朝井リョウのレビュー一覧
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軽快なリズムで飛び出す自虐?自ギャグの数々。
エッセイっていうと何気ない日常の気づき、みたいな雰囲気があったりするけど、これは超絶技巧の万バズブロガーって感じで思いっきり笑いに振り切ってる。
私がさくらももこからエッセイにハマったように、朝井リョウからエッセイの楽しさに目覚めた人がたくさん出ただろうなあと思いながら読んだ。
ただ、読み切るのにめちゃくちゃ時間がかかってしまった。難しいわけでも、展開が苦しいわけでもないのになあ…って考えてみたけど、私には眩しすぎたのかも。
友達に囲まれて、バカ騒ぎをしている姿にくらっときたのかもしれない。
今年のブックサンタの候補にしようかな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「武道館」や「何者」のメッセージ性が強い作品が大好きで、それを期待していたから、3.5点くらいかな。
メガチャーチを創造に関わることになった久保田、それに人生の意義を見出した。
これだけ聞くと、アラフィフの再奮闘記に感じるが、
皮肉にもそのメガチャーチの中で、課金と視野狭窄に溺れていくのが娘 澄香。
それを間接的に金銭サポートすることになる父 久保田の展開が面白かった。
作者は、自分が社会に言いたいことを、登場人物に言わせて発信してると聞いたことがあるけど、今回で言うと
大学の菜々に、メガチャーチの存在を語らせるパートかな。
「何に貢ぎたいって人はめっちゃ多いんだよ、皆金ないって言ってんのに」。
人って、基本的な衣食住以外に何にお金を使うんだろう。
贅沢な家、車、食べ物、旅行、服、子どもetc,
昭和平成は、お金の使い道としてボーナス期に奮発or貯金するイメージだけど、
最近だと自分の存在意義のためにお金をかける人が多いのかな。
趣味が自分への投資というより、推しへの投資。課金。
スパチャで日頃からの小さな出費の積み重ねをしているのが、最近の特徴なのかな。
ジリ貧になるお金の使い方をする人が増えている。
そしてそれを「人それぞれでいいよね」というより、作者の否定的なニュアンスが含まれているように感じた。 -
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私は異性愛者なので前提条件は全く異なるが、
・結婚もしておらず子供もいない(望んでいるができなかった)
・特筆したキャリアや会社からの評価もない
・これといった社会貢献もしていない ことによる
→拡大・発展・成長側の人間からのプレッシャー、共同体に貢献していないことへの肩身の狭さ
・死ぬまで続く人生を退屈に持て余し、目の前の時間をただ消費している
・社会を変えることはできないとずっと不貞腐れている
・自分や将来に対して期待を持てない
→何度も期待を裏切られ、心を折られてしまった人間の心理
という点で私の中にも尚成と通じる部分があると感じた。 -
Posted by ブクログ
『世にも奇妙な君物語』
「シェアハウさない」「リア充裁判」「立て、金次郎」「13•5文字しか集中して読めな」「脇役バトルロワイアル」
貼られた伏線を回収するどんでん返しや物語の完成度、満足度は「シェアハウさない」が1番よく、個人的に1番好きだった。
どの作品にも現代社会の抱えている闇や問題が含有され、その問題を提起した物語が描かれている。
「リア充裁判」ではキラキラしたSNS社会に浸され、SNSが行動の中心にあり、周りから気にかけてもらいたい現代社会に生きる人の異様性が(今の世代はSNSが充実している友人たちを見て嫉妬したり劣等感を抱く、大変不自由で心理的に生きづらい社会が生まれた時からある怖さ)
コミュニケーションを武器として社会を生きていく人間(リア充)と非リアの残酷なまでの格差を見せつけられた。非リアは外部とのコミュニケーションが全てではないと思い漫画を描き漫画の中では主人公の思い描いたコミュニケーション至上主義の社会を打ち壊し自分なりに自分のスタイルで生きていこうとしたが、それは結局漫画だけの話で現実はコミュ力がない人は馬鹿にされ生きづらい社会になっている。就活も勉強とコミュ力が天秤にかけられることがあるが、相当重視されている項目が故にコミュ力があるだけで社会的に優遇され生きやすい。
陽キャやリア充に嫌悪感を抱いている人が読むとこの結末に絶望させられる。結局コミュ力じゃないかと。SNSキラキラ人間じゃないかと。
最後一人だけリクルートスーツを着てるのは自分のコミュ力の欠如で就職が自分だけ決まっていない。社会はコミュニケーション能力が無い人を許してはくれないという残酷な描写
「立て、金次郎」では、社会の変化により教師が子供を叱るときにも慎重に細心の注意を払って叱らなくてはならない社会。何事も親が1番で、子供の対応だけでなく親の心配までもしなければない教員の世知辛さなどが描かれている。学校に子供を任せている時点で信頼すべき学校や教員を信じずクレームばかりつけてくるモンペ。今の親は些細なことでの学校への文句が増えていると思う(過去と比べ)
それは成長途中の子供から成長を奪ってしまう行為であり、完全に安全な無菌状態で育つ子は苦難に直面したとき自分で考え、学んだ子と比べるとどうしても精神的に差が手でしまう気がする。遊びの中の怪我から学ぶことも多いのに、怪我するから遊び自体を禁止してしまう行為自体の危うさ。
「13•5文字〜」は現代のSNS、電子社会における情報取得媒体がデジタル化しており少ない文字数で簡潔な情報を手に入れようとする現代人に警鐘を鳴らしているかのよう。また、記事のデジタル化に伴い、ゴシップなどの人の不幸を拡散し、炎上させ、自分が気持ちよくなってるSNS上の匿名人や。自分たちは仕事であるという盾を振り翳し取り上げられる人のことを考えず、自分たちの書いた記事の売り上げだけを考えるメディアの人(週刊誌など)が逆に自分たちの生活が記事により脅かされた時の自分たちの理屈が通じなくなる痛快感は読んでいて気持ちよかった。
読んでいてこれはミステリの要素が含まれているが、朝井氏が現代社会に抱いている違和感や嫌悪感を露わにした社会への警鐘とも感じられた。 -
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ネタバレ総論興味深くすらすら読めた。令和を捉えるのががやはり上手な朝井リョウ!
普段なら自分にもっと刺さる内容のはずだけど、おそらくタイミングの問題?で期待ほど刺さらなかった。。
以下メモ
人間は社会の拡大、成長、発展に向けて動き続けるしかない生き物であるという視点は、日頃自分も考えるテーマだから共感した。非現実的だと分かっていても全世界の発展を一斉に止めれば良いと何度思ったことか。思えば世界レベルでなく個人レベルで考えてみても"今日の夕飯味付けイマイチだったから次は醤油足してみようかな"とか"この部屋散らかっているから棚買って整理しようかな"とか、日々の生活でも小さな成長を繰り返している。これが無くなると主人公のように本当にただだらんとするのみ。成長発展は生命に課された逃れることのない宿命なんだな、と、改めて気付きを得てもう諦めることにした。。。
あと主人公の生き方の背景には「自分を虐げていた側の社会に貢献したくない」的な怒りの要素や、そもそも異性愛者優位の社会でサバイブに必死という要素があったと思うんだけど、そういった背景が全く無い(異性愛者、それなりに困らず生きてきた)のに社会の発展に興味が無い•どうでもいいと思う人々(これが現代の大多数だと思うのだけど)のことはどう捉えれば良いんだろうか。朝井リョウに聞いてみたい!
作中で出てきた、まだ咀嚼できていないけど覚えておきたい楓のセリフ
「否定系の意思表示って誰にも見えないんですよ」「どんどん外界を遮断して、自分から独りに逃げ込んで、色んなことを"してやらない"ってして、それで世界を否定した気になっても、周りから見ればそれって、ただそこにいる人なんです」「意識してやらないでいたこととか、意識して言わないようにしていたこととかって、誰の目にも見えない分、自分にだけはめちゃくちゃ目につくようになると思うんですよ。切り捨ててきたものたちが、逆に自分をどんどん縛っていく。」 -
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様々な登場人物が出てくる青春群像劇。
ただ、肝心の桐島はほぼ出てこないし、登場人物同志も絡み合うようで絡み合わない。何かが起こりそうでこんなにも何も起こらない小説は初めてでした。その点は少し物足りなかったです。
ただ学校の人間関係とか心理描写が妙にリアルで、高校時代にタイムスリップしたかのような感覚に襲われました。特にこの菊池宏樹が、器用貧乏だった自分ととてもリンクしてその頃のことが思い出されました。部活も勉強も友達付き合いもどれも中途半端で本当にやりたいことも見つからず無為に過ごした日々も多かったため、彼の持つ言葉にできないイライラがすごくよくわかるのです。クラスで地味な映画部の前田がやりたいことやってるのを見て、羨ましく思う構図もそっくりそのままありました。
当時のクラスもグループみたいなのはあったし、モテそうな人、悪そうな人、オタクそうな人、大体同じ系統の人がグループ形成している印象はありました。
そのグループ形成とかカーストの上だとか下だとかという特殊な文化も、みんな同じようなファッションで同じ言葉づかいでいることもなんだか今考えると学校特有の閉鎖空間からくる一種の最適化だったのかもと思い返されるのですが、
それはともかくとして、器用貧乏なところとか、みんなと同じでいたくないと思っていたところとかは、「これだけは誰にも負けないものが欲しい」とか「何者かになりたい」という驕りや自惚れの裏返しだったのかもしれません。
そんな鬱屈とした気分をこの小説の作者はすべて知っているかのように突き付けてきました。
この小説に出てくるみんなと同じように、ちょっとしたことで躓き悩む自意識過剰集団なんですよね高校生って。全員ではないでしょうけど。
でもそうやって悩んでいた日々や、大人になってからまず関わらなそうな人たちと過ごした日々、人生の選択が迫り、戦々恐々としていたモラトリアムな日々を過ごした高校の3年間は人生の単位で見ればものすごく短い時間だったけど一番密度が濃くて記憶に残る時間でした。
みんな多分大なり小なりこの本の登場人物の誰かに当てはまっていたのかなと思うと、あの頃気づかないだけでみんなそれぞれ悩みを抱えていたのかなと。
それにちゃんと気づいていたらもっと周りに対して寛容になれたかなと、そんなことを思い起こさせてくれる小説でした。 -
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女性の書き手が綴る身体や性にまつわるエッセイ「私の身体を生きる」の、男性版。
女であり女であることに違和感なく生きてきた私にとっては、女性の書いたものの方が当然共感するところは多かったけれど、男性たちの綴る文章もとても興味深かった。
男女問わず、どんな属性の人だってそれぞれ尊重されるべきではあるけれど、同質である必要は全くないなと改めて思う。
女性と比べて、身体やジェンダー、性のことを直接的に書いている人がかなり少ない印象を受けた。
と同時に、男性が男性性を語ることの難しさとはこういうことかと納得させられる。社会において強い側とされる側が何をどう語るのか、語って良いのか、難しいのかもしれないけれど、もう少し踏み込んだ内容が読みたかったな、というのが正直な感想。
身体より社会、に意識が向いているように感じた。
その中でも田中慎弥さんの偏屈さが滲む文章がとても好きだった。好きだったとかも言われたくないのかなとか思っちゃう。なんだかいじらしい愛しさがある。
最後の最後で朝井リョウが‘やっている’。
両手を掴んでいたはずなのに、その手を掴んだまま大きく振り回されて、遠心力で吹っ飛ばされたような気持ちで本を閉じた。