あらすじ
「あまり気が進まないけれど」と前置きしつつ、日本が誇る世界的音楽家は語り始めた。伝説的な編集者である父の記憶。ピアノとの出合い。幼稚園での初めての作曲。高校での学生運動。YMOの狂騒。『ラストエンペラー』での苦闘と栄光。同時多発テロの衝撃。そして辿りついた新しい音楽――。華やかさと裏腹の激動の半生と、いつも響いていた音楽への想いを自らの言葉で克明に語った初の自伝。
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◯ でも細野さんは、そういう勉強をしてきたわけでもないのに、ちゃんとその核心をわがものにしている。(146p)
◯ もともと現実は虚構で、虚構も現実で、境い目はないんです。(228p)
◯ ドビュッシーの、あの人類史上最も洗練されていると言っていい音楽にも、フランスの帝国主義、植民地主義の犯罪性が宿っている。(292p)
◯ できるだけ手を加えず、操作したり組み立てたりせずに、ありのままの音をそっと並べて、じっくり眺めてみる。そんなふうにして、ぼくの新しい音楽はできあがりつつあります。(317p)
★ご自分の人生について、誠実に語られていて、とても面白かった。お父様が編集者をされていたこともあり、文芸や評論にも明るく、映画にもお詳しい。ご本人ははじめは積極的ではなかったと語られているが、バッハやドビュッシーといったクラシックから、ミニマル・ミュージックや、ジョン・ケージ等の現代音楽を辿り、芸大では民族音楽や電子音楽も勉強されて、なおかつポップの道に入った。そういう方は唯一無二だったのではないか。
★環境問題、社会問題に対する活動も、積極的にではなく、やむを得ずやっていると言われているが、きっと、自分のためではなく、他者のために動ける人なのだろう。
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YMO前後の坂本龍一の様子など、貴重な記録である。
ポップ・ミュージックに対する彼の見識など、とっても興味深い。
*フォークの中にさえ、ブルースなどのブラック・ミュージックの痕跡を見るなど。
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坂本龍一展に行ったら、平日なのに大行列だった。運よく行せつに並ぶ前に、ミュージアムショップでこの本を調達し、少しだけ予習をして過ごした。
この本を読んで、坂本龍一展を見て、「私は坂本龍一について何も知らなかった」と思った。もちろん、会ったこともないので当たり前なんだけど。戦場のメリークリスマスやYMOの曲は何度も耳にしていたから、勝手に親しみを感じていて、でもその背景には想像もつかないような経験の積み重ねがある。最近読んだ他の本に影響されている部分もあるけれど、読みながら少し苦しくなった。
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坂本氏の生きた時代から20年後に後追いで生活をしている私にとって、へ〜そうだったのね!という発見があり楽しかった。
とても不思議なことが一つありました。ごく普通の話をしているのですが、何故か没入してしまう語り方。羨ましい。
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めっちゃ面白かった。すごい人って幼少期の環境から全然違うよなあと、凡人の私は羨ましく思った。色んな人との出会いによって仕事が生まれていく過程は勉強になる。音楽を仕事にできるのっていいなー、かっこいいなー、、何かゼロから自分で表現して生み出してみたいなと思わされた。
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身近に置いて、よく手に取ります。坂本龍一さんのボソボソした声が聞こえてきそうな本。まだまだ生きていただいて、すてきな音楽をききたかったな。若い頃の教授の姿を思い浮かべながら、みんなそう思うはず。まだ悲しいです。合掌。
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ハラタツけど教授、かっこよすぎ…!
スカした野郎だけどそれが問答無用で許されるし、跪かずにはおれない。教祖とはこのことか(?)村上春樹でさえ、「ダンスダンスダンス」に無意味に唐突に坂本龍一という4文字を登場させずにはいられないって…!
やれやれ!全く憎い男だぜ!
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p49
「おまえ、ビートルズ知ってる?」って訊くんです。知ってるやつとは仲良くする。知らないやつは、あまり相手にしないことにする。
p229
ファシズムは何か崇高な美に対する強い憧れのようなものがあります。彼らは、ただ野蛮なだけではなく、高貴な教養があって、洗練されている者もいた。
p233
ベルトリッチ監督は、放っておくと半年でも編集を続けて全然違う映画にしてしまうような人なんです。
p287
戦車を買うわけにはいかないので、レンジローバー。
p291
その一方で、音楽的にも文化的にも、ぼくが得てきたものはほとんどアメリカ経由なんです。ロックはもちろん、東洋思想だって、禅だってそうです。
p316-317
人間が自然にかける負荷と、自然が許容できる限界とが折り合わなくなるとき、当然敗者になるのは人間です。困るのは人間で、自然は困らない。自然の大きさ、強さから見れば、人間というのは本当に取るに足らない、小さな存在だということを、氷と水の世界で過ごす間、絶えず感じさせられ続けた。そして、人間はもういなくてもいいのかも知れない、とも思った。
自問と自省、丁寧な語り口、本当に不思議な人。
直撃世代ではないけど、音源出たらたまに聴いていた、くらいの距離感。でも、最近どういう人だったのだろうかと興味がわき、購読。
思う、とか、かもしれない、とか、あくまで自身の感想と推量が多く、慎重である意味では素直(本人は天邪鬼だと思っていそうだけど)な人だったのだろうなと思いました。
本人は否定するけど、モリコーネを引き合いに出される日本人なんて、坂本龍一以外にいないでしょう。創作における原動力として、怒り、憤り、フラストレーションを糧に。見た目からは想像しにくいけど、そういう感情が見え隠れするのが彼の魅力の一つ。
これからも数多くある映画音楽とYMOやソロの音源など、長らく私の生活のそばにあるのだと思う。
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戦場のメリークリスマスのイメージが強くてYMOというテクノポップの先駆者的なバンドをやっていたり学生運動に参加したりあくが強そうな背景も持ってるんだと驚いた。
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坂本龍一さんが雑誌の連載で2年近くに渡って語った自伝をまとめた一冊。
坂本龍一さんと言えば「戦場のメリークリスマス」と「ラストエンペラー」くらいしか知りませんでしたが、随分と幅広く活動されていたんだなと驚きました。
先進的で、過去にこだわらずどんどん新しいことをやってみる。何にも執着しない。
音楽もクラシック、ロック、ポップスと様々にジャンル分けされてはいても、長い歴史の中で必ず潜在的に他のジャンルの影響を受けているわけだから、音楽家でも、そのジャンルの中だけで活動する人もいれば、複数のジャンルを渡り歩くように活動する人もいるんだな、と思いました。
備忘として、自分の中で一番印象に残った部分を引用します。↓
『表現というのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。
だからどうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。
すると、個的な体験、痛みや喜びは抜け落ちていかざるを得ない。そこには絶対的な限界があり、どうにもならない損感がある。
でも、そういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かくの通路ができる。
言語も、音楽も、文化も、そういうものなんじゃないかと思います。』(本作P.22より引用)
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坂本龍一さんの自伝。というかインタビュー形式の対談でご自身が語られた内容が本になったもの。記憶のある幼少時のことから語られている。坂本さんが自然に語っておられる様に感じてしまいます。しみじみ。
語られたことがほぼ直接文章になっているので、様々な言葉に対して注釈が付いている。私も時々注釈を見て、そういうことなのか、と頷いていました。
1950年代からの日本の情景もよく見えてきます。私は年下なので完全に同時代を生きたとは言えないけれど、かなりの部分が重なっている。特に一定期間、同じ地域で暮らしていたことがあり、当時の坂本さんの社会の見方、ご感想・ご意見に共感を覚えるところが数多くありました。
作品の後半でさりげなく語っておられるけど、坂本さん自身が語られた、ご自身の創作活動について一番よく表現しているところが、「ずっと考えていることなんですが、自分ができてしまうことと、本当にやりたいことというのが、どうも一致しない場合が多いんです。できてしまうから作っているのか、本当に作りたいから作っているのか、その境い目が、自分でもよくわからないんですね。」(p273)という部分、だと思います。
やはり、坂本さんは天才なのだな、ということを思い知りました。
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坂本龍一さんが自身の半生を語る
出てくる人物名の9割分からなかったけど面白かった
世の中知らないことに満ちすぎているな
人生はエゴと制約の葛藤なのかもしれない
坂本龍一さんの人生と照らし合わせるのはおこがましすぎるけども
俯瞰から徐々に熱を帯びて主観的になっていくのがいい
歳をとってよかった、若さなんていいもんじゃないという言葉が残った
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坂本龍一氏が雑誌の連載でインタビューに答えながら来歴を語ったものを集めた本。
出版のタイミングの関係で、亡くなるまでではなく2000年代の初頭くらいまで。
小生の父親世代ではないけれど、20年以上歳上なので、なかなか違う時代である。
ご存知の向きも多いが、坂本氏はかなり学生運動に傾倒していた方で、その周辺の登場人物とか、時代の雰囲気とか、読んでいても、なんとかついていけるかどうか、という感じである。
それくらい、独特な世界観の時代だったわけだが、娘が読んでも肌感覚としては伝わらないだろうなぁ、という印象。
個人的に面白かったのは、幼少期に経験した「点」と「点」がつながっていく様だったり、同じく映画に関わるようになっていった流れ。
あぁそこで作曲をやって、それがこうなって・・・というのが非常に興味深かった。
ガリガリピアノをやっていたわけではないけれど、勉強もそんなに頑張っていたふうではないけれど、それでもやっぱり芸大一発合格なんだなぁ。
そんなことも考える。
もちろん娘の進路も頭の片隅におきながら・・・。
あんまり有名な本でもないけれど、興味のある方は読んでみては。
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文章も考えていることも経験も洞察も面白い!
「名前だけは知ってます」みたいな人も面白く読めると思う〜私も「曲は聴いたことあります」って感じだし。。
エッセイというジャンルはあまり好きではないのだが、これはエッセイ(日頃思ったこと)ではない、何かの先駆者になる人の眼差しの方向を本人の手でちょっぴり教えてくれる、そんな豊かさのある文庫本。
何より、先駆者が何に腹立って手を動かしていたのかが分かるのは面白い!先駆者って、何かに腹立ててるから先駆者なんだよね〜と。。
坂本龍一のさらに先生的な人たちの面白い言葉に沢山触れられるのも良い。
すごい人ってなにかすごいんだよねえ、何が凄いかとか私と何が違うかって難しいんだけど、このような人間の凄まじさってどう生まれてくるんだろうねえ
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坂本龍一の曲も知らずに読み始めた。(常識なさすぎ)
成り行きのようで、会うべき人に会うようにさだめられたようで。
人が生きるって出会いの連続なのかなと思う。
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この本を読むと、いかに坂本龍一という人物が多面的でかつ、好奇心に溢れており、世間一般的なイメージより泥臭い1人の人間である事がわかります。
おそらく、YMO時代の裏話を期待して買った方もいると思います。僕もそうです。
ただ、この本を読んだあとにYMOについては多く語らず、どちらかというと、三人の関係性や、その後の苦しみについて赤裸々に書かれており、そういった意味では良い意味で裏切られた本でした。
ちょうど明日で「坂本龍一 | 音を視る 時を聴く」展で終わりますが、展示きっかけで気になる方は読んで欲しいです。また違った視点で坂本龍一の一面が見えてくると思います。
Posted by ブクログ
1月に坂本龍一展に行った
時間や音の枠を超えようとする展示よりも、若い頃から彼が書いていた日記が印象的だった
そして、この本には彼が若者だった60-70年代が書かれてあった
あの時代の若者はたぶんあの時代だけ
それより前とも後とも、異質なのである
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坂本龍一の自伝。生まれた時、幼少期、中学、高校、大学そしてYMO時代、ニューヨークでの生活、9.11テロ、様々な経験した事、生き様が書かれていました。ドビッシーの生まれ変わりだと思うくらい好きだったんですね。学生運動でヘルメットを被って暴れてたなんて想像できなかったな。昔から難しい本をたくさん読んで、音楽を聴いて曲を作って、たくさんの人との出会いを経て坂本龍一ができたのがよくわかった。
Posted by ブクログ
YMOとの出会いは衝撃で、何十年経ってもまだ頭の中に曲が流れる事も
YMO前の意外な人との接点は面白く、一方で凡人にはとてもわからない感受性や思想等は、やっぱりこの人は天才なんだなと思った
(追記)
あと、当時はみんな同じ大人にみえたYMOって、坂本さんにとっては「社会人一年生」だったみたいですね笑
Posted by ブクログ
優れた「聞き手」が居てくれると
その話者の話者たるところが
十二分に浮かび上がってくる
まさに
そのお手本だと思った
坂本龍一さんが
自ら書き下ろすということは
ほぼ考えられない
よくぞ
この企画をしてくださった
この対談形式の
聞き取りがあったからこそ
坂本龍一さんが生きてこられた
その時代のムードを
的確にとらえておられた
その時代の形を
音楽だけではなく
言葉として、文字として
私たちが
共有させてもらえたことは
まことに 嬉しい
「エンジン」編集長の
良き聞き手
鈴木正文さんに感謝である
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現代日本の音楽家である坂本龍一(1952-2023)による自伝、2009年。
自分史を振り返りそれを不特定多数へ向けて発するのだから、そこにはなにがしかのポーズがあるのかもしれないが、幼少年期の思い出や音楽との出会い、新宿高校での学生運動、東京藝大でのさまざまなアートやアーティストとの出会い、YMO、『戦場のメリークリスマス』、『ラストエンペラー』、湾岸戦争、9.11、イラク戦争、環境運動など、57歳までの目まぐるしく濃密な半生を、気取らず、率直に語っているように感じられる。
□ 青年期の経験について
坂本龍一の半生(とりわけ青年期)を追体験しながら、こういう経験からこういう気づきを得てそれをもって次へと進んでいったのかと知ることで、力づけられる思いになった。
「西洋音楽史と個人史がクロスして、気がつけば作曲の現場と同じ時間の中にいた。それは、音楽家たちの問題意識が、自分自身の問題意識と重なりあうようになったということでもあります。」(p101)
「電子音楽に興味を持っていたのは、「西洋音楽は袋小路に入ってしまった」ということのほかに、「人民のための音楽」というようなことも考えていたからなんです。つまり、特別な音楽教育を受けた人でなくても、音楽的な喜びが得られるような、一種のゲーム理論的な作曲ができないものかと思っていた。作曲は誰でもできるはずだ、誰でもできるものでなくてはいけないんだ、と思っていました。」(p122)
「「こんな小さな世界でお山の大将になっちゃったら終わりだ、逃げ出さなくちゃ」と思った。」(p164)
「自分たちとしては、かなり満足のいくものができたという充実感もあったし、新しいスタイルの音楽を作っているんだという確信もありました。ここで得た何かを突き詰めて次に進もうという、そういう積極性に燃えていたように思います。」(p168)
「自分はそれまでずっと、自分はこういう方向性で生きていくんだ、と思い定めるようなことはなるべく避けていました。できるだけ可能性を残しておく方がいいと思ってもいた。でもそのときロンドンで、「この形でいいんだ」と思った。自分の進むべき方向を、そうやって自分で確かに選び取ったのは、実はそれが初めてのことだったかもしれません。」(p172)
「YMOに入る前にはまったくの半人前だったぼくは、バンドの中で、齟齬とか葛藤とかを経て少しずつ成長していきました。でもやがてバンド自体が消えてしまう。突然、100パーセント丸裸の自分として、ポンと放り出されたような状態になって、憎悪を向ける相手もいない。たぶん、ぼくはそのときに、「大人」にならざるをえなかった。」(187-188)
「グループとして活動していくために、自分の中にはなかったタイプの音楽を作ることになり、そのことが良い結果を生んだし、自分自身の音楽を発展させることにもなった。制約とか他者の存在というのは、とても重要だと思います。」(p243)
こうした「気づき」の中で最も鮮烈で感動的なのは、細野晴臣らとの出会いを通してポップ・ミュージックの魅力に開眼していく以下の一節だ。こういう運命的な瞬間における実感を生き生きと記録するというのは、とても貴重なことだと思う。
「つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼ら〔細野晴臣や矢野顕子ら〕が独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じ言葉でしゃべることができた。これはすごいぞと思いました。/そして、だんだん確信を持って感じるようになったのは、ポップ・ミュージックというのは、相当おもしろい音楽なんだということです。/日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に、実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる、それが当時ぼくがもっていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーションしながら作っていける、こっちの音楽の方が良い。しかも、クラシックや現代音楽と比べて、レベルが低いわけではまったくない。むしろ、かなりレベルが高いんだと。ドビュッシーの弦楽四重奏曲はとてもすばらしい音楽だけど、あっちはすばらしくて、細野晴臣の音楽はそれには劣るのかというと、まったくそんなことはない。そんなすごい音楽を、ポップスというフィールドの中で作っているというのは、相当におもしろいことなんだと、ぼくははっきりと感じるようになっていました。」(p146-147)
□ 表現について
表現(work)一般についての以下の一節。抽象化されることで、自分だけが感じ得た一回限りの透明で純粋な唯一無二性が損なわれてしまうことになるが、それと引き換えに、いつの時代のどこの文化の他者へもそれが開かれていく可能性、つまり世界性を獲得することができる、ということ。私には抽象化とそれに伴う複製可能性、反復可能性をどこか不純なものだと考えてしまう傾向があったが、その肯定的な意味を気づかされた。アレントのいうworkの意義もこういうことなのかもしれない。自分だけの唯一無二性というのも、ある意味では自己愛的で自閉的なものであるような気がしてくる。きっとこれまでも別のところで同様の趣旨のことは何度も読んできたはずなのだが、読み手であるこちら側のレセプターがようやく開かれたとでも言おうか、今日のこの日になって突然直観する、ということがある。
「ただその一方で、ある青年の妹の死というのは、その青年の記憶がなくなってしまえば歴史の闇に葬られて消えてしまいかねないけれど、歌になることで、民族や世代の共有物として残っていく可能性があります。個的な体験から剥離することで、音楽という世界の実存を得ることで、時間や場所の枠を超えて共有されていく、そういう力をもち得る。/表現というのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。だからどうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。すると、個的な体験、痛みや喜びは抜け落ちていかざるを得ない。そこには絶対的な限界があり、どうにもならない欠損感がある。でも、そういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かへの通路ができる。言語も、音楽も、文化も、そういうものなんじゃないかと思います。」(p21-22)
□ 人生の幸運について
「ぼくはほんとうにラッキーかつ豊かな時間を過ごしてきたと思う。それを授けてくれたのは、まずは親であり、親の親であり、叔父や叔母でもあり、また出会ってきた師や友達であり、仕事を通して出会ったたくさんの人たち、そして何の因果か、ぼくの家族となってくれた者たちやパートナーだ。それらの人々が57年間、ぼくに与えてくれたエネルギーの総量は、ぼくの想像力をはるかに超えている。それを考えるときいつも、一人の人間が生きていくということは、なぜこんなにも大変なことなのかと、光さえ届かない漆黒の宇宙の広大さを覗き見ているような、不思議な気持ちにとらえられる。」(p322)
確かにさまざまな出会いに恵まれたということには幸運も与かっていたのかもしれないが、しかし大事なのは、やはり坂本龍一自身が自らの身を以てそうした人たちとの出会いや関係をちゃんと(?)享受してきたということだと思う。その意味で、彼のこの華麗にして激動の生涯というのは、すごいものだと思う。
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Musik macht Frei. 直訳すれば、「音楽が自由を作る」。音楽は人を自由にするということだ。
恥ずかしながら、僕は坂本さんのことをあんまり詳しく存じ上げず、彼の音楽はバッハやラヴェルなんかがベースにあって、幸宏さんが「教授」と呼んだくらい理論的バックボーンのある人というイメージだったので、この本も読む前は難しいことが書いてあるのかなと思っていた。ところが、実際読んでみたらとても面白くて、スルスルと最後まで読めてしまった。
細野晴臣さんと出会ったエピソードがとても印象的で、きっと「別々の国で生まれたのに、会ったら言葉が通じた!」みたいな衝撃だったんでしょうね。矢野顕子さんとの結婚もずっと謎だったのだけれど、坂本さんからは矢野さんがこんなふうに見えていたんだな、と腑に落ちた。
YMOについても、短い活動期間で絶頂期に突然の解散みたいに感じていたけれど、三人にとってはもうすべてやり尽くしたという感じだったのか。あらためてアルバムを聴き直してみたいと思う。
坂本さんのことを「サヨク」と揶揄する人もいる。たしかに、若いころデモに参加していた坂本さんはサヨクだったかもしれない。当時の人たちは真剣なつもりだっただろうけど、いま見るとやはりある種のファッションでもあったことは否めないと思う。それと関係があるかわからないが、団塊世代はあの時代の話になると一様に口を閉ざす。それに対して、後年の「非戦」というスタンスは、坂本さんの目の前で起きた9.11の衝撃から生じた、もっと本能的というか、やむにやまれぬ衝迫のようなものだったと感じた。
この本は僕の中の坂本龍一という人間像に、具体的な輪郭を与えてくれた。
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本音を言えば、あまり気が進みません、からはじまる、坂本龍一の人生の振り返り。常に自分から何かしてきたわけではない、としながらも、その時々に起こる機会に対して、尋常ならざる好奇心や好き嫌いが、人生で出会う人を多様にし、圧倒的に多面的で複雑なインプットが、幼少期から学んだ正当な音楽理論の上に乗って、ハーモニーを奏でる。そんな背景でこの音楽が作られているんだ、という、その裏にある果てしない奥深さを垣間見た
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書店でふと手に取った坂本龍一さんの自伝。若かりし頃の猪突猛進さ、求められる方へ良い意味で流されながら。3.11やグリーランドの景色に感じた危機感から、社会的アンテナが広がっていく。激動と崩壊の狭間で、いつも音が紡がれていた。
Posted by ブクログ
2023年の年始に坂本龍一のドキュメンタリーをNHKで放送したが視る事が出来なかった。視るには何かしらの覚悟が要り、その覚悟が持てなかったからだ。
しばらく時を開けこの本を取り、その人生を悼む。クラシックとポップ、両面を使い分けた世界で最も膾炙された日本の音楽家であった。今なら冒頭のドキュメンタリーも視聴出来ると思う。
因みに父親の坂本一亀はこの本の中では希薄な存在である。元々希薄な親子関係だったのか、それとも男の親子特有の一種の照れから敢えて詳しく述べなかったのか…
思考的にはこの親あってこの子あり、といったイメージがあるのだが。
扶桑書店アルプラザ堅田店にて購入。
Posted by ブクログ
2024年3月まで、初台のNTTインターコミュニケーションセンター(ICC)で開催中の「坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア」を見てきた際に、そういえば未読だったということで、こちらを購入。
2009年に出版された本作は、坂本龍一が自らの幼少期から現在までを語る自伝であり、この本ならではのエピソードも数多く収録されている。
特に「ラスト・エンペラー」をはじめ、様々な映画音楽に関してはステークホルダーが多かったであるからだろうか、かなりのボリュームが割かれており、さすがの教授といえども苦心したエピソードなどが非常に印象深い。