山下紘加のレビュー一覧
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彼は、ただ話し相手が必要だから、僕を利用しているだけなのかもしれない。その証拠に、僕という人間にも、僕という人間が置かれている状況にも、全く興味がない。
それでも僕は長谷川に声を掛けられたり、彼の話に相槌をうっている時、ほんの少しいい気分になることがあった。混乱しているのかもしれない。僕は、友達というものが、よくわからなかった。(P.86)
人形に恋をし、学校ではいじめられ、女子の机に精液を入れたりと主人公の行動も性格も理解できず、ただただ気持ち悪い。好きなものを好きと言って何が悪いと担任に吐き出した言葉は、きっと彼の本心なのだろう。しかし、周囲の人間から見れば少年は異常で歪んだ性癖を持った中学生である。自分を分かって貰えない辛さ、自分より弱いものへの虐待、そして処女への神聖化、それら全てが主人公をつくるものなのに、それを異常だと見なす社会が少年を底まで落としていく。男の人生も生きてみたいと思ったことがあるが、このように学校と家庭で虐げられ、歪んだ愛情を持っスクールカースト最下位の男子なら、途中で人生辞めたくなるに違いない。犯罪者がこのようにして出来上がると考えると、環境や人的影響がどれだけ大きいか感じた。 -
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読み終わって感じたことは、「老い」て介護が必要な人と、仕事や家事があり尚且つ老人介護しなければならない人とは、分かっていても感情的及び感覚的に相容れないところがあるということ。それでもまた、受け入れていかなければ生き辛いということ。
この小説の「ばばあ」も長く生きてきて、自分なりの生き方がある。当然これからも同じような生き方をしようとする。が、介護している方からみれば、危なっかしいし、考え方も古くて現在では通用しないものも多い。そこで溝が生じる、
「ばばあ」は負けない、我を通す。回りが自分のことを心配し、自分のためにしていることとは分かっていても、自分のやりたいことをやらせてくれない、自分の思いが自由にならない、それが「ばばあ」を苛立たせる。だから我が儘を言う。
でももし実際に危険なことが起こったら、大事なことを忘れたら、大事なことが分からなくなってしまっていたら、ひょっとしたら大変なことになるかもしれない。
「ばばあ」は、「年だから」で逃げることも出来るが、回りの人は、起こした人間が「年だから」では許されない。
だから、「ゆめ」は何も考えず我が儘ばかり言う「ばばあ」に怒りを覚え怒鳴るのだ。
でも、この小説を読んでいると、ちょっと思う。物わかりの良い老人が本当に「いい老人」なのだろうか?物わかりの良い若い者は本当に「いい若者」なのだろうか?
ひょっとして、この小説の「ばばあ」の我が儘は「今を生きるための」意欲の表れであり、また「ゆめ」の怒りは「今を生きぬくための」主張なのかもしれないと私は思ってしまう。そして、それじゃあ、何も言わない人、全てを受け入れている人は?
「きいちゃん」は人がいい!別れた夫の母親の介護を文句1つ言わずに行い、文句言う「ゆめ」を優しく窘める。「きいちゃん」は、「ばばあ」にも「ゆめ」にも別れた「クソ親父」にも気を遣うのだ、自分の思いを殺して。ひょっとして、これは諦めているのだろうか「きいちゃん」は?自分を「生きること」を?
「ゆめ」は最後まで怒っている。「ばばあ」にも「クソ親父」にも「恋人」にも。誰に何を言っても無駄と諦めかけても、自分を「生きることに」諦めてないから。 -
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芥川賞受賞作にしては荒削りな感じがした。
小説家になりたい、ならないと人生が始まらない、という主人公。
著者がそうだったんだろうな。新人賞の予選通過のことを母親に話すところや、共同出版の描写とか、自己投影されてる感が強かった。真偽の程はともかくそう読者に思われるのは失敗だと思う。
主人公のゆめはばばあの介護をする母を助けないといけない気の毒な立場ではあるけど、ゆめ自身の人柄は好感を持てない。特に彼氏とのシーンは可愛げが全くなく常にイライラして攻撃的で、そんなんで大事にされないよという感じ。彼氏はよく我慢している。
きいちゃんは人間味が感じられずうまく描き切れていないと思った。なぜあれほどまでに怒らずいられるのか、献身的に介護をするのか。優しすぎて動かなさすぎて不気味。毒親なのは間違いない。
一番よかったのは母親であるきいちゃんに気持ちをぶつけるシーン。今までのばばあとのしんどいやり取りの積み重ねが効いていて、うんうんそうだよ、とかなり胸に迫るものがあった。でも、河川敷の堤防のところで父親と話す場面、主人公は父親からの送金を完全に諦めたことで吹っ切れ、「なぜか清々しかった」という。ここは、いやいや大丈夫なのそこで諦めて、と共感できずもやもやした。 -
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小説には終わりがあるのに、現実は終わりが見えなくて苦しい。
伝えたいこととか考えてることがたくさんたくさんあるはずなのに、いざ言葉にしようとすると全然出てこないあの感覚、覚えがありすぎて辛かった。何に対してこんなにイライラしてるんだろうって、分からないことにもイライラして、全部がしんどくなるあの感覚。
──小説の中に存在する言葉は、あたしの思考や感情を表すのに足りない言葉のパーツをいつも補ってくれた。握りしめたパーツを武器に、あたしはこうして親父の前にいるはずなのに、自分でも気づかないうちに言葉は零れ落ちている。(67ページ)
私も昔趣味で小説書いてたから、もうほんとここ分かりすぎて……。小説書くことも、1種の現実逃避だったなって最近思い返してるところです。 -
Posted by ブクログ
一見、主人公は人形(ユリカ)を性愛の対象としているようにみえるが、実際には普通の人間(後藤由里香)を対象としていて、それが叶わないために人形にその感情をぶつけている。
とにかく主人公が気持ち悪く、このような社会における「変な人」を描いた小説は昨今のトレンドなのかもしれないが、およそ共感できるところがないという点で本作少し違うのかもしれない。
「いじめられる方にも問題がある」というような言葉が出てくるが、作者はその言葉を肯定したいのか否定したいのかわからない。少なくとも、作品からはその言葉が説得力を以って伝わってくる。ある意味リアリスティックかつセンシティブな問題に大胆に触れている作品といえるのではないか。 -
Posted by ブクログ
最近大食いの地位が上がっていますが、食べ物を無駄にするという観点で批判を受ける事は重々承知。嫌悪感を抱く人がいる事も承知。その上で僕は大食いを見るのが好き。沢山の食べ物が華奢な人々の体に吸い込まれていくのを見るのがとても楽しいです。
そんな大食いの世界を小説にしたのは記憶の限りこの本が最初なのではないか。
エンターテイメント性を高めつつ、容姿がいい人が多数いて、昔のように素人がわき目も食い散らかしているというイメージは無くなりました。
それが大食いのイメージ向上につながったと思うし、TVでの露出が多くなった切っ欠けには絶対になったはず。アイドル的な容姿の女の子が異常な量の食べ物を食べるって物凄いギャップですから。
本作もアイドル的な容姿で大食い番組4連覇の偉業を成し遂げるも、体(胃袋)と頭が段々と足並みそろわなくなってスランプ状態になります。5連覇を逃し再起を期す彼女はいったいどうなってしまうのか・・・。
大食いファンとしては誰が誰モデルなのかなと気になる所でありますが、鉄仮面は菅原さんがモデルなんだろうなきっと。あとはなんとも言えないです・・・
ちなみに昔は24時間で巨大なカメに入ったラーメンを食べ続けるとか、競技者としてもえぐいものが多かった気がしますが、最近は大分美味しそうなもの食べていますよね。食べ方もみんなきれいなので、見ていると逆に食欲湧く位です。