フランツ・カフカのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
カフカに初めて触れた。「変身」が代表作とか。
没後100年を記念して?出された本。
カフカが俳句を書いたわけではない。
彼が残したことばを、そのまま載せたり作品から切り取ったり、
五七五に収めるわけでなく、自由律のように80句に見立て、
編訳者が解説を加えている。
カフカが初めての私は、彼の解説でカフカを知る。
「鳥籠が鳥を探しにいった」
「ときおり体が八つ裂きになりそうな不幸を感じる」
「家族のなかで、他人よりももっと他人のように暮らしている」
「夕方、森へ。月が満ちている」
なんとも悲観的な、、、
どうもカフカは世の中になじまなかったらしい。
今でいえば発達障害だったのかも。
作品もほどんどが未完。
それでも後世にこれだけ名を遺す。影響を与える。
太宰治にも通じると。
山頭火の俳句にもつながると。
一度小説を読んでみようかな。
カフカ俳句 80句/ 巻末対談 九堂夜想(俳人)×頭木弘樹(編訳者) -
Posted by ブクログ
ネタバレ『変身』を読んだときに感じた、カフカ作品独特の読み心地をたっぷり堪能できる本だった。
どうしようもない不安、自己肯定感の欠如、悪夢のような断片。
そういうものがカフカの文章には漂っている。
あまりにも自分を卑下しすぎていて、「そんなに言わなくても……!」と逆におかしさを感じてしまうことすらあった。
しかし、起きている出来事も人物も自分とは違うのに、「これは私のことだ」と思ってしまうことも多かった。
カフカのこういう部分に惹かれるのだと思う。
編訳者解説で、カフカの作品は大半が未完だということを知って驚いた。
しかしその未完の状態こそが、カフカ作品の特徴で魅力だという。
この断片集を読んで、もっとカフカの作品を読んでみたくなった。
.
いつもわたしをすりつぶしている石臼。その上下の石のあいだからわたしを引っぱり出してくれるものであれば、それがたとえ何であろうと、引っぱり出されるときの苦痛がひどすぎないかぎり、ありがたいことだ。
(P37)
.
以前のわたしは、自分の問いかけになぜ答えが返ってこないのか、不思議だった。
今のわたしは、なぜ問いかけることができると信じていたのか、不思議だ。
いや、信じてなんかいなかった。ただ、問いかけてみただけだ。
(P64)
.
もっと下まで行けとおまえは言うが、もうわたしはどん底にいる。
息が詰まりそうだし、すでに深すぎるが、それでも、ここにいなければならないのなら、そうしよう。
なんてところだ! たぶんこれより下はないだろう。
それでもわたしはここにとどまろう。
だから、もうこれ以上、下に行かせようとしないでくれ。
(P111) -
Posted by ブクログ
ネタバレ翻訳者解説がとても良かったです。
カフカの世界への間口を広げてくれているよう。
『わからなくても気にする必要はない』
実際、分かったような分からないようなが、グラグラと何度も繰り返すのが、カフカ作品です。
失敗することさえできない、隣人までの距離、法の前に、平穏を嘆く、虚栄心、使者、下へ、せめて、すべて無駄だった、心を剣で突き刺されたとき、志願囚人、海辺の貝殻のように
などが好きです。
しかし、読み返すたび変わるような気もするし、他の人は全く違ったりするでしょう。
誰かに刺さらなくても、また他の誰かにはきっと刺さる文節があるはず。 -
Posted by ブクログ
かれこれ20年ぶりぐらいになるだろうかというぐらい離れていたカフカ。だいぶ印象が違う。若い頃に読む『変身』と今読む『変身』はやはり違う。主人公が可哀想でありながらしかし家族の邪魔になり、かつ最後家族は解放されている?家政婦への態度や間借り人たちへの態度からも分かるとおり、何か釈然としない感情は引き続きもっている訳で。
光文社古典新訳文庫でカフカを読むことの意味は訳者の丘沢さんが史的批判版に忠実に訳されていることにあるだろう。白水社版や新潮社版で大胆に改行がされていることを知って驚きを隠せない。文章を分けるのは日本語とヨーロッパ語の違いから理解はできるが改行は維持できるだろうに。『城』なんて文字の凝縮感も含めて作品になっているはずなのに・・・。
ということで丘沢さんにはぜひ『城』を訳していただきたいと思った次第。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『100分で名著』でカフカ『変身』の回を見て、カフカにとても共感し読みたくなった。
「起きたら巨大な虫になっている」というストーリーは、虫が大の苦手な私にとって想像するだけでも鳥肌が立つほどの嫌悪感があり、この小説を読むことは一生ないだろうと思っていた。
番組を見て良かったと思う。
読むにあたってどの翻訳で読むか迷ったが、新潮や角川と比べて翻訳が一番新しい岩波を選んだ。
翻訳小説の日本語の読みづらさが少し苦手なのだが、岩波文庫改訳版(2004年)はわりと読みやすくて良かった。
この本には『変身』と『断食芸人』の2作品が収録されている。
(以下、ネタバレを含みます)
『変身』
突然何か大変なことが起こったら、仕事に行かなくてもいいのになぁ。
そんな気持ちになったことがある人は、主人公・グレゴールの気持ちが分かるかもしれない。
どうしようもない事情に襲われて仕事に行けなくなった時、どうしようという焦りとともに「行かなくていいんだ」という安堵も心の奥で生まれると思う。
家計を支えるために好きでもない仕事を必死になってやらなくてはならず、しかも会社の人間からは理不尽な態度を取られている。
そんな状況であったグレゴールは、虫になってしまった状況にだんだん慣れ、楽しむようになっていく。
しかし世間から切り離されて引きこもると、自分が望んでいたことなのに少しずつ歪みが生まれていく。
外との関わりがないから、家族がどう思っているのかとても気になってきて、家族に見放されてしまうかもという不安に襲われてしまうのだと思う。
世界が狭まっている中で、自分を受け入れてくれているはずだと思っていた家族から拒否された時の悲しさは、より深いと思った。
グレゴールの稼ぎがなくなってしまったため父・母・妹は働き始めるが、それに伴いグレゴールのことはだんだんお荷物になっていく。
グレゴール自身は、家族のために何かしてやろうと思ったり、世話をしてくれないことに腹を立てたりと感情が揺れ動いていた。
働き始めたことで三人には余裕がなかったのだと思うが、世話をされる側からすると「態度が変わった」と思ってしまうのだろう。
そして、以前は他人への心くばりができていたグレゴールだったが、だんだんと欲のまま動くようになる。
そんな彼のことを、妹は突如「これ」と呼び始めた。
この時の妹の言葉が非常に強く記憶に残っているので、引用したい。
「わたしたち、これをお払い箱にすることを考えるべきなのよ。これの世話をして、我慢を重ね、わたしたち、人間としてできる限りのことはやってきたし、誰からもこれっぽっちも、後ろ指をさされることはないわ、わたし、そう思っているわよ」(P94)
「これのおかげで、二人ともからだをこわしかねないわ、わたしには目に見えている。わたしたちみんなのように、仕事に出なきゃならないだけでも充分つらいのに、その上、家でもこんないつ果てるともない責苦にあうなんて、とてもたまったものじゃないわ。わたしだって、もうたくさんよ」(P94〜95)
こんな感情に襲われたことのある人は、現代の日本にもいると思う。
介護をしなければならない、引きこもりの家族の世話をしなければいけない……など、色んなケースにこの言葉が重なってくると思った。
父や母、妹は、虫になったグレゴールを家族であると思いたいけど思えない、なんとかしてやりたいけどできない、という思いの狭間で揺れていたのだと思う。
物語はグレゴール視点で描かれているため、ぱっと見は酷い家族のように思ってしまうかもしれないが、決してそうではなく、彼らも彼らなりにもがいていたのが伝わってきた。
グレゴールは死ぬ寸前に「自分は消えていなくなるべきだ」と悟るが、家族との思い出を愛情を込めて回想しながら死んでいく。
安らいだ気持ちの中で息絶えるグレゴールの姿に、胸が苦しくなった。
ラストはハッピーエンドにも見えるような複雑な余韻を残しているが、私の心の中には寂しさや虚しさがひたひたと打ち寄せてきた。
この読後感が好きだった。
『断食芸人』
檻の中で断食することを見世物としていた、主人公の芸人。
断食は40日で終了することが慣わしとなっていたが、彼は全く満足していなかった。
周りの人間たちは勝手に「さぞ苦しいだろう」という態度を取ってきたが、彼はもっと断食を続けられると思っていたし、それを誇りのようにも思っていた。
やがて断食芸人の人気はすっかり落ちてしまい、彼はサーカスの片隅で断食をすることになる。
檻に入った断食芸人の前に立ち止まる人は少なく、見物人はみんな動物小屋のほうに行ってしまう。
貼り紙は引き剥がされ、断食何日目かを表す数字板も更新されなくなり、だんだん彼はみんなに忘れ去られていく。
この姿がなんだか可哀想で、心が苦しくなった。
忘れられたまま檻の中で多くの月日を過ごした断食芸人は、「せざるをえなくて断食しているのだ」「美味いと思う食べ物が見つからなかったからだ」と言い残し、死を迎える。
邪魔者を取り除くように葬られたあと、その檻には若々しい生命力に満ちた豹が入れられた。
この最期の言葉から、何を伝えようとしているのだろう。
ぐるぐると考えたが、答えは出なかった。
文字通り檻にこもり、己れの信念のまま断食をやり続け、そして邪魔者になり死んでいく。
その姿は、『変身』のグレゴールとも重なった。
虚しさでいっぱいになる読後感もよく似ていた。
どちらも、周りの人間のようには生きられない、生きづらい人間を描いているような気がした。 -
Posted by ブクログ
言わずと知れたカフカの名作である。
ある朝グレゴール・ザムザは何やら不穏な夢から覚めると1匹の大きな毒虫になってしまう。無論、タイトルの「変身」はその激的な冒頭文のことを指しているのであろう、そう思った。
毒虫になったザムザは部屋から出られずに1人で生きることは出来なくなったため家族が養ってあげることになった。なんて優しい家族なんだ。人間の食べものは食べられずに残飯を好んで食べ、人の言葉を失った代わりに虫の鳴き声で話し、本当にただのでかい毒虫になってしまったのである。そしたら家族もかつてはザムザだったその毒虫を「ただの毒虫」として扱うようになっていく。
嗚呼そうか、タイトルの「変身」とは家族が激的に変わっていく様も表しているのか。
現実世界で人間は毒虫になんぞに変身しない。でもどうだろうか?ある日を境に家族が変わっていく様は現実にも腐るほどあるではないか。そこにあるのは美談ではなく残酷な現実である。そうか、だからカフカは「変身」を淡々と即物的に書いたのか。 -
Posted by ブクログ
『審判』カフカ
100分で名著。
これで取り上げて欲しい1冊となりました。
1.購読動機
筒井康隆さんの読書の極意と掟のなかの一冊です。プロが影響を受けた書物に関心が芽生えたからです。
2.本書の内容
主人公は銀行エリートです。
30歳の誕生日に逮捕をされます。
それが物語の始まりです。
なぜ逮捕されたのか?
結末は?
読者の関心を引っ張りながら物語は淡々と展開します。
無実を信じる被告。
それがゆえの楽観。
しかし、時の経過とともに、無実を証明する戦いに体力、神経をすり減らす日々。
証明するために、自ら情報をとりにいき認識できる現実。
裁判所なる組織。
裁判官の上級、下級。
弁護士の役割と現実。
そして被告の結末。
3.読み終えて
やりきれない感覚と表現したら良いでしょうか?
40歳と少しで生涯を閉じたカフカ。
独り身であったカフカ。
彼が未完といわれながら描いた作品は、法治国家への警鐘というレベルに留まらないと考えます。
人間の尊厳とは?
社会そして己でどのように守るのか?
#読書好きなひとと繋がりたい
-
Posted by ブクログ
追記
Kがしていることは、不断の闘争によって、自分で自分のために希望を創り出すこと。どんな小さなことも、自分で闘い、勝ち取らねばならない。それが自分の人生を生きるということだろう。
ーーーー
出会った中で最高の小説。人生の暗喩。
Kは城からどんなに蔑ろに扱われようとも、村人がどんなに信用できなくても、自分で自分を信じることをやめない。自分は使命をもってやってきた!その使命をやり遂げたい!と動き続ける。周りの環境が絶望的であればあるほど自分を信じる心が希望としての尊さを増す。
私ももうすぐ何がしかの仕事をもらって社会に出る。そこで相手に本当に必要とされているのかわからなくても、あるいは周りの全員が信用できなくても、自分だけは自分を信じていたい。何らかの使命を持って生きていて、それを絶対果たすんだと思い続けたい。
これが使命だというものを見定められたら幸せだか、それも終わりの無いものかもしれない。人生も死ぬまで未完だ。
-
Posted by ブクログ
同じ訳者の「カフカ短編集」が面白かったので、こちらも読んでみる。
「寓話集」といっても、カフカがこれは寓話でこれは短編と仕分けた訳ではない。タイトルは、「カフカは現代の大人のための楽しい寓話である」という訳者の解釈から来たものだろう。
「短編集」を読んだときは、「そうはいっても、やっぱり暗いよなー」という感じがしたが、こちらは、なるほど寓話と言う感じだな。動物が主人公のものが多いし。
「皇帝の使者」「ジャッカルとアラビア人」「巣穴」「断食芸人」「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族」あたりが、特に面白かった。
きっとどれも昔読んだ事があるはずだけど、印象はかなり違う感じ。自分が変ったのか、訳者の「寓話」としての解釈のせいか。 -
購入済み
ネガティヴ思考もありじゃない?
現代作家の小説や漫画にカフカの名前がよく出てきて気になり手にした本。
ポジティブ思考なゲーテの言葉と極端にネガティヴなカフカの言葉の対比がとても新鮮で、マイナス思考っぷりが引き立ち、なんだか笑えてきました。
世に出回る自己啓発本に、ちょっと疲れたなと思える人にはホッとできる、そんな一冊でした。