香山リカのレビュー一覧
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うつだといえば、ある程度なんでも許されてしまう世の中になりつつある日本、ほんとうにうつなのか、うつという表現をすることで、楽な立場に立とうとしていないか、最近の傾向について警鐘をならしていますまあ、精神科の医師がそんなことを言っていいのか、など自分で書いていますが、最近の傾向としてその通りかもしれないと思いました。うつだといって、休暇をとっている時に。気分転換として海外へいく方や、ボランティアではとても活躍される方などが紹介され、ほんとうに苦しんでいる患者が別の目で見られてしまう可能性もあるかもしれない、などと思ってみました。DSM-?の2週間うつな気分という診断基準がうつを大量に発生させているのか、世の中がうつにたいして寛容になったのか、そんな感じがしました。
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ネタバレ教養や実用書ではなく「孤独死」を恐れる人々について、また、自分の死について著者の思うところを生き生きと描いたエッセイ(なんじゃないかな)。
今までの著者の本が「言ってることはわかるんだけど」という感じだったのに比べると、この本はずいぶんと実用的で生々しい、著者が、「他者」ではなく「自分」のことととらえ、思うところを書いているからなんだろうな。
面白かった。
ところで、孤独死をはじめとして、死んだ後のことを恐れるかたがたが幾人か出てくるのだけれど「現在の生活」に不安はないのかな? 現代の実生活に不自由しなくなって初めて悩むことかと思ってたけど、ちがうのかな? -
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ネタバレ◎外の環境は変えられないので、それならばと、自分のきわめて私的な世界を限りなく拡張使用との無意識の欲望から出てくる行為か。-清水真砂子
◎身の回りにしか関心が無いという、ある種の新しいリアリズムに急激にかたむきつつある。
◎自分に起きたことをすべて認め、その上で自分の特になることだけに関心を持つ。という現状追認にしてもあまりにも視野の狭い価値観や生き方、と定義したほうがいい。
◎「非常に狭量にして刹那的な損得主義」
「自分にかかわりのある身近な問題への関心のみにもとづく実用主義」
◎個人としていい人で満ちた国であるアメリカが、国家としての意思、社会総体としての方向性を見せるとき、なぜか偏狭で思いつめたような攻撃性を見せることがあるー寺島実郎
「抑圧的寛容」
◎つまり、自分が圧倒的に優位だと認識するときには相手に対して思いやりに満ちた態度をとることができるが、いったん自分に敵対する存在だとなると、異常なほどの猜疑心や嫉妬心を募らせる。
◎世界の警察官を自任していた頃のアメリカには、まだ「お節介者」なりの良識と自制心があったように思う。でもブッシュ政権にはまったくそれが見られない。「ブッシュ帝国」など強がってはいるが、まるで何かにおびえ、それをごまかすためにイラクを先制攻撃したとしか思えない。
アメリカ社会全体が何かの強迫観念に取り付かれてしまっているのだ。ー矢部武
◎アメリカはもはや「弱い国」に同情もしなければ、「さあ、助けてあげよう」と一方的にお節介な手をさしのべることもしない。ただ、確信に満ちた静かな口調で、「もうほかの国々はアメリカのようになれないのだ、だから、黙って私たちに従いなさい」と最終通告を伝えるのみだ。
◎「支持しない」ではなく、「許してはならない」のがテロであり、それが世界の世論ではないですか。アメリカを同一に論じては気の毒。警棒と棍棒の区別がない。-田久保
◎では、どうすればいいのか。それが「リミットセッティング」だ。
基本的には「たいがいのことでは相手を見捨てない」という基本的な愛情は必要だ。ただ、際限の無い受容、慈悲、共感などは問題を解決しない。そこで必要になるのは、「もうこれ以上はできない」「これ以上やってもらっては困る」と現実にできることのリミットを、具体的に示すこと。
◎境界例の人たちは、自分ではそう意図していなくても、他社を操作する「天才」なのだ。だから重要なのは、その操作には乗らずに、「あなたのことが嫌いなわけではない。でも、これ以上は私にはできないのです。」と一貫した姿勢をみせること。
◎今のアメリカの力はあまりに強く、これほどの「病める巨人」を治療できる精神科医は、残念ながらこの世にはいない。そのアメリカと付き合うためには、とにかくこちらがリミットセッティングすること。そうしなければ、早晩、相手の二分化に巻き込まれ、廃人のようになってしまう。
◎しかし、リミットセッティングはあくまで日本社会がある程度健康な場合の話。
◎「病める者は、さらに病める者と関わってあわよくば相手を立ち直らせることで、自分が救われることを願う」という「法則」がある。
それにのっとれば、日本はアメリカとの関係を維持することに過剰に熱心になり、対等さを強調し、さらには「アメリカに忠告できるのは日本だけ」などといった幻想に耽るjことで、自分たちの失われた自己肯定感や傷ついた自己愛が修復されることを、どこかで期待している。
◎さらには、「日本にとってアメリカが特別な国であることは、言うまでもない」という常套句も、もう一度、その真偽を検証してみる必要がある。
◎さまざまな分野でも頻繁にやり取りするをする「取引先」であることは事実だろうが、それが即「とにかく特別」となるのかどうか、とくにリアリズムの立場に立つ人たちは、その特別さの論拠を示す必要があるだろう。
◎アメリカにたいして、その病理は強迫神経症だとはっきり診断を下した岸田秀。
◎アメリカがさらに強く無意識へと抑圧しているインディアン・コンプレックスを意識化し、分析し、克服し、そして日本に謝罪し、日本が内的自己と外的自己との分裂を克服し、アメリカに謝罪したとき、相互理解に基づいた、真の意味での友好的な日米関係が始まるー岸田 -
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親子という関係を改めて考えさせられる本です。よく考えると親子って不思議な関係なんだというのが分かります。
目次
第1章 親を殺す子どもたち
第2章「なぜ生まれたのか」と問い続ける子どもたち
第3章 母に依存する娘、娘を支配する母親
第4章 母の愛は無償なのか
第5章 母性が加害性を持つとき
第6章 理想の家族にひそむワナ
第7章 「親子という致命的な病」への処方箋
第8章 親子という病のために「まだできること」
親から子へ、子から親へ、それぞれの思いは様々である。誰でも、親子関係で悩むことはあるはずです。著者もあとがきで、親の期待に答えられなかった自分に対して、自責の念をずっと抱いていたようです。
親子って、関係が近過ぎて、ギクシャクしてしまいがちです。友人のような、もう少し距離が離れていると、他人だからって割り切れるが、親子だとそうはいきません。自分の血が流れているということもあり、過剰に関わろうとして、それが相手にとってはしんどい時もあります。
それが、極端な例では、子供が親を殺害したりという悲劇を生んでしまうと著者は指摘しています。親としては、良かれと思って、子供に塾に行かせたり、いい学校に入学させたりしているのに、子供が応えきれずに、ストレスを溜めて、ついには爆発してしまうというのは、まさに悲劇的です。どちらが被害者なのか分かりません。
著者は、「親子という病」の処方せんは無いと断言しています。それくらい親子関係は奥が深く、著者も「親子という病」に苦しんでいる状況なので、克服するのが難しいと感じているのだと思います。
ただし、一歩踏み出すとして、まずは、親子関係から外に目を向けて、互いに独立した関係を構築するというアドバイスをしています。内に内に目を向けると、どうしても空気が濃くなりしんどくなります。
成人した親子の場合、それぞれが独立した世界を持ち、そこで経済的にも生活的にも自立した環境を持っていれば、お互い干渉する必要もなくなってきます。親しき仲にも礼儀ありというように、親子でもある程度の「距離」が必要な気がします。親子という前に、それぞれが、一人の独立した人間という意識を持って、親子関係を築いていければと思います。
思えば自分も家族に関してはいろいろとありました。なので、著書の内容が深く心に響きました。誰でも家族関係に悩みはあると思います。親子というのは、切っても切れない関係です。だからこそ、時にはしんどい存在になってしまいます。自分の場合は、親戚のおじおばの存在に救われました。
ちょうど大学生の時、下宿先としておじおば家族の家で生活をしていました。おじとおばは、1年に1回たまに会うぐらいの関係でしたが、小さい頃からとても可愛がってもらっていました。おじは面白い人で、サラリーマンでありながら別の顔として小説を書いていました。歴史上の人物や政治家等の話をおじから聞くのが楽しみでした。照れくさくて自分の父親とは話せないような内容をなぜかおじには素直に話ができて、時には数時間お酒を交わしながら議論していました。おじとおばは非常に仲が良くて、とても温かい雰囲気の漂う家庭でした。おじとおばは我が子のように扱ってくれて、居心地はとても良かったです。
おじとおばと生活するようになって、これまで主観的にしか見れなかった自分の家族を客観的に見ることができるようになり、自分に余裕ができました。今の家族はそれはそれとして、将来自分は新しく自分自身の家族を築いていけばいいのだと。ある意味、この時期に家族からの精神的な自立が果たせた気がします。
悲しいことにおじは大学4回生の時にこの世を去りました。研究室生活が忙しくなり、その頃は大学近くで一人暮らしを始めていましたが、一報を聞いた時は頭が真っ白になりました。おじの家に駆けつけて抑えきれず涙したのを思い出します。
おじがこの世を去って10年近くになります。先月に大阪出張のついでにおばの家に寄り、久しぶりにおばに会いました。今年生まれた第2子の写真を見せると、とても喜んでいました。帰りの新幹線の中で、おじとの生活を思い出し、なぜか感傷的になり涙が出てしまいました。あの時過ごした温かい家庭が、自分の家庭像の理想なのかもしれません。
今、一人ブログを書きながらおじとおばとの生活を思い出しました。自分は高校生から一人暮らしをしていたので、おばとスーパーに買い物に行ったり、毎日夕食を家で一家団らんで食べるという日常生活が新鮮でした。そんな何でもない日常生活が、実はかけがえの無い大事なものと気付かせてくれたおじとおばには、感謝してもしきれないです。これからもっと恩返しができるよう、がんばろうと思います。 -
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香山リカのなぜ日本人は劣化したかを読みました。現在の日本人は劣化している。変化などと言うあいまいな言葉に逃げるのではなく、日本人が劣化していることを直視しよう、という主張の本でした。日本語の読解力の劣化:日本語の文章を読んで、その内容を理解することができない。考える力が劣化:情報を集めることはできるが、それらを統合して考えることができない。他人の心を想像する力の劣化:自分の身勝手な主張を声高に言うだけで、他人の気持ちを思いやることができない。モラルの劣化:常識や法律に反していても、自分さえ良ければよい、ばれなければよい、と考えて行動する。体力も辛抱強さも劣化:じっと一つの姿勢を続けることができない、プレッシャーに弱く傷つきやすい。などなど。これに対する香山リカの対応は、まずは日本人が劣化しているという病識を持ちましょう、というものでした。病識を持つとは、自分が劣化していることを認識して対策をしていく気持ちを持とうと言うことでした。「自分が勝つことが一番大事」「他人に厳しく、自分に甘く」「弱肉強食はあたりまえ」と言う考え方に一度疑問を持ってみることが大事だと主張されています。納得できるところが多く、いろいろ考えさせられました。
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「生き方」の方は読んでない。読もうと思ってるうちにベストセラーになって、そうなると読みたくなくなるという全く天の邪鬼としか言いようのない悪癖が出て未読なのであった。これは二番煎じ?(一番は知らんけどさ)と思いながら何となく読み始めたら、いやあこれが面白くって一気読み。
最近話題になった「孤独死」についての考察である。一人暮らしの女性の間で孤独死に対する恐れが広がっているという。そもそも「孤独死」とは何か。その実態は。人はどう死んだらいいのか。自らの経験を交えて実感的に語られているので非常に読みやすく、死というものをあらためて考えさせられた。
結論的なものは特に目新しくはないと思うが、私はたいそう励まされた気になった。「死に方」なんてその人とは何の関係もない。いつ死ぬか、どう死ぬかなんて誰にもわからない。本当にそうだよね。とりあえず今日を生きる。 -
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香山リカの本が好きなのは、わかりやすい文体とか、材料と説明のバランスがいいことにくわえ、その本に1カ所かそれ以上、実はものすごくちゃんと調べたり読んだりしたものの説明が入っていることだ。今回は信田さよ子のスピリチュアル・ブームの分析や、荻上チキのサイバーカスケードやネット言説についての分析がかなり丁寧に紹介されていた。日本人はウツ病でもないのにみな自責的に振る舞う、と言われていたのが崩れていることについて、なんだか崩れているよね、じゃなく、著者が実際に見聞きした事例も使って具体的に示され、ウツ病患者までがときに他責的になっている(新型ウツ病とか呼ばれることも)、昔はもっと「牧歌的」だったのに、と香山は言う。この「牧歌的」はたぶん、医者という立場から見たある種上から目線であって、患者や一般市民は判断の材料もなく自分で自分のことを決定するだけの権威も持っていなかった、そういうことなんだろうと思う。自責的なのがまずいのはDVサバイバーとか見れば明らかなんだが、でも「あなたが(全部)悪いのではない」というメッセージやさまざまな判断の材料、そして自己決定の権利が得られるようになったことと、「自分は(全部)悪くない」とだれもがいいつのる状態が社会現象化したことが一緒くた、というのは不幸なことだよなぁ。成果主義や新自由主義的競争が元凶と、香山さんは書いているが、ここがもう少しがっつり書いてあればなおいいんだが。そこが弱いので、結論の「私が悪くないと言わない勇気」が、「郵便ポストが赤いのも…」を弱者に言わせることにつながって行きかねないのがかなり残念。うーん、最後がなぁ。
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『他罰』
自分が悪いかもしれないのに
それはいっさい考えず
人のせいだと
他人や社会を責めること
さらに
自分が犯人にされる前に
「悪いのはあいつ」と声を上げる
いる!こういう人
ってまず感じた
もしかして、自分も!?
って次に感じた
けっこう認められなくて
人のせいにすることある気がしちゃう
会社でも
成果主義が導入されて
評価する立場と
評価される立場にわかれ
何となくぎくしゃく感が前よりある
「あの人より出来る!」と
認めてもらうために
出来てない人のことを
声高にまくし立てる人もいる
そんなに他人を蹴落とさなくても
頑張りは見えてるし
必要としてるから大丈夫なのに
ただ、逆に出来てないことも
見えてるけどねって
知ってほしいと思うこともある
悪いのは私じゃない
って声をあげるほど
裸の王様にみえちゃうよ
自分でも気をつけなくちゃ
人の振り見て我が振り直せ
『幸福とは、他者にとって
自分の存在が
必要だと思えること』
今困っている人たちを
何とかする手立て
『分かち合い』の気持ち
「ピンチに弱い」のは私の弱点
私にとって
「ピンチをチャンスに」じゃなくて
「ピンチはまさにピンチ」
だから
「明日は我が身」とおもって
「分かち合い」の心で
困っている人も
助ける心をもたねば
と思った