プロフィール
- 作者名:遠藤周作(エンドウシュウサク)
- 性別:男性
- 生年月日:1923年03月27日
- 出身地:日本 / 東京都
- 職業:作家
慶應義塾大学文学部仏文科を卒。随筆や文芸評論や戯曲も手がけている。1950年にフランスへ留学。帰国後は批評家として活動。『白い人』で芥川賞を受賞。代表作品の『沈黙』をはじめとする多くの作品は、欧米で翻訳され高い評価を受けている。
値引き作品
作品一覧
-
3.6
-
3.9
-
4.0
-
-
-
4.2
-
-
-
4.11巻440円 (税込)いったい神なんか本気で信じているのか」とか「あんたにとって神とは何か」とか、数々のご質問を私が整理して、それに私なりの考えを、できるだけわかりやすく話して、それを文章にしたのがこの本である。(「あとがき」より)「無理をしない、きばらない」信仰とは? 『沈黙』の著者が明かす“弱虫”から“強虫”への変身の秘密!
-
4.5
-
4.5
-
3.7
-
4.51巻479円 (税込)年齢とともにいささか懸命、必死の気持ちで、自分の心の奥にひそむものや、死について知ろうと努めるようになった。小説家として当然といえば当然であろうが、若い頃や壮年の頃は、同じ問題を考えても、やはりまだまだ人生が残っているという甘さが手伝って、懸命さにかけるところがあったのではないだろうか。だが、この年齢になると、これらの先生たちの、ひとつひとつのお話は、個人にとっても切実な問題ばかりであった。――まえがきより
-
3.7
-
5.0『夫の宿題』という本をご存知だろうか。平成8年に亡くなった遠藤周作氏の妻、順子夫人がその結婚生活、そして共に遠藤氏の病魔と闘った生活について語った手記であり、今多くの読者の注目を集めている。では当の遠藤周作氏は、その晩年、いかなる心境にあったのだろうか。 本書は自らの身辺雑記から、日々のニュースに対する所感まで、好奇心の強い著者らしく、幅広い話題の詰まったエッセイ集である。 たとえば、美味い蕎麦屋を見つけたかと思えば、家族に嫌がられながらも奇妙な鳥を飼ってみる。正月のテレビのくだらなさには怒りを抑え切れず、日本の教育制度にも一言あり。 さらに、老いを迎える覚悟、死生観、信仰心についても語る。今思えば、自らの死を迎える清冽な覚悟がそこにあったといえる。しかし、闘病生活の暗さはみじんも感じさせず、ユーモア溢れる狐狸庵節が冴え渡っている。著者の人柄がつくづくしのばれる、ファン必読の一冊である。
-
-
-
-
ユーザーレビュー
-
Posted by ブクログ
いよいよ革命が起こる!7月14日!ちょうどこの本を読み始めた日。なんと言う偶然でしょう。
財政の悪化、市民の苦しみ、貴族への恨み。
そんな中最後まで国民と国王とは愛し合わなければならぬと言う義務を果たそうとするルイ16世。
この日の日記には、何もなしと書く。
自ら意見を出し、苦しまずに死刑執行されるようにと、こころから祈った断頭台で自分が処刑されるとは思いもしない哀れな国王。
そして何もかも理解した上で、最後まで正面を向き、優雅を守り王妃としての威厳を死守しようとするマリーアントワネット。
群衆の残酷さが人間の悲しさをものがたり、なんとも耐え難い文章を綴っていく。
唯一の救いは、愛するフェルセ -
Posted by ブクログ
ネタバレ司祭の不屈の信仰心が散々印象づけられ、残り少ないページ数で転ぶのだろうかと思っていたところ、「鼾」によって司祭の信仰の中に急速に疑念がもたげてくる。
信徒を救うために祈った。しかし自分が信仰を失わない限り信徒を救うことはできない。究極のジレンマに直面した司祭は主のメダイユに足をかける。
例えば喜捨とか戦地での医療看護という具体的な救済たる宗教行為がある。では穴吊りにされた弱き信徒たちの生命を救うための棄教はキリスト教者の宗教行為ではないのか。そして祈りはそれよりも尊い宗教行為なのか。信仰に関する数々の疑念が読者の頭にも去来する。
私自身は信仰があるわけではないのでキリスト教者が司祭を観るよう -
Posted by ブクログ
面白いと思った。導入から本編に入る所は頁を捲る手が止まらなかった。170頁ほどで、2時間半ほどで読み終えれるのに対しての満足感、読み応えを確り感じることが出来た名作。第二章が特に良かった。分かりやすいもので例えるとすると夏目漱石のこころと通じるような、日本人らしい後ろめたさのある心情を上手く掬いとっているように感じた。欧米人である女性と、日本人である女性の対比、誰しもが感じた事がありそうで頭の奥に閉まっている浅ましい考え、これを真正面から描けることの出来る作家は少ない、内容が内容なだけに現代人には"ヤバい"で済まされそうな作品ではあるものの、実際に合った事件が元、という作品
-
Posted by ブクログ
仮に自分がこの医師や看護師たちと同じ立場だったら、自分も同じ罪を犯しかねない、自分にも彼らと同じ弱さがあるなと思った。
出世に目が眩んで自分の正義に背くことは自分はない、、、気がする。でも、無意識に出世を考慮して自分の中で正義の定義が変わってしまうことはあるかもしれない。保身のために自分の正義を曲げてしまうことも抗える、、、気がする。でも、自分だけの保身ならまだしも、仮に妻や子どもも含めた保身となると、どう判断するか自信はない。個人としてそのような程度である上に、戦争など世の中の混乱の中で所属するコミュニティに共通の「敵」が形成されている場合に、その「敵」の尊厳にも気を配れる強さが自分にあるか