あらすじ
一家の大黒柱として勤勉に生きてきた青年ザムザ。ある朝目覚めてみると、彼は一匹の毒虫と化していた―。確たる理由もなく、とつぜん一人の青年をおそう状況の変化。その姿をたんたんと即物的に描くカフカ(一八八三―一九二四)の筆致は、荒涼たる孤独地獄を私たちに思い知らせてやまない。カフカ生前発表の二篇を収録。(改訳)
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グレゴール・ザムザ 満を持して二度寝す。ってポップに言えないくらい家族からの扱いが酷いのなんのってw宮沢賢治の妹とは大違いだよ!ラスト、オー!マイキー かよ!
断食芸人は片岡鶴太郎氏でしたねw
カフカ 短編集にもちょいちょいあるけど
サーカスネタ多いのね
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1958年初版なのでフォントの読みにくさはあるものの、訳の言葉に古さを全く感じませんでした。
1編目は中編の『変身』。
結末を知らなかったので、この本をどう読んだらいいのか手探りで読んでいきました。朝、いきなり毒虫になった体を苦労しながら動かす姿に、マンガ化するなら笑えるかも、などと想像しながら読んでいきました。しかし結末は…
まず、毒虫としての表現が凄すぎる。足は勝手に動くし、ねばねばが出るし、虫嫌いのひとは絶対に受け付けないと思います。
主人公・グレゴールの行動が徐々に虫らしくなっていくところに少し笑ってしまう部分があるけれど、とても哀しい。それに正比例して家族からの扱いがぞんざいになっていくのが更に哀しい。
結末に向かっていくにしたがってグレゴールだけでなく、家族が疲弊していく姿は読んでいて辛く、読んでいる私自身も疲弊していきました。
2編目は短編の『断食芸人』。
断食をして自分自身を見世物にしている男の話。ひたすら虚しい。
どちらのお話もアイデアも表現も想像を超えています。確実に名作だと思います。
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『変身』は再読。断食芸人の覚悟は、ある種の殉教者のようで、どこか神聖ささえ感じた。断食を信じてもらえないのは辛いだろうな、と思った。私には無理だ。予想していたけれど、結末はカフカ的不条理に満ちていて悲しい。
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読書会のために再読。今回ラストの明るい結末について話し合った結果、あれは「毒虫からの解放」ではなく「グレゴールからの解放」だったのではないか?という結論に落ち着いた。「変身」以前のザムザ家で主人公は、転落した父、世間知らずな妹、病弱な母という役名を自己の家族に付し、「自分が家族を支える」という自分の「物語」の中に家族を囚えていたのでは?と考えたのだ。事実「変身」以降、父は働くようになり妹は勉強もするようになった。彼らの向上心を阻んでいたのはグレゴール自身だったという皮肉。
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『100分で名著』でカフカ『変身』の回を見て、カフカにとても共感し読みたくなった。
「起きたら巨大な虫になっている」というストーリーは、虫が大の苦手な私にとって想像するだけでも鳥肌が立つほどの嫌悪感があり、この小説を読むことは一生ないだろうと思っていた。
番組を見て良かったと思う。
読むにあたってどの翻訳で読むか迷ったが、新潮や角川と比べて翻訳が一番新しい岩波を選んだ。
翻訳小説の日本語の読みづらさが少し苦手なのだが、岩波文庫改訳版(2004年)はわりと読みやすくて良かった。
この本には『変身』と『断食芸人』の2作品が収録されている。
(以下、ネタバレを含みます)
『変身』
突然何か大変なことが起こったら、仕事に行かなくてもいいのになぁ。
そんな気持ちになったことがある人は、主人公・グレゴールの気持ちが分かるかもしれない。
どうしようもない事情に襲われて仕事に行けなくなった時、どうしようという焦りとともに「行かなくていいんだ」という安堵も心の奥で生まれると思う。
家計を支えるために好きでもない仕事を必死になってやらなくてはならず、しかも会社の人間からは理不尽な態度を取られている。
そんな状況であったグレゴールは、虫になってしまった状況にだんだん慣れ、楽しむようになっていく。
しかし世間から切り離されて引きこもると、自分が望んでいたことなのに少しずつ歪みが生まれていく。
外との関わりがないから、家族がどう思っているのかとても気になってきて、家族に見放されてしまうかもという不安に襲われてしまうのだと思う。
世界が狭まっている中で、自分を受け入れてくれているはずだと思っていた家族から拒否された時の悲しさは、より深いと思った。
グレゴールの稼ぎがなくなってしまったため父・母・妹は働き始めるが、それに伴いグレゴールのことはだんだんお荷物になっていく。
グレゴール自身は、家族のために何かしてやろうと思ったり、世話をしてくれないことに腹を立てたりと感情が揺れ動いていた。
働き始めたことで三人には余裕がなかったのだと思うが、世話をされる側からすると「態度が変わった」と思ってしまうのだろう。
そして、以前は他人への心くばりができていたグレゴールだったが、だんだんと欲のまま動くようになる。
そんな彼のことを、妹は突如「これ」と呼び始めた。
この時の妹の言葉が非常に強く記憶に残っているので、引用したい。
「わたしたち、これをお払い箱にすることを考えるべきなのよ。これの世話をして、我慢を重ね、わたしたち、人間としてできる限りのことはやってきたし、誰からもこれっぽっちも、後ろ指をさされることはないわ、わたし、そう思っているわよ」(P94)
「これのおかげで、二人ともからだをこわしかねないわ、わたしには目に見えている。わたしたちみんなのように、仕事に出なきゃならないだけでも充分つらいのに、その上、家でもこんないつ果てるともない責苦にあうなんて、とてもたまったものじゃないわ。わたしだって、もうたくさんよ」(P94〜95)
こんな感情に襲われたことのある人は、現代の日本にもいると思う。
介護をしなければならない、引きこもりの家族の世話をしなければいけない……など、色んなケースにこの言葉が重なってくると思った。
父や母、妹は、虫になったグレゴールを家族であると思いたいけど思えない、なんとかしてやりたいけどできない、という思いの狭間で揺れていたのだと思う。
物語はグレゴール視点で描かれているため、ぱっと見は酷い家族のように思ってしまうかもしれないが、決してそうではなく、彼らも彼らなりにもがいていたのが伝わってきた。
グレゴールは死ぬ寸前に「自分は消えていなくなるべきだ」と悟るが、家族との思い出を愛情を込めて回想しながら死んでいく。
安らいだ気持ちの中で息絶えるグレゴールの姿に、胸が苦しくなった。
ラストはハッピーエンドにも見えるような複雑な余韻を残しているが、私の心の中には寂しさや虚しさがひたひたと打ち寄せてきた。
この読後感が好きだった。
『断食芸人』
檻の中で断食することを見世物としていた、主人公の芸人。
断食は40日で終了することが慣わしとなっていたが、彼は全く満足していなかった。
周りの人間たちは勝手に「さぞ苦しいだろう」という態度を取ってきたが、彼はもっと断食を続けられると思っていたし、それを誇りのようにも思っていた。
やがて断食芸人の人気はすっかり落ちてしまい、彼はサーカスの片隅で断食をすることになる。
檻に入った断食芸人の前に立ち止まる人は少なく、見物人はみんな動物小屋のほうに行ってしまう。
貼り紙は引き剥がされ、断食何日目かを表す数字板も更新されなくなり、だんだん彼はみんなに忘れ去られていく。
この姿がなんだか可哀想で、心が苦しくなった。
忘れられたまま檻の中で多くの月日を過ごした断食芸人は、「せざるをえなくて断食しているのだ」「美味いと思う食べ物が見つからなかったからだ」と言い残し、死を迎える。
邪魔者を取り除くように葬られたあと、その檻には若々しい生命力に満ちた豹が入れられた。
この最期の言葉から、何を伝えようとしているのだろう。
ぐるぐると考えたが、答えは出なかった。
文字通り檻にこもり、己れの信念のまま断食をやり続け、そして邪魔者になり死んでいく。
その姿は、『変身』のグレゴールとも重なった。
虚しさでいっぱいになる読後感もよく似ていた。
どちらも、周りの人間のようには生きられない、生きづらい人間を描いているような気がした。
Posted by ブクログ
言わずと知れたカフカの名作である。
ある朝グレゴール・ザムザは何やら不穏な夢から覚めると1匹の大きな毒虫になってしまう。無論、タイトルの「変身」はその激的な冒頭文のことを指しているのであろう、そう思った。
毒虫になったザムザは部屋から出られずに1人で生きることは出来なくなったため家族が養ってあげることになった。なんて優しい家族なんだ。人間の食べものは食べられずに残飯を好んで食べ、人の言葉を失った代わりに虫の鳴き声で話し、本当にただのでかい毒虫になってしまったのである。そしたら家族もかつてはザムザだったその毒虫を「ただの毒虫」として扱うようになっていく。
嗚呼そうか、タイトルの「変身」とは家族が激的に変わっていく様も表しているのか。
現実世界で人間は毒虫になんぞに変身しない。でもどうだろうか?ある日を境に家族が変わっていく様は現実にも腐るほどあるではないか。そこにあるのは美談ではなく残酷な現実である。そうか、だからカフカは「変身」を淡々と即物的に書いたのか。
Posted by ブクログ
「変身」を読むのは久しぶりです。新潮文庫の高橋訳に馴染んでいましたが、2004年改版のこの岩波文庫の山下肇・山下萬里訳、新鮮に感じました。あらためて、うーん、不条理の傑作ですね。併録の「断食芸人」、初めて読みましたが、考えさせるものでした。
Posted by ブクログ
変身のみ読んだ。
やはり有名な小説。人間の内面をえぐり出すような内容である…。自己は他者により構成されるという哲学者の言葉を体現している。
そして物語が進むにつれて、両親や妹も他者により変わり果てていき、主人公自身も虫として生きるようになる。
そして、もう一つ重大な事は、変身してしまった虫の描写が非常にあっさりしているという点なのではないだろうか。カフカ自身、生前挿絵などに虫の姿をはっきりと描かないよう指示していたという…。「虫」とはいったい何か。考えさせられる一冊。
Posted by ブクログ
変身の描写はどこまでも淡々と、死にゆくグレゴールの最後の思考の一葉も伝えない。死にゆく彼が誰を思っていたのか、何を思っていたのか。それらは見るものが自由に空想するほかはない。
妹の心、両親の心。グレゴールの心は人のまま、けれど家族の心はグレゴールを人とみなさなくなる。人の半分は人に作られているのだと思う。
グレゴールの死を見つけた老婆がこの物語のアクセントだと思う。他人であり、元のグレゴールを知らず、毒虫であるグレゴールに話しかける変わり者であり、危機的状況の時には彼女は周りの人間の恐怖をなくすような、つまり、恐怖と恐怖をぶつけ合うことで周りは正気を保つように感じる、そのために彼女は雇われていて、グレゴールの死とともに、普通、を取り戻した家族にとって不要のものとなるのだ。
断食芸人 自己を満足させるための生き方は、他者にどう映るのか。自分の心を満たすための断食は、客観的には。一見すれば、老人はかつての栄光が忘れられずに断食を繰り返しているように見える。ただ彼自身は、人から脚光をあびることで満たされることがなかった。高いプライド、誰にでもできることと断食を、己を認めることなく”不幸”な死に方をした彼の姿は、高いプライド、満たされることのない自己承認欲が導き出す結末を読者に叩きつける。
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ひさびさに読んだ。
「変身」
一家の生計を担う長男が再起不能で働けなくなって、妹や両親が元気になり、しまいに彼を見捨てるお話。タイトルから想像する、いわゆる、新しい自分に脱皮していくような物語を予想して若い頃、初読みして衝撃を受けた。いま、読み返しても、いたたまれない気持ちになる。
「断食芸人」
人間はただ生きていくために食べるのではないことを考えさせられる。上手い食べ物にはありつけなかったが、旨い食べ物にはなれた男。
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長い一文によって、過剰なまでに克明に、細部も漏らさず綴られる言葉は秀逸だった。異常な状況が、どこまでも冷静に理知的に語られる。
本人の意志とは無関係に、それまでの自分とは違うものに変わってしまったら……。グレゴールはそれまで一家の大黒柱として家族を支えてきたのに、そのおかげで家族は働かずに楽な生活ができていたのに、状況は変わり、結局グレゴールなど始めから存在していなかったかのように終幕する。グレゴールの人生とは一体何だったのか?
本当の意味で人々が理解し合うことなど無いし、愛情というものも幻想にすぎない。グレゴールの人生に、その頑張りに、意味など無かったし、人間一人が突然いなくなっても、不都合など起こり得ない。たとえ誰かがいなくなっても、人は昨日と同じ今日を生きていくし、明日もまだ生きている。グレゴールのことなど忘れて。それが人間というものの本質なのだ。
『断食芸人』においても、主人公は誰にも理解されないままに、この世を去る。そしてきっとこの先、誰も彼のことを思い出さないだろう。ある日彼は生まれ、この世界に馴染めないままに断食芸人として生き、そしてひっそりと死んでいった。ただそれだけのこと。人間とは、ただそれだけのことなのだ。
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カフカ 「変身」
2回目読んだ時にやっと物語のあらすじが分かった。
朝起きたら毒虫になったグレゴール。今までは家族を養う大黒柱的な存在だったが虫になったことで立場は一転、みんなの邪魔元に成り下がってしまう。
そんなグレゴールはかつて、妹を音楽学校に進学させたいという夢を持っていた。
そんな思いやりに溢れた優しい兄なのだが、自身の姿が毒虫になったことで、家族からぞんざいに扱われ、自尊心を失っていく様が痛ましい。
最初はグレゴールを献身的に世話していた妹でさえ、ご飯を足で蹴り与えるなど次第に愛がなくなっていく。
何か相手にしてあげたいこと、優しさに溢れた思いやりを持っていたとしても、自分の立場や姿によってそれが正しく伝わらないことがある。更には予想に反して屈曲したり180度誤解されて伝わってしまう危険があるのだな。
虫になって家族から邪険に扱われるグレゴールを見ていてそんな風に思った。
それは例えばパジャマ姿で選挙活動を行っていても、身なりであの人は「身だしなみが適当だから言っていることも信頼できないだろう」と判断されてしまうことだったり、無職の状態で「あなたを幸せにします!結婚してください!」とプロポーズして玉砕されてしまうことだったり。
胸に秘めている情熱は立派でも、体裁が伴っていなければ相手には正しく受け取ってもらえない。
常々、自分を磨くことの意義を痛感させられた。
そして、醜い毒虫になっても、 父からリンゴをぶつけられ負傷しても、バイオリンを演奏する妹を見ようと這いずって部屋から出ていった愚直なグレゴールに同情してしまった。
妹のグレーテには彼の真意を少しでも理解してもらいたかった・・・。
「断食芸人」
オーナーから断食は40日までと決められ、もっと長くできるのに!と反抗していた芸人だが、自らの体型を把握しておらず、実はガリガリで腰から持ち上げられてしまうくらいの体重なのは喜劇。
それに、なぜ断食をするのか?と聞かれ、
「食べたいものがこの世にないから」
って、なんじゃそりゃ・・・。
大食いの人間へのアンチテーゼか!
と突っ込みたくなった。
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カフカの断食芸人を文字面は知っていたが、改めて読んだ。断食という行為の無常さ。腹は減るのに、何かを失って、何かを得ることのアイロニー、そして何かを失うことによって得られる快感。ただそれも度がすぎると、何かを失いすぎると周りの人間は見ても目もくれないと言う。不思議な矛盾とでもゆうか、断食と言う、何か失うと言う行為。同時に自己の限界を試す自己検査の行為。またまたそれのどちらでもあるかそのどちらでもないか話を読むに進めると、主人公の断食芸人はやはり誰かから注目を集めたくて断食をやっている。ただその断食にもプライドがある。誰かが自分を見ていなかった時でも断食を続け、断食を軽視する人間に対して常に懐柔されるのではなく、追従するのではなく、ともかく、その断食と言う行為にこだわり暮らしていく。そして最後に真実がわかる。断食芸人は断食以外のことができないのだ。個人の能力とそれを発揮する社会との距離感、そして行き過ぎた、自我は淘汰される不条理、短い文章の中に自己認識のファクターが詰め込まれている。
Posted by ブクログ
変身と断食芸人の二篇。初めて読んだ。
普段は最近出た本しか読まないが、薄くてするする読めた。
二篇の中でも断食芸人の方が読みやすかった。
主人公はすごいことをしているんだぞ!という気持ちなのか、そのものにハマっているのか。熱中する気持ちには共感できたが病的。
だからこそ、読んでいて面白みがあった。
変身はただただ状況に混乱した。主人公の冷静さが逆にこちらを混乱させるように思う。
献身的に家族に尽くしたグレゴールの報われなさが人生って感じ。
お金をこっそり貯めて妹に音楽学校に通わせようとしていたところて毒虫になって、妹の演奏を聞きに良い妄想をしながら部屋を出たらヘイトをくらう展開のとんでもなさが辛くて良い。
作者のカフカは実存主義らしいが、実存主義がまだよくわからないので他も読んでみたいと思った。
また、カフカは短編が多いようなので、ほかの作品も読みたい。
Posted by ブクログ
読みやすかった。「100分で名著」に取り上げられたが、多分100分もかからない。感想はなかなか難しい。こういう話が本国ドイツから極東の日本まで伝わって売れ続けていること自体が興味ぶかい
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断食芸人は長期に渡る断食で餓死する直前、こんなことを言う。
「いつだってあんたらを、この断食で感心させてやろう、と思ってきたんだがね……(略)もう、感心するのはやめてほしいんだ……(略)うまいと思う食べ物が見つからなかったからなんだ」
これは思うに、「断食」は断食芸人が食べたいものがある状態にあって初めて「断食」たり得るのであって、何も食べたくなくなってしまったらそれはもう「断食」の本質に反してしまっている。こういうことだろうか。
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不条理文学というのを初めて読んでみました。
どちらもすごく面白かった。
毒虫:
起きたらばかでかい毒虫になってるの、普通はなんで!?ってなりそうなところですが、主人公は特に疑問も無しに受け入れてるの面白い。
家族も主人公が毒虫になったことを受け入れていてすごい(笑)
私なら主人公が毒虫に食べられたのかなと思って退治してしまいそう。
家族のために働いてきたのに、変身して毒虫になってから、気を遣われ、どんどん扱いが酷くなっていくの可哀想すぎる...でも、毒虫と共に住む家族の立場になると、仕方の無い扱いだよなあとも思います。
断食芸人:
かなり短かったけど面白い。
断食芸人ってほんとにいたっけ?ってぐらいリアルな設定!流行が去って、人権的にどうなんだ?と世間的に痛い目で見られて人気が無くなるところもリアルだ。皮肉の効いたオチも最高です。
Posted by ブクログ
よく最初の文が引用されるのもあって、その一文に惹かれて手に取った。
読み終えて毒虫、についての考察もいくつか拝見したのだが、いつか見たその中の「毒虫になった=使い物にならなくなった」という解釈があったのがとても興味深い。
朝起きたら、自分が使い物にならない。害にしかならない毒虫になっていた。
それを踏まえたラストは、救いがなく生々しさを強く感じた。
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不条理な事態に見舞われている主人公と、その他。この「その他」の者たちは「主人公」をあくまで異物として嘲笑い、恐怖し、排除する。「主人公」は何もできない。
収録作2篇はこれらの過程が即物的に描写され、その為に不条理が際立つ。だから怖くて、気持ち悪い。しかしながら坦々とした筆致故にグズグズ滞ること無く読める。カフカというジャンルの文学だ。
Posted by ブクログ
昔読んだときは思わなかったけれど、カフカさんの話って太宰治に通じるものがある。
昔は心理学的考察が云々なんて身構えて読んだ『変身』も実はブラック・ユーモアなお話だったんだね。
ここに収録されていた『変身』のザムザさんも『断食芸人』の芸人さんも最期は自分の死を受け入れている。
しかし、その受容は他者である読者からすると「それでいいの?」と感じるもので、その感情から読者は自分が亡くなるときのことを考える。
結局は納得して死を迎えられることは他人がどう思おうと幸せなことなのでは…って気がする。
上を見過ぎてもキリがないし。
2編とも奥深い話だな…と少し大人になった今は思いました。
訳も良かったと思います。
Posted by ブクログ
原書名:Die Verwandlung/Ein Hungerkunstler
変身
断食芸人
著者:フランツ・カフカ(Kafka, Franz, 1883-1924、チェコ・プラハ、小説家)
訳者:山下肇(1920-2008、目黒区、ドイツ文学)、山下萬里(1948-、ドイツ文学)
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ある日突然虫になってしまったザムザ。
そのあと戻れるというふうなハッピーエンドにもっていくことも、もっと残酷な仕打ちで終わらせることもできただろうけど、淡々とザムザが死んで、ザムザが必死で支えてきた家族はザムザが死んでくれて喜ぶという流れになっていてすごくリアルな感じがした。
虫になるというとファンタジーすぎて一瞬ピンとこないけど、これが仕事をバリバリしてて家族から頼られてたのに病気なり怪我なりで働けなくなり家族に今度は面倒をかける側になってしまった
…と考えるとゾッとする。
これは結構あることで、自分も自分の身の回りにもいつ起きるか分からないことだから。
断食芸人も、人に理解されないまま自分の生きるようにしか生きられず朽ちていく悲しさがあって良かったけど切なかった。
両方ハッピーエンドとは程遠く、でも人生なんてこんなものでしょという作者のおもいが伝わってくるような気がする。
カフカは絶望名人だという本も出てたけど、なるほどこれは…とつい思ってしまう二篇だった。
Posted by ブクログ
「グレゴール.ザムザはある朝、何やら胸騒ぐ夢がつつづいて目覚めると、ベッドの中の自分が一匹のばかでかい毒虫に変わっていることに気がついた」
あまりにも有名なこの書き出し。
もう読んだ気になっていて今まで読まずにいたらしい、今回初めて読んだ。読み進めるうちに
そのうち蚕になるんだろうか?美しい蝶になるんではないかと期待したが、あっけなく裏切られた。
グレゴールの引きこもった後の家族の在り方がなんとも言えない。よかったと言えばよかったのだろうが、グレゴールのつらくても我慢してやってきた事がすべて無駄だったようで悲しい。否定されたグレゴールが、空回りしている時の自分と重なる。どっと疲れる。
断食芸人も同じくです。悲しいし、落ち込む。
Posted by ブクログ
読め、読めと言われていたがなかなか機会がなかった変身をついに読むことにした。
変身も断食芸人も作中で自らの意思ではどうにもならないような障害に突き当たる。
両方とも最後は主人公が死に、主人公は何を成したわけでもなければ死後讃えられるわけでもない。むしろその逆だ。
私はこのようなタイプの小説に慣れていないので、読後の感情は決していいとは言えなかったが、これもおそらく自らの不勉強の致すところであろう。
10年、20年後に読むとまた違う感を得るのかもしれない。
話は変わるが、今年2024年はカフカ没後100年にあたるらしい。時間がなくて2、3年後回しにしていたのがたまたまこのような年に読めたことも何かの縁ではないか、と考えるのは少し都合が良すぎるだろうか。
Posted by ブクログ
変身について
・物語はグレゴールの主観でしかないため場面を想像しながら読むとコメディ的な面白さのある作品だった。
・好きな場面は母がグレゴールの部屋の家具を片付けるのを制止するところ。家具が無くなってしまうとグレゴールが人間であった事を否定するのと同じように、グレゴールがグレゴールである事はその周囲の認知によって成り立っている事なのだろうと思った。(グレゴールだけではなく人間全ての話)また、毒虫がグレゴールである根拠などなくそれが結果的に家族の不信感に繋がっているように感じた。
・その場で行われてる事の描写が事細かく描かれておりカッティングの悪い映画のような印象を受けてしまった。
追記批評文を読んで
グレゴールが毒虫になった事は病気や事故など何物にも替えられないものであり、未知への恐怖を描いているからこそ不条理ものだという主旨の文を見た。病気や事故で彼が不労になってしまった場合は家族の非人道的な振る舞いに同情の余地が出てしまう。本作が伝えたいのはそのような心の変化ではなく、突発的に訪れる不条理への警鐘である、と。
私はこの物語を人間の本質的なところに触れた作品だと思っていたのではっとさせられた。
断食芸人について
・自分のプライドを貫き通した断食芸人に心打たれた
。サーカスに来る大衆は生き生きとした豹に魅了されるが、読者(私)だけは断食芸人の生き様に共感できるのだという心地よさを覚えた。
・拘りを捨てきれずにいると身を滅ぼすという教訓とも捉えられるが、最期のセリフからやはり断食芸人にとってはそれは身を滅ぼした事ではないように感じる。
Posted by ブクログ
「変身」
褐色で、多数の足を持ち、はい回るとぬらぬらした体液の跡が残る…虫
営業マンのグレゴール・ザムザが、ある日とつぜん
そんな虫に変身してしまう
聖書の時代なら、そんな不条理も神の試しと捉え
家族たちも、最後まで献身的であろうとするのかもしれない
しかしそれを許さないのはおそらく
世間体の悪さであろう
つまり「みんな明日の食事にも不安を抱えているというのに」
「そんな虫を飼っておく余裕が一体どこから湧いて出るんだ!?」という
世間からの無言の問いかけである
それを取り繕うかのように、家族たちは働き始め
やがて、ほかならぬグレゴールの用意してくれた自宅の
その大きさに無駄を感じはじめる
「断食芸人」
生きるに値しない世の中と思っても
誰にも己の価値を認められず死んでいくのは寂しすぎる
そんな、矛盾した人の心