今作は、次作の『隠温羅』とセットのような内容。最終巻の上巻といった感じの展開になっている。
導入部はちょっと読みにくいというか入り込みにくい文章だと感じた。これまでも被害者が唐突に障りに襲われるシーンでの導入は多かったが、気になったのは本作だけのような気がする。シリーズの他の導入は唐突であってもほぼ現代の時間軸で話が展開しており、タイトルと関連がありそうな事象だったからだろうか。
後からもう一度読み直してみると引っかかる感じはしなかったので、導入部分を読んでいた環境や同時期に読んでいた他の本との読み合せという個人的な理由かもしれない。
本作は導入の昔話から中盤まで一貫して隠温羅流のルーツ探しが続く。その旅が終わる頃には隠温羅流とたたら製鉄の関係や、前作からの謎の鬼、オオヤビコの正体もおおよそ掴めてくる。
高田大介の『まほり』で神社の由来が当てにならない、歪められているということを意識するようになったので、本書の吉備津神社の"異説"もさもありなんという感じで受け入れられたが、岡山探索での発見の連続はちょっとうまく繋がりすぎて都合が良すぎる感じがした。
このシリーズのご都合主義的展開には『縁』や『流れ』、『障りが浄化を望む』という理由づけがあり、これがうまく機能してこれまでの事件や本書の蠱峯神事件でも物語がうまく転がっていくことに違和感を覚えたりしないのだが、この岡山の部分だけは駆け足すぎた(無駄足や探し回る様、悩む部分が少なすぎた。ページ数・内部での時間経過が少ない割に明らかになる事実が多く大きくて、しかしその描写が丁寧ではなかった)のか、気になってしまった。
後半の蠱峯神事件は、岡山での探索のあおりを受けてページ数が少ない。シリーズ恒例となっている被害者が怪異にとり殺される場面を描いた章も、現場となる建物の地図もない。
だがこの情報不足がホラー本来の「疑心暗鬼に陥る」という効果を発揮する。現場の状況がわからず、被害者の遺体が凄惨な有様となっていることで却って正体不明の怪異への怖さ、気味悪さを増幅したように感じる。
終盤に入り、いつものメンバーがいつもの図書室で一堂に会すると怒涛の勢いで謎解きがなされ、本書前半部分の旅が今回の蠱峯神に大きく関連していることが明らかになり、大まかにわかってきていたオオヤビコ誕生の経緯が明快になる。その一方で、隠温羅流の印と鏡の封印を意に介さないような蠱峯神の様子は不気味で、謎が解ききれていないことを示す。
「これ、ページ数が足りなくないか?どう解決する?」と思っていると、今回は直接手を出さず終幕、次作へ続くことになる。
エピローグ直前の皆が団結し、明るい未来を思い描く様子も、エピローグへ入ってのコーイチの晴れの場面に仙龍のプロポーズも、幸せで明るい場面なのだが、何も解決していないからか、死亡フラグにしか見えず不安になる。
普段はエピローグで爽やかに幕が閉じていく本シリーズだが、今作は幸せのあふれる明るい場面で終わらず、夜の仏間に棟梁という、イヤな雰囲気の場面に切り替わる。序盤の夢から覚めるシーンでも感じたが、今作の棟梁一人だけのシーンはどうにも暗い印象が付きまとい不安を掻き立てられる。
このシーンでも昇竜らご先祖に、次の世代の活躍と隠温羅流の悲願である導師の呪いを解く方法を報告し、助力を願っているだけなのだが、なんとなく暗く嫌な雰囲気が続く。
最後に昇竜の姿が描かれた時には「最終巻は親子や歴代の導師がそろって因縁を祓う展開になるのか!心強い!」と期待させた直後に「棟梁への"お呼び"だった」と予想外の展開に突き落とされて最終巻へ突入していく。