あなたは、『エンゼルスの大谷翔平選手が高校一年生のときに書いた』「マンダラチャート」を知っているでしょうか?
2024年のナショナル・リーグ最優秀選手(MVP)に選ばれた大谷翔平選手。リーグMVPに輝くのは実に3回目という大谷選手の活躍は、暗いニュースばかりの私たちの日常に前向きな話題をもたらしてくれました。そんな大谷選手が高校生の時に書いたという「マンダラチャート」がニュースを席巻したのは2023年のこと。そんな大谷選手は高校三年生の時に『人生設計シート』も作成しています。
『18歳 メジャー入団』から始まる将来の目標が『人生が夢をつくるんじゃない!夢が人生をつくるんだ!!』と大きく書かれた言葉と共に時系列に記された『人生設計シート』。『子供の頃から将来の目標を定め、それに向かって一直線に突き進んで生きてきた』という大谷選手のことを思う中には、人は自然と自分自身の今までの人生を振り返ってもしまいます。
さてここに、大谷選手の「マンダラチャート」を見て自身の今を思う女性が主人公となる物語があります。『もしも、もう一度人生をやり直せるならば…』と思いを込める女性が描かれるこの作品。そんな女性が”タイムスリップ”する様を描くこの作品。そしてそれは、”男尊女卑が色濃く残る昭和で令和の生きづらさを解決するため”に『やり直し』の人生を生きる一人の女性の苦闘の日々を見る物語です。
『大谷選手はね、高校生のときから人生の目標を決めていたんですよ』、『これはね、目標達成のためのマンダラチャートなんですよ』というアナウンサーの説明の中、『テレビ画面』に『エンゼルスの大谷翔平選手が高校一年生のときに書いたものだという』『九 × 九の八十一のマス目が大写しになった』のを見るのは主人公の北園雅美(きたぞの まさみ)。『18歳 メジャー入団』、『20歳 メジャー昇格 十五億円』と次に映された『時系列に沿っ』て記された『人生設計シート』を見る雅美は、次第に『胸が苦しくなってき』ます。『子供の頃から将来の目標を定め、それに向かって一直線に突き進んで生きてきたという』大谷選手を思い、『いいなあ、男は。目標に向かってまっしぐらじゃないの。それに比べて、女の人生は結婚や出産で否応なく中断させられてしまう。そしてあっという間に、六十歳だ』と今の自分を思います。『自分の未来は開けているし、可能性は努力次第で無限大だ』と『本気でそう信じていた』雅美は『明るい未来を信じていた中学生の私が、六十代になった今の私を見たらどう思うだろう』と考えます。『もしも、もう一度人生をやり直せるならば、自分の人生を邪魔するものは一切合切排除してみたい』、『人生は一度きりなのだ』と思う雅美。『子供たちも独立し、夫婦二人暮らしだ』という今の雅美は、『夫に一刻も早く帰ってきてほしいなんて、これっぽっちも思って』いませんが仕方なく『夕食の準備に取りかか』ります。そんな中に『玄関ドアが開く音が聞こえ』夫が帰ってきて夕食となりました。WBCの話になり、『大谷選手のマンダラチャートって知ってる?』と訊く雅美に『碁盤目のやつだろ?』と答える夫。『実は私…大谷選手がすごすぎて、自分の人生って何だったんだろうって、落ち込んじゃったんだよね。だから今日の試合が見られなかったの』と話す雅美に『本気で言ってんのか?自分と大谷選手を比べるなんて…そんなこと絶対に他人に言うなよ。頭がおかしいと思われるぞ』と夫に言われてしまい、『夫はどんな話題であっても妻を見下そうとするようになった』と改めて感じます。『互いに平均寿命まで生きるとしたら、あと二十年も三十年も一緒に暮らさなければならない』と今の境遇を思う雅美。
場面は変わり、夫が『早朝からゴルフに出かけた』ことで『心に解放感が広がる』雅美は、『ささやかな贅沢』として楽しみにしている『近所のカフェのモーニング』へと出かけます。『いつものお気に入りの席に着』き、『トーストサンドを食べ終え、コーヒーも飲み干した』雅美は、『ポシェットに入れておいた買い物リストの紙片を取り出し』ます。『鶏ささみ、きゅうり、練り胡麻…』と書いてあるリストに『「果物」と書き足したあと、ふと思いついて紙を裏返し、真っ白な紙面に碁盤目の線を引いてみ』る雅美は、『きっと大谷選手も、こうやって線を引くところから始めたのだろう』と、『ドラ1、8球団』と「マンダラチャート」を書いた彼のことを思います。そして、『もしも自分が高校時代に戻れるとしたら、何を書くだろう』と考える雅美ですが、『何ひとつ具体的な目標』を思い浮かべることができません。そんな中に、『目標は「男女平等の世の中」にしてみたら?』、『女性が胸を張って生きられる世の中にする』というようなことを思いつくも『そんな壮大な目標を達成するためには何をすればいいの?』と思う中に『そんなことより、帰ったら風呂の掃除をしなくちゃ』と身近なことに注意がいってしまいます。一方で、『水回りの使いにくさも女性の貴重な人生の時間を奪っているのだから、マンダラチャートの目標を囲むマス目に書いておこう』と『家庭内の設備は、家事に熟練した人間が設計すること』と記す雅美。『偏見に満ちたコマーシャルを全部排除すること』等、『勢いがつき、次から次へと乱暴な字で書き入れて』いく雅美は、『知らない間にマス目を埋めることに夢中になってい』きました。そして、『考えが整理されて優先順位も見えてきた』雅美でしたが、『書き終わって眺めていると、マンダラチャートの中心が台風の目のようになり、周りの文字がぐるぐると回り始め』ます。『目の錯覚だろうか』と思うも『眩暈はしないし、気分も悪くならない。そのうえ意識もはっきりしている』という中に『頬に風を感じ』る雅美は、『気持ちのいい風だったので、そのままじっとマンダラチャートの中心のマス目を見つめ』ます。そんな時、『え?』『どういうこと?』という思いの中、『目標を書いた中心のマス目に、全身が吸い込まれてい』きます。
再度場面は変わり、『あ、この曲、知ってる』と、『両隣からも背後からも歌声が聞こえてくる』中に、『この曲は天地真理の「ひとりじゃないの」だ』と思う雅美は、自分が『舞台に立っているらしい』ことに気づきます。『そう言えば中学生のとき、クラス対抗の合唱コンクールがあったが、そのときと雰囲気がそっくりだ』、『これは、夢だよね?』という先に、まさかの中学二年生の自分の身体へとタイムスリップした雅美の『やり直し』の人生が描かれていきます。
“六十代の主婦・雅美は、大谷選手の書いたマンダラチャートを真似て、マス目を埋めてみる。もし、人生をやりなおせるならば、「女性が胸を張って生きられる世の中にしたい」。そう記した途端、雅美はマンダラチャートに飲み込まれ、中学生に戻ってしまう…。同じくタイムスリップした、かつての憧れの人・天ヶ瀬とともに昭和の古くさい価値観を変えようと、奮闘する雅美だが…”と内容紹介にうたわれるこの作品。中央公論新社の「つながる文芸webサイト”BOC”の2023年11月号から2024年8月号に連載された作品が2024年11月20日に加筆修正の上、単行本として刊行されています。
そんなこの作品は内容紹介にある通り”タイムスリップ”を取り上げた作品です。2019年12月から小説ばかりを読んできた私は、読者&レビューの日々を送り続ける中、ついに念願の1,000冊の大台!を超えることができました。そんな私は、一にも二にも”タイムスリップ”を取り上げた作品に出会うために読書を続けています。しかし、女性作家さんの作品に限定した読書という制約が課せられた中では”タイムスリップもの”の作品がどれであるかの特定が難しく、やむを得ず地道に一冊ずつ読み続けています。男性作家さんに比べて女性作家さんで”タイムスリップ”を取り上げる作家さんはもともと少ないと感じていますが、一方で、”タイムスリップ”を扱った作品を複数発表されている作家さんがいらっしゃることに気づきました。ここにまとめておきましょう。
● “タイムスリップ”を扱った複数の作品を発表されている女性作家さん
・恩田陸さん
①「ライオンハート」(2000年12月1日刊)
②「ねじの回転」(2002年12月5日刊)
→ ①と②は似ても似つかない別ものの作品
・畑野智美さん:
①「ふたつの星とタイムマシン」(2014年10月24日刊)
②「タイムマシンでは、行けない明日」(2016年11月25日刊)
→ 発表は① → ②の順番ですが、②が長編大作で①は②のスピンオフのようなイメージの作品
・阿部暁子さん:
①「どこよりも遠い場所にいる君へ」(2017年10月20日刊)
②「また君と出会う未来のために」(2018年10月19日刊)
→ ①と②は緩やかに繋がる同じ世界観の作品
・内山純さん:
①「レトロ喫茶おおどけい」(2023年8月8日刊)
②「さかのぼり喫茶おおどけい」(2025年1月15日刊)
→ ①と②は連作短編構成のシリーズ作品
四人の作家さんの名前を挙げさせていただきました。この中では恩田陸さんだけが全く関係性のない別ものの二作品を発表されています。一方で、畑野智美さん、阿部暁子さん、そして内山純さんのお三方の二作品は極めて関係性が深いのが特徴です。また、恩田陸さん含め、二つの作品の刊行日が近いことも特徴的でしょうか?実際のところは不明ですが、畑野智美さんは①で”タイムスリップ”の世界観を作られ、②で長編に落とし込まれたという感じ。阿部暁子さんは①で”タイムスリップ”の世界観を作られ、②で反対方向の時間軸へと展開されたという感じ。そして、内山純さんは①の”タイムスリップ”が好評だったためにシリーズ化したという感じでしょうか?いずれにしても四人の作家さんに言えるのは、一冊目で手応えを感じて、さらに溢れ出る創作意欲を二冊目に落とし込まれた、そのような印象を受けます。ところで、この作品のレビューにわざわざこんなことに触れるのはこの作品の作者である垣谷美雨さんも複数の作品で”タイムスリップ”を描かれているからです。同じように記してみましょう。
・垣谷美雨さん:
①「リセット」(2008年2月13日刊)
②「マンダラチャート」(2024年11月20日刊)
→ ①と②に関連性はないが過去の自分の身体へ”タイムスリップ”する点が共通
上記した四人の作家さんと異なり複数発表の作品の間に16年もの歳月が開いてしまっていることが垣谷美雨さんの特徴です。後でも触れますが、”タイムスリップ”の設定イメージが似ているにも関わらず、これだけの期間が空いてしまった先に②が登場したことには何かしらの起点があったと思われます。そして、それこそが、この作品の書名にもなっている「マンダラチャート」です。この作品はこんな風にはじまります。
『大谷選手はね、高校生のときから人生の目標を決めていたんですよ。アナウンサーは、まるで自分のことのように誇らしげに語った。テレビ画面には、九×九の八十一のマス目が大写しになった。エンゼルスの大谷翔平選手が高校一年生のときに書いたものだという』。
今や大リーグ選手の頂点に立つ立場ともなった大谷翔平選手。そんな大谷選手が高校生のときに『人生の目標』を記していたことはニュースでも大きく取り上げられました。高校三年生の時に記された『人生設計シート』には、『18歳 メジャー入団』から始まり、『26歳 ワールドシリーズ優勝 結婚』、『28歳 男の子誕生』、『30歳 日本人最多勝利』…というように時系列で目標が書き込まれています。『子供の頃から将来の目標を定め、それに向かって一直線に突き進んで生きてきた』大谷選手。物語では、そんな大谷選手と自分の人生を比較する63歳の今を生きる北園雅美視点の物語が展開していきます。そして、上記した”タイムスリップ”に至る起点がこの「マンダラチャート」なのです。数多の”タイムスリップ”を取り上げた小説には、「ドラえもん」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように時空間を超えるための道具として”タイムマシン”を用意するものがあります。上記した作家さんの中では畑野智美さんの作品がこれにあたります。これらの作品では、作品自体の演出としても、いざ!”タイムスリップ”!と、気合いが入ることになります。一方で垣谷美雨さんのこの作品の”タイムスリップ”はあまりにそっけないものです。
『マンダラチャートの中心が台風の目のようになり、周りの文字がぐるぐると回り始め』ます。
↓
『頬に風を感じ』ます。
↓
『気持ちのいい風だったので、そのままじっとマンダラチャートの中心のマス目を見つめてい』ます。
↓
『え?』『どういうこと?』という思いの中、『目標を書いた中心のマス目に、全身が吸い込まれてい』きました。
たったこれだけです。そうです。この作品は”タイムスリップ”そのもの自体には全く重きを置いていないのです。この物語はそうではなく、その結果論をじっくりと描くことに軸足を置く作品なのです。
とは言え、”タイムスリップもの”の面白さはこの作品でも存分に描かれていきます。主人公の雅美は1973年の自分の身体、まだ中学二年生だった北園雅美の身体に”タイムスリップ”します。これは、高校生の自分の身体へと”タイムスリップ”した垣谷美雨さんの前作「リセット」と同じパターンではあります。しかし、両作が描く物語には相当な違いがあり、この作品が「リセット」の焼き直しというわけではもちろんありません。そんなこの作品には、”タイムスリップもの”の醍醐味とも言える、時代を感じさせる表現が多々登場します。
『「総理大臣は誰だっけ?」
「田中角栄だろ。去年までは佐藤栄作だったけど」と、父が答えた。
「そうだったね。度忘れしちゃって」
田中角栄といえば、真っ先に上越新幹線を思い出す。「日本列島改造論」がベストセラーになったのだ』。
いつの世にも必ずいる内閣総理大臣。そんな総理大臣の名前を持ち出すのはとてもわかりやすい方法です。生まれる前です!という方には知らない名前も登場する可能性はありますが、田中角栄というビッグネームは時代が変わってもしばらくは大丈夫でしょう。
『「ケンサクって森田健作?この前まで郷ひろみが好きだって言っとったくせに、もう浮気?北園さん、もしかして「おれは男だ!」の再放送を見てたんか?』
『森田健作』という名前を聞いて元・千葉県知事?という方もいらっしゃるかもしれません。ただ、『おれは男だ!』というテレビ番組を知る方はどれくらいいらっしゃるでしょうか?
『店に流れていた五十嵐浩晃の「ペガサスの朝」が終わり、堀江淳の「メモリーグラス」が流れてきたから、気分が曲調に影響されて湿っぽくなってきた』
こちらはいかがでしょうか?『曲調に影響されて』という表現が理解できれば読み味も変わるかもしれません。三つを取り上げてみましたが、こういった時代を表すキーワードが登場するのも”タイムスリップもの”の楽しみのひとつではあります。
そんな”タイムスリップ”を作品の土台に描くこの作品ですが、物語は、『エンゼルスの大谷翔平選手が高校一年生のときに書いたものだという』「マンダラチャート」について取り上げたテレビ番組を見た主人公の北園雅美視点で展開していきます。『自分の未来は開けているし、可能性は努力次第で無限大だ』と『本気でそう信じていた』と過去を振り返る雅美はこんな思いに囚われます。
『明るい未来を信じていた中学生の私が、六十代になった今の私を見たらどう思うだろう』。
『なんだかんだ言ってパート主婦』だと今の自分を認識する雅美は、こんなことを思います。
『もしも、もう一度人生をやり直せるならば、自分の人生を邪魔するものは一切合切排除してみたい。
そのためには、もう結婚はしない。もちろん子供も産まない。
自分自身の人生を生きてみたい。人生は一度きりなのだ』。
『子供たちも独立し』、『妻を言い負かすことでストレスを発散しようと』する夫との『夫婦二人暮らし』の日々が『あと二十年も三十年も』続くという現実に絶望感を抱く雅美。そんな雅美は、ある日上記した「マンダラチャート」の『中心のマス目』に吸い込まれるように”タイムスリップ”します。そして、その先が生まれ故郷で中学二年生だった自分の身体の中です。『クラス対抗の合唱コンクール』で舞台に立つ自分の中に”タイムスリップ”した雅美。物語はその瞬間以降、”タイムスリップ”した先の世界で、『やり直し』の人生を生きていく雅美の姿が描かれていきます。
『部活などやっている場合じゃなかった。自分はどう生きていくのか、将来の目標は何なのか。それらを早く見極めないと、再び同じような平凡な主婦人生を繰り返してしまう』。
最初の人生では、『バスケ部』に入っていたものの、その先の未来を知る雅美は早々に『バスケ部』を退部し、違う人生を歩み始めます。そして、垣谷美雨さんはここにひとつ面白い仕掛けを用意されています。それこそが、内容紹介にこんな風に記されるものです。
“同じくタイムスリップした、かつての憧れの人・天ヶ瀬とともに昭和の古くさい価値観を変えようと、奮闘する”
そうです。”タイムスリップ”してこの時代にやってきたのは雅美一人だけでなく、もう一人いるのです。それこそが、『六十歳を過ぎてからも、思春期と聞けば真っ先に天ヶ瀬良一を思い出すほどだったが、最後まで誰にも知られずに終わった片思いだった』と、かつて憧れの存在だった天ヶ瀬良一の存在です。そして、”タイムスリップ”した者同士として知り合った二人は周囲に怪しまれないように連携していきます。
そんな物語で大きな特徴と言えるのが、身体は過去の自分とは言え、心は63歳のままであるということです。そこには、人生経験がものをいう場面が多々登場します。
『子供の頃は父が怖かった。何がきっかけで癇癪玉を破裂させるのかが読めなかった。だが、いま目の前にいるのは、たかだが四十代の若造だ。こっちは酸いも甘いも噛み分けた六十女なのだ。何を恐れることがあるだろう』。
これは面白いです。親よりも20歳も歳をとった心持ちで、親に接していく感覚、私も少しだけ試してみたくなります。しかし、『やり直し』の人生といってもそう容易くはありません。それこそが、この作品で垣谷美雨さんが最も描かれたかったことだと思います。次の思いに凝縮される感情を見てみましょう。
『自分が大人になる頃には、古臭い封建主義的な社会の風潮など跡形もなく消え去り、男女平等の世の中になっていると心底信じていた』。
物語では、1970年代という男尊女卑の感覚が当たり前に蔓延り、セクハラ、パワハラなどという言葉の萌芽さえ全くない時代を『やり直す』雅美の苦闘の日々が描かれていきます。「マンダラチャート」に記した事ごとを大谷選手の如くやり抜いていこうとするもその壁の高さに打ち砕かれざるを得ない雅美。物語は、『やり直し』のはずなのに”そうは問屋が卸さない”人生を歩む雅美を描いていきます。そして、そんな物語が至る結末、そこには、えっ?と全く予想外に展開するまさかの物語が描かれていました。
『もしも、もう一度人生をやり直せるならば、自分の人生を邪魔するものは一切合切排除してみたい…だって人生は一度きりなのだ』。
そんな思いの先に、『やり直し』の人生に挑んでいく雅美と天ヶ瀬の姿を描くこの作品。そこには、二作目の”タイムスリップ”を描く垣谷美雨さんの安定感ある物語が描かれていました。”タイムスリップ”の結果に重きを置くこの作品。そんな物語の中に、『男女平等の世の中になっていると心底信じていた』主人公・雅美の戸惑いが色濃く描かれるこの作品。
昭和の時代の理不尽な価値観が当たり前に描かれる物語の中に、この先に続くのが本当に今の時代なのかと驚いてもしまう、そんな作品でした。