河野裕のレビュー一覧
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彼女の言葉を、また思い出す。
「人に合わせてばかりだと、自分にできることがわからなくなるよ。」
自由というのは呪いだ。ケーキを買うお金を持っていない子供だけが本当のケーキの価値を知っている。いつでもそれが手にはいっているようになったころには、本質は失くしてしまっている。ケーキも、季節も、自由も同じだわ。
「彼女に対して、なにか、愛情と呼べるものがあることは間違いない。でもそれを好きって言葉でまとめちゃうと、色々とややこしいことになる」
ふざけんな。ふざけんな。諦めることを、手放すことを、恰好悪くなることを成長だなんてごまかすんじゃない。
七草はほほ笑む。その表情は粉雪に似ていた。優しいのに冷たくみえた。
才能を理由に、壁を乗り越えろなんて怖ろしいこと、僕は口にしたくない。
できるなら、がんばれとさえ言いたくないのだ。もちろん努力を続けた人には本心から拍手を送るけれど、でもなにかを諦めた人を、悪者のようには扱いたくない。
期待というのは本来、極めて個人的なものだ。
鍵のかかる引き出しの奥に隠した、秘密の日記みたいなものだ。
ひとにみせびらかすものじゃないし、相手に裏切られるものでもない。一方的に寄せた期待が、その通りにならなかったときにつくため息は、決して他人にみられてはいけ
ない。傍からはまるで、相手を呪っているようにみえるだろうから。
階段島は捨てられた人々の島だ。
現実の自分自身に捨てられた、どうしようもない欠点を抱えて、この島で生きていくしかない。あの少女はいつまでも、極度に緊張しやすいままなのかもしれない。それは
だれかがなれもしないヒーローに憧れつづけ、ある人が優等生の仮面を被り続けるのと同じように。
階段島の人々は、ある種の成長を奪われている。
決して捨てられない欠点を、それぞれ背負わされている。
それでも僕たちは、変化することならできるのだと思う。どう生きても堕落もしないというのは考え難かったし、あるいは成長と呼べる変化だって手に入れられるのかもしれない。あくまで、欠点を抱えたままで。
だとすれば、僕たちから奪われているのは、完璧になることだけだ。
そして悲観的な私たちは、ついこう考えてしまう。
「どうせ階段島じゃなくても、完璧になんてなれやしないさ。現実にいる誰だって、どうしても乗り越えられない欠点くらい持っている。
であればこの島は、現実に似ている。あちこちが単純化されて、わかりやすくはなっているけれど、まったく同じではなかったとしても、とてもよく似ている。きっと絶望の量も、希望の量も、だいたい現実と同じだけある。」 -
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正しさとは、罪と罰、大人と子供、選択すること、など、いろいろと考えさせられました。大人でも答えを出すのは難しい。大人になるということをああいう風に定義するのならわたしはきっとずっと大人になれない。情けないなぁ。
なんども胸を打たれて、泣きそうになりました。
大地くんの問題が思いのほか根が深く、壮大で、最初の頃には思いつきもしませんでした。謎がすこしずつ暴かれて、解決して。これからさらにどうなるのか気になります。先代の魔女の話は切なくて悲しかった。安達だけがまだ謎ですが、どう動くのか。
真辺と七草の距離が近づいてるのにそれ以上へ進まないのがもどかしいですがほんとうにかわいらしくて愛しいです。現実も階段島の方どちらも。ちがう形でどちらもしあわせになってもらいたいです。 -
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あらすじ
「いなくなれ、群青」の続きである、第2巻。
季節は冬。ちょうどクリスマス真っ盛りの時期。
主人公、七草の住んでいる周りから隔離されている島「階段島」の唯一の外部との通信手段の通販が停止されてしまった。
そんな中「クリスマスの七不思議」という噂が広まっていた。
そこで、七草とその友達の真辺は共に七不思議の真相を明らかにさせようとする。
どんどんと明らかになっていく真相。
最後には魔女の正体まで……?!
七草とその友達との青春?を描いたミステリー小説。
実は私、第1作の「いなくなれ、群青」を読まずに先にこの本を手に取ってしまいまして…^^;
でも、読んでてとても面白かったです。
読んでる途中気になる謎がいくつか出てくるのですが、この本を読み終わると既に全てその謎が解決されていてとてもスッキリしました!
対象年齢は「小学校高学年〜??」でしょうか?
私の独断と偏見ですいません。
是非オススメです! -
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水谷さん、佐々岡、七草の心情にそれぞれ共感するところがあった。
水谷さんに共感したのは、相手が欲しい答えをしゃべろうとし、愛想笑いもする。そして出来ない人に期待はないけど、「なんで出来ないんやろな。」って思う。
佐々岡には、自分がやる善意などがその人の為ではなく、ただ自分の中にあるヒーロー像というか、カッコつける部分が出てるだけで、自分のためにやっているようなもん。でもそれは悪いことではないし、むしろ良いことやけど、本当に相手を思いやった行動ではない。どこかフェイクな行動。
七草には、物事や人間関係であったりするところに深い関心がなく、全てのことから一歩引いて俯瞰してるような、人間的には冷たい部分。
つまり七草が怒らないのは興味がないからやと思う。
でも七草が言った「信用とは、その人にどんな裏切りをされても許せること」ってのもすごいわかる。これは裏返しで、信用してない人には期待もしてないから許すも何もない。信用した人には期待を持つ。でもそれを裏切られても許せるってこと。
登場人物にここまで共感できるものはなかなかないかもしらん。 -
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◎時任と堀の攻防、魔女を手放した理由、七草と真辺の捨てたものとは
「心を穿つ新時代の青春ミステリ」である「階段島」シリーズの第5弾。
今回は謎めく郵便配達員・時任の物語が中心に構成され、現実世界に戻った七草も登場する。
前回までのおさらいになるが、七草が現実世界に興味・関心を寄せる理由は一人ぼっちでいる少年・相原大地が、現実世界の本人から捨てられてしまったことに起因する。大地は何を捨てざるをえなくて階段島に送られてきたのか、ということを、トクメ先生(現実世界では大江先生)へのアポイントをとることで解決に導きたいという意図があった。
しかし、七草がそこで現実世界に戻ってしまうことは堀や真辺にとって動揺を隠せないことの一つでもある。
また、七草が現実世界の自分と対するということは、現実の自分が捨てた「今の自分」とは何かということを知るということにもなるし、真辺が何を捨ててここに存在するのかということを知るということにもなる、と七草は気づいていた。
時任が抱えている苦しみ、堀に魔女業を受け渡したわけとは。
七草・真辺の捨てたものとは。
2019年に完結編が刊行された。それを待ちきれないほどの内容にもなっている。様々な伏線・謎がここまでで回収されてくるところも見ものである。 -
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河野裕の魔女と思い出と赤い目をした女の子を読みました。
咲良田を舞台にしたSF、サクラダリセットの2冊目でした。
時間を戻すことができるリセットの能力を持つ春﨑美空とリセットを越えても記憶を保持できる浅井ケイとの二人はいつも一緒に行動しています。
浅井ケイの中学時代の後輩、岡絵里は浅井ケイに勝ちたいと言うことだけで、咲良田の超能力管理局の中枢に近い「魔女」に会いに行こうとします。
浅井ケイは「魔女」と岡絵里を管理局から守ることが出来るのでしょうか。
コンピューターゲームでは、物語の序盤で敵として登場するメンバーが次々に仲間になっていき、強くなったパーティーで終盤に待ち受ける悪の帝王を倒すという定番のストーリーがありますが、この物語もそのような展開になるのでしょうか。 -
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河野裕の猫と幽霊と日曜日の革命を読みました。
サクラダリセットの1冊目でした。
主人公浅井ケイが住んでいる咲良田にはいろいろな超能力を持っている人がいます。
世界を最大3日戻すことが出来るリセットの能力、一度経験したことは絶体に忘れない能力、日時を指定して相手にメッセージを送ることができる能力、猫と情報を交換することが出来る能力、5分間だけに限定されるが他の能力を無効に出来る能力。
この物語はそのような能力を持った高校生たちの物語でした。
河野裕らしく複雑に絡み合った物語でしたが、面白く読みました。
読み終わって思ったのは、ゲーム機でのリセットや、カードゲームでの矛盾したカード能力間での強度や発動タイミング順序などの体験がなければ、この物語に実感がわかないだろうなあ、ということでした。 -
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時間SFミステリ青春風味として安定の仕上がり
SFというところには難点があって『タイムリープ』と「リセット」までは良いが
今回の未来視は作者もテトラポットで書いているのだろうけれど
明らかにパラドックス
『月見月理解』がミステリではない程度に本作もSFではないか
しかしそれはそれとして
理詰めというよりゲーム小説的にそれっぽく収まっていて素敵
どんな「能力者」でも現時点で得られた情報から正しくあるべく
選択を常に繰り返し続ける
将棋のような「ゲーム」と違って何手先まで未来を読んでも
自身の諦めという敗北までは行き着く処はない
「私が愛しているのは、ただの石ころなのかもしれない」
個人の観測ではそこから出ることは出来ないが
ひとはひとりではない -
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記憶を保持する能力が欲しい。
その昔、自分のおこづかいからごく初めのころ買った『フォーチュンクエスト』の2巻か3巻において、すべてを忘れられなくなり他人を避けて暮らしている人物、という話が語られていた。
楽しいことも悲しいこともみな忘れることができず、いつまでも覚えていなければならない。それはとてもつらいことである、と。
当時、なるほどそれはつらい事だと同意した。印象的だった。そして今でも覚えている。(今ならインデックスさんを今を昔と思うころに思い浮かべるかもしれないがどうだろう)
しかし、今は思う。辛い苦しみも、恥ずかしく思い出したくもないことも、思い出せなくなるのは嫌だ。
いやむしろ、全てを覚えていて理知的に、聡く、行動に活かせるほうが、
どれほど有意義であろうかと。
大学生になって一人暮らしをはじめて以来、日記を付けている。起こったことを記録している。記録せずにはいられない。忘れたくはない。
しかし、全ては忘れてしまうのだ。
日記という形に記録をしても、それを手がかりに思い返して、過去の自分を現在に活かしていくことはできない。
ネットにサイトを置いて、ゲームの感想や読書の感想を記録しても、それを覚えておきその上に新しいものを積み重ねていくことの役には殆どたたない。Google先生が空前の偉大な知の整理者であろうと、現在の利用の仕方では駄目なのだ。
記録をして少しは満たされる。しかし忘れてしまうことに変わりなく、覚えていられる助けにはならない。
それでも、忘れてしまうのだから、記録するほうがまし、であるかも知れない。記憶を保持する能力、全ての記憶を自在に思い出す能力を今のところ獲得できる見込みはないのだから、断片的にでも記録しておくべきかもしれない。そうするしかないかもしれない。
日々は楽しい。それは常に昔の記憶を忘れ、全てを新しく感じ思えるからである。
それでも記憶を保持する能力は欲しい。自分はあまりに愚かしい。
誰でも何にでも、時の流れと等しく忘却は訪れる。
何かをきっかけに思い返していくより仕方がないのだ。そういうものなのだ。
それでもいつもいつまでも、全てを忘れたくはない。
いつか全てはなくなるとしても、この自分のため自分のことは、覚えていたい。
とかぽえむるくらいに感服した/話自体はゲーム調ミステリみたいな感じでそれほど驚くところはないが表現の仕方が一行ごと腑に落ちる/まったくすごい