山岸真のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
上手くまとまった面白い短編集、というよりかは「ちょっと面白い設定とかSF考えたからちょっと見てくれや」みたいな、発想博覧会的な趣がある。
量子サッカー(フィールド全体に波動関数としてボールが存在しており、プレイヤーたちが自由に動きそのエネルギー状態を遷移させることで、相手のゴール内にボールの存在確率を50%以上に収束させるスポーツ)とかその典型例だと思う。
もちろん人情的な話もあり、悲劇もあり、かなり幅広い短編sが収められている。
ディアスポラとかゼンデギとかその辺の長編から始めるよりかはこういう短編から読み始めた方が、グレッグ・イーガンの作風と振れ幅を知れていいのかなとは思う
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Posted by ブクログ
ネタバレやっぱイーガン面白いです、、短編集どれも質が高い〜〜
新・口笛テスト
一話目からストライク笑。毎回思うんだけど、イーガンって結構音楽とか美術とか好きだよね笑
…曲が人々の心の中でなんらかの消費財や企業名としっかり結びつけられてしまったら、曲そのものを楽しむときになにかが失われてしまうことは確実だ。…(p.20)
…いまでもほかの音楽に耳を傾けることはできるが、いちばん忘れようのない曲でさえ、自力では思いだすのがむずかしくなっていて(「山の王の宮殿で」や「ワルキューレの騎行」を数小節口笛で吹けといわれても、応じられなかっただろう) (p.26) - チョイスこの2曲なんだという!
ユージーン
発想のひとひねりがすごい。天才の子供を遺伝子操作で産めるかもという時に、未来からその天才の子供が干渉してきて、全てが潰れる話
銀炎
パンデミックの設定も面白いし、それがスピ/科学の批判に繋がるのが面白かった
要塞
社会派なイーガンマジで好き
森の奥
これまた発送のひとひねりに唸った一作。殺されると思っていた男が、いつか自分と同じ思いを抱えた人間は自分であると信じる認識改変をした後、自分と全く同じ感情を持った殺す側が死に、自分はその時誰なのか?という話
…ぼくはカーターを見おろし、足でそっとつつくと、ささやき声で。「きょう、だれが死んだんだ?答えろよ。きょう、ほんとうに死んだのは、だれなんだ?」(p.303)
TAP 表題作
…それは、自分の息子のことがわからなくなってしまったと感じたからではない。じっさい、そんなことはない。しかし、わたしたちがおたがいに、とにかく理解しあえているという事実が、突然、最高にいいかげんなまじないのように思えたのだ。(p.328)
「グレイスさんが、"現実"をどう定義していたか、知っているかい?」
「いいえ」
「ほかのあらゆるものが存在しないと立証できても、それでも立証できずに残る一万ビット」(p.343) -
Posted by ブクログ
基本的に何が書いてあってみんな何を言ってんのかさっぱり分からんと思いながら読み進めましたが、ストーリーで何が目的で何が起こるのか、原因は何か、という部分についてはある程度理解できるような作りだったような印象を持ちました。
例えば独自の単位や独自存在の無説明の登場、当たり前にあるものなのだからわざわざ説明しない語り口に面食らいましたがそれも読み進めていくうちに、ああ前言ってたアレの事ねとなる設計だったように感じます。
キャラクターも魅力的であり、特に序盤の初期ヤチマとイノシロウ、ガブリエル、ブランカのやり取りは記憶に強く残る場面だと思います。
物理や数学についてはやはりてんでさっぱりなので、読みはするものの鉤括弧で閉じて頭の前から後ろへとすり抜けていく感覚しかありませんでしたが、生命体の倫理観や哲学の部分についてはおおよそ心を寄せて楽しめたと思います。 -
Posted by ブクログ
短編集ということもあり長編と比べると、小難しい物理とか数学の話が(比較的)少なく、イーガンの持つ人間観や未来像などがどのようなものかを理解するためには非常に読みやすかったです。
特に表題作は、イーガンの科学至上主義が非常によく現れた作品であるかと思います。ある夫婦の受難を、物理的にだけでなく精神的にも科学でもって和らげる様は、テクノロジーが進歩した未来では科学は宗教に取って代わられる、ということを説得力をもって語っているかと(反面、その科学の確実性を否定してまで救いを求める人間らしさも描かれている)。それに加えて、物語全体を通して見るとよくある家族問題でしかない、というのも作者が、AIが知性を持ったり人間がデジタル化されるのを当たり前の未来であると確証しているからこそではないかと思います。
ともかくとしてイーガンが抱く未来像のディテールには毎度ぶっ飛ばされるので、読んでいて非常に気持ちが良いです。 -
Posted by ブクログ
ハードSFの極北、グレッグ・イーガン。こちらは本当に難解なので何度も調べながら読み通しました。
部分的には未だに理解してないところも多いですが、全体の流れを追える程度には整理できたかなと。特に次元のくだりが難しいのだけど、単純に三次元の我々の世界では三脚が安定するように、次元が増えれば足や手、目を増やす必要があると。
それとは別にマクロ球というものが出てくるが、これは多くのSFで出てくるいわゆる隣接宇宙というやつ。本のページをめくるように隣の宇宙に移動するということだ。フォールド航法なんていうと馴染みのある人もいるかもしれない。
そして宇宙のページをめくり終わった後に主人公のヤチマは何を見るのか。最後までページを進めればわかるというのもメタ的な構造になっていて面白いですね。 -
Posted by ブクログ
グレッグ・イーガンはハードSFの極北なので一般人の私には理解できるレベルでないのだが、自分の理解への助けに概略をまとめておく。
二万年後の未来の話。人類は宇宙全域に播種し、もはや人格をデータ化しバックアップ、光速で移し替えたりでき肉体はもはや意味を持たず、肉体を持つことなく存在する人もいる。寿命も数千年にわたる。肉体ももはや男女の別はなく、性行為をしたい時はそれ用に性器を作り出す世界となっている。そういう世界が嫌で自らの肉体をコールドスリープし宇宙を漂流し続けるアナクロノートと言われる人類も登場、後に彼らが騒動を引き起こすこととなるのだが。
ミモサにてサルンペト則(架空の物理法則)に基づく量子力学の実験が行われる。この実験にて現在の空間とは別の新真空というものが作り出されるも、想定とは異なり新真空は一瞬で消失することなく光速の半分の速度で現在の空間を削り取り広がっていくことになる。実験を行ったキャスたちは我先にと結果を知りたく、フェムトマシン(スーパーコンピューターみたいなもの)を使用し少し先の未来を観測するも新真空に飲み込まれて自分たちが消え去ることを悟る。が、それまでに残された時間で解決策を模索しようと決断する。ここまでが第一部。
第二部はそのさらに600年後。新真空により複数の星々が飲み込まれ、その観測と対策を行う最前線、リンドラーという観測拠点が舞台となる。左手と右手と呼ばれる二対の観測箇所があり、左手は譲渡派、右手は防御派の拠点となっている。譲渡派は広がる新真空を消し去らずに拡大を止め、調査、移住を試みる勢力、防御派は拡大を止め、新真空を消し去ることを目的とする派閥。主人公のチカヤは譲渡派に属しているが、リンドラー内で期せずして幼なじみの防御派であるマリアマと出会うことになる。マリアマはいつも強気で先進的でチカヤを困らせており、数百年ぶりの邂逅となるリンドラーでも派閥が別なこともあり衝突が続く。そんな中、絶対視されていたサルンペト則が誤りであるという仮説が提唱され、仮説を元にした実験により新真空へのアクセスが可能となる。ここで譲渡派は新真空内に生命体の痕跡を発見するのだが、防御派はアクセスが可能と見るやプランク・ ワーム(自己複製、増殖、変異するウイルスみたいなもの)を送り込み新真空を破壊する方法を確立する。
防御派は生命体の存在を公表し、新真空の破壊はジェノサイドにあたるので防御派に行動を待つよう1年の猶予期間を求めるのだが、防御派の過激分子は「もし新真空に生命体が存在するのなら、彼らは拡大のスピードを加速させ我々を消し去る方法を探しているに違いない。新真空を消し去る方法があるのなら今すぐ行うべきだ」と反論を行う。その場で結果は出ず投票となる。過激な反論を行った人物はアナクロノートであり、旧人類(我々世代的なものの見方をする)なのであった。彼らは投票を待たずして防御派の一部を懐柔しリンドラーの乗っ取り、プランク・ワームの投下を試みる。これらの行動を察知した譲渡派はチカヤを中心に妨害を行うのだが、プランク・ワームは投下されてしまう。このままでは新真空が消え去る段になり、防御派ながら過激派には与しない、いつだって正しいマリアマと協力し、新真空内部への侵入、内外からの2面作戦によるプランク・ワーム殲滅を試みる。
新真空内部には、知的生命体が存在しており(と言ってもまだ原始的なレベル)、新真空に削り取られたはずのフェムトマシンが存在、予言者のように扱われていた。フリーズしていたフェムトマシンを再起動させるとキャスが現れ、ことのあらましを説明する。キャスの協力によりプランク・ワームを消し去り一件落着。
タイトルのシルトの梯子はチカヤとマリアマの関係性を示す。ベクトル曲線上を平行移動させる手法だが、同じ地点に到達しても違うベクトル曲線をたどると平行移動した接ベクトルは違う方向を向いている。
ハードSFだが、リベラルなヒューマニズム小説なのでもあった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレハードSF作家としてよく名が挙がるグレッグ・イーガンの短編集。自分にとって初めてのイーガン作品だ。ハードSFという言葉から予測していた難解で合理的な科学的描写で埋め尽くされたような硬いイメージとは違い、意外にも容赦無く万物を物質的に還元していく科学に引き裂かれる人間の、不合理で、不完全で、柔らかな"こころ"が主題になった短編が多かった。全体的な感想としては、その"こころ"の探求が見事で、科学を通じてなされる哲学的な思案が心地良かった。
・適切な愛
女は、事故で死にかけた夫の治療の為に、彼の脳のクローンを孕む事になるが、妊娠に起因する胎盤ホルモンの分泌により、状況に"不適切な"母性を生理学的に呼び起こされ、それに理性でもって対抗することを迫られる。その戦いによって、生理学的な感情を無視できるようになってしまい、夫が完治したあとも、生理学的な反応によって生み出される彼に対する"適切な愛"をも無視してしまう。女はそれを非人間的な反応と自己嫌悪する傍ら、それの持つ独自の醒めた情熱や人を動かす力を「自由」や「洞察力」と結びつけて考えてしまう。
科学によって人間が物質的な存在に還元される過程で、唯物論的な真実に曝され、蒙が啓き、人間的な部分が戻れてないレベルにまで変容してしまう、というのはこの短編集で繰り返し語られるテーマだ。
・闇の中へ
神出鬼没に世界各地に出現と消失を繰り返すワームホールと、それに偶然飲み込まれた人を救出すために奔走するランナーの話。ワームホールの入り口と出口には僅かな"時間"の差があるので、未来に位置する一方向にしか光を含めた万物が進めないという、超自然的で、暗闇を手探りで散策するような寄る辺ない世界観はSCP的な魅力がある。
・愛撫
ハードボイルドな探偵小説のような話。この手の話の主人公は大抵、正にハードボイルドと形容すべき冷酷でタフな性格をしているが、その実内面の弱さを隠すための殻としてそうしたペルソナを利用していることが多い。『愛撫』もその典型例だが、ハードボイルドなペルソナを「”強化ドラッグ”によっていかなる時も平静で理性的な状態を保つ」ことで演出し、内面の弱さを「”強化ドラッグ”の効き目が無くなると途端にセンチメンタルになる」ことで演出している。この設定が面白い。
「芸術作品を”現実化”し、その”現実化”のアクターを現実世界に放ち、世界を変容させる」という思想を持ったリンドクイストが何を示しているのかは、よくわからなかった。
・道徳的ウイルス学者
エイズは、キリスト教の価値観に則れば”道徳的”なウイルスだ。そう気づいた敬虔なキリスト教徒がエイズより道徳的に優れた真の”道徳的ウイルス”を作ろうとする。この発想は面白かった。
・移相夢
お気に入りの短編。人間の脳をコピーし、ロボットの脳に転写する。その過程で組立て途中の脳は"移送夢"を見る。そうした作品内の事実を足掛かりに、かつて当たり前かつひっきりなしに行われていたコンピュータ内でのデータ化した脳の移動は全て移送夢を伴うものであった事が明かされ、更には物質世界でも脳が空間や時間を移動する度に移送夢を見続けているのではないかというホラーチックな仮説に至る。テーマだけでなく、入れ子構造を利用したどんでん返しのあるストーリーも良い。
・チェルノブイリの聖母
科学的な要素は控えめだが、テーマが難解な作品。あとがきに書かれたイーガン本人の解説によれば、「あらゆる文化を〝尊重〟する義務はどこにもないが、そこには複雑なモラルの問題がある」「宗教を、人が心の中で価値を置いているものを外面化するプロセス(その価値あるものを自分の中からとりだして、”聖母”や”クーリエ”に帰するものであることにすれば、それを守れるというふりをすること)として描いた」らしい。作者は『道徳的ウイルス学者』の主人公や『しあわせの理由』のシティのキリスト教徒のように宗教を皮肉的に描くことが多いが、今作で(やや皮肉的ではあるが)なんだかんだ”宗教”も人間性の一つとして捉えていることが分かる。
・ボーダー・ガード
かなりお気に入りの短編。不死が実現し、それどころか飢えや土地や肉体的苦痛といった物質的な問題がほぼ全て解決された世界で、不死第一世代が、不死と死について語る話。
人類の不死化にとって最大の障害となったのは、「死があるこそ人生は価値がある」と主張する"悲劇主義者"だった。彼らは「歴史上の価値ある戦いは死や苦難に対してのものだ。不死化が実現するとその戦いは失われる」と言ったが、"不死主義者"は「そうした戦いが無くなることはその戦いに真に勝利したということを意味する。理想の為に戦うのが素晴らしいのは理想の達成それ自体が素晴らしいからであり、その逆はただの偽善にすぎない」と反論する。
こうした「不死は良くないもの」、「死があるからこそ人生は美しい」といった普遍的で保守的な言説に真っ向から反論する様が、「これぞSF!」と思えて気持ち良い。
ただ話は此処で終わらない。結局不死化した第一世代らも、自らの世界は悲劇主義の影響から逃れられず、理想の為の犠牲や苦痛を伴う戦いに至上の価値を置いてしまうことに気付き、多くが死を懇願した。また、残された者は、死に満ちていた時代を知らない、次世代の世界には自らの世代の世界を持ち込まないことにした。彼らこそがタイトルになったボーダーガードだ。
一方で悲劇主義に毒されてない次世代の世界も、家を燃やして己が身一つで引っ越すという擬似的な死を取り入れないなければならないほど、停滞による窒息死という魔の手が控えている。
こうした不死の後ろ暗さを垣間見た後だと、前半の量子サッカーパートの描写が光る(量子サッカーそのものの描写は「日本語でおk」という感じの滅茶苦茶具合で、笑える)。すなわち量子サッカーというスポーツは死と苦難に満ちた戦いに成り代わるものだ。
短編冒頭にあるように、或る神経経路を進化の過程で得た血塗られた歴史を持つと突き詰める行為は、人間を物質的な存在に解体する事に等しいと考えてしまう。しかし、その神経経路を自分の目的に合わせて改良する事こそがイーガンの見いだした活路なのだ。物語の最後には、量子サッカーのチームメイトによって、第一世代の病んだボーダーガードが祝福されるようにして終わる。
不死の肯定というSF的で革命的な主張をしておきながら、意外にも古典的で爽やかな読後感がある。
・血をわけた姉妹
互いの存在が”私という存在”の唯一性への反証に思えてしまい、距離をとっていた或る双子が、科学的な”三重盲検”に巻き込まれることで、図らずしも己の唯一性に気付く話。
しあわせの理由
本書を読むきっかけとなった作品であり、本書で一番のお気に入りの短編。
脳の幸せを感じる回路を何度も弄られ、最終的に自分を幸せにさせるものを、自分で意識的に選べる──個々の事象に対してコントロールパネルのパラメータを下げるように──ようになった男の話。
これもまた例に漏れず、人間の持つ様々な人間性は、還元していくと物質的なものに他ならないという真実に悩まされるというテーマで、今作で物質的であると突きつけられる人間性は"幸せ"である。先日読んだ『サピエンス全史』の幸福について論じている箇所とリンクするような内容である。
”幸せ”ではないにしろ、似たような”愛”が解体される様は『適切な愛』の感想で触れたのでここでも触れることはしない。
注目に値するのは、主人公がドナー四千人の”多重露出”によって形作られた”幸せ受容器官”である義神経を入れられることで、森羅万象それぞれに対して最も普遍的な幸福感と不安感を覚えるようになってしまうことだ。すなわち彼は、アイデンティティを持たない、真に没個性的な誰でもない存在になってしまう。この短編では”個人”や”私”の解体をも扱っているのだ。これに彼は絶望してしまう。これは彼が自由主義社会に生きているからだ。
自由主義は個人の主観的感情を重視する。現代の映画やポップスは「自分に正直であれ」「自分の思うが儘に生きろ」「なりたい自分になれ」と主張し、現代のアートは鑑賞時に「美の基準は人によって違うから自分自身で作品の意味するところを考えろ」と釘を刺す。その価値観の中で”個人”や”私”が無くなるというのは正に絶望に値することなのだ(自由主義社会でなければ絶望していなかったかもしれない。例えば中世のキリスト教圏では聖書や神があらゆる物差しの絶対的な基準であり、例えば美においても神の中に存在するイデアが絶対的な基準である。尚、これらは『サピエンス全史』を参照した)。
また、前述した通り”幸せ”が物質的なものだと知ってしまった主人公は、街の住民が皆、脳の生化学的な作用による、空虚で病的な理由によって幸福感を感じていることに気づき、恐怖する。薬物を乱用する者と何が違うのか、と。
その後、主人公は、コントロールパネルを弄り、森羅万象に対する一応の好感の基準を定めながら、打算的な考えに基づいて、恋を試み、一度は結ばれるも最終的に破局を迎えた。彼はそうした過程を経て気付く。そもそも人は、身近な人や、過去の偉人や、遥か過去の原人を含めた遺産を頭の中に抱えて生きる。そしてそうした”普遍的な面と各人固有の面を半々にもち、容赦ない自然淘汰によって高い能力を、偶然にもてあそばれて柔軟性を獲得した遺産”から自分の人生を形作る。すなわち、アイデンティティは、天から個人に付与されるものではなく、その遺産の取捨選択と偶然の力によって、形作るものなのだ。主人公は”その過程を、ほんの少し具体的に意識せずにはいられないだけ”なのだ。
これはある意味で、没個性に悩む人間(殆どの人間がそうだ)にとって、「自分の思うが儘に生きろ」「なりたい自分になれ」と吹き込む自由主義との折り合いをつける方法でもあると感じた。
最後には、空虚な理由による意味のない幸福感と、同様に意味のない絶望感の境界線上を歩むことが人生だ、と結論づける。そして主人公は、境界線の両側に広がる、腫瘍による意味のない幸福感と、幸せ受容器官の欠如による意味のない絶望感を身をもって理解した為に、他人より幸運だ、とつぶやく。この短編を読むことで彼の人生を追体験した我々も同様だ。
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Posted by ブクログ
「難解」という評価が定着している本作であるが、確かに私自身、読み終えてみて理解できたと言えるのは全体の3割程度というのが体感であった。しかし、私はそれでも本作を人に薦めたいと思っている。なぜなら、その難解さにもかかわらず、圧倒的に面白いからである。数学や物理学等のテクニカルタームの洪水をなんとか泳ぎ切れば、今までに感じたことのない読書体験ができたと思うはずだ。
本作の主人公(であろう)ヤチマが人工生命として誕生する第1部はとりわけ難解で、数ページ読んだだけで心が折れそうにはなったが、知性を持った人工生命がいかにして生まれ、認識能力を獲得していくかが細密に描かれており、わからないながらも引き込まれるものがあった。しかし、本作を評したものはほとんどが、30世紀の世界では人類は肉体を捨てて人格や記憶をソフトウェア化して……という設定をなぞるだけのものが多く、本作にどのような魅力があるのかを具体的に伝えてくれてはいない(ネタバレを避けるという趣旨ではあろうが)。おそらくそれだけ本作の難解さは際立っており、完全に理解できたと自信を持って評価することが難しいのであろう。
もちろん、私自身が本作の魅力を余すところなく伝える技量があるわけではないが、私の感想としては、ヤチマ誕生後の物語の展開はむしろシンプルであり、つまるところ本作はロードムービーなのである。そして、ヤチマたち(私自身は本作ではオーランドが非常に印象的だったが)が行く旅路はかつてどんな作品でも描かれたことのない現象に満ちていて、どんな人間が想像力を極限まで高めてもこの境地に辿り着くことはできないのではないか?と思わせるほどのアイディアに彩られているのである。フランスの画家、ポール・ゴーギャンの作品に『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』と題するものがあるが、本作に描かれているのは宇宙の、そして人類の可能性であり、その壮大さが感じられるからこそ、いかに難解でも本作に感動する人が絶えないのであろう。
それにしても、想像力と思考をここまで徹底しているという意味で本作はまさにハードSFの極致と言って良い。文庫版の訳者あとがきにもあるとおり、著者グレッグ・イーガンに比肩しうるのはスタニスワフ・レムくらいだと思うが、人類は異星生命と相互理解可能なのか?という命題に対する2人の考え方がまったく正反対であるのは非常に興味深い点である。
多くの読者が指摘するとおりSF初心者に薦めるには躊躇するが、いつかは手に取ってほしい作品である。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ初イーガン。どこから得たのか「グレッグ・イーガンは難解」というイメージがあって、SF歴3年目の中で読んだことがありませんでした。が、むちゃんこ面白いじゃん!!!と思いました。私好きだわこれは、と最初から思い、最後までそう思い続けられました(これは読みやすい本だということなので、この後他の本を読んでぐうの音も出なくなるかもしれませんが笑)
「適切な愛」発想が度肝を抜かれたというか、文章力と相まって度肝を抜かれた
【再読】子宮の中で夫の脳を孕む女性について。それを経ることで起きた変容。時間は流れていき、過去には戻らず、現在がある。
「闇の中へ」好きだったなー…アイディアもSFという感じでわくわく
【再読】助かるのだろうかどうかというハラハラを、そうそうこんな感じだったと思いながら読む。
…ワームホールは、生きることのもっとも基本的な真実を具現化している。人は未来を見ることができない。人は過去を変えられない。生きるとはすなわち、闇の中へ走っていくことである。だからわたしはここにいる。
…危険は増加しない
とわかっていても感じる恐怖がよく描かれている
「そう。終わったら、きっと起こしてね」
イーガンのこういう終わり方がとてつもなく好きです。映画的というか、なんというか。
「愛撫」好きでしたこちらも。
クノップフは好きな画家のひとりだし、象徴主義も好きなのだけれど、豹見つけたところからこんなエンディングになるとは…度肝を抜かれました笑
それにこの絵を選んだのもイーガン!って感じだし、他の作品でも出てくる芸術のタイトルが、イーガン結構芸術好きでしょ?って思えるものだったので、作家としてもこれは好きなタイプとなったきっかけの一作。まじで面白かった。。
【再読】改めてクノップフの愛撫を持ってきたところが100点満点で、謎に満ちた終わり方も、象徴主義らしくて好き。スフィンクスはクノップフの妹がモデルとされているが、それ自体がクノップフ自身の現身だと彼が捉えていたとしたら、自分自身でさえ「見る側の条件がごくわずかに変わっただけで、徹底した再解釈が必要になる」なのではないだろうか?これもやはりイーガンならではの、アイデンティティに対するアプローチの一つなのだなと。それは…わたしを定義づけていたなにもかもが奪われていた。顔、体、職、通常の思考形式…というときのダンにも、クローンに自分の記憶と人格の大部分を移したアンドレアス・リングイストの語りにも表れている。
「道徳的ウイルス学者」
【再読】あまり覚えていなかったので初めて読んだ際はあまり刺さらなかったようだけど、二度目は普通に面白いし、こんなこと書いてイーガン刺されないかなって少し思ったりしていました。恩寵が与えられた結果がそれ笑という、宗教なんてそんな滑稽なものだと言っているかのような。
「移相夢」これってもしかして…って気づいたときの鳥肌ですよ…
【再読】
「夢からさめてすぐの数秒間が好きなの。夢の全体が心の中でまだみずみずしくて…でも、同時にそれに脈絡をつけることができるから。そして自分がどんな夢を見たかがはっきりとわかる」同じくすぎる!
(わたしはだれなのだ?)ロボットの中で目ざめる男について、わたしがたしかに知っているといえることはんだろう?…すべては吟味してみると混乱と疑問にのみこまれてしまった…自ら美しい幻影をつむぎ、死をまったく別のなにかと誤解して。
こちらもアイデンティティの境界線の曖昧さと、夢の曖昧さとが、美しくも冷たく重ねて描かれている。再読して初読時よりもぐっときた作品かもしれない。
「チェルノブイリの聖母」トレチャコフにあるウラジミールの聖母かあ…とこれまた脱帽。話自体もこれまた面白いんだよなあ…傷がまさかそういうこと!?っていうことが分かった時もワクワクだしなあ…
【再読】オチを覚えていなかった笑
ー神は肉ではなく、情報から作られているのである
すごいなこれ。震えた笑。そして本作も終わり方がかっこよくて好きだった。
「ボーダー・ガード」悲嘆を終えて四日目の午後早く…この出だしだけで結構やられた
【再読】ここまで力強く、不死が素晴らしいといいきるのは少し抵抗を持ってしまう笑。
「死が人生に意味をあたえることは、決してない。つねに、それは正反対だった。死のもつ厳粛さも、意味深さも、そのすべては、それが終わらせたものから奪いとったものだった。けれど、生の価値は、つねにすべてが生そのものの中にあるーそれがやがて失われるからでも、それがはかないからでもなくて」理解はできているが、心の底から信じられていないこの言葉。やはり終わりがあるからこそ、この生は意味があるように思えるので。
【再読】「血を分けた姉妹」こちらはオチまでなんとなく覚えていたのに初読時にはなんのコメントもない‥笑。双子だからと言ってもちろん別の人間であり、別の人生を歩む個人なのだ。全ての作品の根底に共通するアイデンティティのテーマと、その他人生に出てくるパートナーとの問題(意地の張り合い)や病気などが軽やかに絡んでいるのが、読みやすいし面白い。やっぱイーガンすごいなあ
「しあわせの理由」幸福の境界線とは?これは時々考えることだったので、えそうそうそう!ってなりながら読んでました
【再読】↑そんなこと思ってたの?と思わざるをえませんが…笑
「音楽、気が置けない仲間、アルコール、セックス…境界線はどこにある?幸福感の理由づけが、この男のような空虚で病的なものに変わってしまう、その境界線は?」この男とというのは、宗教を信じている男ですが、確かに自分が幸せだと感じるもの/こと/ひとの境界線を見つめようとすると、相対主義に陥って、自分の足元もぐらぐらするような。
再読時によりピンときたのは、「父から、母から、そして、想像を超えた遠い過去の、人類も原人も含めた一千万の祖先からうけ継いだものだ。そこにあらたな四千人分が加わったからといって、なにが変わるというのだろう?」というもの。高校時代に生物でDNAについて学んでからこの感覚はずっとあるんだけれどな笑。人生はうまくいったり、うまくいかなかったり、幸せだったり悲しかったりいろいろあるけれど、巡り合わせでそうなっているところもあって、その中で確固としたものはやはり自分自身でしかないので、自分がどうしたいか、どう捉えるかというのが大事ということなのではないだろうか。
次のイーガン早速読んじゃいますっ -
Posted by ブクログ
ネタバレ読み終えて改めてタイトルを見返すと、また背筋がゾクゾク。
可愛らしい少女の表紙絵からは想像だにしなかった展開と結末にもう虜。久々に眠気に打ち勝って徹夜で読み耽ってしまった作品。
まず冒頭まえがきの〈作者より〉から既に面白いし、これが紹介するのに最適。
「これは恋愛小説であり、戦争小説であり、SF小説であり、さらにもっとほかの多くのものでもある。」
これがまた本当にその通りで、これだけたらふく盛り込んでいながら全てが完成されていて、青春小説としても身分違いの恋とか少年少女らの微妙な関係性とかが漂う夏の海の気配とも合わさって実にもどかしくも爽やかに描かれる。グルームワタリ鳥の光景だけで夏を感じられる程にのめり込んでしまった空気感にもう夢中さ。
対極的に、少年少女らに忍び寄る戦争の気配やら大人たちが隠している’秘密’についてとかを察知するに及び、物語は一種のヒーロー譚のような様相をも纏い出す。
が、終盤に差し掛かってからの転調が最高にキマっている。あれよという間に世界が一変し、それまでの空気がほぼ全て入れ換わり、からの、衝撃のラストで〆!本当にこの終盤の変わり身は凄い。「この夏のあと、ぼくたちはだれひとり、前と同じじゃなくなってる」(p283)ってさり気なさ過ぎる一文が今思えば恐ろしい。
いや、変わらなかったのは少なくとも二人いるのか。そうだったらいいな。
個人的にはオチについて物凄く語り合いたい!
「俺はこう思ったんだけど、どう?」みたいのをやりたい!
けど自分なりの解釈に満足してるしそれはそれでその方が良いのか。
…p368の10行目から13行目の3行がアレよね?
7刷
2022.8.14