フランツ・カフカのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
なんといっても可笑しいのは、グレーゴルは虫になったのにその原因を探ることは一切せず、遅刻してしまう仕事の心配ばかりしていること。家族も彼の変身に驚きはするがすぐに事態を受け入れてしまう。なぜ虫になったのか、人間に戻れるのか、そういう疑問はまったく出てこない。
グレーゴルが変身した虫は原語だとUngeziefer(ウンゲツィーファー)で、語源的に「犠牲に捧げるのにふさわしくない動物」という宗教的な意味を持つ。捧げ物としてふさわしくない動物イコール役立たず、厄介者とも解釈できる。これまでは家族のために自身を犠牲にするかのように働いて一家を支えてきた男が、一晩で役立たずになる。グレーゴルの変身はいわば二重に起きているのだ。人間から虫へ、大黒柱から厄介者へ。役立たずの厄介者は共同体から排除される。資本主義の非人間性を描いていると見ることもできる。
引きこもり小説、または介護小説としても読める。引きこもりの息子は家族の恥だからと家族だけで問題を抱え込む。介護しているうちに人間から物のように見なされていく。かつては家族を支えた男が、いつしか妹から「あれ」呼ばわりされ人間扱いされなくなる。
変身はグレーゴルだけではなく家族にも起きる。かつては一日中パジャマで過ごしていた父親は銀行の用務員になり、それを誇りに思って帰宅しても制服を着たままで過ごす(人格と職業が混ざり合うところも資本主義の一面を象徴しているように思える)。バイオリンに夢中だった妹は音大への進学を諦め店員として働き出し、将来の転職に向けてスキルアップの勉強を始める。そして借金を抱えているとグレーゴルは思っていたのに、一家にはひそかに貯金があったことが判明する!
意思の疎通のできない化け物になってしまったと家族は思っていたが、グレーゴルには人間性が残っていた。妹が演奏するバイオリンを聴こうと半開きのドアの陰からリビングを覗き込むシーンは、この小説中もっとも鮮烈なイメージとして脳裏に浮かんだ。「こんなにも音楽に感動しているのに、それでも動物なのか?」
過去に高橋義孝と池内紀の翻訳で読んだが、この川島隆訳がこれまで読んだ中でもっとも読みやすく感じた。70ページもの詳細な解説が付いていて読む助けになる。これから変身を読むならこの角川文庫がいいのではないかと思う。結びの文章が倒置法で訳されていてちょっと違和感があったけど、その意味は100分de名著の解説を読んで納得した。
グレーゴルが変身した意味や解釈を固定化してしまうと却って作品を矮小化してしまうように感じる。曖昧なまま、各人が見えるものを見出せばいいのだろう。100ページに満たない分量に対して釣り合わないほどの巨大さ。カフカすげえなあ、と今更ながら唸らされる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ朝起きたら、自分が虫になっていた。
これほど異常な始まりなのに、本当に恐ろしいのは虫になったことではない。
グレゴールが働けなくなった瞬間から、家族の中で少しずつ「不要なもの」になっていくことだ。
彼はそれまで家族を養い、自分を犠牲にして働いていた。
だからこそ、役に立てなくなったあとの扱いがひどい。
最初は心配していた家族も、やがて彼を厄介者として見るようになる。そしてグレゴール自身も、その視線を受け入れるようにだんだん小さくなっていく。
これは虫の話ではないと分かってしまうから、読んでいて苦しくなる。
病気になったとき、仕事を失ったとき、誰かの期待に応えられなくなったとき。
人は案外簡単に、自分にはもう価値がないと思ってしまう。
この本は、人間の価値を「何ができるか」だけで測ることの残酷さを描いていると思う。
そしてもっと残酷なのは、その物差しを他人だけでなく、自分自身まで信じてしまうことだ。
虫になったのはグレゴールだった。でもむしろ変わってしまったのは、彼を取り囲む人間たちのほうだったのではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
解釈が難しいところを読み返しながら
読んでいたため5時間かかりましたが
「変身」を読み終えました。
「変身」のグレゴール・ザムザと
「判決」のゲオルクは
親に心を支配されているところが
共通していると思う。
親が要求したものに応え続ける人生。
「判決」のゲオルクが父親に怒鳴られている時もゲオルクは父に愛を向けていたように
「変身」のグレゴールも
どんなに職場で辛い思いをしても
自分自身が虫になって
自分自身の未来すら見えない状況でも
家族のことを一番に思い愛していた。
しかし「判決」の父親も「変身」の家族も
自分達が要求したものに応えられないものは
裏切り者であり
愛するに値しない人間と成りうる。
「変身」のグレゴールは誇らしい息子
家族を経済的に支えることのできたからこそ
この家族に必要とされ限定的に愛された。
経済的に支えられない虫となったグレゴールは
この家族にとって愛すに値しない。
虫になったグレゴールは家族の行く末を案じ
弱って死んでいったが
仮に虫にならなかったとしても
グレゴールは最後まで家族の支配から逃れられず要求し続けられ
本当の自分の人生を生きることなく
死んでいったのだろう。
あんなに行く末を案じた家族は
本気になればそれぞれ仕事をし
生活をしていけるというのに
今までグレゴールに頼って生活していた。
グレゴールがいなくなった今
彼らはそれぞれ働いて生活をしているが
妹が結婚をした時
その夫がもしかするとグレゴールのように
支配され要求され続けるのではないかと
なんだか心配になってしまいました。
親に支配され続ける子供の
なんと悲しいことかと深く考えさせられました。
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Posted by ブクログ
理解できた作品と
あまりできなかった作品があったので
もう一度はじめから読み始めました。
「判決」を読んで。
一度目は正直よくわからなかったので
二度目読んだ後の感想を。
私の考えすぎなのかもしれませんが
主人公ゲオルクの父親は
息子を愛していたのかもしれないけれど
その愛し方は息子を
精神的に支配する愛し方だったのではないかと。
そういう愛し方を受けた子供が大人になり
親よりも力も強くなっても傍から見れば
「なぜ言われたままなんだろう。
自分の思うようにすればいいのに」と
思うかも知れない。
でも支配し続けられた子供は
成長して体は大人になっても
自分ではどうすることもできない
親のその目に見えない力に支配され続け
縛られてしまう。
ゲオルクは父親に対して
至らないところもあっただろうが
父親との会話の中で愛情は父親に向いている。
だが 父親は常に自分自身に愛情が向いている。
父親はゲオルクに対して
傲慢でいかに不実であるかを罵り終えた後
「だからお前によく言って聞かせるが
わたしはお前に対して、溺死の刑を宣告する!」
冷酷に息子に告げた。
そう告げられた後のゲオルクが
目に見えぬ
自分ではどうしようも抗えない力によって
自ら川に飛び降りた。
傍から見れば自ら飛び降りたとしか見えない。
でもそれはずっと心を
父親の目には見えない強い支配力が
そうさせたのだと。
ゲオルクは確かに
傲慢で不実なところもあったのだろうけれども
父親の前で心のなかで気づきはじめている。
そんなゲオルクを許してくれたら
その支配を止めてゲオルクを愛してくれたら
ゲオルクは本当に幸せになれたのかもしれない。
そう強く感じました。
皆さんはこの作品を読んで
どのようにお感じになられましたか。
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Posted by ブクログ
ネタバレ良かった。あとがきや解説も含めて非常に後味の残る作品だった。
「変身」が、「一匹の巨大な虫」が何を指しているかは各々に任せられているとして、性役割的の歪さを女性の立場から描いた文章は現代では流行っていて非常にありふれたものになりつつある今、男性の立場からの生きづらさのようなものを描いたものは受け入れられづらくなっている印象になる。
いや逆なのか。男の視点からしか描かれていなかったからこそ、現代の潮流が女性の視点に寄っているみたいなことなのかな。
とにかく、すごく新鮮だった。
だからこそ村上龍は「すべての男は消耗品である」と述べた上で消耗品として生きていくことの覚悟を説いたわけで。
消耗され尽くした男は捨てられるのか。ともすれば寄生宿主として生きていた自分が、寄生虫になったとたん社会の(今回で言えば家庭内の)ゴミ同然の扱いを受けることに対して、僕は何を思えばいいのか。(今書いていて思ったけど虫って寄生虫って意味なのかな。カフカがどこの国の人なのか知らないし、原作が何語で書かれた作品なのかも知らないけど。)
両親や、妹への感情を過度に書かず、ただ淡々と彼らの描写に終止しているところに怖さを感じる。世界のすべてを事象として捉えていることに怖さを感じる。自分の苦しみや、自分の死すらも第三者というか神様?みたいな俯瞰の視点から書くんだろうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレみなさんお久しぶりです。観想的やすこです。本書はホモ・サピエンスが築き上げた社会の不条理さや冷たさをグレゴール・ザムザの悲しき人生の末路を描写することで皮肉的に表現しているのです。グレゴール・ザムザは家族想いの健全な男性でした。両親と妹との4人での生活を支えるため毎日懸命に働いていました。しかしながらそんな彼が醜い蟲へ「変身」した途端に彼の家族もまた変わってしまったのです。家族たちは彼へと冷め切った目線を向けるように「変身」を遂げるのです。わたくしやすこ的解釈としては本書のタイトルはグレゴール・ザムザの穢れた蟲への変身を指しているのではありません。身の回りの状況が変わった途端に、態度をくるっと変えてしまう。相手がいままでしてくれた行為を鑑みずに。そのような人間の変わりようを指しているのであります。人間は思っているよりも冷たい動物なのかもしれませんね。以上観想的やすこでした。またどこかで会いましょう。
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Posted by ブクログ
ドイツ文学を読もうと思い、まずはカフカを読んでみた。思ったより「変身」が面白くて、いくつかの箇所で笑った。二部あたりが一番面白い気がする。
グレゴールは、「ドアのすぐそばに行けば、自分が速やかに自分の部屋に戻ろうとしているという誠意を、十分に汲み取ってくれるはずだ」とドアのすぐそばで待機するのだが、彼はバカでかい毒虫なので、部屋に入ってきたお父さんを仰天させ、ブチギレられるという場面など、毒虫ユーモアがいくつかあり、面白かった。
「断食芸人」もまた、短くて読みやすく、また「変身」と似たようなテーマ性も汲み取れそうだった。かつては自分が世界を賑わせ、中心にいたような人が、流行は終わり、世界に無視され、いなくなっていくというのは、家族を支えていたが毒虫になったことでお払い箱に放られてゆくグレゴールにも、同じようなところがあるな、と思った。