あらすじ
一家の大黒柱として勤勉に生きてきた青年ザムザ。ある朝目覚めてみると、彼は一匹の毒虫と化していた―。確たる理由もなく、とつぜん一人の青年をおそう状況の変化。その姿をたんたんと即物的に描くカフカ(一八八三―一九二四)の筆致は、荒涼たる孤独地獄を私たちに思い知らせてやまない。カフカ生前発表の二篇を収録。(改訳)
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Posted by ブクログ
『100分で名著』でカフカ『変身』の回を見て、カフカにとても共感し読みたくなった。
「起きたら巨大な虫になっている」というストーリーは、虫が大の苦手な私にとって想像するだけでも鳥肌が立つほどの嫌悪感があり、この小説を読むことは一生ないだろうと思っていた。
番組を見て良かったと思う。
読むにあたってどの翻訳で読むか迷ったが、新潮や角川と比べて翻訳が一番新しい岩波を選んだ。
翻訳小説の日本語の読みづらさが少し苦手なのだが、岩波文庫改訳版(2004年)はわりと読みやすくて良かった。
この本には『変身』と『断食芸人』の2作品が収録されている。
(以下、ネタバレを含みます)
『変身』
突然何か大変なことが起こったら、仕事に行かなくてもいいのになぁ。
そんな気持ちになったことがある人は、主人公・グレゴールの気持ちが分かるかもしれない。
どうしようもない事情に襲われて仕事に行けなくなった時、どうしようという焦りとともに「行かなくていいんだ」という安堵も心の奥で生まれると思う。
家計を支えるために好きでもない仕事を必死になってやらなくてはならず、しかも会社の人間からは理不尽な態度を取られている。
そんな状況であったグレゴールは、虫になってしまった状況にだんだん慣れ、楽しむようになっていく。
しかし世間から切り離されて引きこもると、自分が望んでいたことなのに少しずつ歪みが生まれていく。
外との関わりがないから、家族がどう思っているのかとても気になってきて、家族に見放されてしまうかもという不安に襲われてしまうのだと思う。
世界が狭まっている中で、自分を受け入れてくれているはずだと思っていた家族から拒否された時の悲しさは、より深いと思った。
グレゴールの稼ぎがなくなってしまったため父・母・妹は働き始めるが、それに伴いグレゴールのことはだんだんお荷物になっていく。
グレゴール自身は、家族のために何かしてやろうと思ったり、世話をしてくれないことに腹を立てたりと感情が揺れ動いていた。
働き始めたことで三人には余裕がなかったのだと思うが、世話をされる側からすると「態度が変わった」と思ってしまうのだろう。
そして、以前は他人への心くばりができていたグレゴールだったが、だんだんと欲のまま動くようになる。
そんな彼のことを、妹は突如「これ」と呼び始めた。
この時の妹の言葉が非常に強く記憶に残っているので、引用したい。
「わたしたち、これをお払い箱にすることを考えるべきなのよ。これの世話をして、我慢を重ね、わたしたち、人間としてできる限りのことはやってきたし、誰からもこれっぽっちも、後ろ指をさされることはないわ、わたし、そう思っているわよ」(P94)
「これのおかげで、二人ともからだをこわしかねないわ、わたしには目に見えている。わたしたちみんなのように、仕事に出なきゃならないだけでも充分つらいのに、その上、家でもこんないつ果てるともない責苦にあうなんて、とてもたまったものじゃないわ。わたしだって、もうたくさんよ」(P94〜95)
こんな感情に襲われたことのある人は、現代の日本にもいると思う。
介護をしなければならない、引きこもりの家族の世話をしなければいけない……など、色んなケースにこの言葉が重なってくると思った。
父や母、妹は、虫になったグレゴールを家族であると思いたいけど思えない、なんとかしてやりたいけどできない、という思いの狭間で揺れていたのだと思う。
物語はグレゴール視点で描かれているため、ぱっと見は酷い家族のように思ってしまうかもしれないが、決してそうではなく、彼らも彼らなりにもがいていたのが伝わってきた。
グレゴールは死ぬ寸前に「自分は消えていなくなるべきだ」と悟るが、家族との思い出を愛情を込めて回想しながら死んでいく。
安らいだ気持ちの中で息絶えるグレゴールの姿に、胸が苦しくなった。
ラストはハッピーエンドにも見えるような複雑な余韻を残しているが、私の心の中には寂しさや虚しさがひたひたと打ち寄せてきた。
この読後感が好きだった。
『断食芸人』
檻の中で断食することを見世物としていた、主人公の芸人。
断食は40日で終了することが慣わしとなっていたが、彼は全く満足していなかった。
周りの人間たちは勝手に「さぞ苦しいだろう」という態度を取ってきたが、彼はもっと断食を続けられると思っていたし、それを誇りのようにも思っていた。
やがて断食芸人の人気はすっかり落ちてしまい、彼はサーカスの片隅で断食をすることになる。
檻に入った断食芸人の前に立ち止まる人は少なく、見物人はみんな動物小屋のほうに行ってしまう。
貼り紙は引き剥がされ、断食何日目かを表す数字板も更新されなくなり、だんだん彼はみんなに忘れ去られていく。
この姿がなんだか可哀想で、心が苦しくなった。
忘れられたまま檻の中で多くの月日を過ごした断食芸人は、「せざるをえなくて断食しているのだ」「美味いと思う食べ物が見つからなかったからだ」と言い残し、死を迎える。
邪魔者を取り除くように葬られたあと、その檻には若々しい生命力に満ちた豹が入れられた。
この最期の言葉から、何を伝えようとしているのだろう。
ぐるぐると考えたが、答えは出なかった。
文字通り檻にこもり、己れの信念のまま断食をやり続け、そして邪魔者になり死んでいく。
その姿は、『変身』のグレゴールとも重なった。
虚しさでいっぱいになる読後感もよく似ていた。
どちらも、周りの人間のようには生きられない、生きづらい人間を描いているような気がした。
Posted by ブクログ
変身のみ読んだ。
やはり有名な小説。人間の内面をえぐり出すような内容である…。自己は他者により構成されるという哲学者の言葉を体現している。
そして物語が進むにつれて、両親や妹も他者により変わり果てていき、主人公自身も虫として生きるようになる。
そして、もう一つ重大な事は、変身してしまった虫の描写が非常にあっさりしているという点なのではないだろうか。カフカ自身、生前挿絵などに虫の姿をはっきりと描かないよう指示していたという…。「虫」とはいったい何か。考えさせられる一冊。
Posted by ブクログ
変身の描写はどこまでも淡々と、死にゆくグレゴールの最後の思考の一葉も伝えない。死にゆく彼が誰を思っていたのか、何を思っていたのか。それらは見るものが自由に空想するほかはない。
妹の心、両親の心。グレゴールの心は人のまま、けれど家族の心はグレゴールを人とみなさなくなる。人の半分は人に作られているのだと思う。
グレゴールの死を見つけた老婆がこの物語のアクセントだと思う。他人であり、元のグレゴールを知らず、毒虫であるグレゴールに話しかける変わり者であり、危機的状況の時には彼女は周りの人間の恐怖をなくすような、つまり、恐怖と恐怖をぶつけ合うことで周りは正気を保つように感じる、そのために彼女は雇われていて、グレゴールの死とともに、普通、を取り戻した家族にとって不要のものとなるのだ。
断食芸人 自己を満足させるための生き方は、他者にどう映るのか。自分の心を満たすための断食は、客観的には。一見すれば、老人はかつての栄光が忘れられずに断食を繰り返しているように見える。ただ彼自身は、人から脚光をあびることで満たされることがなかった。高いプライド、誰にでもできることと断食を、己を認めることなく”不幸”な死に方をした彼の姿は、高いプライド、満たされることのない自己承認欲が導き出す結末を読者に叩きつける。
Posted by ブクログ
長い一文によって、過剰なまでに克明に、細部も漏らさず綴られる言葉は秀逸だった。異常な状況が、どこまでも冷静に理知的に語られる。
本人の意志とは無関係に、それまでの自分とは違うものに変わってしまったら……。グレゴールはそれまで一家の大黒柱として家族を支えてきたのに、そのおかげで家族は働かずに楽な生活ができていたのに、状況は変わり、結局グレゴールなど始めから存在していなかったかのように終幕する。グレゴールの人生とは一体何だったのか?
本当の意味で人々が理解し合うことなど無いし、愛情というものも幻想にすぎない。グレゴールの人生に、その頑張りに、意味など無かったし、人間一人が突然いなくなっても、不都合など起こり得ない。たとえ誰かがいなくなっても、人は昨日と同じ今日を生きていくし、明日もまだ生きている。グレゴールのことなど忘れて。それが人間というものの本質なのだ。
『断食芸人』においても、主人公は誰にも理解されないままに、この世を去る。そしてきっとこの先、誰も彼のことを思い出さないだろう。ある日彼は生まれ、この世界に馴染めないままに断食芸人として生き、そしてひっそりと死んでいった。ただそれだけのこと。人間とは、ただそれだけのことなのだ。
Posted by ブクログ
変身と断食芸人の二篇。初めて読んだ。
普段は最近出た本しか読まないが、薄くてするする読めた。
二篇の中でも断食芸人の方が読みやすかった。
主人公はすごいことをしているんだぞ!という気持ちなのか、そのものにハマっているのか。熱中する気持ちには共感できたが病的。
だからこそ、読んでいて面白みがあった。
変身はただただ状況に混乱した。主人公の冷静さが逆にこちらを混乱させるように思う。
献身的に家族に尽くしたグレゴールの報われなさが人生って感じ。
お金をこっそり貯めて妹に音楽学校に通わせようとしていたところて毒虫になって、妹の演奏を聞きに良い妄想をしながら部屋を出たらヘイトをくらう展開のとんでもなさが辛くて良い。
作者のカフカは実存主義らしいが、実存主義がまだよくわからないので他も読んでみたいと思った。
また、カフカは短編が多いようなので、ほかの作品も読みたい。
Posted by ブクログ
不条理文学というのを初めて読んでみました。
どちらもすごく面白かった。
毒虫:
起きたらばかでかい毒虫になってるの、普通はなんで!?ってなりそうなところですが、主人公は特に疑問も無しに受け入れてるの面白い。
家族も主人公が毒虫になったことを受け入れていてすごい(笑)
私なら主人公が毒虫に食べられたのかなと思って退治してしまいそう。
家族のために働いてきたのに、変身して毒虫になってから、気を遣われ、どんどん扱いが酷くなっていくの可哀想すぎる...でも、毒虫と共に住む家族の立場になると、仕方の無い扱いだよなあとも思います。
断食芸人:
かなり短かったけど面白い。
断食芸人ってほんとにいたっけ?ってぐらいリアルな設定!流行が去って、人権的にどうなんだ?と世間的に痛い目で見られて人気が無くなるところもリアルだ。皮肉の効いたオチも最高です。
Posted by ブクログ
不条理な事態に見舞われている主人公と、その他。この「その他」の者たちは「主人公」をあくまで異物として嘲笑い、恐怖し、排除する。「主人公」は何もできない。
収録作2篇はこれらの過程が即物的に描写され、その為に不条理が際立つ。だから怖くて、気持ち悪い。しかしながら坦々とした筆致故にグズグズ滞ること無く読める。カフカというジャンルの文学だ。
Posted by ブクログ
ある日突然虫になってしまったザムザ。
そのあと戻れるというふうなハッピーエンドにもっていくことも、もっと残酷な仕打ちで終わらせることもできただろうけど、淡々とザムザが死んで、ザムザが必死で支えてきた家族はザムザが死んでくれて喜ぶという流れになっていてすごくリアルな感じがした。
虫になるというとファンタジーすぎて一瞬ピンとこないけど、これが仕事をバリバリしてて家族から頼られてたのに病気なり怪我なりで働けなくなり家族に今度は面倒をかける側になってしまった
…と考えるとゾッとする。
これは結構あることで、自分も自分の身の回りにもいつ起きるか分からないことだから。
断食芸人も、人に理解されないまま自分の生きるようにしか生きられず朽ちていく悲しさがあって良かったけど切なかった。
両方ハッピーエンドとは程遠く、でも人生なんてこんなものでしょという作者のおもいが伝わってくるような気がする。
カフカは絶望名人だという本も出てたけど、なるほどこれは…とつい思ってしまう二篇だった。
Posted by ブクログ
読め、読めと言われていたがなかなか機会がなかった変身をついに読むことにした。
変身も断食芸人も作中で自らの意思ではどうにもならないような障害に突き当たる。
両方とも最後は主人公が死に、主人公は何を成したわけでもなければ死後讃えられるわけでもない。むしろその逆だ。
私はこのようなタイプの小説に慣れていないので、読後の感情は決していいとは言えなかったが、これもおそらく自らの不勉強の致すところであろう。
10年、20年後に読むとまた違う感を得るのかもしれない。
話は変わるが、今年2024年はカフカ没後100年にあたるらしい。時間がなくて2、3年後回しにしていたのがたまたまこのような年に読めたことも何かの縁ではないか、と考えるのは少し都合が良すぎるだろうか。