坂本龍一のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
文章も考えていることも経験も洞察も面白い!
「名前だけは知ってます」みたいな人も面白く読めると思う〜私も「曲は聴いたことあります」って感じだし。。
エッセイというジャンルはあまり好きではないのだが、これはエッセイ(日頃思ったこと)ではない、何かの先駆者になる人の眼差しの方向を本人の手でちょっぴり教えてくれる、そんな豊かさのある文庫本。
何より、先駆者が何に腹立って手を動かしていたのかが分かるのは面白い!先駆者って、何かに腹立ててるから先駆者なんだよね〜と。。
坂本龍一のさらに先生的な人たちの面白い言葉に沢山触れられるのも良い。
すごい人ってなにかすごいんだよねえ、何が凄いかとか私と何が違うかって難しいんだけど、このような人間の凄まじさってどう生まれてくるんだろうねえ
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Posted by ブクログ
この本を読むと、いかに坂本龍一という人物が多面的でかつ、好奇心に溢れており、世間一般的なイメージより泥臭い1人の人間である事がわかります。
おそらく、YMO時代の裏話を期待して買った方もいると思います。僕もそうです。
ただ、この本を読んだあとにYMOについては多く語らず、どちらかというと、三人の関係性や、その後の苦しみについて赤裸々に書かれており、そういった意味では良い意味で裏切られた本でした。
ちょうど明日で「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」展で終わりますが、展示きっかけで気になる方は読んで欲しいです。また違った視点で坂本龍一の一面が見えてくると思います。 -
Posted by ブクログ
現代日本の音楽家である坂本龍一(1952-2023)による自伝、2009年。
自分史を振り返りそれを不特定多数へ向けて発するのだから、そこにはなにがしかのポーズがあるのかもしれないが、幼少年期の思い出や音楽との出会い、新宿高校での学生運動、東京藝大でのさまざまなアートやアーティストとの出会い、YMO、『戦場のメリークリスマス』、『ラストエンペラー』、湾岸戦争、9.11、イラク戦争、環境運動など、57歳までの目まぐるしく濃密な半生を、気取らず、率直に語っているように感じられる。
□ 青年期の経験について
坂本龍一の半生(とりわけ青年期)を追体験しながら、こういう経験からこういう気づきを得てそれをもって次へと進んでいったのかと知ることで、力づけられる思いになった。
「西洋音楽史と個人史がクロスして、気がつけば作曲の現場と同じ時間の中にいた。それは、音楽家たちの問題意識が、自分自身の問題意識と重なりあうようになったということでもあります。」(p101)
「電子音楽に興味を持っていたのは、「西洋音楽は袋小路に入ってしまった」ということのほかに、「人民のための音楽」というようなことも考えていたからなんです。つまり、特別な音楽教育を受けた人でなくても、音楽的な喜びが得られるような、一種のゲーム理論的な作曲ができないものかと思っていた。作曲は誰でもできるはずだ、誰でもできるものでなくてはいけないんだ、と思っていました。」(p122)
「「こんな小さな世界でお山の大将になっちゃったら終わりだ、逃げ出さなくちゃ」と思った。」(p164)
「自分たちとしては、かなり満足のいくものができたという充実感もあったし、新しいスタイルの音楽を作っているんだという確信もありました。ここで得た何かを突き詰めて次に進もうという、そういう積極性に燃えていたように思います。」(p168)
「自分はそれまでずっと、自分はこういう方向性で生きていくんだ、と思い定めるようなことはなるべく避けていました。できるだけ可能性を残しておく方がいいと思ってもいた。でもそのときロンドンで、「この形でいいんだ」と思った。自分の進むべき方向を、そうやって自分で確かに選び取ったのは、実はそれが初めてのことだったかもしれません。」(p172)
「YMOに入る前にはまったくの半人前だったぼくは、バンドの中で、齟齬とか葛藤とかを経て少しずつ成長していきました。でもやがてバンド自体が消えてしまう。突然、100パーセント丸裸の自分として、ポンと放り出されたような状態になって、憎悪を向ける相手もいない。たぶん、ぼくはそのときに、「大人」にならざるをえなかった。」(187-188)
「グループとして活動していくために、自分の中にはなかったタイプの音楽を作ることになり、そのことが良い結果を生んだし、自分自身の音楽を発展させることにもなった。制約とか他者の存在というのは、とても重要だと思います。」(p243)
こうした「気づき」の中で最も鮮烈で感動的なのは、細野晴臣らとの出会いを通してポップ・ミュージックの魅力に開眼していく以下の一節だ。こういう運命的な瞬間における実感を生き生きと記録するというのは、とても貴重なことだと思う。
「つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼ら〔細野晴臣や矢野顕子ら〕が独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じ言葉でしゃべることができた。これはすごいぞと思いました。/そして、だんだん確信を持って感じるようになったのは、ポップ・ミュージックというのは、相当おもしろい音楽なんだということです。/日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に、実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる、それが当時ぼくがもっていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーションしながら作っていける、こっちの音楽の方が良い。しかも、クラシックや現代音楽と比べて、レベルが低いわけではまったくない。むしろ、かなりレベルが高いんだと。ドビュッシーの弦楽四重奏曲はとてもすばらしい音楽だけど、あっちはすばらしくて、細野晴臣の音楽はそれには劣るのかというと、まったくそんなことはない。そんなすごい音楽を、ポップスというフィールドの中で作っているというのは、相当におもしろいことなんだと、ぼくははっきりと感じるようになっていました。」(p146-147)
□ 表現について
表現(work)一般についての以下の一節。抽象化されることで、自分だけが感じ得た一回限りの透明で純粋な唯一無二性が損なわれてしまうことになるが、それと引き換えに、いつの時代のどこの文化の他者へもそれが開かれていく可能性、つまり世界性を獲得することができる、ということ。私には抽象化とそれに伴う複製可能性、反復可能性をどこか不純なものだと考えてしまう傾向があったが、その肯定的な意味を気づかされた。アレントのいうworkの意義もこういうことなのかもしれない。自分だけの唯一無二性というのも、ある意味では自己愛的で自閉的なものであるような気がしてくる。きっとこれまでも別のところで同様の趣旨のことは何度も読んできたはずなのだが、読み手であるこちら側のレセプターがようやく開かれたとでも言おうか、今日のこの日になって突然直観する、ということがある。
「ただその一方で、ある青年の妹の死というのは、その青年の記憶がなくなってしまえば歴史の闇に葬られて消えてしまいかねないけれど、歌になることで、民族や世代の共有物として残っていく可能性があります。個的な体験から剥離することで、音楽という世界の実存を得ることで、時間や場所の枠を超えて共有されていく、そういう力をもち得る。/表現というのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。だからどうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。すると、個的な体験、痛みや喜びは抜け落ちていかざるを得ない。そこには絶対的な限界があり、どうにもならない欠損感がある。でも、そういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かへの通路ができる。言語も、音楽も、文化も、そういうものなんじゃないかと思います。」(p21-22)
□ 人生の幸運について
「ぼくはほんとうにラッキーかつ豊かな時間を過ごしてきたと思う。それを授けてくれたのは、まずは親であり、親の親であり、叔父や叔母でもあり、また出会ってきた師や友達であり、仕事を通して出会ったたくさんの人たち、そして何の因果か、ぼくの家族となってくれた者たちやパートナーだ。それらの人々が57年間、ぼくに与えてくれたエネルギーの総量は、ぼくの想像力をはるかに超えている。それを考えるときいつも、一人の人間が生きていくということは、なぜこんなにも大変なことなのかと、光さえ届かない漆黒の宇宙の広大さを覗き見ているような、不思議な気持ちにとらえられる。」(p322)
確かにさまざまな出会いに恵まれたということには幸運も与かっていたのかもしれないが、しかし大事なのは、やはり坂本龍一自身が自らの身を以てそうした人たちとの出会いや関係をちゃんと(?)享受してきたということだと思う。その意味で、彼のこの華麗にして激動の生涯というのは、すごいものだと思う。 -
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Musik macht Frei. 直訳すれば、「音楽が自由を作る」。音楽は人を自由にするということだ。
恥ずかしながら、僕は坂本さんのことをあんまり詳しく存じ上げず、彼の音楽はバッハやラヴェルなんかがベースにあって、幸宏さんが「教授」と呼んだくらい理論的バックボーンのある人というイメージだったので、この本も読む前は難しいことが書いてあるのかなと思っていた。ところが、実際読んでみたらとても面白くて、スルスルと最後まで読めてしまった。
細野晴臣さんと出会ったエピソードがとても印象的で、きっと「別々の国で生まれたのに、会ったら言葉が通じた!」みたいな衝撃だったんでしょうね。矢野顕子さんとの結婚もずっと謎だったのだけれど、坂本さんからは矢野さんがこんなふうに見えていたんだな、と腑に落ちた。
YMOについても、短い活動期間で絶頂期に突然の解散みたいに感じていたけれど、三人にとってはもうすべてやり尽くしたという感じだったのか。あらためてアルバムを聴き直してみたいと思う。
坂本さんのことを「サヨク」と揶揄する人もいる。たしかに、若いころデモに参加していた坂本さんはサヨクだったかもしれない。当時の人たちは真剣なつもりだっただろうけど、いま見るとやはりある種のファッションでもあったことは否めないと思う。それと関係があるかわからないが、団塊世代はあの時代の話になると一様に口を閉ざす。それに対して、後年の「非戦」というスタンスは、坂本さんの目の前で起きた9.11の衝撃から生じた、もっと本能的というか、やむにやまれぬ衝迫のようなものだったと感じた。
この本は僕の中の坂本龍一という人間像に、具体的な輪郭を与えてくれた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ坂本龍一強化月間でこちらを。
面白かったし、ちょくちょく入る坂本龍一の写真が格好良いし、取り上げられている場所に旅行で行ってみたいなあという気持ちがわいています。
中沢「…死の問題をいろんなかたちで世界のなかに取り入れていくことが戦略上、重要なんですよね。生きている人間の世界は、「ある」か「ない」かっていうバイナリ思考に陥りがち。でも「ある」でも「ない」でもない、もっと根源的な「生命力に満ちた死」があるわけで、それを組み込むと3の世界になっていく。世界はバイナリではなくトリニティの構造に変わっていく…」(p.51)
中沢「神話の想像力と、資本主義や科学技術へと分かれていく原点は。エコロジストからは科学が悪い、資本主義は悪いって考えが出てきがちなんだけど、じつは同じところから出てきている。核もそこから生まれる。核とは何か」…
坂本「エロスの落とし子なんだね」…
中沢「(岡本太郎の太陽の塔について)核と、人間の祝祭空間が根源では同じだということを、よくわかっていた。…曼荼羅と同じ表現で、大墓地なんです。世界の根源は、墓地。意味も吹き飛ぶ、分子も吹き飛ぶ、その上に湧き上がってくる歓喜というものを描こうとしている」(p.59-61)
この一連の核が生のエネルギーの側面も持っているというところ、そういう風にとらえたことがなかったので面白かった。
中沢「音楽と神話というのはもともととても近いものなんですね。図像表現がそっけないときには、神話と音楽が発達する。」(p.84)
なるほど笑
収録場所は以下
第一章 諏訪
第二章 若狭・敦賀
第三章 奈良・紀伊田辺
第四章 山口・鹿児島
第五章 青森 -
Posted by ブクログ
ネタバレ生前は情報量が多過ぎる気がして敬遠していたけど気にはなっていた。なぜ闘病しながら活動家のようなことを続けてやっているのか…この本でほんの少しだけ、彼の言い分のようなものを知れた気がする。去る準備ができることを幸せだと思うこともあるだろうけど、やはりもう少し時間があれば…ファンですらないのに、そんなことを思った。
それにしてもさまざまな知識が語られるので、周りの人も博学なのか?自分の周りにはこんな話す人はいないので、新鮮。多方面に関係団体や人物が出てくるので、ノートに書き出したくなる。読み終えて、そういえばと思ったが、パートナーと大貫妙子さんの話はあるけど、矢野顕子さん方面の話はなく、お孫さんのはなしくらいしかなかった気がする。最後はなんだか突然終わったような感じだったが、あとがきを読むことで、ひとまず納得して本を閉じることができたように思う。