姜尚中の作品一覧
「姜尚中」の「最後の講義 完全版 政治学者 姜尚中」「NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「姜尚中」の「最後の講義 完全版 政治学者 姜尚中」「NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
「カン サンジュン」、通名は「永野 鉄男」。早稲田大学政治経済学部卒、早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。著書に『心の力』、『マックス・ウェーバーと近代』などがある。政治学者。
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Posted by ブクログ
100年前の夏目漱石やマックス・ ウェーバーなどの慧眼により、現代を的確に表現している。自殺者の多数、逸脱資本主義からの人と人との全般的や不信の構造、直接アクセス型社会からの公共領域の消失、柔らかい全体主義の傾向、宗教に代わった科学の存在、同時に人々の孤独感とともに肥大化する自意識の状態。
「彼らをむやみに自分らしさの探究に駆り立てるものをしっかり見つめ直しておく必要があると思うのです。」引用
前半は読んでいて、現代の病理的な現象を夏目漱石やウェーバー等の作品、表現を引用し論じられている。そのため正直気が滅入りそうだった。
しかし、後半は、そのような世界においてどのように考え、どこに幸福を見いだしたらいいのか、これも夏目漱石等を元に、人間の3つの価値観や己を忘れるべしという考え方、何をやるかよりどうやるか、よい過去を積み重ねていく気持ちで生きることと、考え方を刷新させられます。
Posted by ブクログ
2009年4月から2011年3月まで、NHK日曜美術館の司会をされていた姜尚中氏による美術に関する考察本。
美術はご専門ではなく、政治思想史が専門だが、在日であることからアイデンティティのあり方に悩んでいた時に出会った数々の絵や工芸品にどのようにして惹かれていったのかを語り、作家の心がどこにあったのかを考察した、大変興味深い本。
特に興味を持てたのは、次の美術品に対する考察。
ベラスケスの絵画「女官たち」
宮廷の中央に王女がいて、そのまわりに何人かの女官がかしづいてして、絵筆を持ったベラスケス自身も絵の中にいる。ベラスケス自身の心はどこにあるかというと、隅っこに描かれた矮人(体が小さく愛玩動物的に宮廷に住んでいた人)の女性と重ねていたのではないか。ユダヤ人であることを隠していたユダヤ人はマイノリティである矮人と心を重ねていたのではないか。
長谷川等伯「松林図屏風」
一面に靄がかかった中、濃く、薄く松が姿を表しているが、白の面積が多い“白の絵画“。白というのは空虚な色ではないと分かる。非常なる密度でさまざまな要素が詰め込まれ、凝縮され、その結果、白い輝きとして発光した色。
マーク・ロスコ「シーグラム壁画」
巨大なキャンバスに黒と臙脂だけを使って塗った抽象画。臙脂にも血のような赤や暗い褐色、黒にも紫のような黒や焦茶色のような黒がある。じっと見ていると自我が心地良く溶け出し、忘我の境地のようなところに入っていく。
世界大戦のころから人々は自分の物語と過去の物語が繋がらないことが多くなり、自分と世界が容易に結びつけられなくなってきた。もはや具体的な方法では自己表現が出来なくなり、抽象画が生まれた。
ブリューゲル「絞首台の上のカササギ」
絞首台の横で人々が手を繋いで踊っていて、その光景をカササギが見ている。不吉な場の絵だが、おそらく絞首台はもうその役目を果たしたものであって、雲の切れ間から光が指すような安堵感を感じられる。辛いことがあっても「再生」の時は必ずやってくるというメッセージがあるのではないか。
伊藤若冲「群鶏図」
真っ赤なとさかと色とりどりの尾を靡かせた鶏が大きな画面を覆い尽くしていて、圧巻。
絵のどこにも中心がない。遠近法は無視され、13羽のどの鶏にも焦点が合っている。生き物の写生というよりもデザイン画のよう。人間の目で鶏を描いたのではなく若冲自身が鶏の仲間になって絵筆を運んだのではないか。
美術はただ「綺麗」なものが尊ばれるのではなく技術的に「上手い」がいいとも限らず、文学や音楽のように奥深いと思った。絵が上手くなくても、美術に対する知識が無くても自分なりに美術を楽しみたいと思った。