あらすじ
――ある日の診察室。「私うつ病みたいです。休職したいので、診断書ください!」。この思い込みにまわりは迷惑、ほんとうに苦しんでいる人が泣いている。仕事を休んでリハビリがてらに海外旅行や転職活動に励む「うつ病セレブ」、その穴埋めで必死に働きつづけて心の病になった「うつ病難民」。格差はうつ病にもおよんでいる。安易に診断書が出され、腫れ物に触るかのように右往左往する会社に、同僚たちはシラケぎみ。はたして本人にとっても、この風潮は望ましいことなのか? 新しいタイプのうつ病が広がるなか、ほんとうに苦しんでいる患者には理解や援助の手が行き渡らず、一方でうつ病と言えばなんでも許される社会。その不自然な構造と心理を読み解く。
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Posted by ブクログ
精神的な病気は、どう診断されているのか?を知れました。具体的な事例も書いてあり、納得する内容が多かったです。本当の「うつ病」がどれほど辛い病気なのか?を知る手立てにもなりました。
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新書は理論書ではないので、軽く読むのがよい。
世間で言われている現象の一端をつかむために読む。
差しさわりがない言い回しで、過酷な問題を避けているのかもしれない。
内容の判断はできないが、現象の一端をしることはできた。
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自称うつについて知りたくて読書。
大連にも東京にも自称うつという人を多数見てきた。うつというキャラ、アイディンティティ、プロフィールとして演じる人たち。同情を集めて、注目してもらい、やさしくしてもらうための手段に利用している(意識的かどうかは別として)。
その多くが周りのエネルギーをチュルチュルと吸い取るのでやっかいである。
著者の分析は鋭い。うつに対する理解が進んだがゆえにうつを利用する人が増えてきた。忙しくなったため自己客観視できない人が増えてきた。自分の内なる問題と対峙できない人たちが増えている。
確かに統計を見るとバブル崩壊後の不況と2000年以降の競争原理強化や派遣や契約社員などの労働環境の変化も原因となっていると推測される。
(韓国の労働時間数の多さは驚愕)
第5章で自称うつに関係がありそうな要素として自己愛があると紹介されている。自分は周りとは違う特別な存在という病的な認識は人格障害に近いのではないと思う。そして、そのまま、ストーカーや攻撃性が強いナルシストへと変貌していくのであろうか。
うつといえばなんでも許される社会であるのは事実に近いと思う。まずは社会の認識、あり方から変えていく必要があると思う。本当にうつで苦しむ人たちへしっかりとサポートしてあげるためにも。
読書時間:約40分
Posted by ブクログ
全ての社会人に読んでもらいたい本。
「うつ」とひとことで言っても、いろいろある。
うつ病セレブ
うつ病難民
わかっているようでわかってない
メンタルヘルスは奥深い。
でも、もう見て見ぬふりは絶対にいけない。
Posted by ブクログ
他人と異なる自分のアイデンティティとしてのうつ。
うつと診断されることにより、自分が置かれている
立場の現状を正確に認識せず、言い訳にしている
のではないかとの分析。これらは何となく同じ様な
想いを持った。
その陰で実際にうつで苦しんでいる人達がいる。
精神病というのは診断が極めて困難で、
これらの矛盾を解決することが容易ではない
ことが実感させられる。
Posted by ブクログ
私の嫌いなタイプの人間がきっちり記されていてスッキリした。すぐ、「鬱だわ〜」とか「病む〜」と言う人、迷惑です。ちゃんとしっかり悩みなさい!・・・と自分にも戒める。
Posted by ブクログ
うつだといえば、ある程度なんでも許されてしまう世の中になりつつある日本、ほんとうにうつなのか、うつという表現をすることで、楽な立場に立とうとしていないか、最近の傾向について警鐘をならしていますまあ、精神科の医師がそんなことを言っていいのか、など自分で書いていますが、最近の傾向としてその通りかもしれないと思いました。うつだといって、休暇をとっている時に。気分転換として海外へいく方や、ボランティアではとても活躍される方などが紹介され、ほんとうに苦しんでいる患者が別の目で見られてしまう可能性もあるかもしれない、などと思ってみました。DSM-?の2週間うつな気分という診断基準がうつを大量に発生させているのか、世の中がうつにたいして寛容になったのか、そんな感じがしました。
Posted by ブクログ
この本で言いたいことはとってもよくわかる。
なんでもかんでも精神の領域に持ち込んでいいのかい?って話だよな。
でも本当に辛い人もいるのもわかる。
ある人が言ってたけど、本当にいい精神科医っていうのは、
「私って心の病なのかも…」
って思った人が病院に行った時に
「あ、私って病気じゃなかったんだ」
って思って何事もなく帰らせることができる人らしいよ。なるほど。
Posted by ブクログ
この本では「うつ」が社会的に市民権を得たことで理解を得、病気休暇ののちのポジションについても結果的に希望が叶う例もあると言及している。一方で「うつ」と診断されたら、職を失う状況もなお多くある。格差がここにも広がっている。
「うつ」の多発については「悩みを悩みとして抱えることができずに、すぐに気持ちの落ち込み身体のだるさといったに変えてしまう」傾向があるのでは、と指摘する。時間をかけて「悩み」や「迷い」に向き合うよりも「病気」や「症状」など医療に転換していく傾向は、時間をかけずに結果を出そうとす現代社会の反映だという。
姜尚中の『悩む力』を思い出した。
Posted by ブクログ
うつに対する普段から思っていた疑問を
専門家によって明文化・整理された
という感想をもった。
よみやすい。
現代社会の状況を報告したのみ。
どう改善していくかは課題としたように
よみとれたが、
専門家が冷静に鬱をとりまく社会を
淡々と分析しているのが面白い
Posted by ブクログ
うつという概念が社会に広まり、うつそのものの幅も広くなった。うつにも色々ある。
筆者は、社会に広まったうつ病概念を、本当のうつ病と言われる「大うつ病」、躁うつ病の一種と言われる「双極性障害II型」、そして「うつ病になりたがる人たち」の3つに分けている。(ほか、パーソナリティ障害をうつと誤診するケースもある)。
その中でも「うつ病になりたがる人たち」は、うつという診断を欲し、診断書を水戸黄門の印籠のように使う。アイデンティティを求め、それを「うつで可哀想な自分」とすることで安心を得る「平凡恐怖」や、病気を申告することで心配されたり異動や休職の許可が容易に出る「疾病利得」などが挙げられており、読んでいて自分が関わってきた人にも、そのような人がいたなと思い出す。
近年では発達障害が似たような状況になっていないだろうか。もちろん、実際に苦しんでいる方がおり、治療が必要な場合も多いが、発達障害はスペクトラムであり、凸凹である。大なり小なり、全ての人に得て不得手がある。本来はそれを周囲に相談したり、理解を得ながら生活をするが、最近は安易に、伝家の宝刀のように「私は発達障害だからできない」となることが多いように感じる。
著者が指摘するように、これでは本当に治療が必要な患者が困る。悩みを悩みとして、ゆっくり時間をかけて消化したり、周りに相談ができる環境づくりが必要な気がしている。
Posted by ブクログ
この本を手に取った理由は、部下に元うつ病
患者がいるから。
詳細は控えるが、彼に関してワタシが相当な
時間と労力をかけているのは紛れもない事実。
本書の中には、その彼にぴったり当てはまる
内容も述べられていて、「そうそう」と相づち
を打ちながら読み進めた。
どう対処したらよいのか、という問いへの答は
なかったが、少なくともワタシと同じような
ジレンマを抱えている人が少なくないこと、
そしてワタシの認識・考え方は香山さんの
指摘とかなり近いということは分かった。
Posted by ブクログ
鬱だと言うと会社をクビになってしまう中小企業の社員と、鬱ではないのに鬱だと言って職場を休んで海外旅行に出かける官公庁や大企業の社員という、両極端な問題を指摘している本。鬱だと言って得をしている人がいるせいで、本当の鬱の患者が窮地に立たされるという、1つの格差の問題として捉えているところが新しい。
Posted by ブクログ
2007 朝青龍 モンゴル サッカー 安倍晋三 雅子様 語学留学にロンドンへ 鬱病にも格差がある ラテン系気質 雨宮処凛 湯浅誠 生活保護 税金 健康保険 ホリエモン 亀田一家 プロフィールに書けるアイデンティティー 鬱病を利用して叶えた願望は、本当にその人の心を満たすものなのだろうか? 脳の中のセロトニン不足
Posted by ブクログ
なぜ最近「うつ」が話題になることが多いのか気になっている。
一種の風潮なのかも知れないが。
本物、偽物ということも無いのだろうけれど、何かがおかしい。
人間が弱くなったのか。これも教育の問題が原因の一つなのか。
色々と考えさせられるが・・・
Posted by ブクログ
「うつ」は今や富める者のステイタスになりつつあるのですね。
しかし「私はうつ」と言いたがる人たちによって、うつ病を苦にしている人たちが詐病扱いされるのは、理不尽としか言えません。
Posted by ブクログ
やっぱりこういう人、今の世の中ならいるよなあ、と。それでいて本当にうつの人もいるわけで。精神科医ってマジメに考えていると頭がおかしくなってしまいそうな職業だなあと思いました。
Posted by ブクログ
最近、うつ病って良く聞くようになったと思います。私の職場にもそう診断された方がいらっしゃいます。
正直、どういうふうに接したらいいのかわからなくて、ちょっと参考になるかな・・と手に取りました。
著者はテレビでもおなじみの方。歯切れ良い文章はとっても読みやすかったです。
本の趣旨としては、うつ病といいつつ仕事を休んで海外旅行へいってしまうような人は、果たしてうつなのか?というようなところなのですが・・それに関しては専門家でも判断が難しいようです。
著者はうつ病と診断されて喜ぶようならうつ病ではないのでは?といわれていますが、それも確たる基準でもなさそう・・。
うつ病の人との接し方については、特別扱いせず、普通にしっかりとコミュニケーションをとることが大切のようです。
ちょっと難しそうですが、心がけて見たいと思います。
うつ病って良く聞くけど、実際どんなものなの?という疑問を持っているひとにはおススメできます。
Posted by ブクログ
香山さんはタイトルをつけるのがうまいですね。いや、タイトルは出版社がつけてるのかな。思わず手に取りたくなるようなタイトルでした。
内容はうつが蔓延した社会について批評をしているもの。エッセイみたいにサラッと読めます。普通だったけどそれなりに面白かったかな。
鬱をアイデンティティにしたがるタイプの人には違和感を覚えていたので、そのへんについて言及されていた点については良かったです。
鬱をとりまく日本の社会(会社)の環境は、それこそ鬱ですねw
うちは中小だから自主退職かな・・・私の入社と入れ替わりでメンタル系の病で休職した人が居たんですが、二週間休みが一ヶ月休みに、一ヶ月が三ヶ月に、半年に、となったかと思えば、部署異動しての復帰。でも合わなくて結局退職。本当のことは知りませんが、いわゆる「使えない」社員さんだったらしく、会社も持て余していたのだろうか・・・と邪推してしまいます。
メンタルの病ってほんと難しいものがあるなと思います。
でも、本当に鬱で苦しむ人をフォローできる世の中であって欲しいし、あるべきだと思います。
Posted by ブクログ
新型うつや偽装うつをとりまく問題などを取り上げた本。
うつ病と普通の落ち込んだ状態は外側からは判別がしにくい。そのため、病気である特権を濫用する輩もいるということである。濫用は本当のうつ病の人までも貶めることになる
その意識は「マイナスの状態から這い上がっている状態を認めて欲しい」という承認欲求から発生する。病気である人間を責めることは難しいから、それを特権のように振りかざすことで保護されることになる。
成果が0以下の状態でも、行動に結果が出ないでも、責めずに見守って欲しいという心理が働く。人によっては通常のうつ病の人も十把一絡げ甘えと見えるかもしれない。
希望が見いだしにくい世の中だからこそ、努力してたどり着けるところを自分の中に生み出しているのだろう。各個人の意識においても、社会のありかたにしても改善の必要がある事象である。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
仕事を休んでリハビリがてらに海外旅行や転職活動に励む「うつ病セレブ」、その穴埋めで必死に働きつづけて心の病になった「うつ病難民」。
格差はうつ病にもおよんでいる。
安易に診断書が出され、腫れ物に触るかのように右往左往する会社に、同僚たちはシラケぎみ。
はたして本人にとっても、この風潮は望ましいことなのか?
新しいタイプのうつ病が広がるなか、ほんとうに苦しんでいる患者には理解や援助の手が行き渡らず、一方でうつ病と言えばなんでも許される社会。
その不自然な構造と心理を読み解く。
[ 目次 ]
序章 一億総うつ病化の時代
第1章 うつ病セレブ
第2章 うつ病難民
第3章 「私はうつ」と言いたがる人の心理
第4章 うつ病をめぐる誤解
第5章 「自称うつ」と「うつ病」をどう見分けるか?
第6章 うつ病と言うとなんでも許される社会
終章 ほんとうにうつ病で苦しんでいる人のために
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
多方面の角度からうつを見ることができた。
精神エネルギーの低下の度合いを、本人の発言を聞いて医師が判断するという面で、精神科の治療だと感じた。
外科・内科にしてもなんらかの症状を機器を介してでも見ることができるのであり、この点で大きく異なる。
うつ病の人とそうでない人はやはり医師でないと分からないので、現実的ではないが、医師と当事者の周囲の者がなんらかのかたちで接触して説明を受けなければ、本書で挙げる問題は解決しないのではないか。
Posted by ブクログ
日本社会を席巻する「うつ病」という現象を通じて、「甘え」と「病」の境界線に迫ろうとした興味深い一冊。著者の本はこれが初体験だったが、文体も軽くかなり読みやすくて、この少ないボリュームでここ数年来の「うつ病」騒ぎをざっと簡単に見直すことができる。社会において「精神病」が取り沙汰される時、臨床の場に身を置く専門家は、メディアからこういう要請を受けるのだなぁとか、こんな風に事件を切り取って見ているのだなぁということを知れる意味でも面白い本だった。
初めは単なる憂鬱な気分に始まり、いずれは自殺という最悪の結末にも至りかねない社会的危機としての従来の「うつ病」から、「五時までうつ」「軽症うつ」と呼ばれるような、仕事や学業の間だけ体が思うように言うことを聞かなくなる新しいタイプのうつ病の出現。何の付加価値もない平凡な自分を嫌って、プロフィールの「補足欄」に意気揚々と書き込めるような、個性のアイテムとして「うつ病」の診断を得ようとする人々。「それは単に遊びたいがための言い訳ではないのか?」「自分がうまくやれていないことを病気のせいにしたいだけではないのか?」、そんな煮え切らない思いを抱えつつ、DSMの診断基準や患者との信頼関係に従い、相手を「精神医療」の対象と認めてやらなければならない精神科医たちの実情。「社会的不適応を問題にした時、それはどこまで患者自身の主観的な判断に委ねられるのか」という、精神医学が現在まで抱えてきた根源的なジレンマを、この一冊は分かりやすい形で問いかけている。それは、いわば「病としての異常」の輪郭を確定しようとする試みだが、未だ根本原因が明らかになっていないことの多い精神医学の場においては、どうしても診断は状況依存的になり、また患者との関係において相互流動的になる。そこで立ち現れる患者のストレス、医者のストレス。「私がやっていることは本当に正しいのか?」と自問しながら、それでも「辛いんです。どうにかしてください!」と訴える患者たちに同情を寄せて、新薬やら精神療法やら、打てる限りの手を尽くして、それでも何人かは救い切れずに死んでいく。一方で、医者の診断にあぐらをかいて人生を謳歌するような「余裕ある患者」の存在たち。その中で取りこぼされていく、真に対策の必要な瀕死の「健常者」たち。
些細な落ち込みから自殺念慮までを一気に引き受けざるを得ない精神科医たちの業務超過を思えば、彼らがあげる悲鳴にも同意できる点はたくさんある。また患者自身を取り巻く周辺コミュニティが衰弱しているがゆえの問題であるという言うこともできると思う。多分、「些細な落ち込み」が「より深刻な自殺念慮」へと発展していくそのプロセスの間で、「些細な落ち込み」を打ち明けられる相手、それが自殺念慮にまで至らないような受け皿になってくれる相手というのが少なくなってきているんだろう。だから、「ちょっとした気分の落ち込み」だけでも、それをまずは周囲の同僚や友人達に相談してみようという発想ではなく、「気軽にメンタルクリニック!」という世間の喧伝も併せて、一気に一足飛びに精神科にまでかかってしまう人々が増えているのだ。作者がここで羅列している「甘え」の権化のような患者たちも、まずは自らの欲求を精神科医に訴える前に、その人のことをより理解できている周囲の人間たちに相談できていたら、もっと自分を客観的に理性的に見直すこともできたのではなかろうかと思う。それでも、それができないからこそ精神科医の新たなお荷物になる訳で…。
とはいえ、そうした人々も、そのレベルがどれほどのものにせよ、社会的不適応を自覚しているという意味では(現代の文脈においては)精神科の治療対象となり得るのである。ここが難しい。本当に難しい。「精神病」というのが確かに存在していて、作者が言うような「なんちゃってうつ病」の中にも、そうしてそれ以外の人々の中にも、確かに真摯な投薬と治療とを必要としている救いなき人々がいることが分かっているだけに本当に難しい。
どんな理由にせよ、辛いと訴える人々を精神科医は見捨てることができない。そうして一たびその人が「診断」という名の免罪符を得れば、周囲の人たちはもうそれ以上その人を批判したり、ある意味でその人に対し誠実に向き合っていくということができにくくなる。これは、精神医療が抱える問題なのか。はたまた、社会の中の精神医療というものの意味づけにおける、もっと構造的な問題なのだろうか。それでも、「うつ病」という病気は確かに存在し、そのことであえなく死んでいく人々は後を絶たないのだ。問題は山積みになっているのに、明確な対策が見えてこない。「私、知り合いをうつ病で失くしてて…」という告白がさして珍しくもない世の中などというのは駄目だ。そんなものは悲しすぎるし、かと言って「うつ病」そのものが抱える問題が限りなく多様化し、だんだんと手に負えない領域のレベルにまで成長しようとしていることが恐ろしい。
すぐには答えの出ない問題である限り、精神科医であり続けるというのは本当に大変なことだし、これからも著者が指摘するような「まるで精神科医を悩みを訴えるためだけの親友」のようにとらえている人々は増えてくると思う。マスメディアの報道、社会の影響、究極化する自己責任論、コミュニケーションの不全…一つの側面からでは到底とらえきれない「うつ病」という現象は、今後様々にそのすそ野を広げて、私たちの生活を隅々まで侵食し尽くそうとするだろう。それはまさに「日常の精神医療化」とでも言えるような事態である。しかし、そこで些細な悩みにも薬を使い、日常のちいさなつまずきをも医療によって矯正しようとする生き方に、本当に人間らしい主体性というものは付与されているのだろうか。薬を服用することで初めて「まとも」な状態になれる人々の場合、本当に「まとも」な自分というのはどこにあるのか。また、薬がなければ自殺念慮に侵されてすぐにでも死んでしまうような人々の場合は?著者の作品は、少ない文量の中で様々な問題提起を図っている。「うつ病」という格好の隠れ蓑が普及した現代という時代において、私たちは今一度、自分にとっての「正常」と「異常」の境界の基準を考え直してみなければならない岐路に立たされているのかもしれない。
Posted by ブクログ
本書終章「ほんとうにうつ病でくるしんでいる人のために」で紹介される、自己を客観的に、7つに分けて問題を考える方法は、セルフコントロール以外にも使い道があるような気がする。例えば物語を作る時などだ。
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読んでいて呆れるお話。
かなり乱暴に要約してしまうと、
「うつ病」の診断書をずる〜く利用する人たちが増えてきていて、
もー、みんなモンスター化してるよ〜
本当に治療が必要な人が治療をうけられないような状況になっているよ〜
っていうお話。
朝青龍にしたって、
皇太子妃にしたって、
「心の病気」っていうだけで周りは腫れ物に触るような扱い。
「そうじゃないんだよ。うつ病って、”心の風邪”なんだよ。フツウの病気なんだよ。」
って筆者は言っています。
たしかにまぁー‥
香山リカの本って、
まとまらない、っていうか、
書きたいことつらつらーっと書いただけ感は否めないんですけど、
だけどお話の内容がおもしろいからいいんです。
「精神科ウラ話」的なお話、聞くの好きだからいいんです。
しかし何科であれ「本業:お医者さん」な人が書いた本が大好き。
あぁー‥あたしもお医者さんになりたいです‥
Posted by ブクログ
病んでることがアイデンティティ…。たしかに!と思わされた。
日常会話にウツっていう言葉があふれて重さが感じられなくなったというのは実感としてある。
Posted by ブクログ
自分はうつだから他人に迷惑をかけても仕方ない、そう思って海外旅行や転職活動をして何とも思わない、私にとっての非常識人が増えているのは確か。著者のうつは普通の病気と一緒に扱うべき、という意見に賛成。気を使いすぎる態度が良くないと思う。’’本当’’のうつに苦しみ、職を失うおそれのために会社に本当のことを言えない人たちが、きちんと休んで治療のできる社会的システムは整備されるべきではないだろうか。
Posted by ブクログ
最近これ系の本をよく読む。コミュニケーション不足、孤独に生きることが原因になっているのではないかと思う。人生における悪魔は、人と人の間に住んでいるんじゃないかと思う。人とのリンクを切ることは、ネットにつながっていないPCと同じくらい面白くないのである。