山下紘加のレビュー一覧

  • エラー

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    しかし、物心ついた時から自然と根付いている「出された料理はきちんと食べきらなくてはいけない」というモラルの肥大化が焦燥感に拍車をかけたいた。倫理観を持ちながら、好きなだけ食べていい状態から、食べ物を差し出される状態は何か禁忌でも冒しているようで、ハイになる。気がつけば「普通」の感覚が逆に自分を麻痺させ、興奮を煽る。(p.11-12)
    DMやコメントにはひと通り目を通し、見たことが相手にもわかるようにハートマークの「いいね」をタップする。反応を示せば、また反応が返ってくる。きりがない。時間もエネルギーも消耗する。(p.32)
    食べる行為が自分を満たすための行為であり、色に対して貪欲であることは、あたかも性に対してあけっぴろげであるような仄暗い卑しさを内包している…(p.50)
    臆病ゆえにかえって自分だけの世界を確立できないのは私も同じだった。自分の底と対峙しながら、底にのまれそうになる、食べる行為に没入するあまり一緒に沈み込んでいきそうな瞬間がある。そういう時、他者の存在や彼らとの交流が、内側へ潜り込んでいく自分を引きあげてくれる。ライバルは時に救いだった。(p.52)
    穴が空いていれば、それを埋めたい。塞がらないから容れ続ける。容れ続けた先に限界があるのか当時はまだわからなかった。(p.55)
    努力して手に入れるよりも、既に落ちているかもしれない可能性を探す方に躍起になっちゃう。(p.58)
    大食いは夢なの。一果みたいに尋常じゃないくらい食う人見てると、なんか自分の夢が報われたような錯覚を覚えるんだよ(p.74)
    本音でぶつからない分、付き合いは長くても互いに心の底からわかり合えているとは言い難い。(p.84-85)
    誰よりも多く食べることを目標にしながら、同時に食べ物に対して常に畏怖の念を抱き、食べる行為に臆するのが大食いだ。罪悪感がある。けれど罪悪感を快楽に転じられるから大食いを続けている。(p.136)

    大食いを題材とした本は初めてだったが、勝つためのトレーニングがあること、本番は苦しい顔を一切見せてはいけないという過酷な状況を耐えるフードファイターはアスリートだと思った。売れるには大食いで勝ち続けること+インパクトという難しい要求にも耐え、ネットの記事や、評価にも耐えるなんて表に立つ人たちはなんて大変なのだろうと思う。今は、大食い番組はあまり見かけないが、YouTubeで大食いYouTuberが好きなものを好きなだけ食べるようなコンテンツで溢れている。10キロとか身体の中にどうやったら入るのだろう…と疑問と凄すぎるという驚きと、好きなものをお金を気にせず食べられる羨ましさと、でも、実際自分が食べてみると、同じものを食べ続けるのって中々の苦痛で、限界突破したあたりから、味も何もしなくなり、逆に不味く感じてくるのがオチである。一果が美食サークルにいた時に、味わって美味しくいただく「食べる」と大食いで、食べ物を潰してでも戦略的に、逆に攻略的に「食べる」というのでは全く意味も動作も違ってきて、同じ「食べる」でもこんなにも違うものなのかと思った。しかし、山下さん、食べ物を不味く描くのが上手すぎる。スプーンでお皿に潰して、塊のようにして飲み込んだり、料理として見ているのではなく、食べやすいか食べやすくないか、どうやったら効率的に食べられるかのモノのように描いていて、美味しそうとはとても思わなかったし、食を不味く描く物語は『人間みたいに生きている』で出会った以来だったので、新鮮な気分を味わえた。

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    2024年09月25日
  • 煩悩

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    安奈と涼子は普通の友だちではなく、共依存の関係なのかな? 安奈は何かしら障害があり(書いてはないけど)涼子の様に賢く優しくされたら支配されてしまうのかもしれない。でも涼子は何で?彼女の支配欲や独占欲や嫉妬心 一度では理解できなかったので、再読したい

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    2024年09月22日
  • 煩悩

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    安奈に触れるとき、私はいつも無意識のうちに利き手ではない方の手を伸ばしている。物心ついた時から使い慣れ、あらゆる刺激を覚えた利き手よりも、非力で運動機能に欠け、遅々として拙く、ときにもどかしくすら思う利き手ではない手の方が、私に新鮮な感度を与えてくれた。その行為は、安奈に対する私の感情の尺度でもあった。(p.3)
    会おうと思えばいつでも会うことが可能で、だがいつでも会えるもんねと卒業式で言い合って別れた会おうと思えば会える距離にいる友人とはもう何年も会っていない、誘われれば会う、会いたいとも思う、でも自分から誘う理由がない、誘う理由を探しているうちは実はそこまで会いたいわけではないのかもしれない、と自分の感情を推し量る。(p.12)
    仮に思い出せたとしてもどうしようもない、どうすることもできないことを思い出そうとしながら、私は現在の地盤を踏みしめる。会議室の、直立と着席を何度繰り返しても跡のつかない、組み替えた脚もヒールの踵の音も吸収する平坦なタイルカーペットの上で、ときおり足元がぐらつく。ここは心許ない。(p.14-15)
    私ははじめて恐怖を覚え、恐怖は怒りを呼んだが、同時に、安奈とふたりなら階段を転げ落ちてもいいと思うように至った。足をすりむくかもしれない痣になるかもしれない骨折するかもしれない、けれどその瞬間の、その瞬間にしかない同じ恐怖を分つことができるのなら、犠牲をはらっても構わない、怪我をするのならひとりではなくふたりがよかった。(p.15)
    みんなの声がわあわあして聞こえる、ノートにシャーペンが擦れる音が、プリントを捌く音が、気になる。気になって仕方なくなるーそれに対して先生は「感性が鋭いのね」と優しい声音で頷く。具体的で確実で抜かりなく揺るぎない、雄弁で明晰で冒しがたい、そういう人や状態が好まれる社会にあって、安奈の発言はいつも信用性を欠いた。抽象的な発言はとりとめがなく要領を得ない、だからその問題を概念を性質を包括した、たった一言で集約された、あるいは簡略化された言葉の前で安奈はやはりぼんやりしている。ときに笑う。言葉を紡がないのは、笑うことは、肯定と同義だと、彼女に誰も教えようとはしなかった。(p.16-17)
    安奈があまりに強く彼らを忌避するがゆえに、かえって彼らを引き寄せている気もした。(p.17)
    クラスの女子の大半が使っていたそれらを、私も同様に使い、同じ匂いを纏った。
    匂いだけではない。昆虫が自衛のために植物に擬態するように、集団の中に紛れ、スカートの丈も口調も振る舞いも、彼女たちに寄せ、同化し、自ら個性を殺す時、私はかえって揺るぎない「個性」を手に入れたように思えたのだ。(p.19)
    「まじめで優しい。安奈はそのままでいいんだよ」
    気休めのつもりで、軽く慰めるつもりで言っただけだった。私の言葉は自分でも驚くほどふわふわと頼りなく、まろやかで優しく棘がなかった。その性質は真に必要なものでありながら、同時に社会から淘汰されやすいものであるのかもしれなかった。(p.21)
    ただ彼女の奥に、無機質な空洞を見た。
    そしてその空洞は、誰かが満たすことが可能だと思えた。(p.22)
    安奈に対して確信めいた感情を持ちたかった。好き嫌いではなく、愛憎でもなく、庇護欲でも独占欲でも執着心でもない、依存とも支配ともつかない、そもそもそのような言葉で感情を固定化されること自体本意ではないのに、同時に言葉を持たない感情は弱い気がして、ふたりの関係性を強固なものだと信じながら、外からつつかれればあっけなく壊れてしまう脆弱さをも感じていた。安奈のこととなると、私はひどく極端な人間になった。(p.23)
    乱れない女というのが私の彼女に対する印象で、乱れないということは変化に乏しいということで、髪型にしろ服装にしろ表情や態度にしろ、常に一貫している。笑う時、まるではかったみたいに毎度同じ位置で口角がとまると、私は安心よりも不穏な気持ちに駆られた。(p.24-25)
    愛玩していた人形が急に意思を持ったように、彼女の発した言葉だけが浮いていた。(p.28)
    男性を遠ざけるほど安奈の身体は重たくなり、私はそれを疎ましいと思わなかった、かえってその重さが心地よいほどだった。(p.28)
    それを見た時のゆったりとした波状の感情は人肌を想起させる。やがて訪れる凪。微睡。シリーズで持ち合わせていた、先端がいつも滲む、パステルカラーのペンのクリームイエローが浮かぶ。筆箱が閉まりにくいので中身を厳選して滅多に使うことのないこの色はいつも残った。背中で受け止める外から降り注ぐ光。暑すぎず、眩しすぎない永遠のぬくもりが身体の内部で膜を張る。(p.30)
    私たちが望んだ、しかし実現しなかった、小さな「かなわない」ことが累積してゆく。(p.31)
    常に飢えていた。常に欲していた。偶発的な出会いによって生まれる産物を出がらしまで味わい尽くしてもなお、まだ足りない、私たちを楽しませるにはまだ足りない、貪欲に希求した。(p.32-33)
    中学時代、廊下を歩いていて互いを見かけると、気づいたら方から先に駆け出して、相手に向かって猛進していくのが常だった。ほんの一分前に対面していたとしても、私たちは互いを見つけると再会の喜びを確認し合うために、無我夢中で互いの身体に正面からぶつかっていった。距離があればあるほど、その分ぶつかった時の衝撃が強くて、走っている間に気持ちが膨らむのに興奮して燃えた。そういうポーズではなかった。本当に嬉しくて、そうせずにはいられなくて、だから突進するのだ。少なくとも私はそうだった。今思えば、非常に危なっかしいコミュニケーションを取っていたと思う。実際、私たちは互いの身体を受け止めきれずに一緒になって廊下に倒れこんだり、相手のスピードに構えるのが遅れて頭や膝を打ち付け、しばらくの間、痛みと衝撃でその場から身動きできなくなったりした。いつから私たちは全力でぶつからなくなった。だんだんと丸みを帯び、弾力を持ち始め、それぎやわらかく、衝撃を与えれば痛みを伴うデリケートなものだと本能的に察知するようになった頃、私たちの肉体はよそよそしくなり、そのよそよそしさを埋めるように会話はいっそう増えた。(p.38-39)
    気がつけばいつも頭の中でデッサンしていた。線を撫で、ぼかし、また描く、そしてぼかす。それを繰り返した。描くたび、遠ざかった。記憶の中の安奈を浮かび上がらせようとするたび、彼女は私の内側に潜り、手の届かないところまで深く沈んでいった。(p.41-42)
    私を支えている安奈との過去の記憶も、時として現在と重なり、溶け合い、過去と現在とが混濁し、いっそ追懐した出来事の方が現在よりも新鮮で、克明で、私はその鮮やかさにときおり目がくらんだ。(p.43)
    なぜ血を見て怖れを抱かないのか、なぜもっと慰めようとしないのか。私は怪我をしている。痛みを負っている。傷ついている。痛い。痛くてたまらない。泣きたいほど痛くてみじめで不安。そして怖い。ー泣かない。泣かないよぉ。これくらいへっちゃらだよね。大人が私をなだめる。大人の顔をして、子供の私をなだめる。私の痛みは私にしかわからないのに、その痛みの程度を推し量る。
    私は傷を負った我が子に、困ったように笑いかけながら平然と絆創膏を貼ってやる自分の姿が想像できない。(p.44-45)
    私は同時に、この人だからしたい、という決定的なものを、いつも現在の恋人に見出そうとする。それは付き合っているからだとか形式的なものではなくて、自分の望む矢印がいくつあって、どこを向いているか確かめる、そして確かめることによって自分が世間でいう「まっとう」な人間だと判断し、ひとり静かに安住するのだ。(p.47)
    一見すると、愛くるしく稚気に富み、何を言っても無邪気に笑い、弱く脆く優しく、気を張っていてもその顔を見ると脱力を覚えるような印象で、しかしいざ近づくと頑なであり、その頑なさも最初のうちこそ清純だの奥ゆかしいだのという体のいい言葉に収斂されていくわけだが、堅牢な石が、あらゆる力を与えても動かないことに気づくと、男は一気に引いた。その時点で相手はすでに恋も愛も遠く、煮詰まった青臭い肉体を抱えながら安奈に背を向ける。(p.57)
    人間は物ではない、物でないから割り切れない、しかし同時に物のように割り切ると楽になる、自分が楽になる、関わるほど摩擦が生まれる、相手に譲歩する寛容さはない、大切であれば忍耐は必要だが、それには情熱が足りない。心が倦む。肩に重さを感じ始め、荷を下ろすように人間関係を清算してから、私は安奈をいっそう想った。(p.60)
    笑いというのは私にとって重要だった。顔の筋肉の体操みたいな表面的な即席の笑いではなく、膝から先に崩れ落ちるみたいな身体ごと弛緩する笑い。カタルシスらあるいはエクスタシー。独特の虚脱感、そして浮遊感。これには麻薬的な作用があって、私は笑っている間は何でもできると思ってしまう。有限不実行な家出の計画を立てた時も、早々にあきらめた夢を語り合った時も、自分の首に両手をまわし喉を圧迫する、明確な理由なく生を厭う瞬間、私はいつも笑みを湛えていた。身体全体で笑っていた。(p.66)
    息をするたびそこに近づいてゆく、いらぬ不安は処理するのではなく預けておいて、預けた場所すらどこかわからない、思い出せない、私は永遠にその箱を開けないだろう。(p.68)
    私はきわめて一面的な思考の、偏った了見が自分を侵蝕する前に放出しなくてはならかい、脳がそれ一色になるのを恐れている、私はだから口にする、それもまた偏っている、何が正しさなのかわからない、しかし別の新たな思考と対立させ循環を試みる。これは悪口ではないと言い聞かせながら批評家気取りの安全な立場で偉そうに減らず口を叩く。あるいはそれは妬みかもしれない嫉みかもしれない僻みかもしれない僻論である。安奈には話さない。(p.78)
    ひとりでいても暑いのに、ふたりで身体を寄せ合うと余計に暑い。焼けつくような暑さの中で、暑い暑いとこぼしながら、夏の暑さをひたすらに疎ましがりながら、涼しい空間を求めて移動しながら、繋いだ手は話さない。冬になると寒さから人肌を求めて寄り添う。寄り添うと、暖かいような気がするのに、ある瞬間に、相手の冷たい手が自分の貴重な身体の熱を奪う感覚にとらわれる。(p.87-88)
    役に立たないかもしれない、無駄で贅沢な時間かもしれない、いたずらに好奇心ばかりが先行していた、蹉跌をきたし続けた、年を重ねても薄まることのない、むしろ経るごとに鮮やかに強固になってゆく記憶を転がし続ける。その記憶が切れ目なく現在と繋がっているということを確認するように転がし続ける。(p.92)
    この数年で、さらに身近な人間が亡くなり、死がまだ実感を持っていなかった頃の記憶が遠くなり、忘却を怖れた。忘れてはいけない、地層のように堆積していく記憶の、下の方から順にあるいは薄いものから順に。私の脳が記憶を厳選していく、蓄えることのできる記憶には限界がある。病で床に伏しながらも命脈を繋いでいる人間に触れる。その時は生きているだけでいいと思った、それだけを望んだらそれしかいらないと思った、しかし私はそのことをすぐに忘却をする。気がつけば生きることに加えて何かを望んでいる、生きているという前提で多くに期待している、それ自体が生きていることなのかもしれない。欠けていると満たそうとするら満たされても欲する、埋まらないものを埋め続ける、欲が先行する。死んだ時、骨のように欲望だけがそこに横たわっているのかもしれない。(p.95)
    だが繋ぎ目は目に見える。ほどくのはたやすい。快楽は刹那的で、情は脆い。(p.108)
    比較できるものではないと言いながら悩み続けている。悩む合間に安奈の手は止まり、その手に握られたカップの中の、ドーム形のカラフルな塊は、もう塊ではない、最初の形をなしていない、溶け続けている。(p.124)

    中学の時からお互いがいないと成り立たない関係である涼子と安奈。涼子は安奈に指図し、安奈は何の不満もなくそれに従っていた。親友ではなく、恋人でもないけれど、それを超えた愛おしい存在。安奈は側から見れば、天然で少しバカな子だと思われているような普通の女の子なのに涼子がどうしてここまで依存しているのかがよくわからない。でも、分からないからこそ、精神科に入院している姉と重なるのか、安奈は男が嫌いだから、いつまでも綺麗な状態でいてくれるという安心感があるからなのか…といくらでも考えることができる。私が姉妹だからなのか、この表現できない感情は何度も出会ったことがあり、何かをする原動力が妹より幸せになってやる!であったり、それなのに、妹と男性が仲良くしているのを見ると、まるで汚いモノのような嫌悪感を覚える。それでいて、自分は素敵な出会いを求め探している。全く身勝手だと思ったが、大切にしたい人ほど、どうしても生まれてきてしまう感情なのだと思う。大事なモノだと撫でていた優しい指がねじれていくような、それに気づいた瞬間、自分の本当の大切なものと人が分からなくなると思うのだ。恋愛や友愛につきものであり、避けては通れないが、この感情をどう表現したら良いか分からないので、この文章に触れた時に、まさしくこの感情!!!と感激した。涼子は安奈を支配しているように感じるがそうでもなく、誰を見るにも何かを聞くにも安奈というフィルターがかかってしまっているので、涼子もまた安奈に支配されていたと言ってもよい。あんなに安奈に囚われていたのに、1人の男性によって積み上げてきた2人の関係はあっさり終わる。心の穴を埋めるように、安奈の好きな男性と身体を重ねる涼子、2人が付き合っていることを裏切りだと知り、行方を暗ます安奈。2人の糸は交わることは永遠にないような終わり方だが、これでやっと2人とも自由になれたのだ。きっとこれで良い。この結末が良かったのだと思う。

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    2024年09月03日
  • エラー

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     フードファイターが主人公の小説に出会ったのは初めてだ。テレビで見たことがある食べる迫力や苦悩が伝わってきた。にも関わらず、途中、番組の不正が発覚し、フィクションとは思えなくなってきて不快な感情が込み上げてくる。フードファイターって何のために戦っているのだろうと、この本を超えて、実のフードファイターに思いを巡らせた。

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    2024年06月03日
  • 煩悩

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     涼子の安奈に対する清濁併せ持った思いが、ぎっしりと詰まっていた。涼子にとって安奈は、親友という関係は優に超え、家族とも違い、自分の一部のようだ。愛おしい気持ちを抱き、かけがえのない存在でありながら驕る気持ちが勝り大切にできない、何とも不思議な関係だ。自分の経験とは一致しないのに、涼子の気持ちがどこか理解できる感覚があり、不思議な気持ちになった。

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    2024年05月05日
  • あくてえ

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    この本を読んで学んだことは
    読書は絶望に近い孤独を埋めるかもしれないということ。

    昔は知り合いに数名いた読書家のいう、活字中毒の意味が理解できませんでしたけど
    (アホの子なので)

    あくてぇ

    芥川賞カテゴリ。
     
    90年代生まれの作家さんです。
     
    甲州弁で悪態をあくてぇと言うそうです。
     
    主人公はユメ 
     
    小説家志望の19歳
     
    他にも
     
    90歳の“ババア”と心の中でユメが呼称する
     
    父方の祖母
     
    そして黄色い色が好きだから
    “きぃちゃん”と娘のユメに呼ばれる
     
    沙織という母親と暮らしています。
     
    キィちゃんこと沙織については
     
    90歳の祖母は元“姑”にあたります
     
    義理の母です。
     
    “元”夫の。
     
    がしかし
     
    総じて無神経な元旦那は
     
    ユメが中学生の時に
     
    よそに子供を作り認知して
     
    慰謝料もなく
     
    ユメが高校生のころ
     
    沙織と離婚して新しく家族を作り
     
    父方の母である、ばあちゃんも最初こそ
     
    新しい家族へ招き入れ引き取ったものの
     
    ばあちゃん裸足で飛び出し
     
    沙織とユメの元に帰ってきてしまい。
     
    あくてぇ(悪態)だけに
     
    綺麗とは言えない言葉が並びますから

    ザリガニの鳴くところと、また違った

    序盤の読み辛さはあります。
     
    彼女の周りで起こる事象も酷いですからね。
    (父親の女癖や娘に対しての無神経な下ネタなど)


    最初こそタイトルがタイトルだけに
     
    心して読まなければならないと思っていました。
     
    芥川賞にノミネートというカテゴリへの印象もあり
    (暗く悍ましいイメージ)
     
    けっこう重い感じを覚悟してたんですけど
     
     
    作者の年齢がポップだからか

    重いは重いですけど、そこは、もうポップです。

    個人的な所感ではありますが

    この本は目を背けたい現実がモチーフながら
    ページを捲る指が止まらない本でした。


    でも著者の他の本はモチーフに興味が持てず
    後回し感が強くなっていますが

    小説の中で感じ取れる格差による

    育ちが下品と取れる悪態も
     
    俯瞰で見ると

    そんな簡単には括れてないですね。

    そこが小説のいいところだと思いました。

    1と100の間の人々の様々な感情のひだを読むことが出来る。
     
    甲州弁というのもあるのか
     
    一般の悪態とは
     
    響き的に少しは和らいでいるような気がします。
     
    1997年生まれの作家さんなのに
     
    人物描写や起こってる事象への感情表現は
     
    割と圧巻です。作者の実年齢は、まだ20代と思われますけど
     
    文章が良い意味で老けてます。
     
     
    とてもリアルかつ魅力的な感情表現の数々。
     

    まず、ユメの母親であるキイちゃんの(おそらく40代)の
     
    聖人君子ぶりに慄き。

    この歳なると偽善を疑うが、それも見当たらず
     

    背負った荷物の下ろし方を知らないタイプ
     
    いるのは、いるんでしょうけど
    (ワタシの周りにも居るのは知ってる)
     
    そこには何かしらの理由があるのだろうと
     
    90の姑を見捨てない見限らない理由。
     
    それを知るために読み進めていくことになります。
    (個人的には)
     
    この90歳の祖母も19歳の孫娘にババアと心の中で呼ばれるだけのことを“痴呆でもないのに”、しまくってますし
     
    婆ちゃんの育った時代や環境背景による

    学のなさと意地汚さに不潔さと生命力があり
     
    この孫娘も、
     
    無神経な男親のせいで大学に行けずとも
     
    本ばかり読んでおり
     
    そんなに頭が悪くないので
     
    そういう相手を見てます。
     
    そんなバカじゃないんで

    イライラまかせに言う悪態とは違う感じ。
     
    相手を見た上で
     
    この婆さんに対しての“あくてぇ”なんだなと徐々に判明していく流れになってはいきます。
     

    主人公の母親である、きいちゃんの聖人君子ぶりもあいなって
     
    90歳のイジワル婆さん悪目立ちしてますもんね。
     
    話を読み進めていくうちに
     
    19歳のユメは、実にごもっともな不満を相手に
     
    ロジカルにぶつけてるだけで
     
    それこそ黙ってる方がオカシイと思います。
     
    きいちゃんみたいに黙っていてはいけない。
     
    19歳のユメだって分かってる。年寄りには優しくしなければなんて
     
    ごもっともな意見など。
     
    そんな傍若無人な外面は良いだけの悪態婆さんに
     
    ユメの母親のきいちゃんは感謝してるという。
     
    その理由を聞いてもユメには理解できるはずがない。
     
    推測ですが、こういう

    何不自由ないお嬢様の檻から脱走してきたタイプは

    脱走の要因となった相手への意地を忍耐力で埋められる。


    “あくてぇ”による
     
    このババアの息子な親父の描写
     
    久しぶりに目に余る嫌味な男性というか
     
    ずるいというか………やだな、こういう男性!
     
    そう強く感じて受けました。

    言動と行動の全てに
     
    虫唾が走るんですよ。
     
    ほんっと虫唾が走る。
     
    悪党やサイコパスとかとは違うんですよ。
     
    目に浮かぶリアルさに虫唾走るいうか。

    何も期待してないから基礎はちゃんとやれや!
     
    て感覚


    わたしが“きいちゃん”や“ユメ”だったら
     
    何回も額に殺の文字が浮かび上がるとおもいます。
     

    あんな虫唾の塊な男性
     
    小説の虫唾人に括ると
     
    傲慢と善良の美奈子クラスですね。
     
    南海トラフきたーーーーって感じ

    ハシゴ外したら
    相手は転ぶだろうなと知っていて
    他人に対してズボラするやつマジきつくないですか?
     
    加えて男尊女卑。
     
    人質(チビッコの息子)を盾にユメに許しを乞う時だけ
     
    計算高くなるところ。
     
    読んでもらったら分かるんですけど
     
    しじょうまれに見る
     
    とんでもない親父です。
     
    ユメにしてみれば腹違いの弟を盾に取られたら
     
    何をされても何も言えなくなる。
     
    それは弟が、まだ小さいから。
     
    きいちゃんにしても、おそらくそう。
     
    ユメのまだ小さな弟を盾に
     
    コウシャクを垂れて息子を溺愛。
     
    息子を溺愛するのは構わないが
     
    ユメもまだ未成年だし
     
    養育費も貰えてないから大学も行けなかったし
     
    何にせよ
     
    自分が選んだ道とはいえ
     
    親父と恋愛したばっかり
     
    大した学歴も職歴もなく中年を迎えた
     
    きいちゃんもマトモにバリバリ働けないから
     
    あくてぇ突かれようが
     
    下の世話させられようが
     
    血の繋がらないババアの世話が
     
    元夫に対する悪意や怨恨の感情のセーフティネットにならざる得ない状態。
     
    ババアを診ることがきいちゃんの意地になってる。
     
    そう思った。
     
    レビューには、きいちゃんも毒親言ってる人いたけど。
     
    よくいえば忍耐力とも取れるけど
     
    そんな忍耐いらんからと思うような行動に
     
    意地があるのが女性だよね。
     
    そりゃババアを見捨てて
     
    きいちゃんの人生を歩めばいいがなと正論では思うよ。
     
    ユメだって若いうち自立させた方がいい。
     
    こんなとこ(母子家庭な上に年寄りの介護)に閉じ込めちゃいけないよ。
     
    身体はいくらあっても足りないのが介護の現状なのに無理が祟り
    きいちゃんが倒れたらユメに全てがのしかかってくる。
     
    正論はそうなんだけど
     
    この全ての結界が、この親父にあるように思えてならなかった。
     
    この親父と美奈子と逆転美人の豚鼻

    脳内で血の気が盛んになる人物らです 笑

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    2024年04月13日
  • 煩悩

    Posted by ブクログ

    複雑な感情をここまで言語化できる語彙力表現力が素晴らしいと思う。歪んだ執着心、嫉妬心、支配欲。私には理解できない感情が多かったけど、それでもそれがどんなものかはとても伝わってきた。
    主人公は賢く、他者や自分をここまで理解しながらも、相手を支配しようとすることはやめないし、やめられない。ターゲットに選んでいるのがお馬鹿そうな子で、優しい言葉を駆使しながら自分の支配下に置いているのがとてもリアルで怖い。相手を一個人として見ているようで見ていないと思った。相手を思いやる自分を創造して免罪符にしてる感じ。
    最高にもモヤるけど、こういうのは大好きです。

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    2024年03月19日
  • あくてえ

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    なんだか、終始、イライラしてたな〜笑笑
    まず、不倫して出ていった旦那の義母を元奥さんが介護するって何よ〜〜〜。
    意味わからん、絶対嫌だけど笑笑
    なんで、離婚して晴れ晴れして第2の人生を、他人の元旦那の母親の介護しないといけないからよ泣。
    お人好しすぎてイライラ。。。お金もないのに。。。
    孫ちゃんがばあちゃんと口論してる姿に、スカッとしてその場面が無かったら途中で断念していたかも。

    でも、すごく面白かった!!!
    介護に奮闘する中年女性の生き様だったり、今話題のヤングケアラー問題にフォーカスを当てている具合も!

    介護って終わりが見えないから辛いよね。。。

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    2023年08月30日
  • あくてえ

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    怒鳴りながらも愛を持って祖母の世話をしたり、次の瞬間には殺意が湧いてみんなで死にたくなったり。
    ストレートすぎる感情たち。
    まさに出口のない日々。

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    2023年07月18日
  • エラー

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    ネタバレ

    大食い番組の選手、フードファイターとして生きている一果は日々大会のためのトレーニングに励み、女王として君臨し続ける。まだ胃袋の底を知らない。しかしその限界を超えた時に何が起きるか。
    大食いを競技として捉え、トレーニングの様子や食べる様子を試合として描写するのが新鮮。一果がストイックに訓練している一方で、プロデューサーは出演者を駒としてしか見ず、推したい新人の負担をあきらかに減らしたりしているのが嫌だけどありそうだった。
    しかし終わり方の残酷さよ 空間は有限で、無限に詰め込むことは出来ない

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    2026年09月18日
  • 私の身体を生きる

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    こんなに赤裸々に描かれているのか、と思うのは、それもまた性を隠す大人の無意識に引っ張られているのだろうか。作家さんによって「身体」に対する感じ方がこんなにも違うのだなと興味深かった。

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    2026年06月08日
  • 私の身体を生きる

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    性というか性別(性自認や対象)というか、性欲というか性癖とか、性体験とか。

    「性」のことはご法度的で親子、恋人、親友でも避けたりするわけで、孤独な世界だと思ってきたけれど。それが女性作家が17人も語るわけで下品上等、生々しくて面白い。
    面白い、と言ってる事を下品と言う人もいると思いますが、多様性?とあえて言葉にすれば線引きしないでよ、と。

    面白いというのは具体的に変えれば興味深い、が適切か。いやらしい意味でなく、前述のようにご法度な他者の世界に興味があるわたしは、作家がこうもあけすけにエッセイとして実体験や思想を語ってくれてありがたく。
    本として残るので結構なカミングアウトもあったりするわけですが、それはどういう心境なのだろうか、とも思ったり。
    他にもこの手の本はあるのかな?と探したくなったほど。
    男性作家版も出して欲しい所存です。

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    2026年06月07日
  • あくてえ

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    父親は女を作って出ていき、母と介護が必要な祖母と暮らす若い女性
    いつしか、祖母が弱りその世話に追われ、父親は生活費を振り込まなくなり、仕事も綱渡りで給料も上がらず、彼氏とも上手くいかず、悪態したけ出て来ない
    頑張っても,真面目に生きても、何も報われない
    そんな人生の真理をついた類まれな作品だった

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    2026年06月03日
  • 私の身体を生きる

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    いつも読んでる大好きな作家さんたちの身体にまつわるエッセイ。作家さんたちにも過去や苦しみや葛藤があると知ってしまった。

    「誰かから指弾される前に、違う、お前は違うと「私の中の世間」が言ってくる。」

    ☁️ 世の中には女性であることで苦しんでる人がいないわけないのに、言語化されてしまうと本当にいると見えてしまう、なんて、自分勝手さに嫌になりながら読み進めました。

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    2026年06月02日
  • あくてえ

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    「あくてえ」(悪態)ばかりつく、小説家志望の少女・ゆめ視点での家族、恋人、日常が描かれている。祖母(祖父)との関係が難しいと感じる方は、特に共感できそうだと思った。介護描写がリアルで、排泄物や消毒の匂いなどを強く感じるほどの丁寧さで描かれていると感じた。

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    2026年05月02日
  • でも、ほしい

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    4人(多分)が、代わる代わる主人公になる感じの構成になっているのだけど、子供が欲しい人、不妊治療(?)している人など、一気に読む時間がなかったので、えっと~この人はどの人だったっけ??って考えるのが少し面倒だったけど、面白く200ページもないので、読みやすかです。

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    2026年04月12日
  • あくてえ

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    ネタバレ

    主人公と私の置かれている状況が重なるところがあり、分かる分かる、と思いながら読んでいました。ゆめがあくてえをつく部分は特に共感でき、スカッとします。

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    2026年03月31日
  • 煩悩

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    大好きな女友達への、中高生時代から20代の頃に抱いていたやるせない想い

    すごく鮮やかに思い出された

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    2026年03月13日
  • でも、ほしい

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    山下紘加さんの新作「でも、ほしい」読む

    2026年最初の本読み、結構ヘビーな読感であった。
    大体、山下さんの小説の主人公たちは、みんな袋小路状態である。
    閉塞された空間に閉じ込められ、必死に踠く....

    山下さんの作品が好きなのは、主人公たちと自分もおんなじだからである。
    ほとんど大差ない。。。

    今作の4人の女性たち。
    4人共孤独な暗闘に悶絶している。
    でも、皆決してめげない。
    そこに、ある種の感動を覚える。

    主人公の内、中原多恵と田崎美には夫がいる。この夫たちは、優しく非の打ち所がないように思える。
    ※同じ山下さんの作品でも、"聖域”の夫は、ちょっとキモかったけど....

    だけど、多恵と美も夫への不満が充満してて、今にもはち切れそう。これは厳しい。

    多恵が、夫へのこんな想いをめぐらす。
    〜求めてこない人と一緒にいると、自分の存在価値が揺らぐ〜

    夫も立つ瀬がない。。。

    ひとは等しく孤独だと思う。
    家族がいようが、いまいが関係ない。等しく....
    これだけは間違いない。

    必読

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    2026年01月21日
  • あくてえ

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    ネタバレ

    主人公は母と祖母とともに暮らしている。高齢の祖母は介護を必要とするが離れて暮らす実の息子(母の元夫)にばかり愛情を向け、主人公たちにはぞんざいな態度をとる。悪態をつきながらも祖母の介護をする主人公。家庭は困窮しつつあるが母の元夫は借金を作り援助を打ち切る。どうすればいいんだろう。どうにもしがたい閉塞感がある。祖母の「あくてえ」とか「ちっくいちっくい」などの繰り返される独特の語彙が主人公の苛立ちと閉塞感を増す演出になっている気がする。

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    2026年01月18日