を覚える。(p.14) 食べることが生きることに直結しているのだ、おそらく、本能的に。(p.17) あたしにとって...続きを読むは、行儀やマナーの問題ではなく、理性より先に欲が勝る感じが、人間の本質を見ている気がして怖いのだ。(p.30) 夢を応援してくれるのはありがたいが、話を聞いてほしいかわりに、放っておいてほしい。関心を持たれたり、踏み込まれるとかえって疎ましい。しかしそのあまのじゃくな性質を、きいちゃんの前ではうまく表せなかった。(p.36-37) 来年には成人を迎える娘を、きいちゃんは無条件に褒める。何もかも、全肯定してくる。おそらく、きいちゃんの中のあたしは幼いままなのだ。幼いあたしが抱く無垢な夢は、いつしかそのままきいちゃんの希望になっていた。きいちゃんの希望は、あたしの重荷だった。(p.38) 昔、ばばあに幼いあたしの面倒を見てもらったことに、きいちゃんは深く恩義を感じているのだ。だが、あたしにはわからない。わかるはずもない。あたしには、表面的なことしかわからない。今しかわからない。わからないから、この現実に不満を並べ立てることしかできない。(p.50) その人の笑顔を煩わしく感じるようになったら、関係性はもう破綻しているものなのかもしれない。(p.57) 言いたいことは、言葉にならない。何に怒っているのか、何に不満があるのか、わかっているはずなのに言えない。もやもやする。(p.67) 小説の中に存在する言葉は、あたしの思考や感情を表すのに足りない言葉のパーツを補ってくれた。握りしめたパーツを武器に、あたしはこうして親父の前にいるばすなのに、自分でも気づかないうちに言葉は零れ落ちている。あたしの思いは、うるせえな、に集約される。感情をうまく言葉にできない自分への苛立ちも含めて、浅はかで卑しい言葉の羅列に集約されていく。あたしは、ただ、あくてえをつくしかない。(p.68) あたしが普段あまりばばあとの接触を好まないのは、嫌悪からではない。頭皮の、あの何とも言え剥き出しの感覚がこわい。やせ細った二の腕も、尖った肩甲骨も、かろうじて肉がついている脚も。色々なものが削ぎ落とされ、芯になっていく過程のような、生の境界に触れているような恐怖と居心地の悪さを覚えるのだ。(p.76) 別に、感謝されたいから、見返りがほしいから、面倒をみているわけではない。それでも、ばばあの心につめたい隙間風が吹き込む瞬間、彼女の頭に真っ先に浮かぶのは親父やその息子なのだと考えると、何とも言えない虚しさに襲われる。(p.86) 優しくしすぎると人はつけあがるし、毎度寛容であれば舐められる。底なしの柔らかさを前に、人は遠慮しない。どこまでも沈み込んできてずぶずふになる。(p.92) あたしは隙を見せたくなかった。誰にも隙を見せたくはなかった。わがままで高慢で強気で怒りっぽく、言葉で相手をなじり、責め立て憎たらしいあくてえばかりつく手に負えない女だと思われていた方が楽だった。その方が、傷つかずに済んだ。人に期待せずに済んだ。先に相手を傷つけた方が、自分は傷つかずに済むと信じていた。(p.92) 家庭環境のまるで違う人と話をすると、どんなに相手が寄り添う姿勢を見せようとすると、突き放されている感覚は否めない。勝手に卑屈な気持ちになって、勝手に苛立つ。(p.98) そうやって自分ができないことをできないまま、放置してきた。言い訳という言葉の鎧で自分を固めて、人に頼り、甘え、自分が傷つかないように、傷つけられないように振る舞ってきたのだ。(p.102) こうやって、すべてがなあなあになっていく。直前までの苛立ちも、不満も、怒りも、言葉をぶつける前に身体が重なって、そしてだれていく。根気強く怒りを保持できず、収まるべきところに収まってしまう。しかし、些細な違和感や苛立ちが消えるわけではない。いつまでも心の内に消化不良のまま滞留し続ける。子供の頃、友達と仲直りするのには時間を要した。ばばあとは、互いに気が済むまで言葉でなじりあうことで、怒りを放出させてきた。渉とセックスをし、一時的に抑え込まれた感情の靄は、この先長い時間をかけて膨れ上がっていくはずだ。(p.105) あたしは焦っていた。学歴もない、仕事に役立つ資格もスキルもない、あたしにあるのは若さだけだった。若さとは可能性だった。あたしは自分の可能性が狭まっていくのを極度に恐れていた。そしていつかは失われていくものに縋り、恐れる自分に虚しさを感じた。(p.117) 年をとると、世界との距離ができる。危うい距離だ。若い頃、何気なく歩いていた階段も、容易に手が届いたはずのキッチンの戸棚も、ごく普通のボリュームでの会話のキャッチボールも、何もかも遠い。ばばあは常に、きいちゃんの手を借りながらその距離を埋め、日々ギャップに直面している。きいちゃんが屈んでばばあの足にサンダルをはめる。右手でキャスター付きの点滴スタンドに寄りかかるように握りしめ、左手をきいちゃんに引かれながら、ばばあはゆっくりと前へ進む。悲しいほど小さな背中だった。(p.123) 言葉にしないと伝わらないのに、あたしはいつも、言葉にする前に断念した。どうせ、自分の気持ちなどわからない、意味など通じないと高を括って、伝えようとする労力を怠ってきた。いつか、このツケがまわってくるような気がしてならなかった。(p.125) 自分ではわかりきったことをわからない人に説明する時、事実が改めて明瞭になる感覚が嫌だった。(p.135) きいちゃんはぬるかった。何もかもぬるかった。この寛大でぬるま湯のような愛情に浸かっていたら、あたしは永遠に今の生活から抜け出せない気がした。(p.136) 傷を負った箇所の皮膚が時間をかけて再生していくように、もとの状態に戻ろうとする力が働いているだけなのだ。家族というものがもともと丸い円の形をしているとするのなら、その円が、円ではなくなるとこを強く怖れている。完全にもとに戻れないことなどわかっていた。しかし戻らない部分には執着せず、修復できた部分を慰みながら円が楕円になったら、今度はその楕円の状態をなんとか維持し続けようと努めていく。崩れそうで崩れない生活であり、これが現実だった。(p.154) そういう時、あたしは、女に走った父親の気持ちが、ほんの少しだけ理解できてしまう。逃げ場を作っておきたいのだ。困難な日常に真摯に向き合おうとするほど、逃げ場は必要だった。(p.156) 目の前で通りの飲食店が次々にシャッターを閉めていくと、まるでこの世界から弾き出されたような疎外感をおぼえた。(p.156) きいちゃんは深夜に帰宅するあたしを見ても決して怒らなかった。ただ心配するだけだった。あたしは心のどこかで、彼女に怒られるのを待っていたのだと思う。きいちゃんが、壊れるのを待っていた。感情を露わにし、人を責め、罵るのを待っていた。怒られたら、すぐにでも戻るつもりだった。怒られないことは余計にあたしの罪悪感を煽る。きいちゃんを、ばばあとふたりきりで残して、自分だけが逃げているようだった。自由は、かえってあたしをあの家に縛り付けるのだ。(p.160) 息を吸った瞬間、不意に脱力し、涙があふれた。あたしが書く小説は必ず終わりを迎えるし、良くも悪くも決着がつくのに、現実はそうではない。ずっと続いていくのだ。優しくしようと穏やかな気持ちで思った直後に殺したいほどの憎しみが襲ってくる。家族三人で頑張ろうと決意を固めた翌日には、三人で死んでしまえたらと本気で思う。(p.174) ゆめは、意地汚いばばあを殺してしまいたい、見捨ててしまいたいと思いながら、ふとした瞬間に憐れに思ったり、気持ちと身体が振り子のように動いていた。元旦那の親を介護するだけでも考えられないのに、暴言を吐き、都合の悪いことは人のせいにするばばあの面倒を見るきいちゃん。優しい人は好きだが、きいちゃんは優しすぎてイライラした。もっと言いたいことを言えばよいのに…と。恩義があると言っても、あそこまでできるなんて、女神様でもないと無理だと思う。カツカツの生活で仕事も必死にやっていれば、いらいらしてもぶつけられる場所がないと思う。生きることが全てで、日常を楽しむなんて選択肢はないのだろう。ゆめの生き甲斐は、渉と会うことだったのではないだろうか。現実世界から救ってくれる唯一の存在であり、嫌なところが見えても、自分を理解してくれる人として心を開いているのだと思う。アイスコーヒーばかり飲むクズな父親や、暴言ばかり吐くばばあと向き合っているからこそ、なじり合うし、暴言も吐く。ゆめは上手く言葉にできないが、それは当たり前で、誰だってイライラした時は、上手く感情を表現出来ないと思う。かつかつの生活の中できいちゃんと食べたスーパーのお寿司や、旅行の計画など、ささやかな幸せもあって、決して不幸せという訳でもないのに、ゆめが思う「普通」の人とは程遠い生活をしているという、明らかな差を見た時、なんとも言えない気持ちになるのだろう。小説家になりたいと願っていたのは、現実から逃げるためもあるが、デビューして家計を支えたいというゆめの優しい気持ちも混ざっていると思う。いつも変わらず、いつまで続くかわからない日常に辟易しながら生きていく、そして解放された時、ゆめに大きな幸せが訪れて欲しいと思った。老いを恐れ、壊れそうなものに触れるのが怖い。私も祖母に抱いた感情と同じで、会いに行けなかった理由が言語化されている気がした。
この本を読んで学んだことは 読書は絶望に近い孤独を埋めるかもしれないということ。 昔は知り合いに数名いた読書家のいう、活字中毒の意味が理解できませんでしたけど (アホの子なので) あくてぇ 芥川賞カテゴリ。 90年代生まれの作家さんです。 甲州弁で悪態をあくてぇと言うそうです。 主...続きを読む人公はユメ 小説家志望の19歳 他にも 90歳の“ババア”と心の中でユメが呼称する 父方の祖母 そして黄色い色が好きだから “きぃちゃん”と娘のユメに呼ばれる 沙織という母親と暮らしています。 キィちゃんこと沙織については 90歳の祖母は元“姑”にあたります 義理の母です。 “元”夫の。 がしかし 総じて無神経な元旦那は ユメが中学生の時に よそに子供を作り認知して 慰謝料もなく ユメが高校生のころ 沙織と離婚して新しく家族を作り 父方の母である、ばあちゃんも最初こそ 新しい家族へ招き入れ引き取ったものの ばあちゃん裸足で飛び出し 沙織とユメの元に帰ってきてしまい。 あくてぇ(悪態)だけに 綺麗とは言えない言葉が並びますから ザリガニの鳴くところと、また違った 序盤の読み辛さはあります。 彼女の周りで起こる事象も酷いですからね。 (父親の女癖や娘に対しての無神経な下ネタなど) 最初こそタイトルがタイトルだけに 心して読まなければならないと思っていました。 芥川賞にノミネートというカテゴリへの印象もあり (暗く悍ましいイメージ) けっこう重い感じを覚悟してたんですけど 作者の年齢がポップだからか 重いは重いですけど、そこは、もうポップです。 個人的な所感ではありますが この本は目を背けたい現実がモチーフながら ページを捲る指が止まらない本でした。 でも著者の他の本はモチーフに興味が持てず 後回し感が強くなっていますが 小説の中で感じ取れる格差による 育ちが下品と取れる悪態も 俯瞰で見ると そんな簡単には括れてないですね。 そこが小説のいいところだと思いました。 1と100の間の人々の様々な感情のひだを読むことが出来る。 甲州弁というのもあるのか 一般の悪態とは 響き的に少しは和らいでいるような気がします。 1997年生まれの作家さんなのに 人物描写や起こってる事象への感情表現は 割と圧巻です。作者の実年齢は、まだ20代と思われますけど 文章が良い意味で老けてます。 とてもリアルかつ魅力的な感情表現の数々。 まず、ユメの母親であるキイちゃんの(おそらく40代)の 聖人君子ぶりに慄き。 この歳なると偽善を疑うが、それも見当たらず 背負った荷物の下ろし方を知らないタイプ いるのは、いるんでしょうけど (ワタシの周りにも居るのは知ってる) そこには何かしらの理由があるのだろうと 90の姑を見捨てない見限らない理由。 それを知るために読み進めていくことになります。 (個人的には) この90歳の祖母も19歳の孫娘にババアと心の中で呼ばれるだけのことを“痴呆でもないのに”、しまくってますし 婆ちゃんの育った時代や環境背景による 学のなさと意地汚さに不潔さと生命力があり この孫娘も、 無神経な男親のせいで大学に行けずとも 本ばかり読んでおり そんなに頭が悪くないので そういう相手を見てます。 そんなバカじゃないんで イライラまかせに言う悪態とは違う感じ。 相手を見た上で この婆さんに対しての“あくてぇ”なんだなと徐々に判明していく流れになってはいきます。 主人公の母親である、きいちゃんの聖人君子ぶりもあいなって 90歳のイジワル婆さん悪目立ちしてますもんね。 話を読み進めていくうちに 19歳のユメは、実にごもっともな不満を相手に ロジカルにぶつけてるだけで それこそ黙ってる方がオカシイと思います。 きいちゃんみたいに黙っていてはいけない。 19歳のユメだって分かってる。年寄りには優しくしなければなんて ごもっともな意見など。 そんな傍若無人な外面は良いだけの悪態婆さんに ユメの母親のきいちゃんは感謝してるという。 その理由を聞いてもユメには理解できるはずがない。 推測ですが、こういう 何不自由ないお嬢様の檻から脱走してきたタイプは 脱走の要因となった相手への意地を忍耐力で埋められる。 “あくてぇ”による このババアの息子な親父の描写 久しぶりに目に余る嫌味な男性というか ずるいというか………やだな、こういう男性! そう強く感じて受けました。 言動と行動の全てに 虫唾が走るんですよ。 ほんっと虫唾が走る。 悪党やサイコパスとかとは違うんですよ。 目に浮かぶリアルさに虫唾走るいうか。 何も期待してないから基礎はちゃんとやれや! て感覚 わたしが“きいちゃん”や“ユメ”だったら 何回も額に殺の文字が浮かび上がるとおもいます。 あんな虫唾の塊な男性 小説の虫唾人に括ると 傲慢と善良の美奈子クラスですね。 南海トラフきたーーーーって感じ ハシゴ外したら 相手は転ぶだろうなと知っていて 他人に対してズボラするやつマジきつくないですか? 加えて男尊女卑。 人質(チビッコの息子)を盾にユメに許しを乞う時だけ 計算高くなるところ。 読んでもらったら分かるんですけど しじょうまれに見る とんでもない親父です。 ユメにしてみれば腹違いの弟を盾に取られたら 何をされても何も言えなくなる。 それは弟が、まだ小さいから。 きいちゃんにしても、おそらくそう。 ユメのまだ小さな弟を盾に コウシャクを垂れて息子を溺愛。 息子を溺愛するのは構わないが ユメもまだ未成年だし 養育費も貰えてないから大学も行けなかったし 何にせよ 自分が選んだ道とはいえ 親父と恋愛したばっかり 大した学歴も職歴もなく中年を迎えた きいちゃんもマトモにバリバリ働けないから あくてぇ突かれようが 下の世話させられようが 血の繋がらないババアの世話が 元夫に対する悪意や怨恨の感情のセーフティネットにならざる得ない状態。 ババアを診ることがきいちゃんの意地になってる。 そう思った。 レビューには、きいちゃんも毒親言ってる人いたけど。 よくいえば忍耐力とも取れるけど そんな忍耐いらんからと思うような行動に 意地があるのが女性だよね。 そりゃババアを見捨てて きいちゃんの人生を歩めばいいがなと正論では思うよ。 ユメだって若いうち自立させた方がいい。 こんなとこ(母子家庭な上に年寄りの介護)に閉じ込めちゃいけないよ。 身体はいくらあっても足りないのが介護の現状なのに無理が祟り きいちゃんが倒れたらユメに全てがのしかかってくる。 正論はそうなんだけど この全ての結界が、この親父にあるように思えてならなかった。 この親父と美奈子と逆転美人の豚鼻 脳内で血の気が盛んになる人物らです 笑
怒鳴りながらも愛を持って祖母の世話をしたり、次の瞬間には殺意が湧いてみんなで死にたくなったり。 ストレートすぎる感情たち。 まさに出口のない日々。
一瞬で読み終わった。情景がすごく浮かぶ。 主人公に幸せになって欲しい、、介護、家族関係、恋愛、ストレスばっかりで可愛そう。
日々の苛立ちがたくさん詰まってたのに嫌な気分にはならなくて、寧ろもっと怒ってほしいとさえ感じたのが不思議。
家庭内での祖母との対峙を中心に義理の親子という家庭環境が味付けとなり主人公のもどかしい日常が描かれています。登場人物が少ない分、主人公の心情の機微もわかりやすく描かれていますが、ただタイトルの「あくてえ」はただの暴言ではないはずで、著者の表す「あくてえ」の真意が十分伝わってきませんでした。全体する的...続きを読むには難解な表現もなく読みやすかったです。装丁はいただけない。
自分の家族にもババアのような存在がいたこともあり、まるで自分の生活が描かれているような不思議な体験をした。 現代における日本の家族って、こういうババア多いだろうなぁとも思う。 主人公である「ゆめ」が、ババアや親父に 悪態をついてることが、私にとって救いだった。 悪態をつくことは、 思い通りにならな...続きを読むい家族、恋人、自分、時間に 向き合うための【最後のお守り】のようなものだと私は思う。 人生に悲観するより、生活を続けるために最低限の最善を尽くすゆめが逞しかった。 どうか、ゆめが諦めずに小説家になれてますように。
殴り書き。 起承転結がないのがより現実を描いてるようで辛かった。 この小説をきっかけにもっと介護の家族問題に目を向けるようになってくれる人が増えたらなと思う。
ずっと苛苛する文が続いて、ずっと嫌な気持ちのまま進んでイライラしっぱなし!!!! なのに読みやすくてスルスル読めるのは、現実的な内容だから感情移入しやすいのかな?と思いました。 登場人物全員イライラしました笑 祖母も母も父も彼氏も…… この中に書かれてることが本当に人の人生ぽいなと思いました。...続きを読む 小説じゃなく現実でした。 これは小説じゃないです、ただ単に人生です! という感想にしかならなかった。 最終の174ページで主人公が3.4行で想いを語るのですが、それが全てでした。 私の心を大荒れしてくれる本でした! なんだか新しい感想を持てた本。 読めてよかった!
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