山岸真のレビュー一覧
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ネタバレバーナード嬢曰く。に影響されて買った本。
訳はちょっと読みにくい(直訳調)ところもあったが、丁寧に訳してくれているという印象。あとがきを見て訳者さんの苦労を知って、素直に尊敬した。
途中までは☆3.5くらいの評価だったのだが、終盤で一気に☆5に。
最初はこれジャンルSF? 異星設定以外、ファンタジーと言われた方がしっくりくるなあと首を捻って読んでいたのだが、うん、まぎれもなくSFでした。
……どうでもいいが、表紙の女の子ってブラウンアイズ? 彼女は海辺の町に育った健康的に日焼けした女の子ってイメージなのだが。本文中にも褐色の肌、みたいな表現があったような。
この星に住む人間が寒さに発狂するほどの恐怖を抱いていて、フリーザー、フリージング(凍るほど~だ)という言葉が汚い言葉(英語でいうfu〇k)になっているという設定には目を瞠った。変った動植物の存在よりもこういう文化の設定が、この小説が異星の物語であり主人公たちが地球人ではないということを印象付けてくれたように思う。
主人公は思春期反抗期少年って感じでひねくれている。自分の親を筆頭に、周囲の人たち(主に大人)を見下している。それは終盤まで変わらないのだけれど、読者目線で見ると、そんなに酷い人たちかなあ、と同情したくなる。特に主人公の父親とか。そりゃ権威主義的なところはあるけど、彼は彼なりに必死で、間違いなく家族を愛していたと思う。両親の愛情が最後まで主人公に伝わらなかったのは残念。
全体的に、善悪がはっきり分かれているタイプの物語ではないのでいろいろ考えさせられる。たとえば主人公はパラークシの人々側に立っていて、議会・役人側を敵視している。頼んでもいないのに勝手に戦争を始めて自分たちに不自由を強いる議会を憎悪するのは当然なのだが、議会(国全体)から見ると申し訳ないとは思うが国を守るためには仕方ないんだ受け入れてくれ、と言うのは当然だろう。このあたり、パラークシが海辺の町だということも相まって日本の某問題と重なった。解決しようのない溝だ。
(……まあ、終盤に差し掛かるまでは、の話だが)
最後に。ロリンに会ってみたい。ロリンは主人公たちと人種が違うが人間で、毛が多いという見た目と文明を持たないことから蔑まれ使役されている、心優しい被差別者……という妄想を抱いてしまった。 -
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30世紀を舞台に、ソフトウェアによって生み出された
主人公ヤチマの冒険譚。
ヤチマの誕生を描いた第1章では、
ソフトウェア上での知性・人格・自我の生成プロセスが丁寧に記述されており、
難解ながらも読み応えあり。
その後、章ごとに、情報科学、数学、遺伝子工学、天文学、と、
多岐にわたる科学分野を横断しながら、
人格をアップロードしなかった肉体人とのコンタクト、
宇宙へのディアスポラ、ワープ航法の技術開発、といった旅が展開。
物語が進むにつれ、身体的、時間的、空間的な制約が次々と外され、
人類はどこまで行きつけるのか?、想像力をかきたてられた。
本作にテーマや世界観が近い作品を、関連順に。
・『アッチェレランド』(チャールズ・ストロス)
・『順列都市』(グレッグ・イーガン)
・『都市と星』(アーサー・C・クラーク)
・『know』(野崎まど)
・映画『マトリックス』シリーズ -
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まさに、ハード・SF。圧倒的な時間とスケールの世界が描かれる。章立てが変わるたびに次元が変わってその世界観にクラクラした。
原子やワームホールの理論的に難しい話はさておき(しかも話の核ではなかったし、よく出てくるコヅチ理論の位置付けも謎だった)、肉体を離れた後の人類が、ソフトとして「生み出され」、人の「意識」や「思考」を持ち「交流する」。肉体を持つ人々は肉体、遺伝子、神経に手を加え進化を遂げている。
そんな世界の話だけでも充分夢中になれるのに、次々に高次の宇宙が現れて、その宇宙の真理を知っているのは、真理は何なのか…私たちの想像を超えた思考と宇宙の話。ひたすら圧倒される。
でも物理空間をせっかく脱却できたのに、自分たちがトカゲ座の二の舞にならないよう肉体に近いCZポリスとクローンで、宇宙空間に出なければならないことが皮肉な感じがした。肉体を持たずに広域に散らばるイメージがなんか矛盾している。
理論やストーリーが、綿密で面白いかはちょっと微妙だけど、こんな宇宙の捉え方、発見があるのかもしれないと垣間見られただけでも熱くなれる!
アーサークラークの「幼年期の終わり」をちょっとだけ思い出した。 -
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短編集。イーガンはハードSF作家として有名でなかなか手に取り難い。
本書は表題作「しあわせの理由」の設定(感情が脳の化学物質によって左右されてしまう)に興味を抱いて読んだ。
期待に違わず表題作はとてもおもしろかった。廃人のような時期と多幸感に溢れた時期が躁鬱病患者のようであるが、冷静な分析がそれに骨格を与えていて、ただの情緒不安定な人ではなく、ちゃんと希望が0の人と4千人の幸福を持った人として説得力がある。ただし、ストーリー最後はあまりにも「まとめ」的な形で、安っぽく思えてしまう。それほど直接的に語る必要はあっただろうか。
しかしこの直接的な、ある種の説教臭さは他の短編にもかなりある。とくに血を分けた姉妹は人間の命の功利主義への猛烈な批判で、寓話的であり、あまりに主張が激しすぎて(イーガンは病院で働いていたそうなので、説教臭さはそこに由来していると思う)、その主張のためにキャラクターを設定しているように感じた。私は読んでいて全然面白くなかった。
その他の短編はチェルノブイリの聖母・ボーダーガードを除いてどれもなかなか良い。
適切な愛はその中でも設定が良い。愛撫もスリラーで面白い。 -
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「直交」三部作完結篇。もっとひねった終わり方かと思っていたが、意外と素直に大団円を迎えた感じだ。今回は、私にはチンプンカンプンのサイエンス部分が少なく、三部作随一の読みやすさだった。これまで辛抱して読んできて良かったー。
ま、理屈がわからないのは前作と同じなんだけど、今度は「未来からのメッセージ」というワクワクする要素が中心なので、難解さが気にならなかった。もし現実にそういうことが可能な技術が開発されたとしたら、一体どうなるんだろう。ここの「孤絶」社会は、きわめて規模が小さく、外界とほぼ隔絶した特殊な状況にあるわけだが、その中で繰り広げられる議論や策動、各人の葛藤が身に迫って考えさせられる。
やはりイーガンには人間性に対するゆるぎない信頼があるのだなあと、これはあらためて強い印象を受けた。特に理性・知性というもの、そこに基盤を置いた科学=真理の探究の営みこそが、ヒトを人間にするのだというメッセージを感じる。 -
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『直交』三部作の第2。われわれの宇宙とは物理法則が符号がちょっとばかり違う宇宙。そのような宇宙を設定すると、われわれの相対論的宇宙と違って、時空をかなり簡単に図示できるのがメリットなのだが、この数学と物理学、私は十分わからないまま読んでいる。それでも物語は面白いと思えるからまあいい。それで挫けてしまう人にはお勧めできない。そして登場「人物」もまた人間ではない知的生物なのだが、彼らの惑星の未来への進行方向と直交方向から星団が飛んでくることがわかり、いずれ衝突して彼らの惑星は滅びてしまう。そこで山ひとつを世代間宇宙船〈孤絶〉にして、直交座標の横方向に高速で飛んでいくことにする。この宇宙の物理法則だと十分に高速で飛ぶと、船内の時間経過は故郷の惑星よりも早くなり、そこで時間稼ぎをして、つまり科学技術を発展させてからなんとか故郷に戻って、直交星団との衝突を回避しようというのが、ミッションであり、この三部作の設定である。
『クロックワーク・ロケット』では主にわれわれの宇宙の相対性理論に相当するものが発見されていったが、本書の科学の発展は量子論に相当するものである。〈孤絶〉が飛行するなか、別の天体を発見するのだ。そしてこれが反物質の相当するもので、という展開。前巻のヤルダから数世代あとの時代、天文学者タマラと物理学者カルラが活躍し、エターナル・フレイムを発見するのである。
そしてもうひとつの重要なテーマが生物学。この物語の知的生物は、雌雄があるのだが、人間の生殖とはまるで違う。女性が四分裂して二組の男女ペア(これを双という)を生む。そしてこの双が人間で言うところの夫婦であり、次の生殖を担う。双子は産まれながらにして夫婦であり、「出産」は女性の死を意味し、残された双の片割れの男性が育児を担うのだ。これ、結婚・出産で仕事を断念せざるをえない人間女性の置かれた立場の強烈なアリュージョンになっており、『クロックワーク・ロケット』でも女性科学者の苦悩として描かれている。
しかし本書では四分裂すると、世代間宇宙船の中でどんどん人口が増えてしまう。そこで女性たちは自ら食事を制限している。飢餓状態だと出産時に二分裂になる可能性があるからだ。さもないと子どもを間引かなければならない。これは摂食障害に苦しむ女性のアリュージョンか。カルラの双であるカルロは生物学者であり、この問題に挑んでいく。 -
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読んだぞ、とにかく。おもしろかったよ、そう言っていいのかどうかわからないけど。だって、サイエンス部分が前作「クロックワークロケット」をしのぐ難しさで、ほとんどチンプンカンプン。科学的な議論が始まると、そのくだりは無念無想の境地で字面だけ追い、人間ドラマ的部分(「人間」じゃないけど)にさしかかると我に返って熟読、ということの繰り返しだった。こういう読み方でも「おもしろかった」って言っていいですか?
いやまったく、出だしからガツンと「物語」にひきこまれて、「わからないにもほどがある(byバーナード嬢)」ところがどんなに多かろうが、読むのをやめようとはちっとも思わなかった。この第二作は、特異な出産の形態に焦点が当たっているので、ちょっとフェミ的な読み方ができるのかもしれないが、あまりそうした方面にひきつけず、あり得る文明の一形態として見るのがいいように思った。とにかく、人間とはおよそかけ離れた生態の異星人たちの姿を、徹底的にリアルに、かつクールに描き出すイーガンの手腕に脱帽。
「白熱光」でもそうだったが、文系人間にはサイエンス部分の細部が(どころか大枠さえ)理解不能であっても、「ああこれは、この私たちとは違う世界の物理法則を探求しているのだな」ということはわかる。そして、その設定がおそろしく徹底したものであることもビンビン伝わってくる。この部分を知的な興奮とともに楽しめる方たちが本当にうらやましいが、一体どれぐらいの人がこの内容を咀嚼できるのだろうかとも思う。
あとがきで山岸真氏が、最終章にある「記録学者」の言葉に、そうしたイーガンのスタイルの理由が見てとれると書かれていて、これはなるほどと思った。
「想像してください。いまから1ダース世代のち、波動力学があらゆる機械の動力となり、だれもがそれを当たり前だと思っている時代を。それが完全な完成形で空からふってきた、とその時代の人々が考えてもいいんですか。じつはその幸運は、史上もっとも強力な変化のエンジン-つまり、科学について論じる人々-に負うものなのに」
テクノロジーは「魔法」ではなく、世界の真理を追究してきた人たちの営為のたまものだ。その姿勢が揺るぎないものだから、どんなに難解だろうが、またイーガンを読む気になるのだろう。 -
Posted by ブクログ
『白熱光』に似て非人類の女性科学者の物語である。『直交』三部作の第1。
舞台は、ある惑星だが、こことは違う宇宙。われわれの宇宙とは物理法則がちょっとばかり違うのだ。数式にするとプラスとマイナスの違い。しかしそれが大きな差異を生む。われわれの宇宙では光速は一定である。どこで観測しても一定である。これはとても奇妙なことで、地球上で静止して観測しても、亜光速で飛ぶ宇宙船から観測しても同じ速度である。日常生活では目の前を走り去っていく自動車は速いが、その自動車に伴走する車に乗っていたら止まって見えるのに、光速だけは一定。神の眼のような視点は存在し得ず、観測する系によって宇宙の見え方が違うのがわれわれの宇宙であり、これが相対性理論のわかりにくさ。
さて、われわれの主人公ヤルダの宇宙では神の眼の視点が存在する。縦軸を時間、横軸を(一次元に省略した)空間とすると、この直交座標の中で光速は一定。しかしより縦向きの光は一定時間内に進む空間が少ないために遅く観測され、横に倒れた光は速い。よって、ヤルダの惑星から星を見ると、星は虹のような尾を引いている。波長によって光の速さが違うから、速い波長の光ほどその星の過去の位置に見えるので星の移動に伴って尾を引くのである。この宇宙の法則は直交座標の中に簡単に図示できてしまうのがミソで、ヤルダが発見した宇宙の法則は回転物理学といわれる。
で、この直交座標の上のほうにヤルダの世界は進んでいく、つまり未来に進んでいくのだが、横方向、つまりヤルダの世界の進みの直交方向から星団が飛んでくることがわかる。ヤルダの惑星とぶつかってしまうのだ。ベイリーの『時間衝突』みたいな話である。さて、どうするか。これを避けるテクノロジーはヤルダの世界にはまだない。では科学を進歩させるための時間を稼ぐしかない。そこで山ひとつを宇宙船にして、直交座標の横方向に高速で飛んでいくことにする。宇宙船内では大変な時間が経過するが、惑星のほうではほとんど時間が経過しないという現象が起こるからである。われわれの世界のウラシマ効果の逆である。
基本的にはこういう話で、田舎生まれの科学者ヤルダが首都で物理学の新発見をするとともにこの世界の危機を知り、それを回避する方策に向かう苦闘が描かれる。本巻では宇宙船〈孤絶〉が惑星を飛び出し、ヤルダが〈孤絶〉の中で生涯を終えるまでである。イーガンが描きたいのは愛は世界を救う、ではなく知識が世界を変える、ということである。
ヤルダたちは人間ではないがおおむね人間と似たような形態で、眼は前後に二対ずつ、四肢は増やしたり引っ込めたりできる。そして女性は自分の命と引き替えに子孫を残すという生態を持っている。心理的にはまったく人間である。物理法則の違う宇宙の異質な生物が人類と同じような精神構造を有するとは到底考えられないが、異質な心理から異質な世界を描いたら理解不能な実験的小説になってしまう。それはそれで読んでみたいが。 -
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遙か未来。人間もその他の知的生命もソフトウェア知性も、すべてがオンラインのプログラム形態で暮らしたり、物理的肉体にダウンロードしたりして過ごしている、融合世界。おおむね銀河の隅々にまでこの世界が広がっている。光速は越えられないから、旅といえば、個体はデータの形で送られ、目的地でプログラム形態なり、物理的形態なりにダウンロードされる。『ディアスポラ』の設定の延長線上にある宇宙。地球人にオリジンを持つラケシュは退屈していた。もう銀河のどこにもフロンティアはないからだ。
いや、ないことはない。銀河中心部は孤高世界といわれ、そこに住む知的生命は融合世界との一切の交渉を拒否していたのだ。ただ、融合世界の住人が孤高世界のネットワークをただ乗りして、銀河中心を横断して旅行するのを孤高世界は黙認していた。
そんな旅行者の一人ラールは銀河中心を横断中、実体化させられ、孤高世界で発見されたメテオを見せられる。そのメテオは内部に多量のDNAを含んでいた。つまり未発見のDNA生命の世界があるかもしれないのだ。ラケシュはソフトウェア知性由来の友人パランザムとともに、未発見のDNA世界探検の旅に、孤高世界に向かう。
これが奇数章。
偶数章はロイという女性の物語。でも人間じゃない。六本足の昆虫のような知的生命である。しかも住んでいる世界がどうも普通に惑星ではない。〈スプリンター〉と呼ばれる、円筒状の岩。その中に洞室やトンネルが張り巡らされている。断面にしてみると、真ん中に無重力地帯があり、そこから離れると重力とその向きが変わっていくという不思議な性状を持つ。〈スプリンター〉はむかしもっと大きな大地から引きちぎられたらしい。それゆえ〈スプリンター〉=破片と呼ばれている。〈スプリンター〉の岩は半透明で、外には白熱光と呼ばれる光が満ちている。
ここの技術水準は産業革命前という感じ。「人々」はそれぞれチームを作って農作業や流通業に従事している。チームは時に他のグループの「人」を「リクルート」してきて、自分のグループにいれたりするが、別のチームに引き抜かれることをとても恐れている。
ロイはあるとき、ザックという老人に声をかけられる。リクルートされるのかと身構えると、ザックは〈スプリンター〉各地を異動した際にそこの重さとその向きを測ってきて欲しいと頼む。ロイはザックの仕事を手伝ううちに、はじめて自分のチームの仕事以外のこと、世界の成り立ちや歴史について関心を持つようになり、遂にはチームを抜けて、ザックの共同研究者となる。
ザックは〈スプリンター〉があるハブの周りを回転しているという仮説を呈示し、その検証のためにさまざまな物理学実験を考案していく。世界の仕組みを探る活動は次第に人員を増やしていくが、〈スプリンター〉がハブへと落ち込むうちに再び引きちぎられるのではないかという懸念が生じてくる。
さて、奇数章と偶数章はどう関わるのか。ラケシュたちが探し出そうとしている世界がロイの世界ではないかとはじめからおよそ推測がつくのだが、もう少しネタをばらす。
ラケシュたちは、銀河中心部で文明の痕跡を発見する。銀河中心部は構成も密集しており、中性子星などの高密度星も多数ある。その文明の惑星は中性子星の接近により崩壊することがわかり、住人は「箱船」を中性子星の周回軌道に乗せて何とか子孫を残そうとしたらしいのだ。ラケシュたちの発見したのは失敗した「箱船」だが、そこから首尾よく中性子星の周回軌道に乗った「箱船」があるのではないかと探し始める。
ザックとロイは〈スプリンター〉の内部から簡単な物理的実験と数学で世界像を解いていく。ただしそれは、著しい重力傾斜下に自由落下する建造物内の物理学であり、文章のみで記述される数学についていくのは私には困難であった。だが、すべてを理解できなくとも、科学的発見の興奮はじゅうぶんに伝わってくる。これはルネサンスの物語なのである。内部からしか観測できないロイたちの視点を補完するのがラケシュの物語ということになる。
個体の生を生きるロイと、テクノロジーによって個体の生を超越してしまったラケシュとの接触がどうなるのかは伏せておくが、詩情に満ちた結末へといたる。開かれすぎた世界のラケシュと、閉じられた世界のロイが同じような探究心を抱くというのが、本書の味わいか。 -
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この頃、星空を見上げると、ある感慨にうたれる。この宇宙にはいろんな世界がある。他の星の生命もいるかも知れない。宇宙人もいるかも知れない。
もしかして自分もそこに到達できるかも知れない。と思ったのは子どもの頃。
星々の世界があると思っても、もはや自分にはあの星々に到達することはあり得ないと今は思わざるを得ない。そのことにある感慨を覚える。ましてやこの宇宙の外など。しかしそんな小説を読もうという気はある。なぜだかよくわからない。
すごいSFだけど、とても読みにくい。
という評言はまあ正しい。私も最初の三分の一くらい読んだまま、数年うっちゃっておいた。
まず最初のアイディアは、人間がその精神をソフトウェア化し、ヴァーチャル環境に移り住み、肉体人と二極化するという未来(ソフトウェア化しつつも、機械の身体にその精神を収めるグレイズナーの存在も)。そのヴァーチャル都市、《コニシ》ポリスで人工知性ヤチマが生まれるさま、ヤチマが《コニシ》ポリスを見聞きするさまが描かれる。
次のアイディアが中性子連星の想定外の崩壊によるガンマ・バーストで地球上の生身の生命が死滅してしまうというもの。当然、ポリスに逃げ込むしか生き延びる方法はない。私はこの辺で挫折していたのだが、このあとあたりから、疑似科学理論はとても難しいものの、話は快調に進んでいく。作品世界での時間もどんどん流れていく。
現実世界との接触を失うまいとするポリス《カーター・ツィンマーマン》に舞台が移る。ここで登場するのがコズチ理論という物理学。空間に時間を加えた4次元にさらに6つの次元を加えた10次元がこの宇宙であり、素粒子はそれらの次元を結ぶワームホールの口であるという理論。コズチ理論に基づき、ワームホールを抜ける超高速航法を生み出して,他の知的生命を探しに行こうとするがうまくいかない。そこでポリス住民の志願者すべてが千のコピーを作って、千の方向に宇宙船を飛ばす「ディアスポラ」計画が発動する。
「ディアスポラ」計画により、知性体・トランスミューターの足跡が捉えられ、彼らがこの宇宙より上位の宇宙に移動していることがわかり、修正コズチ理論を駆使して、彼らもその宇宙、時間1次元と空間5次元の宇宙に移る。ここの描写がまたすごいのだが、トランスミューターはさらにその宇宙もすでに去っている。ここから先、『タウ・ゼロ』以上のスケールになって、唖然と口を開けている他ない方へ話は進んでいく。
そして結末まで開いた口がふさがらないものと覚悟すべし。
そして、今日もまた口を開けて夜空を見上げるのだ。スカイツリーを、じゃなくて。 -
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文句を言いたいわけじゃないが、5年待った。『ハローサマー、グッドバイ』のあとがきに触れられていた続編のようやくの登場である。
続編というのはいささか語弊があって、直接的な続きというより、同じ舞台を使った作品である。しかも、『ハローサマー』の主人公、ドローヴとブラウンアイズは伝説の人物となっていて、その実在すら定かではなくなっている未来の話。スティルクと自らを呼ぶこの星の知的生命は人間とそっくりなのだが、『ハローサマー』では機械文明初期にあったのが、この未来の話では産業革命以前のような狩猟・農耕社会に退行している。
しかもスティルクたちはこの何百年かのあいだに『ハローサマー』にはなかった能力を身につけている。それは同性の祖先の記憶をアーカイヴのように残しているということである。父が自分を受胎させるまでの記憶、祖父が父を受胎させるまでの記憶、というようにずっと遡っていけるのだ。ただそれを思い出すには、それ相応の努力がいる。そしてもっとも長く祖先の記憶をたどれる家系が、村の長となるのだ。記憶が女系と男系に分かれているせいか、コミュニティも男性集落と女性集落に分かれており、男の子は一定年齢になると母から離されて、男性集落の父のもとで過ごすようになる。
「ぼく」ヤム・ハーディは、男が狩猟、女が農耕を営むヤムの村の男長の甥である。彼の父の弟が男長だ。年少の兄弟のほうが父の記憶をより多く持っているから長になるのである。折しも、年々寒さが強まり、獲物がとれにくくなり、作物も実りにくくなっている。だいたい『ハローサマー』と同じような状況になっていると読者にはわかるわけだ。このため、ヤムの村では漁を営む沿岸のノスの村に援助を求めることになる。そこでハーディはノスの女長の娘ノス・チャームと出会い、恋に落ちる。美しくて、利発で、意志の強い女の子が主人公と相思相愛になるのはマイクル・コーニイの常。
『ハローサマー』の時代よりあと、この惑星には地球人がやってきていて、鉱物を採掘している、というのも、新たな設定。地球人ミスター・マクニールはハーディのよい助言者である。
ハーディの父ブルーノはリーダーの才覚のある人だが、その資質を欠く弟のスタンスが男長を務めており、ブルーノはスタンスを保佐して村を運営している。しかし、ある日、父ブルーノは殺されて発見される。祖先の記憶を有するスティルクたちは、殺人のような不名誉な記憶を子孫に残すのを嫌って、恐ろしく犯罪は少ないはずなのに。
基本的には『ハローサマー、グッドバイ』と同じ話といってもいい。この星の人たちが、40年続く凍期をどうやり過ごすのかという話だ。そして『ハローサマー』を読んでいる人はその答えもすでに知っている。そこで作者は上記のような新たな設定を投入して、似ているけどぜんぜん別の話、でも『ハローサマー』をもうひとつ読みたいという読者のわがままをかなえてくれる本を書き上げたのだ。登場人物たちが『ハローサマー』の舞台だったパラークシ(今では聖地とされている)での出来事の記憶にたどり着けるかどうか、殺人事件の真相はどうなのか、スティルクたちはどうしてこんなに人間に似ているのか、などなど。
そして、あとがきには次のお楽しみが。傑作だったということしかもう記憶にない『ブロントメク!』が本文庫で復刊予定だというのだ。 -
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ネタバレ前作が、夏の日差しから凍期を前に
希望も恋も失われていき、徐々に灰色が濃くなって
行くかのような雪の中、ラストを迎えるのに対して、
続編は、前作になかった異星人の特徴や前作と異なる
文化、文明状態など戸惑いもあるが、前作のことも
全て(一応)説明を付けたうえで、日差しのなか
終わるのが、皆が待った続編が届いた、
という感じでよい。
まわりの青二才がアホで、少しはそれより優れている
といっても、二人を隔てる障害があっても、
主人公が初めからビシッとしていて、
美少女と惹かれあっては一般人には妬みの
種なだけだし、徐々に古くからの世界を
新しく築きなおすという所につながって、
青二才が一人前の男になる過程を見ていけるのもよい。