しきみのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2025/11/30
p.24
A君とB子が恋をした。二人は各々ねむられぬ。別れたあとでは死ぬほど苦しい。手紙を書く、泣きぬれる。そこまでは、二人の親もそのまた先祖も、孫も子孫も変わりがないから、文句はいらぬ。しかし、これほど恋しあう御両人も、二三年後には御多分にもれず、つかみあいの喧嘩もやるし、別の面影を胸に宿したりするのである。何かよい方法はないものかと考える。
しかし、大概そこまでは考えない。そしてA君とB子は結婚する。はたして、例外なく倦怠し、仇心も起きてくる。そこで、どうすべきかと考える。
その解答を私にだせといっても、無理だ。私は知らない。私自身が、私自身だけの解答を探しつづいているにすぎないのだから。
私は妻ある男が、良人ある女が、恋をしてはいけないとは考えていない。
人は捨てられた一方に同情して、捨てた一方を憎むけれども、捨てなければ捨てないために、捨てられた方と同価の苦痛を忍ばねばならないので、なべて失恋と得恋は苦痛において同価のものだと私は考えている。
私はいったいに同情はすきではない。同情して恋をあきらめるなどというのは、第一、暗くて、私はいやだ。
私は弱者よりも、強者を選ぶ。積極的な生き方を選ぶ。この道が実際は苦難の道なのである。なぜなら、弱者の道はわかりきっている。暗いけれども、無難で、精神の大きな格闘が不要なのだ。
しかしながら、いかなる真理も決して万人のものではないのである。人はおのおの個性が異なり、その環境、その周囲との関係が常に独自なものなのだから。 -
Posted by ブクログ
2025/11/08
p.20
やや長い間、私は唯、無数の人間の雲の中を嫌応なしに進みました。行く手を眺めると、公園は案外近い所にあるらしく、燦爛としたイルミネエションの、青や赤や黄や紫の光芒が、人々の頭に焦げつく程の低空に、炎々と燃え輝いているのです。道路の両側には、青楼とも料理屋ともつかない三階四階の楼閣が並んで、華やかな岐阜提灯を珊瑚の根掛けのように連ねたバルコニイの上を見ると、酔いしれた男女の客が狂態の限りを尽くして野獣のように暴れていました。彼らの或る者は、街上の群衆を瞰おろして、さまざまな悪罵を浴びせ、冗談を云いかけ、稀には唾を吐きかけます。彼等はいずれも外聞を忘れ羞恥を忘れて踊り戯れ、馬鹿騒ぎの揚句には、蒟蒻のようにぐだぐだになった男だの、阿修羅のように髪を乱した女だのが、露台の欄杆から人ごみの上へ真倒まに落ちて来るのです。そうして見る見る野次馬のために、顔を滅茶苦茶に搔き挘られ、衣類をずたずたに引き裂かれて、或る者は悲鳴を放ちながら、或る者は絶息して屍骸のようになりながら、水に浮かぶ藻屑の如く何処までも何処までも運ばれて行くのです。私は、自分の前へ落ちて来た一人の男が、逆立ちになって二本の脛を棒杭のように突き出したまま、止めどもなく流れて行くのを見ていました。その男の足は、四方八方から現われて来る無頼漢に手に依って、最初に先ず靴を脱がされ、次にはズボンをぼろぼろに破られ、果ては靴足袋を剝ぎ取られて、打ったり抓ったりされるのでした。それから又、酒ぶくれに太った一人の女が、ジオヴァンニ、セガンティニの「淫楽の報い」という絵の中にある人物のような形をして、胴上げにされながら、「やっしょい、やっしょい」と担がれて行くのも見物しました。
「この町の人たちは、みんな気が違っているようだ。今日は一体、お祭りでもあるのかしら。」
と、私は恋人を顧みて云いました。
「いいえ、今日ばかりではありません。この公園へ来る人は年中こんなに騒いでいるのです。始終このように酔払っているのです。この往来を歩いている人間で、正気な者はあなたと私ばかりです。」