1話目を読んで思ったのが、「頭のいい人が書く小説だなぁー」。
ずいぶん前に読んだ、『ユートロニカのこちら側』を読んだ、あの感触と同じものを感じたと言えばいいのかな?
ただ、『ユートロニカのこちら側』は、話に出てくる、設定から会話、あらゆるものが著者が読者の先回りをして“正解”を用意しているようで、読むのがバカらしくなった反面、(お話自体は決して面白くないんだけれどw)書かれているその内容について、つい、いろいろ考えさせられてしまうところがエキサイティングで面白かった記憶がある。
一方、この『ベーシックインカムの祈り』はお話一つ一つが独立している短編集だからか(最終話はフィクションの著者がそれらのお話を書いたという設定になっているだけ)、いちいちヒネったオチがつくの面倒くさいwって言うのかな?
頭がよすぎることで展開をひねくり回しすぎちゃって、「たんに面白いお話」を書けない人なのかなぁーと思った(^^ゞ
なんて言うか、「製品」?
「お話」じゃなく。
とはいうものの、本というのは「製品(=商品)」でもあるわけだ。
SFじゃなく、全くの現実として、これから作家はAIの生成する最大公約数的なお話と競っていかなきゃならなくなっていくわけだ。
であれば、わかりやすさが求められる今の時代、最大公約数的なお話、つまり、わかりやすいからこそ多くの人にウケるお話というのは絶対強いはずだ。
そう考えると、この著者が自らに課している「芸」は、おそらく強味になるはずだ。
ただ、個人的には、著者がやりたい「芸」には興味がなくて。
頭だけでなく、自らの感情や感覚をもっと使って書けば、これよりずっと面白いお話を書ける人のような気がするんだけどなぁーなんて思った。
そういう意味で、自分がいいと思ったのは、四話目の「目に見えない愛憎」。
生まれつき目が見えないというハンデを持ちながらも、素直で相手を思いやることが出来る今日子が、叶うと思っていた夢がダメになった途端、怒りを爆発させる(しかない)、あの場面。
あそこは、その瞬間、今日子の気持ちの奥底から湧き出てきた無念さや、やり場のない怒り、それを抑えられないやりきれなさといった哀しみがすぅーっと伝わってきて。
それまでのお話がどれもプラスチックハートなお話だっただけにw、「なんだよー、こういうの書ける人なんじゃん」とちょっと嬉しくなった。
ただ、例によって、最後にヒネったオチをつけて“映え”ちゃうから……┐(´д`)┌
著者がどういう作家なのかは知らないけど、他の小説のあらすじをざっと見る限り、今どきの“映える小説”を書く人のようだ。
まぁー、小説(本)というのは商品でもあるわけで、商品は売れるために造られる。
であれば、“映える”という「芸」は小説に求められる大事な要素なんだろう。
ただ、自らの「芸」に酔うあまり、それに寄りかかりすぎてしまったら、AIの生成するお話に駆逐されるのは作家のような気がする。
追記
著者の「作家の読書道」が結構面白い。
意外に、活発で外で遊ぶ子ども時代だったんだなーとか。
子どもの頃は、ゲームクリエイターになりたいと思っていたくらいゲームに興味があって。
それゆえなのか、子どもの頃に大人が読む本の『三国志』を読んだら面白くて、『水滸伝」も読んだり。
そうなってくると、次は『指輪物語』?と思ったら、やっぱりハマっている。
高校の時、友だちに「こういうの好きでしょ?」と安部公房の『箱男』を勧められて読んだら面白くて、それを本人は「要はシュールレアリズム」と言っているんだけど、そう言われてみれば『ベーシックインカムの祈り』はシュールレアリズムでくくれるのかも?なんて(^^ゞ
あと、著者は小さい頃から言葉について敏感だったようで。
“親がよく言うのは、自分は子供の頃、「スリッパってなんでスリッパって言うの?」などと訊いてたらしいです。親が「そう決められているから」と言うと、「じゃあこれからはスリッパのことをタオルって呼ぶね」と言い始めるから、「混乱するからやめて」と言っていたらしいです。そんな感じで、言葉とは何か、については前から問題意識があったようです。”というのがすごく興味深くて。
そこは、ミョーに親近感がわいた(^^ゞ
ただ、著者のデビュー作らしい『恋と禁忌の述語論理(プレディケット)』について、“(前略)よくよく考えてみると、ミステリって理系の論文に近いんです。問題の提起があって、それに対する仮説があって、証明する、というのは同じなので、そのフォーマットにのっとってみたら書けました。”と言っているところなんかを読むと、「あー、自分はこの人の書く小説は絶対合わないんだろうなぁー」って(爆)
頭のいい人の書く小説って、今は頭がいい人が書いた小説ってだけでウケちゃうところがあるような気がするんだけど(もちろん頭がいいからこそ、多くの人が面白がれるように書いているという面もある)。
個人的には、小説は、いわゆる文学的なバカっぽさwがないとエキサイティングじゃないって思う方かな?
この後に読んだ『地球星人」と『コンビニ人間』で思うところがあって、作家の人となりを少しでも知ろうと、著作を読んだ後か読む前に「作家の読書道」を見るようになったんだけど、おかげで作家本人に親近感がわくようになってすごく面白い。
この『ベーシックインカムの祈り』の著者は東大工学部卒で大学院の修士課程まで修めた優秀な人らしいんだけど、高校時代の話がすごく楽しそうで羨ましかった。
あくまで個人的な考えで、また、個々で違うとは思うけど。
さらに言えば、100%余計なお世話だけどw、人は10代半ばから後半、さらに20代前半にかけて、よい刺激を与えてくれる友だちとなるべく多く巡り合うためにも、小学校中学校時代にちゃんと勉強しておいた方が絶対いいと思うよ(^^)/