あらすじ
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
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神の存在について考えさせられる
読んでみると、神の存在・信仰の盲点というか何が正解なのかわからなくなりました。
非常に考えさせられる内容です。ぜひ興味ある方は読んでください。
Posted by ブクログ
とても難しい本だった。信仰の形は国によって違うけど、確かに日本人は形にこだわる部分が強いから、司祭たちが違うと感じたのも頷ける。でも、そんな司祭たちも転ぶ転ばないの形にこだわっていた。だから転んだ後の方が本当の意味での信仰になった気がする。ロドリゴのキチジローに対しての見方も転んだ後の方が寄り添ってる気がする。キチジローは初めは嫌な感じに写っていたけど途中からは弱さを認められる強い人にも見えた。転ぶ事を失敗と捉えるなら、失敗を重ねた人の方が強く優しくなれるんだと改めて思った。
Posted by ブクログ
むごい……ただその一言に尽きる……。
そして内容があまりにも深すぎて一読では味わいきれないので、また再読したいと思う。
ただの信仰の話ではないのは確か。
日本という閉鎖的な国家はやっぱりどこかおかしいらしい。キリスト教の本来の信義を曲解して日本流の宗教にしてしまっていたり。
そもそも信仰する習慣そのものがない気がする。
お正月の初詣だって、都合よく神様にお祈り。
クリスマスなんてそもそもキリスト教徒でもないのに今や国民全員に染み付いてしまって。
すぐにいろんなことに対して、神だ!神だ!といったり。
読んでて苦しかったのは、日本人を救いたい一心でキリスト教を布教をしようとしたのに、その行為がかえって日本人を苦しめるに至ったこと。
自分がキリスト教の司祭をやめないばかりに、目の前で日本人信徒たちが殺されていく。
できるだけ苦しめられるようなやり方で。
それでも司祭は折れなかった。
神を信じ、救いを信じているから。
役人は決して司祭に対しては直接手をあげない。
痛みを与えられ殺されるのは、日本人教徒だった。
しかもその教徒がキリスト信仰をやめると言っても、司祭が転ばないことを理由に拷問は継続された。
それでも折れないのは、本当に信仰なのか、それとも自らの弱さか。
強い弱いでいうと、キチジローの存在が大きかった。
キチジローは、踏み絵は踏むし、司祭の存在を役人に告げることもした。そのことをキチジローは『自分は弱い人間だ』と赦しを請い、その弱さに苦しんでいた。
司祭は言う。『強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう』
そして何より、さいごに知らされた事実。
前段にも書いたが、日本人は本来のキリスト教を信じていないこと。
このことを知って、自分の存在意義まで否定され、何をしにきたのかすら分からなくなる。
そして祈っても祈っても神は救ってくれない。
その神の沈黙も最後に分かる真実があって。
転んで仏教の信仰となった、かつてのキリスト教司祭は言う。
『ここで転んだほうがよっほど人民のためになる』
キリストの言う真の救いや愛とは、本当に転ばないことなのか。無用な死を増やすことなのか。
そして、ついにその時が訪れた。
司祭は"転び"を今までとは違った形での愛だという。
何事もきっと、源流はシンプルなところにあって、それを叶えるための実行手段で幾多の分流ができていく。
こだわることが愛ではない。真髄を理解して、その核を捉えられたら、それはまたひとつの信仰なのだろう。
Posted by ブクログ
この小説と同格の小説はあれどこの小説を上回る小説はこの世に存在しない。この作品を読むことができただけでもこの世に生まれた価値があったと感じさせてくれるほどの作品。小説という表現型が到達しうる最高到達点の一つ。
普遍的な命題を扱いメッセージの方向性は提示しながらもすべてを解説することは避け解釈に余白を持たせる、いくつかの矛盾を矛盾のまま残しておくなど、意味のつながりと余白のバランスが後世に残るマスターピースとなるための条件の一つであると考えるが、この作品ほど精緻なバランスを高い密度で実現している作品を私は知らない。信仰という普遍的なテーマに対し江戸時代長崎のキリシタン弾圧というドラマティックな舞台を選び、熱心な信者たちの悲痛な声になぜ神は沈黙を貫くのか、過酷な弾圧に真っ向から立ち向かう強い意志を持った殉教者達と(少なくとも形式的には)信仰を貫き通すことのできない弱いキチジローの対比、日本人キリシタンたちが命を賭してまで守ってきた信仰は実はカトリックの教えから乖離してしまった別の何かなのではないか、などの命題を物語にのせて描く。いずれも答えらしきものは提示されはするものの解釈の余地は十分に個人に委ねられている。
やはりこの作品を解釈する上で重要なピースだと個人的に考えるのはキチジローとイノウエである。誇り高く殉教していく者たちよりも、脅されればすぐに棄教し、かと思えばちょっとした手柄ですぐに図に乗って声高に権利を主張し、旗色が悪くなれば神父すらも売る、ひたすらに弱く卑しく醜いキチジローだが、私としては殉教者よりも断然人間味を強く感じる。全ての人間の中にキチジローは存在し忌むべき対象に見えるが、この弱さも含めて愛し寄り添うことこそ真のキリストの教えなのではないかと。
対するイノウエは非常に知的で狡猾で宗教への造詣も深い。日本で根付いたと思われていたキリスト教は元来のカトリック教会の教えとは似て非なる全く別の物に成り果てていることをロドリゴに理解させ、巧妙に仕組んだ段取りで棄教まで持っていくその手腕には舌を巻くが、この物語をロドリゴの信仰の変容(理想や形式を重視する教会で教育されたスタイルを捨て、キリストが弱い者達に実践した愛の行いを真の信仰と捉えるようになる)を描いた話だと解釈するならば、イノウエの存在は単に奉行として治安を守るため最も合理的な手段をとっているだけの人物なのか、それとも神父がより深い信仰に到達するためのキーマンとして配置されているのか、どちらともとれると個人的に考えている。前者の要素が強いのは当然ではあるが、カトリックという腐敗権力の象徴ともいえる存在とそこで洗脳教育を受けた神父を痛烈に批判しつつよりプリミティブな信仰へと導いてくれる人物と捉えられなくもない。
読めば読むほど理解が深まるとともに新たな視点が出てくる、何度でも読む価値のある作品であるが、スコセッシの映画もまたこの作品により具体的な画を与えてくれた素晴らしい作品だった。私個人は、小説、映画、漫画、アニメなどその媒体にしかできない表現方法があるがゆえにそれを以て名作となっているような作品においては媒体の移植は作品の良さをスポイルすることが多く基本的に許容しない立場であるし実際に原作が名作であればあるほどその落差に落胆することが殆どだが、スコセッシの沈黙だけは原作を愛する私でも文句がつけづらいほどの名作だったと言える。そして原作を読み返すときにあの圧倒的な画が浮かぶ体験は本当に素晴らしい、特にロドリゴが転ぶ場面のカタルシスはもはや原作を超えているとすら感じる。プロットの上では原作に徹底的に忠実に描きつつ、映画としての表現を上乗せする。そこには原作への愛も映画という媒体への愛も溢れている。そしてやはり何と言ってもキチジローである、窪塚以上の適役が居ただろうか。
最高の小説として安部公房の砂の女、夏目漱石の門、ヘッセのデミアンなどに並んで私の本棚に残り、これからも死ぬまで何度も読み返すことでしょう。
Posted by ブクログ
「沈黙」というタイトルは神の沈黙だけを指すか?
→違う。3つの意味がある。
キリシタン禁制時代の布教活動の話が本書のストーリー。
しかし、その舞台設定で描いたのは、「人間の思いの強さ」「生の意義(あるかないか含め)」「守るべきもの」「人間や社会の残酷さ」。
私のようないわゆる普通の宗教感(≒無宗教)を持つ日本人に、宗教の話は伝わらないと思っていた。でも、同じ日本で行われていたキリシタン迫害について、こんなに物語として魅力的で早く続きを読みたくなるように描けるのは、遠藤周作、凄まじい。。
そして、この歴史という存在の過酷さに絶望する。
そして、「沈黙」というタイトルが指すのはなにか?
(以下ネタバレ含む。これらは、ジャスト私の解釈)
1. キリスト含む神の沈黙
これはストレートなミーニング。ここが物語の主題だし、おそらく古来も現代もこの神の沈黙について悩み、死に、棄教した人は多くいただろう。
2. ロドリゴの沈黙
これは、物語の結末後に残るミーニング。棄教に「転んだ」後に、貫いた沈黙は、果たしてなにも意義のない沈黙だったか?何も祈らずという意味の沈黙を彼はしてたのか?
これが3のミーニングにつながる。
3. キチジローの沈黙
これがすごい。これまでのストーリーから感ずるこのキチジローという醜く、絶望的に弱い存在は、常に沈黙と真逆の行為をしてきた。
しかし、最後の最後、死を前にしてもなお、ロドリゴを守る、という沈黙の形を取った(のかもしれないが、直接的にはわからない)
これはすごい本だ。読めて良かった。
Posted by ブクログ
圧倒的に素晴らしかった。
江戸時代前半の話。
それよりちょっと前からイエズス会は、その版図を広げるために東へ東へ布教していき、ついぞ日本へ辿り着き、日本でもその版図は広がりました。
貿易で利益を得ていた切支丹大名がいた一方で、勢力の拡大から、侵略を危惧した日本は鎖国、キリスト教の禁制を行いましたね。
政治的にはそういう背景があったと思います。
末端の司祭達はどうかというと、純粋に、東の果ての日本においても、キリスト教を求めている人がいて、救われることを信じている。
日本の信徒はというと、貧しく厳しい生活の中で、確かに救いを求めているが、ヨーロッパでのキリスト教とは違う理解が進んでいそうで、何やら苦役のない極楽浄土へ行きたいね、という感じ。
逃亡生活に、裏切り、監禁、拷問…
地獄のような状況を前にしても、なぜ、神は救ってくれず、沈黙したままなのか、という疑念が祭司によぎる…
祭司の信仰の葛藤と、最終的な神へのスタンスも大変興味深いけど、神という装置が、人間の世界でどう働いたのか、色んな立場から描かれている。
これは、本当に凄いところだと思う。
イエズス会の、日本の奉行側の、祭司の、村民の信徒の、棄教した祭司や信徒の…
なかなか、この解像度で描くことはできないと思います。
そして、文体も読みやすく、描写も綺麗で、展開もよく、おそるべし一冊です。
Posted by ブクログ
遠藤周作めっちゃ好き。途中で、小説の形式が変わるのも面白かった。最初が手紙の形やったから、入り込みやすかった。最後の方に、一気に伏線回収が来るのも面白かった。
Posted by ブクログ
爆笑問題の太田さんが2025年8月のラジオで触れていて知った作品。
沈黙を続ける神を信じて疑って、また信じる宣教師の葛藤が見事に描かれている。
弾圧については踏み絵くらいしか知らなかったが、一気に解像度が上がった気がする。
私も含め多くの読者はキチジローに感情移入するのではないかと思う。
一方で本作についてカトリック教会側が批判したのも頷け、安易に決着がつけられるものでもないのだろう。
短絡的に答えを求め、正解に雁字搦めになっている現代において、本作および「深い河」などと併せて、筆者の生き様が問い続けることの本質を読者に投げかけているように思う。
Posted by ブクログ
最後の数ページに無茶苦茶読むのに時間かかって、日本語って難しいなぁと思ったけど、これは傑作。
江戸時代の日本と信仰について書かれているんだけど、内省的で観察眼に優れた宣教師の目を通したことで、人間の感情の機微が、胡乱な私が実生活で得る以上に感じ取ることが出来る。
個人的には、特定の文化の上に生まれた宗教が、他の文化の上で変質しているというのが面白かった。日本は布教するには泥沼だという記載がありましたが、文化基盤が違えば変質するっていうのは日本だけに当てはまることではないと思うんですよね。
こと概念的である宗教において信じるものは文化基盤によって変異しているものなんじゃないかと思うので、それを深く考える宣教師が思い至っていないというのは傲慢さなのではないかと思いますね。
そう考えてみると読み始めは、日本人の目線から見ると宣教師たちはナチュラルに日本人を見下しているのが気になったのですが、まぁ、そういう書かれ方してるのねという感じ。
井上が非常に良い味出してましたね。賢すぎて色々見えてるんじゃないかなという期待を持ってしまうキャラクタですな。
印象に残ったのは、捕まった後にのほほんと瓜食ってるシーンとか、牢から見た外の景色とかかな。シーンが鮮烈な映像で思い出されるので、著者は文章が上手いのだ思う。
Posted by ブクログ
「殉教した人の話」を、この本を読む時にどれだけ知っているのか。これでこの本に抱く感想は変わるのではないか、と最近ふと思った。
私はカトリックの一貫校でずっと宗教なる授業(一般でいうところの倫理という科目に該当する)を受けてきた。特に中高の宗教の授業では旧約聖書から新約聖書はもちろん、世界各国で平和を願い平和のために尽力した人や信仰を貫き殉教した人について学ぶ。隠れキリシタンのことも学ぶし、天正遣欧少年使節のうち殉教したのは誰かという質問にも答えられるし、第二次世界大戦の際にドイツだ殉教した司祭の話も知っている。
そしてそれは単に「殉教しました」というナレ死のような学びではなかった。逆さに疲れて死にゆく過程であったり餓死に至るまでの壮絶な過程を教えられる。信念を貫く勇気だとか綺麗事では語れない内容に、当時は度々具合が悪くなったものだ。
そのため、カトリックの教えや「殉教」については、信仰する宗教がないと言われている日本人のなかでも考える機会や得ている知識が多かったといえる。
それを踏まえて読んだ『沈黙』である。私はこの本で読書感想文を書く予定だった。最後に沈黙したのは誰なのか。殉教と棄教はどちらが正しいのか。今思うと正しいかどうかの議論は上っ面の部分だしディベートではないので結論を出す必要はないのだが、心に残る違和感はこの議論に対する答えが出ないからだと当時は思っていた。感想文は書けなかった。
今思うと、あの違和感の正体は空しさだ。神様とはなんなのか、神でなくても信じているものの正体はなんなのか。そこから離れた人の心、離れなかった人の末路。すべて空しくて哀しい。
Posted by ブクログ
信仰とは何かについて核を突かれたお話で面白かった。鎖国当時のキリシタンの迫害や、人種差別、外国人が日本をどう見ているのかが生々しく感じられた。「神はなぜ沈黙されているのですか」、カトリック教徒である遠藤周作が神の存在に関する記述や踏絵を持ってくるのはとても興味深かった。
興味深い
映画化され話題になっていたので、今更ながら読みました。
宗教を理由に弾圧、迫害した、された日本の過去の姿を、現代的な感覚で読みやすい、興味深い作品であると思います。
現在の社会や国際的な問題とも照らし合わせ、人としての葛藤を捉えているこの作品は、いま、多くの人に触れて欲しいなと思いました。
ただ、最後の文章は、難しいかもしれません。
ここからはごくごく個人的な感想です。
作中、よく「えっと◯◯」という表現がありますが、この使い方に少し違和感を覚えました。方言まで正確に書く訳ではないと思いますが、やはり方言は少し違うなと感じることがありました。(しかし、ほんの少しの違和感です)登場人物達が生きている気がしました。
長崎は受難の地、祈りの地だなと改めて思いました。そして海が本当に美しいとも。
私の曽祖父は隠れキリシタンでした。代々隠れ、懸命に生き、原爆で妻子を失い、それでも祈り、穏やかでした。
一言でいう「歴史」の中でどれだけの人々が葛藤し、道を選び、生き抜いてきたのかと思いをはせる機会になりました。
隠れキリシタン(最近では潜伏キリシタンとも言うようですが)がこのように、作品に残る時代になったんだなと、嬉しくも思いました。
Posted by ブクログ
教徒でない自分からして、切支丹が何故そうまでして信仰を捨てなかったのかと現代の感覚で考えてしまう。当時の現実でいえば、生活があまりに悲惨過ぎて、何かに縋っていないと、現世は苦しい。パライソではせめて穏やかで幸せでありたいと祈らなければやっていられない、ということなのだろうか。金属板に描かれた人の姿を踏むという行為は、人理的に躊躇われるのはある。しかし、宗教的行為における冒涜という意味合いでは納得しかねる。バチ当たりというニュアンスなら多少受け付けるか。拘り、拘泥と言ってしまうと、かなりセンシティブか。岸辺露伴的なジャンプ漫画主人公の意地だとすれば多少入ってくるか。とはいえ、ロドリゴは神が赦されたって解釈にしたし、結局そんなの解釈じゃんと思ってしまう。解釈の違いで戦争だって起きるし。妥結、言い訳と言い換えるとこれも都合が悪いか。何にせよ、良くも悪くも日本人の「形」を大事にする象徴みたいな踏絵踏まんと害するぞって言われたら、キチジローみたいに踏むと思うんだよな。そういえば、芥川龍之介の切支丹物『尾形了斎覚え書』は、病気の娘の治療の為に転んだ母親の話ではなかったか。
Posted by ブクログ
例え神がいなくても、日本で布教したキリスト教が屈折して日本人に伝わったとしても、殉教した日本人信徒たちは決して滑稽でもなければ無駄でもない。
転ぶ・転ばないが、問題じゃないと思う。大事なのは自らの信念を貫いたかどうかであって、それは殉教のみが正解ではなく、主人公のように愛する信徒のために自らの信念を曲げることもまた愛なのだと受け取った。
かといってキチジローを悪くいうつもりもない。誰も彼を責める権利はないし、その弱さは人間そのものだし、毎回悔やむ姿は希望とも受け取れる。なりたい自分になることを諦めなければいいんだよ。
何かを信じる人は最強だし、誰かのための行いは愛で尊いと思う。その「何か」が、「誰か」が人によって違うから、争いや憎しみも生まれてしまうのだろうけど、、いやー考えさせられる本だった!いつもよりかなり強く自分の主張がでてしまった^_^
Posted by ブクログ
17世紀、キリシタン弾圧下の長崎。棄教した恩師を追い日本へ潜入した宣教師ロドリゴは、信徒の凄惨な拷問を前に神の「沈黙」に絶望し、激しく苦悩する。
極限状態の中で問われる信仰の意義と、人間の弱さに寄り添う深い赦しを描いた歴史文学の金字塔。信念とは何かを重く突きつける。
Posted by ブクログ
読書会の指定本きっかけで読んだ。
島原の乱後。
キリスト教徒根絶に動いてる日本国内。
そんな状況を知って上陸する宣教師ロドリゴ。
日本の宗教観を的確に言い表してくれてるなと感じた。
キチジローという日本人の付き人的存在。
彼に対するロドリゴの態度は終盤までなかなかのもの。
フェレイラという先輩宣教師との宗教観に関してのディベートが一番面白かった。
ロドリゴは一体何がしたかったのか。
彼の意思が今一つ汲めなかったのでマイナス1
Posted by ブクログ
「女の一生」は文字通り女性が主人公だったので共感しやすかったけど、こちらは少し読むのに努力を要しました。
非常に苦しい描写がつづいてしんどいんだけど、構成が上手かったのに助けられた。
単行本には著者のあとがきがあるようなんだけど文庫本には解説しかなかった。
実在の「査祆余録」を本書の内容に合わせて記された巻末は、一応日本語なので何となくは理解できたけどネットで訳文を見つけて色々と理解できた。
えぇーっ!と思ったけど、それでも納得もできた。
Posted by ブクログ
ずっと読みたかったけど難しそうと躊躇してた作品。しかし非常に読みやすく全然難しくなかった。(最終章は別として笑)内容はかなり重くて考えさせられた。ぜひスコセッシの映画も観たい!
Posted by ブクログ
この作品読んで、強く印象に残ったのは「信仰とは何か」という問いだった。
江戸時代の禁教令のもとで、隠れキリシタンたちは壮絶な弾圧を受けながらも信仰を守り続けた。なぜ彼らはそこまでして信じ続けたのか。
貧しい農民たちにとって、信仰は生きる希望であり、初めて知る人の温かさそのものだった。
しかし、その信仰の中で彼らが直面したのは、あまりにも過酷な現実だった。
何も悪いことをしていないのに与えられる苦しみ。そして、その中で神は何も語らない。「なぜ助けてくれないのか」という問いに対する、神の沈黙。
また、印象的だったのは、「弱さ」に対する描き方だった。
拷問や仲間の死に耐えきれず信仰を捨ててしまう者たち。そうした“弱い人間”に救いはあるのかという問いが突きつけられる。
彼らが抗っていたのは迫害に対してではなく自身の信仰そのものに対してだった。心の中にある教えと、目の前の現実との間で葛藤し続けていた。
作者が描いていたのは信仰とは形ではなく、心の中にあるものだという考え。たとえ棄教という形を取ったとしても、それによって信仰そのものが消えるわけではない。
今まであまり興味を持っていなかったが、改めて史跡など訪ねてみたいとおもった。
Posted by ブクログ
キリストの最期・江戸時代の基督教の弾圧が重なる。
自身の使命感のために迫害され殺されていく百姓や非人、彼らの声を聞かされ棄教を迫られる。かつての師にさえ諭される。もっともこの師も拷問され他者の死の責任を押し付けられ続けた結果なのだが。
終わりのないこれらの気怠さのため、唯一の拠り所であり、生涯愛すると心に誓った者の顔を踏みつけるまで追い込まれた。
師は言う「神は何もなさらなかったからだ」と。
自分の信仰心と目の前の惨たらしい狼藉とが闘い、全てを諦めた先にあったのは、どす黒い余生だった。(しかも踏絵後も助けられなかった信徒がいた始末)
理不尽と自分の中の「正義」の衝突が起こった時どうするべきか。おそらく、それが己の信念信仰を全て捨て去ることになったとしても、弱い人間になることや弱い人間で居続けることは決して逃避ではないのだろう。
なぜならその信念信仰は、所詮無形で沈黙を貫くに決まっているから。
Posted by ブクログ
島原天草一揆くらいの時代、日本の調査と布教に来たポルトガル司祭が苦難に遭い背教を迫られるという話だが凄かった。
タイトル「沈黙」にもあるように、一つの大きな主題として「なぜ苦境の折に神は沈黙しているのか(なぜ救ってくださらないのか)」という悲痛な嘆きがあったが、主人公司祭の強い苦しみと実感を伴う問いとして物語終盤常に大きな存在感を保っていた。
主人公司祭が来日する理由にもなった、「拷問の末既に背教した司祭」の存在とのやり取りや奉行との問答の末の結末には陰鬱な気分になり、体調が悪くなった。
「布教は善であったのか」「何が民を救うことなのか」「主は何をしているのか」
じめじめと腐った潮風の様な問いと葛藤に惹き込まれた。
Posted by ブクログ
沈黙は見方によっていろいろな解釈ができる小説だなと思う。宣教師には宣教師の、切支丹になった農民には農民の、取り締まる役人には役人の理屈がそれぞれあって、どれも正しい。
救いを求めるロドリゴに対して神は「沈黙」したままで、結果的にロドリゴは棄教をしてしまう。でもそれは形だけの棄教で、信仰なんてものは自分の外側にいる神に祈ることではなく、自分の内面にいる神と対峙し対話することだということに気づいたが故の結果なのではないかと思う。
そして、キチジローの弱さはロドリゴの弱さで、キチジローとはロドリゴであったのではないかとも思う。人間は強いだけではいられない。誰にでもキチジローのような自分を抱えている。その弱さに気づいたとき弱き他者にも強き他者にも優しくなれるのだろう。そんなことが読後感として残る。
Posted by ブクログ
ゼロか100かの選択となり、信仰をもっても信じるものは救ってはくれず、殉教者たちはなぜ死ななくてはならなかったのか。
葛藤が文章に表現される、文学の力が思い知らされる作品。
暗いし、好きではないけれど、圧倒的なパワーがあった。
同じモチーフを描き続け、ずっと悩んでんでいたのか。作家について知りたいと思える作品。
Posted by ブクログ
キリスト教弾圧と信者と司教 昔の日本におけるキリスト教の弾圧。実際はもっと酷かったんだと思うし、宣教師たちもまさに命がけだったんだと思う。名作と言われるのが分かる。
Posted by ブクログ
遠藤周作のキリシタン三部作の内の一冊。ポルトガルから来た司祭の書簡から始まる一連の流れはリアルさを十分引き出し最後まで勢いをなくさず物語は淡々と進む。キリスト教や神について非常に興味深い視点で描かれている。
Posted by ブクログ
キリシタンの迫害をテーマに身の毛もよだつ物語が展開される。まだ読んではいないが、梁石日の『闇の子供たち』も同じ臭いのする小説なのだろう。どちらも、世の中のタブーに手を突っ込み、底に沈殿する泥をすくって見せるという行為に対して、あなたはどう感じるのかと強烈に問いかけてくる。気の小さな人は読むべきではないとあえて言い切ろう。読むのは辛いが『闇の子供たち』に救いはあるのか、確かめるためにも手をだしてみるかな。
Posted by ブクログ
母が長崎のキリシタンと聞き手に取った。キチジローが「裏切り者」ではなく「一番普通の人間」に見えた。信仰だけで苦しみを耐える強さより、何度も踏んでしまう弱さに共感する。自ら名乗り出た神父には尊厳があった。でも結果として信者を巻き込んだ。正しさを貫くにも、周囲への責任が伴う。神の沈黙より、人間の複雑さが刺さった
Posted by ブクログ
キリストは基督って書くんだー
くらいの知識しかない私なので、
公に宗教観を綴るのはおそろしい。
あくまで本書に限った私の穿った見方だが(保身)、信じることに逃げている。そんな風に感じた。そこに向き合った時、何かが変わっていくのかもしれない。
Posted by ブクログ
2026.03.19 ★3.7
鎖国、禁教令下に日本に渡ってきたキリスト教宣教師の物語。
数年前に映画を観たが、内容はほとんど違ったものだった。
ポルトガルから志を持った若い宣教師が日本に於いてどのようなことを経験したか、手記や見聞録調の箇所が多く、フィクションなのにまるで歴史物を読んでいるような感覚にさせられる。
肉体的な拷問と精神的な拷問、どちらも、人が人に対してこれほど冷酷にになれるのかと薄ら寒くなる。
誰が誰に対して「沈黙」しているのか、最後まで読まないと分からない。
↓↓↓内容↓↓↓
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。
神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。