あらすじ
12歳の誕生日をすぎてまもなく、ぼくはいつもしあわせな気分でいるようになった…脳内の化学物質によって感情を左右されてしまうことの意味を探る表題作をはじめ、仮想ボールを使って量子サッカーに興ずる人々と未来社会を描く、ローカス賞受賞作「ボーダー・ガード」、事故に遭遇して脳だけが助かった夫を復活させようと妻が必死で努力する「適切な愛」など、全九篇を収録した日本版オリジナル短篇集。
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Posted by ブクログ
イーガンはもっと難解で何のこっちゃわからん感じかと思っていたが、文章自体が思いがけなく読みやすかったので、理系の専門知識部分以外は問題なく理解できた。
読んでいると人間という存在の悲哀を感じて、自分の人生を含めたこの世界をとても切ない気持ちで見てしまうようになる。
全編に通じるテーマとして、人間は「自分のしたことは間違っていない」と思わないと生きていけない、という真理を感じた。
Posted by ブクログ
ハードSF作家としてよく名が挙がるグレッグ・イーガンの短編集。自分にとって初めてのイーガン作品だ。ハードSFという言葉から予測していた難解で合理的な科学的描写で埋め尽くされたような硬いイメージとは違い、意外にも容赦無く万物を物質的に還元していく科学に引き裂かれる人間の、不合理で、不完全で、柔らかな"こころ"が主題になった短編が多かった。全体的な感想としては、その"こころ"の探求が見事で、科学を通じてなされる哲学的な思案が心地良かった。
・適切な愛
女は、事故で死にかけた夫の治療の為に、彼の脳のクローンを孕む事になるが、妊娠に起因する胎盤ホルモンの分泌により、状況に"不適切な"母性を生理学的に呼び起こされ、それに理性でもって対抗することを迫られる。その戦いによって、生理学的な感情を無視できるようになってしまい、夫が完治したあとも、生理学的な反応によって生み出される彼に対する"適切な愛"をも無視してしまう。女はそれを非人間的な反応と自己嫌悪する傍ら、それの持つ独自の醒めた情熱や人を動かす力を「自由」や「洞察力」と結びつけて考えてしまう。
科学によって人間が物質的な存在に還元される過程で、唯物論的な真実に曝され、蒙が啓き、人間的な部分が戻れてないレベルにまで変容してしまう、というのはこの短編集で繰り返し語られるテーマだ。
・闇の中へ
神出鬼没に世界各地に出現と消失を繰り返すワームホールと、それに偶然飲み込まれた人を救出すために奔走するランナーの話。ワームホールの入り口と出口には僅かな"時間"の差があるので、未来に位置する一方向にしか光を含めた万物が進めないという、超自然的で、暗闇を手探りで散策するような寄る辺ない世界観はSCP的な魅力がある。
・愛撫
ハードボイルドな探偵小説のような話。この手の話の主人公は大抵、正にハードボイルドと形容すべき冷酷でタフな性格をしているが、その実内面の弱さを隠すための殻としてそうしたペルソナを利用していることが多い。『愛撫』もその典型例だが、ハードボイルドなペルソナを「”強化ドラッグ”によっていかなる時も平静で理性的な状態を保つ」ことで演出し、内面の弱さを「”強化ドラッグ”の効き目が無くなると途端にセンチメンタルになる」ことで演出している。この設定が面白い。
「芸術作品を”現実化”し、その”現実化”のアクターを現実世界に放ち、世界を変容させる」という思想を持ったリンドクイストが何を示しているのかは、よくわからなかった。
・道徳的ウイルス学者
エイズは、キリスト教の価値観に則れば”道徳的”なウイルスだ。そう気づいた敬虔なキリスト教徒がエイズより道徳的に優れた真の”道徳的ウイルス”を作ろうとする。この発想は面白かった。
・移相夢
お気に入りの短編。人間の脳をコピーし、ロボットの脳に転写する。その過程で組立て途中の脳は"移送夢"を見る。そうした作品内の事実を足掛かりに、かつて当たり前かつひっきりなしに行われていたコンピュータ内でのデータ化した脳の移動は全て移送夢を伴うものであった事が明かされ、更には物質世界でも脳が空間や時間を移動する度に移送夢を見続けているのではないかというホラーチックな仮説に至る。テーマだけでなく、入れ子構造を利用したどんでん返しのあるストーリーも良い。
・チェルノブイリの聖母
科学的な要素は控えめだが、テーマが難解な作品。あとがきに書かれたイーガン本人の解説によれば、「あらゆる文化を〝尊重〟する義務はどこにもないが、そこには複雑なモラルの問題がある」「宗教を、人が心の中で価値を置いているものを外面化するプロセス(その価値あるものを自分の中からとりだして、”聖母”や”クーリエ”に帰するものであることにすれば、それを守れるというふりをすること)として描いた」らしい。作者は『道徳的ウイルス学者』の主人公や『しあわせの理由』のシティのキリスト教徒のように宗教を皮肉的に描くことが多いが、今作で(やや皮肉的ではあるが)なんだかんだ”宗教”も人間性の一つとして捉えていることが分かる。
・ボーダー・ガード
かなりお気に入りの短編。不死が実現し、それどころか飢えや土地や肉体的苦痛といった物質的な問題がほぼ全て解決された世界で、不死第一世代が、不死と死について語る話。
人類の不死化にとって最大の障害となったのは、「死があるこそ人生は価値がある」と主張する"悲劇主義者"だった。彼らは「歴史上の価値ある戦いは死や苦難に対してのものだ。不死化が実現するとその戦いは失われる」と言ったが、"不死主義者"は「そうした戦いが無くなることはその戦いに真に勝利したということを意味する。理想の為に戦うのが素晴らしいのは理想の達成それ自体が素晴らしいからであり、その逆はただの偽善にすぎない」と反論する。
こうした「不死は良くないもの」、「死があるからこそ人生は美しい」といった普遍的で保守的な言説に真っ向から反論する様が、「これぞSF!」と思えて気持ち良い。
ただ話は此処で終わらない。結局不死化した第一世代らも、自らの世界は悲劇主義の影響から逃れられず、理想の為の犠牲や苦痛を伴う戦いに至上の価値を置いてしまうことに気付き、多くが死を懇願した。また、残された者は、死に満ちていた時代を知らない、次世代の世界には自らの世代の世界を持ち込まないことにした。彼らこそがタイトルになったボーダーガードだ。
一方で悲劇主義に毒されてない次世代の世界も、家を燃やして己が身一つで引っ越すという擬似的な死を取り入れないなければならないほど、停滞による窒息死という魔の手が控えている。
こうした不死の後ろ暗さを垣間見た後だと、前半の量子サッカーパートの描写が光る(量子サッカーそのものの描写は「日本語でおk」という感じの滅茶苦茶具合で、笑える)。すなわち量子サッカーというスポーツは死と苦難に満ちた戦いに成り代わるものだ。
短編冒頭にあるように、或る神経経路を進化の過程で得た血塗られた歴史を持つと突き詰める行為は、人間を物質的な存在に解体する事に等しいと考えてしまう。しかし、その神経経路を自分の目的に合わせて改良する事こそがイーガンの見いだした活路なのだ。物語の最後には、量子サッカーのチームメイトによって、第一世代の病んだボーダーガードが祝福されるようにして終わる。
不死の肯定というSF的で革命的な主張をしておきながら、意外にも古典的で爽やかな読後感がある。
・血をわけた姉妹
互いの存在が”私という存在”の唯一性への反証に思えてしまい、距離をとっていた或る双子が、科学的な”三重盲検”に巻き込まれることで、図らずしも己の唯一性に気付く話。
しあわせの理由
本書を読むきっかけとなった作品であり、本書で一番のお気に入りの短編。
脳の幸せを感じる回路を何度も弄られ、最終的に自分を幸せにさせるものを、自分で意識的に選べる──個々の事象に対してコントロールパネルのパラメータを下げるように──ようになった男の話。
これもまた例に漏れず、人間の持つ様々な人間性は、還元していくと物質的なものに他ならないという真実に悩まされるというテーマで、今作で物質的であると突きつけられる人間性は"幸せ"である。先日読んだ『サピエンス全史』の幸福について論じている箇所とリンクするような内容である。
”幸せ”ではないにしろ、似たような”愛”が解体される様は『適切な愛』の感想で触れたのでここでも触れることはしない。
注目に値するのは、主人公がドナー四千人の”多重露出”によって形作られた”幸せ受容器官”である義神経を入れられることで、森羅万象それぞれに対して最も普遍的な幸福感と不安感を覚えるようになってしまうことだ。すなわち彼は、アイデンティティを持たない、真に没個性的な誰でもない存在になってしまう。この短編では”個人”や”私”の解体をも扱っているのだ。これに彼は絶望してしまう。これは彼が自由主義社会に生きているからだ。
自由主義は個人の主観的感情を重視する。現代の映画やポップスは「自分に正直であれ」「自分の思うが儘に生きろ」「なりたい自分になれ」と主張し、現代のアートは鑑賞時に「美の基準は人によって違うから自分自身で作品の意味するところを考えろ」と釘を刺す。その価値観の中で”個人”や”私”が無くなるというのは正に絶望に値することなのだ(自由主義社会でなければ絶望していなかったかもしれない。例えば中世のキリスト教圏では聖書や神があらゆる物差しの絶対的な基準であり、例えば美においても神の中に存在するイデアが絶対的な基準である。尚、これらは『サピエンス全史』を参照した)。
また、前述した通り”幸せ”が物質的なものだと知ってしまった主人公は、街の住民が皆、脳の生化学的な作用による、空虚で病的な理由によって幸福感を感じていることに気づき、恐怖する。薬物を乱用する者と何が違うのか、と。
その後、主人公は、コントロールパネルを弄り、森羅万象に対する一応の好感の基準を定めながら、打算的な考えに基づいて、恋を試み、一度は結ばれるも最終的に破局を迎えた。彼はそうした過程を経て気付く。そもそも人は、身近な人や、過去の偉人や、遥か過去の原人を含めた遺産を頭の中に抱えて生きる。そしてそうした”普遍的な面と各人固有の面を半々にもち、容赦ない自然淘汰によって高い能力を、偶然にもてあそばれて柔軟性を獲得した遺産”から自分の人生を形作る。すなわち、アイデンティティは、天から個人に付与されるものではなく、その遺産の取捨選択と偶然の力によって、形作るものなのだ。主人公は”その過程を、ほんの少し具体的に意識せずにはいられないだけ”なのだ。
これはある意味で、没個性に悩む人間(殆どの人間がそうだ)にとって、「自分の思うが儘に生きろ」「なりたい自分になれ」と吹き込む自由主義との折り合いをつける方法でもあると感じた。
最後には、空虚な理由による意味のない幸福感と、同様に意味のない絶望感の境界線上を歩むことが人生だ、と結論づける。そして主人公は、境界線の両側に広がる、腫瘍による意味のない幸福感と、幸せ受容器官の欠如による意味のない絶望感を身をもって理解した為に、他人より幸運だ、とつぶやく。この短編を読むことで彼の人生を追体験した我々も同様だ。
Posted by ブクログ
初イーガン。どこから得たのか「グレッグ・イーガンは難解」というイメージがあって、SF歴3年目の中で読んだことがありませんでした。が、むちゃんこ面白いじゃん!!!と思いました。私好きだわこれは、と最初から思い、最後までそう思い続けられました(これは読みやすい本だということなので、この後他の本を読んでぐうの音も出なくなるかもしれませんが笑)
「適切な愛」発想が度肝を抜かれたというか、文章力と相まって度肝を抜かれた
【再読】子宮の中で夫の脳を孕む女性について。それを経ることで起きた変容。時間は流れていき、過去には戻らず、現在がある。
「闇の中へ」好きだったなー…アイディアもSFという感じでわくわく
【再読】助かるのだろうかどうかというハラハラを、そうそうこんな感じだったと思いながら読む。
…ワームホールは、生きることのもっとも基本的な真実を具現化している。人は未来を見ることができない。人は過去を変えられない。生きるとはすなわち、闇の中へ走っていくことである。だからわたしはここにいる。
…危険は増加しない
とわかっていても感じる恐怖がよく描かれている
「そう。終わったら、きっと起こしてね」
イーガンのこういう終わり方がとてつもなく好きです。映画的というか、なんというか。
「愛撫」好きでしたこちらも。
クノップフは好きな画家のひとりだし、象徴主義も好きなのだけれど、豹見つけたところからこんなエンディングになるとは…度肝を抜かれました笑
それにこの絵を選んだのもイーガン!って感じだし、他の作品でも出てくる芸術のタイトルが、イーガン結構芸術好きでしょ?って思えるものだったので、作家としてもこれは好きなタイプとなったきっかけの一作。まじで面白かった。。
【再読】改めてクノップフの愛撫を持ってきたところが100点満点で、謎に満ちた終わり方も、象徴主義らしくて好き。スフィンクスはクノップフの妹がモデルとされているが、それ自体がクノップフ自身の現身だと彼が捉えていたとしたら、自分自身でさえ「見る側の条件がごくわずかに変わっただけで、徹底した再解釈が必要になる」なのではないだろうか?これもやはりイーガンならではの、アイデンティティに対するアプローチの一つなのだなと。それは…わたしを定義づけていたなにもかもが奪われていた。顔、体、職、通常の思考形式…というときのダンにも、クローンに自分の記憶と人格の大部分を移したアンドレアス・リングイストの語りにも表れている。
「道徳的ウイルス学者」
【再読】あまり覚えていなかったので初めて読んだ際はあまり刺さらなかったようだけど、二度目は普通に面白いし、こんなこと書いてイーガン刺されないかなって少し思ったりしていました。恩寵が与えられた結果がそれ笑という、宗教なんてそんな滑稽なものだと言っているかのような。
「移相夢」これってもしかして…って気づいたときの鳥肌ですよ…
【再読】
「夢からさめてすぐの数秒間が好きなの。夢の全体が心の中でまだみずみずしくて…でも、同時にそれに脈絡をつけることができるから。そして自分がどんな夢を見たかがはっきりとわかる」同じくすぎる!
(わたしはだれなのだ?)ロボットの中で目ざめる男について、わたしがたしかに知っているといえることはんだろう?…すべては吟味してみると混乱と疑問にのみこまれてしまった…自ら美しい幻影をつむぎ、死をまったく別のなにかと誤解して。
こちらもアイデンティティの境界線の曖昧さと、夢の曖昧さとが、美しくも冷たく重ねて描かれている。再読して初読時よりもぐっときた作品かもしれない。
「チェルノブイリの聖母」トレチャコフにあるウラジミールの聖母かあ…とこれまた脱帽。話自体もこれまた面白いんだよなあ…傷がまさかそういうこと!?っていうことが分かった時もワクワクだしなあ…
【再読】オチを覚えていなかった笑
ー神は肉ではなく、情報から作られているのである
すごいなこれ。震えた笑。そして本作も終わり方がかっこよくて好きだった。
「ボーダー・ガード」悲嘆を終えて四日目の午後早く…この出だしだけで結構やられた
【再読】ここまで力強く、不死が素晴らしいといいきるのは少し抵抗を持ってしまう笑。
「死が人生に意味をあたえることは、決してない。つねに、それは正反対だった。死のもつ厳粛さも、意味深さも、そのすべては、それが終わらせたものから奪いとったものだった。けれど、生の価値は、つねにすべてが生そのものの中にあるーそれがやがて失われるからでも、それがはかないからでもなくて」理解はできているが、心の底から信じられていないこの言葉。やはり終わりがあるからこそ、この生は意味があるように思えるので。
【再読】「血を分けた姉妹」こちらはオチまでなんとなく覚えていたのに初読時にはなんのコメントもない‥笑。双子だからと言ってもちろん別の人間であり、別の人生を歩む個人なのだ。全ての作品の根底に共通するアイデンティティのテーマと、その他人生に出てくるパートナーとの問題(意地の張り合い)や病気などが軽やかに絡んでいるのが、読みやすいし面白い。やっぱイーガンすごいなあ
「しあわせの理由」幸福の境界線とは?これは時々考えることだったので、えそうそうそう!ってなりながら読んでました
【再読】↑そんなこと思ってたの?と思わざるをえませんが…笑
「音楽、気が置けない仲間、アルコール、セックス…境界線はどこにある?幸福感の理由づけが、この男のような空虚で病的なものに変わってしまう、その境界線は?」この男とというのは、宗教を信じている男ですが、確かに自分が幸せだと感じるもの/こと/ひとの境界線を見つめようとすると、相対主義に陥って、自分の足元もぐらぐらするような。
再読時によりピンときたのは、「父から、母から、そして、想像を超えた遠い過去の、人類も原人も含めた一千万の祖先からうけ継いだものだ。そこにあらたな四千人分が加わったからといって、なにが変わるというのだろう?」というもの。高校時代に生物でDNAについて学んでからこの感覚はずっとあるんだけれどな笑。人生はうまくいったり、うまくいかなかったり、幸せだったり悲しかったりいろいろあるけれど、巡り合わせでそうなっているところもあって、その中で確固としたものはやはり自分自身でしかないので、自分がどうしたいか、どう捉えるかというのが大事ということなのではないだろうか。
次のイーガン早速読んじゃいますっ
Posted by ブクログ
・適切な愛
・闇の中へ
・愛撫
・道徳的ウイルス学者
・移相夢
・チェルノブイリの聖母
・ボーダー・ガード
・血をわけた姉妹
・しあわせの理由
Posted by ブクログ
初イーガン。まさに科学小説で、ハードSFとはこういうことか。面白かったものをいくつかピックアップする。「適切な愛」発想がすごい。初イーガンとしては適切な作品だったのでは。「道徳的ウイルス学者」皮肉なユーモアが利いたラストが良い。「位相夢」自分の意識をコンピュータ上に移植することについて。「血をわけた姉妹」SF要素は控えめで、現代ミステリでもありそうな筋書き。物語としての完成度も高い。「しあわせの理由」人間の感情は、所詮脳内の化学反応に過ぎないのか。
Posted by ブクログ
SEVENEVES以来のSFですが、すごいよかった。短編だからかな。でももうなんか、ジュンパラヒリあたりを読んでいる気分とあまり変わらないような短編もある。表題の「しあわせの理由」とかね。
Posted by ブクログ
短編集。イーガンはハードSF作家として有名でなかなか手に取り難い。
本書は表題作「しあわせの理由」の設定(感情が脳の化学物質によって左右されてしまう)に興味を抱いて読んだ。
期待に違わず表題作はとてもおもしろかった。廃人のような時期と多幸感に溢れた時期が躁鬱病患者のようであるが、冷静な分析がそれに骨格を与えていて、ただの情緒不安定な人ではなく、ちゃんと希望が0の人と4千人の幸福を持った人として説得力がある。ただし、ストーリー最後はあまりにも「まとめ」的な形で、安っぽく思えてしまう。それほど直接的に語る必要はあっただろうか。
しかしこの直接的な、ある種の説教臭さは他の短編にもかなりある。とくに血を分けた姉妹は人間の命の功利主義への猛烈な批判で、寓話的であり、あまりに主張が激しすぎて(イーガンは病院で働いていたそうなので、説教臭さはそこに由来していると思う)、その主張のためにキャラクターを設定しているように感じた。私は読んでいて全然面白くなかった。
その他の短編はチェルノブイリの聖母・ボーダーガードを除いてどれもなかなか良い。
適切な愛はその中でも設定が良い。愛撫もスリラーで面白い。
Posted by ブクログ
グレッグ・イーガンはハードSF好きの自分としては外せない作家。
のはずなのにもしかしたら所有したのは初めてかもしれない。今までは何かの短編集的なもので読んだだけだったのかも。
本短編集、SFなのだが、突拍子もない設定やかけ離れた未来の作品はそれほど多くはなく、時間軸としてもとても現代に近い設定のため、「あれ? これってSF?」となる作品も多い。
表題の作品『しあわせの理由』なんて、SFではなく人間を描いており、その設定のためにSFを利用していると言ってもいいくらい。というか、多分そう。それはタイトルに現れている通りで、自分が感じるしあわせも少し懐疑的に見てしまいそうになる。
現実の自分の認識を疑いたくなるという意味では、『移送夢』も怖い。自分の世界は自分の認識によってのみ構成されているんだよなと思うと、全てが信じられなくなる。
グロテスクと感じる作品もいくつかあった。『適切な愛』で表現されている愛は私の感覚からするとグロテスク。
その他『愛撫』『道徳的ウイルス学者』など、その発想はSFと呼ぶには自由すぎる。解説者はイーガンの小説は「哲学小説」と定義していたが、それに賛同するかどうかは置いておいて、そう言いたくなるのも理解できる。
さて。
早速だが本作の前に出版された『祈りの海』を注文した。
しばらくはイーガンの世界に浸ろうと思う。
Posted by ブクログ
★4.4
SF界の巨匠グレッグ・イーガンが贈る、9篇のの短編集。
神経系の異常により“幸福”を感じられなくなった少年が、治療の果てにたどり着く「しあわせ」のかたち。感情操作を通じて再び幸福を手にしようとすることは、果たして“本人の意思”と言えるのか。(表題作『しあわせの理由』)
タイトルだけ見ると、宗教や自己啓発本に見えてしまう本書。中身は紛れもないハードSF、もっと言えばPF[Philosophy Fiction:哲学小説]だ。
生体操作・記憶・倫理・宗教・国家といった多様な領域を横断しながら、科学の視点で「人間とは何か」**を徹底的に解剖していく。
思考実験の連続は、めまいをもたらす。
特筆すべきは、すべての短編に“読む価値”があること。中にはとんでもなく難解なものがあったり、設定が主役のような短編もあるのだが、それすらも含めて思考に深く切り込んでくる。
脳が拒否反応を示しても、問いや雰囲気だけ持ち帰るのも一興だ。
「しあわせとは何か。」
普遍的で、断続的に起こる問いの一つだ。
イーガンはこの問いを、表題作『しあわせの理由』で鋭く突きつける。
テクノロジーによって感情すら再定義されるうるなら、自由に選べる幸福には本質はあるのだろうか。あるいは、テクノロジーというフィルターを通すからこそ拒否感が生まれるだけで、元来人間は能動的に幸福を選んでいるのだろうか。
その他の短編にもそれぞれ異なる哲学的問いが内包されている。
愛と記憶の再構築を扱った『適切な愛』は、本書の中でも異色の“ロマンチックな”一編。愛が科学で制御できる世界で、それでもなお揺らぐ人間の情動を描く。
芸術の創造と遺伝子工学が交錯する『愛撫』では、「美とは何か?」という審美的な問いが思いがけない形で浮かび上がる。
宗教と遺伝子倫理が衝突する『道徳的ウイルス学者』では、信仰と科学が皮肉な形で融合するさまが描かれ、ブラックユーモアの効いた倫理劇となっている。
『ボーダー・ガード』『血をわけた姉妹』では、ハードSFの枠を超えて倫理と哲学を深くえぐる内容で、イーガンの「哲学SF作家」としての一面が際立つ。
死の意味を冷ややかに照射する『闇の中へ』。不可逆の闇は、人生そのもののメタファーだ。数理的・哲学的というより、存在論的ヒューマニズムの色が濃い。
『移相夢』は日々別の身体に宿る男の視点を通し、「自己とは何か」「意識の一貫性に意味はあるのか」を問う。”テセウスの船のよう”といえばとっつきやすいだろうか。記憶だけが繋がる存在は、果たして自分と言えるのか? 自分の人生は、自分だけが覚えていれば、それで足りるのか?
巻末の解説も必読で、本書の構造や背景、イーガン作品に通底するテーマを理解するうえで大きな助けになる。むしろ読前に目を通すことで、本編の理解が一層深まるだろう。
“しあわせ”を感じるとは、どういうことか?
“しあわせ”を選べるとは、どういうことか?
その問いを胸に、しばらく余韻に浸ろう。
Posted by ブクログ
SF短編集。好みの作品と好みでない作品がはっきり分かれた。全体的にはそうきたか〜となる展開が多く楽しいが、最後2編の「血をわけた姉妹」「しあわせの理由」が特に好み。いずれも違った形で読者に問題提起をしてくるような話なのが印象的。「しあわせの理由」では、自分とマークの違いはどれほどなのか、違いのグラデーションのどこまでが自分の人生といえるのか…というのを考えるとぞっとして楽しい。
Posted by ブクログ
12歳の誕生日をすぎてまもなく、ぼくはいつもしあわせな気分でいるようになった…脳内の化学物質によって感情を左右されてしまうことの意味を探る表題作をはじめ、仮想ボールを使って量子サッカーに興ずる人々と未来社会を描く、ローカス賞受賞作「ボーダー・ガード」、事故に遭遇して脳だけが助かった夫を復活させようと妻が必死で努力する「適切な愛」など、全九篇を収録した日本版オリジナル短篇集。
あらすじを書こうとして難しすぎてそのまま引用してしまった……。
SFではあるけれど、世界観がその形をとっているだけで、読んだ後に心に残ったのは自分の持っている価値観のゆさぶられだった。
なにが面白かったかを説明しようとすると難しい。
だけれども確実に読んでいてページをめくる手が止まらなかった。
Posted by ブクログ
ゆる言語学ラジオより
本質本とだけあって、結構ハードでした。
翻訳本もあまり読まないから言葉遣いとか慣れてなくてだいぶ字が滑ったりしたけど、何とか読みました。
内容もあんまり触れたことのない切り口。これはスルメ本になりそう。
Posted by ブクログ
表題作『しあわせの理由』
脳の幸福を感じる部分が、脳内の腫瘍により過剰になりすぎた男の話。
手術で腫瘍を摘出しなければ命の危機という絶望的な状況にも関わらず主観的には幸福感と万能感で満たされた日々を送る。しかし手術が成功し命の危険が無くなり不自由のない生活が訪れた後、自身の生活において一切の幸せを感じることができなくなってしまう。
後の手術で、何に対して幸福を感じるかを自分自身で選択できるという状況になるが、幸福や興味の対象を自分でボリュームつまみを回すかのように選択することで得た幸福は本当の幸福なのか…
人間にとっての幸福とは極めて主観的なものであるということをストーリーを通して再認識した。
Posted by ブクログ
想像することすら困難ないつものイーガンではなく、分かりやすい作品が大半の短編集でした。”量子サッカー”という競技はなかなかイメージ付きませんでしたが。人の意識とか命とか何か根源的なところを問うのはいつものイーガン。
Posted by ブクログ
◯難しいSFのお話もあれば、普通の物語として面白いものなど、お菓子の袋詰めみたいな短編集。
◯個人的にはチェルノブイリの聖母がSF感がなくて面白い。ハードボイルド探偵小説的な良さがある。
◯一番気になっていたボーダーガード。出だしの量子サッカーでだいぶ痛めつけられたものの、後半は人類に普遍的なテーマである死と、それを乗り越えた人類の苦悩を描いていて興味深い。想像もつかない未来だから、登場人物の考え方に納得できないように書いているのか、あまり共感はできない。
◯しあわせの理由は感情ですらコントロールできる場合、それはもはや人間の感情といえるのか、というテーマを読み取れる。ボーダーガード共々興味深い。
◯理系の人たちは入りやすいというイーガンのSFだが、普通の小説としても読める…とあるが、設定として科学的な根拠があるものをSFというのか、それこそロボットアニメのようなそれっぽいものもSFというのか、よく分からないと思いながら読んでいたが、後者でしか馴染めない人でも割と読めると思う。面白かった。
Posted by ブクログ
初イーガン。オチまで読んでもわからなくて「?」となったりもしたけど、総じて面白かったし、予想よりずっと読みやすかった(なのにわからないという、ね)。
どうせ忘れてしまうから、1編ごとに簡単に感想を書いたけど、こうしてみるとやはり、人間の生の意味とか自由意志とか、思考(あるいは感情)とはなにかという、SFらしい壮大なテーマが流れているのを感じます。
「適切な愛」事故に遭って危篤の夫を救うため、摘出した脳を胎内で(!)保存することを選ぶ女性。その決断に至るのは、保険が下りるかいなか、経済的に見あうかどうか。それもリアルだし、保存に至る過程もリアルだし。新井素子の「あたしの中の」を思い出しつつも、もっとエグい。ちょっとつわり起こしそうになった。(ほめてます?)愛と欺瞞をめぐるその最後のひと考察がなかなか難しくて、手が届きそうで届かない。
「闇の中へ」地球各所に突然出現するワームホール。そのなかに取り残された人たちを救出するランナーの物語。わー、これは確かによくわからないかもしれん。
「愛撫」究極の活人画の話。昔からある遊びだけど、何かエロティシズムを感じさせる。そこに遺伝子操作によるキメラを導入するという、ね。
「道徳的ウイルス学者」同性愛者や不倫をしたものだけを殺す恐ろしいウイルスを作り出した、正義感でいっぱいの恐ろしいマッドサイエンティスト。エボラ様ウイルスなのがこわい。
「移送夢」脳をアンドロイドにコピーするとき、恐ろしい夢を見るかもしれない? 最後には、これは現実なのか夢なのかという悪夢のような話に。
「チェルノブイリの聖母」
聖母のイコンをめぐる殺人事件を追うハードボイルド。「いちばん面白かった」という感想が多いけど、オチの部分がよくわからなかった……なんか読み落とした?
「ボーダー・ガード」
出たー、量子サッカー!(笑)これ自体はまったくわからなかったのだけど、そのあとのマルジットとのいきさつはおもしろかった。ある意味で「しあわせの理由」にもつながっていくような。人間の生とはなんなのか?(「適切な愛」「移送夢」もその系統。)
「血を分けた姉妹」
これもウィルスがらみで、今読むとちょっと生々しい。「二重盲検法」もよく耳にするようになった語。ひとしきりウィルス――ワクチン――ハッキングなどが語られたのち、姉妹へ思いが還っていくラストがちょっと切ない。
「しあわせの理由」
ノーベル生理学賞を受けた利根川進博士がかつて、人間はあらゆる化学反応の集合体、という意味のことを言われていたのを読んだ記憶があるけど、そんな話を思い出した。命の危機に瀕しているときに多幸感を味わい、病を克服してからはうつのどん底という皮肉な形で。最後はユングの集合無意識をちょっと思い出した。
Posted by ブクログ
イーガンは難解なイメージがあって食わず嫌いだったのだけど、もっと早く読めばよかった。
解説にもあるように読者を観測者に見立てていることが、イーガンの本質なのかもしれない…と思って量子力学をちょっと勉強してみたくなった。しないけど。
Posted by ブクログ
全ての話で未来の話。例えば寿命がなくなった世界。例えば、感情のパラメータを自分でコントロールできる時代。そのなかで幸せってなにか考えていくものがたり。どの話もその人物なりに幸せを追い求め、それなりの幸せに到達する。そして、これって本当に幸せなのかと自問する。
これは今を生きる自分にも向けられた問いであり、果たして、いまの生活、そしてこれからの人生、幸せなのか?もちろん家族がいて、仕事もある程度安定していて、世の中的には間違いなく幸せ。ただ、自分のやりたいことを半分くらいは我慢しているし、欲望に正直かというと全くそうでない。何事も下には下がいるが、上には上がいる。
結局は、やりたいことをとるか、他の人を優先してやりたいことを我慢するか。人生短いから、やりたいことをやれ。明日死んでいいように生きろとか言うけど、そんな簡単にできたら世の中マッドマックスみたいになってる。
読後、思うのは幸せって何かはわからない。いろんなことの複合だし、文脈というか、前後関係があるからわからない。けど、一つ確かなのは、やはり1人ではなく、誰かと感情をわかり合えたときに幸せだと感じるということ。
Posted by ブクログ
短編集だが、意味がわかる話とわからないまま終わる話に綺麗に二分された。邦訳が読みやすいのがありがたい。
表題のしあわせの理由は面白いですね。しあわせを感じるのは脳内の反応なので、電気信号なり化学物質なりで操作できたとしたらそれはしあわせなのかと考えてしまった。
冒頭の「適切な愛」は夫の脳みそを胎内で育てるというグロい話。だけど、単にグロいと言い捨てられない倫理的な話で心が鷲掴みされる。本人の感情、周囲の反応が日本ぽくてスムーズに読んでしまったけど、世界的に似たような反応なんだろうか。リアリティある。
Posted by ブクログ
SFってちゃんと読んだことがなくて、最初は世界観についていけなかったけど、だんだん面白いと思えるようになった。
『愛撫』、『道徳的ウイルス学者』、『しあわせの理由』が特に好きかも。
作者の短編集第二弾だそうで、第一弾も読んでみたい。
Posted by ブクログ
SFはハードでブラックなのが好みです。「ボーダー・ガード」を教えていただいたのがきっかけで読みました。面白かった。
「しあわせの理由」、これは幸せなのか?幸せを感じてるのはお前自身じゃない!と常に覚えさせれられるのはつらい気がします。知能じゃないですが「アルジャーノンに花束を」を思い出しました。
「闇の中へ」も…生き抜けないこの世界。世界を救うために最後の犠牲になるのかな彼らは。。
「愛撫」の絵画、検索して見ました。これを再現するって狂気の沙汰です。「道徳的ウイルス学者」も狂信的でした。
Posted by ブクログ
イーガンさんお初。タイトルから、テッド・チャンみたいな優しげな感情が見え隠れする、難解SFかと思いきや、人間の情緒が抱える残酷さが見え隠れする難解SFだった。後半はあってた。すごく難しい言葉ばっかり。短編集だがだいぶ積んでたし読むのも時間かかった。好きな残酷さではあるんだけど、あまり好みの文体ではなかったのと、確実に性癖に刺さってはいるんだけどどこか冷静に読んでしまっている自分がいる。今のジャンプを読むときの感情に似ている。もっと前のめりになりたかった。10代のころに読んでいればよかった。
脳死した恋人の脳を妊娠する女性、ブラックホールに飲み込まれる人たちを助けるレスキュー隊、過激なカトリック信者が浮気者と同性愛者だけを殺すウイルスをばらまく話など設定や倫理観が色々興味深かったけど、「ボーダーガード」のとある台詞がすごく考えさせられたのと、やはり表題作の「しあわせの理由」が一番気合が入っていたように思えた。
「しあわせの理由」は私たちは何をもって「しあわせ、好き、気分がいい」と思っているのか?という話(ざっくり)。脳の幸せを感じる部分が腫瘍の摘出によって欠如してしまった主人公を通して一緒に考えていく。「みんな興味ないかもしれないけど、俺はこれが好きなんだ!」ってもの、大体の人が持っていると思うけど好みとかツボとか性癖とか傾向というものは実際は周囲の人間、環境、様々な文化によって影響を受け、また与えてきたものであり、それに惹かれる情緒の根っこの部分も先祖から脈々と受け継いできたものなんじゃないか。「『好き』って自分だけの、特別な感情のようにみんな思っているけど本当にそうですかね?」みたいな、そんなちょっとシニカルな視点が新鮮だった。
「ボーダーガード」はだれもが不老不死の時代、量子サッカーを通して出会った女性が実は「死」を知っていて…という話。この重要そうで実はそうでもない「量子サッカー」の描写が本当~~~~に意味わかんなすぎて若干挫折しかけたんだけど、女性が語る「死が生に意味を与えることは、決してない。生はやはり生の中でこそ見いだせる。」という話が心の大事な部分に突き刺さった。少し逸れてしまうけど、私は桜の花を美しいと思いたくない、と思っている(どんな感情?)。花や葉や幹の形が云々、などどのように美しいかよりも「一週間しか咲かない」という部分に日本人皆踊らされているのでは、と思ってしまうから
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わたしには少し難しいSFだった。
ひどい事故にあった旦那さんのクローンができあがるまで旦那さんの脳みそを奥さんの子宮にいれて保護するはなしと、『スフィンクスの愛撫』そっくりの写真を撮るために整形させられるはなしがおもしろかった。
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ハードSFというジャンルに身構えていたけど、登場人物の心情や葛藤を描く物語が多く面白かった。
印象に残ってるのは、表題のしあわせの理由と、最初の胎内で保持する話、薬の実験の話、不貞者を殺すウイルスの話(多い)
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ほぼ全部の短篇でアイデンティティについて考え直させられる。テセウスの船みたいな話を無限にされてた。これをSFを使って寓話的に読みやすい面白い形に落とし込むのは本当に天才的。ずっと唸らされるしとっても面白かった!!
本末の解説って基本つまんないから期待せずに読んでたら東大教授でTRONの坂村健先生でギョッとした……。何なら、彼の解説だけでも本を買う価値があるくらい面白かった。こちらも文章上手くて、クスクス笑えるのにしっかりとした解説。
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全9篇からなるグレッグ・イーガンの短篇集。SFを読み慣れてないと全体的に難しく感じる…という印象。
個人的には「チェルノブイリの聖母」「血をわけた姉妹」「しあわせの理由」がギリギリ理解できて面白かった。
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初イーガン。
なるほどなるほど、これはハードルが高い。
自分はそれなりに科学技術好きな理系脳だと思うけど、興味ない人には苦痛がまさるんじゃないだろうか。
でも、解説にもある通り分厚いサイエンス成分を透かしてみれば、どの話もものすごく哲学的。
引き込まれました。それにしても、どれもこれもよくもまあこんな設定を思い付くなあ!
「闇の中へ」時間軸を物理的なベクトルに読み替えているんですかね、すごくスリリングでした。
「道徳的ウイルス学者」いま世界がコロナに揺れている中、ウイルスをなんらかの意図をもってコントロールできる可能性が示されており、そら恐ろしくなります。
「ボーダー・ガード」量子サッカーを始め、情景がさっぱりイメージできなかった…そもそも設定からしてイメージしようとすることに無理があるのか?
「しあわせの理由」現実はなにも変わることなく、自分の気分だけで世界はいかようにも変貌する。しあわせとは何なのか。考えさせられます。
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you have easy to image about the lady panther. but about Panther lady you can? however, , I can't easy understand. The caresses painted by Fernand Khnopff.
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9編の短篇集で、その中でも表題作は、ものすごく根源的な問題について考えさせられる小説。
ここで問われているのは、まさしく「しあわせの理由」だ。
人間が感じる幸福感というのは、煎じ詰めれば、その正体は脳内の化学物質が惹き起こす化学反応の産物に過ぎない。
たった数ミリグラムの脳内麻薬が、長年の修行の末に悟りを得た禅僧と同じ境涯に人間を導くのだとしたら、精神の陶冶というものに、いったいどれほどの価値があるのだろう。
たとえば、ドラッグによって夢の世界に旅した人が、そのまま現実世界に戻ってくることなく、夢から覚めないままに一生を過ごすことが出来るとしたら、その人はこの上ない幸福の中で生きることを意味するのかもしれない。
極めて個人的な嗜好に依存すると思われている、「好き嫌い」という感情でさえも、実際にはやはり化学物質によって左右され、支配されている、計量可能、操作可能なものであるなら、人間の自我というものはどうなってしまうのか、という、思考実験的なSF。
そういう、アイデンティティーの危機に直面した主人公が、試練を乗り越える様を、「もし自分がこういう状況になったら、いったいどうしたらいいんだろう。」と考えながら見守った小説だった。
ぼくは言葉につまった。目の前の人々の顔は、あまりに多くの意味に満ち、魅力の源であふれていて、どれかひとつの要素だけをとりあげることなどできない。かれらの顔はみな、賢そうで、歓喜に満ち、美しく、思慮深く、思いやりがあり、情け深く、安らかで、活気にあふれ・・人のもつ資質のうちで肯定的なものばかりが、しかし焦点を結ぶことなく、そこにホワイトノイズ化していた。(p.388)
しあわせのない人生は耐えがたいが、ぼくにとってしあわせそのものは生きる目標とするに値しない。ぼくはなにがしあわせかを感じさせるかを好きに選択できるし、その結果しあわせを感じている。だが、自力で新しい自分を生みだした場合、その結果しあわせになろうが、ほかのどんな気分になろうが、ぼくの選択とその結果のすべては、つねにまちがっている可能性があるのだ。(p.404)