フランツ・カフカのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレなぜグレーゴルは虫に変身という状況にそんなに取り乱すこともなく、冷静に対処しようとできたのか。本書内ではもちろん理由は書かれていなかった。「そんなことよりも、自分は働かなければならない」という意思があったんだろうか。
そして、そんなグレーゴルが最後には家族の負担になってしまうという不条理。でも家族のことをただ責めることはできないのかも。コミュニケーションも取れず、でも世話をし続けなければならない。家族が暮らしていくために全員で働かなければならない。終わりの見えない長く暗いトンネル。「グレーゴルさえいなければ、、」と思ってしまう気持ちも否定はできなかった。
突然の事故や病気、高齢者の認知症など、ザムザ家に訪れた突然の暗闇は、私たちにもいつ訪れるかは絶対にわからない。でも、そうならないよう努めようと思った。 -
Posted by ブクログ
村上春樹「海辺のカフカ」を読む前に、1冊くらいカフカを読んでおこうと手を伸ばした。
本編100ページに対し、解説70ページ。
噂に違わず、難解なのかと構えたが、意外と読みやすい。
グレゴールは朝目覚めると、虫になっていた。
ベッドから降りる。シーツをかぶる。壁を這い回る。本人は真剣そのものなのに、笑える。
だが全般に漂う、閉塞感と絶望感。カフカの特徴らしい。
現在のチェコに生まれた比較的裕福なユダヤ人で、ドイツの女性と婚約を二度(破棄も二度)したカフカ。ナチスドイツも出てきた時代の、サラリーマン作家。そういった背景も含めて触れたほうがいい作品だと思いました。
三部構成のうち、二部はやや間延びしたように感じたが、一部と三部は好きだった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ目が覚めたら虫になってた…という設定は有名ですし知ってはいたのですが、内容は初めて知りました。
そもそも『虫』ってなに?というところなんですけど、別に虫であることが重要というよりは、愚鈍で醜くて役立たずで嫌悪を駆り立てる存在、ってことなのかなあ?
目が覚めたら…というのも現実に向き合った、みたいなことの比喩なんでしょうか。
ザムザは『ろくに働けない家族のためにやりたくもない仕事をして稼いでやってるんだ』という認識でいたけれど、本当は案外家族みんな自立できてるし、ザムザの助けがなくても十分だし、みんなザムザが自負するほど彼に感謝も愛着もない…という現実を目にしてしまっただけなのかも?
つまるところ、現実と向き合って最後『消えることが唯一できること』と受け入れ消えていく、そして残された家族は明るさを取り戻して前に向いて歩き出す、という結論からも、諦観と厭世観のようなものがすごく感じられました…時代もあるのかな?
なんとも言えない後味の作品でした…でも割と好きかも。笑 -
Posted by ブクログ
ネタバレある日突然虫に変貌してしまった男、グレーゴル•ザムザとその家族の顛末を描いた作品。
何故、どうして虫に変身したのかという理由は一切語られずに、一家を支えるため仕事に励んでいた好青年が突如人の言葉を介さない存在になるという不条理さ。しかもグレーゴル本人は人の心と思考を残しているのに、他人から見たら巨大な甲虫以外の何者でもないという、このなんとも言えない悲しさ...月日が経つにつれ、彼の感性が段々とそちらに寄っていくような描写があるのも悲しさを助長させます。
誰よりも父母、そして妹の事を考えて行動していた筈なのに、変わってしまった事で彼らから相容れない異物として扱われる描写の苦しさは言い表しようがありません。
グレーゴルがゆっくりと息を引き取った後、残った家族は未来への希望を見、或いは妹のグレーテが希望そのものとなりました。カフカがどのように彼の内でテーマを定めてこれを執筆したのかは図りかねますが、
『醜く変化してしまったものを過去のものとして忘れ、光ある未来へと目を向けろ。』
と言われているような気がします。
カフカはグレーゴルに自身を準えているという説がありますが、それはあながち間違いではないのではと感じられます。カフカは生涯を通じて、自分は何もできない、社会に適合できない、あるいは誰かを愛することもできない人間だという劣等感を抱いていたという話もあるようです。孤独に死んでいくグレーゴルの姿は、カフカ自身の投影そのものであるように思われます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレグレーゴル・ザムザは巨大な虫に、変わってしまった。
虫に変身したことで、厳しい労働環境、家内で自分が働かなければというしがらみから解放されたようにおもわれた。しかし、「…ふたたび仕事にとりかかった(102)」から、虫となった今では生きる行為が肉体労働に値するほど大変である状態となり、解放されるどころか肉体的にも精神的にも不自由な、閉鎖的な狭い檻に閉じ込めまれてしまっており、字面での労働も虫としての働きも本質的には同義であるようなふうにも思えた。
商人として海外を飛び回わった過去と、虫として部屋の中を動き回っている今との、彼の周りに広がる世界がコントラストになっており、逆説的にこれまでの商人という立ち位置もあながち悪くなかったのではと思わされる。
兄はすでにいないが、巨大な虫こそが兄であると認識する家族。兄だと思っていた虫が死ぬことで、今残っている家族を見つめ直すことができたのが、グレーゴル目線では寂しくあるが、まさにグレーゴルだけが可愛がっていた妹に対する両親の印象が、(グレーゴルの部屋掃除や食事を出す+後半の精神的変化によって)子供から大人に変わり、家族の関係が前向きに変化している。
妹は虫を兄と認識し、機械的でありながらもいつか元の兄の姿に戻ることを期待しながら、虫とは認知しながらも可能な限り兄のためにと行動をしていた。
グレーゴルの理解者が妹→母(荷物の移動)→誰もいなくなると変化。徐々に疎外感が強まっていく印象。
みなが虫となったグレーゴルを、グレーゴルと認識すること。グレーゴル自身が虫となった事実を受け入れていること。
→ありえないことが事実起こっているという矛盾にも感じる状況であっても受け入れざるをえない。むしろ、その方が自分にとって都合の良い解釈ともなるから、という風に感じた。まさにこの世の不条理さ、非現実やありえないと一掃しようとしても事実起こっている現実は変わらないのであるということを伝えたいと感じた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ解説を読んで少し理解が深まったと感じた。グレーゴルの虫への変身は人が普通でなくなることを表現したのかもしれない。
グレーゴルは元軍人のセールスマンで間違いなく普通の人であった。普通ではあったが、順風満帆という訳でもなく、親がいなければ仕事などとうに辞めていたという描写がある程度には自分の仕事に対して不満を抱いていた。また、彼の主観から語られる地の文からは、自分が家族の収入源だという自負が伺えた。
これらの不満や精神的負担は彼を人から虫に変身させてしまうには十分すぎるものだったのかもしれない。
解説されている通り、この物語を夢の世界だと考えるなら、描かれている家族の行動はグレーゴルのから見た家族の行動なのかな。最後のグレーゴルが息絶えるシーンでも自分は死んだ方がいいと考えているあたり、家族に金銭をもたらさない自分は価値がないと考えていそうで辛い。現実のグレーゴルがゆっくりお休みできることをお祈りします。