あらすじ
【電子特別版・カラー画像多数収録!】伊集院静氏、落合恵子氏、千住博氏推薦! ドイツ留学中の著者は、500年前のデューラーの<自画像>から啓示を受けた。「私はここにいる。お前はどこに立っている?」。絵の中の同じ28歳の男は、鬱々とした内面の森をさ迷う在日の青年に、宿命との対峙を突きつけたのだ。30年後、人気美術番組の司会を務めた著者は、古今東西の絵画や彫刻の魅力を次々に再発見していく。ベラスケス、マネ、クリムト、ゴーギャン、ブリューゲル、ミレー、若冲、沈寿官――。本書は「美術本」的な装いの「自己内対話」の記録であり、現代の祈りと再生への道筋を標した人生哲学の書でもある。※電子版に収録されている画像は紙の書籍のものとは一部異なります。【目次】はじめに わたしたちは今、どこにいるのか/第一章 おまえはどこに立っている アルブレヒト・デューラー《自画像》、ディエゴ・ベラスケス《女官たち》《ドンセバスチャン・デ・モーラ》、エドュアール・マネ《オランピア》、イワン・クラムスコイ《忘れえぬ人》ほか/第二章 生々しきもの ギュスターヴ・クールベ《石を砕く人》《世界の起源》、エドュアール・マネ《草上の昼食》ほか/第三章 エロスの誘い グスタフ・クリムト《ダナエ》、エゴン・シーレ《縁飾りのあるブランケットに横たわる二人の少女》、ポール・ゴーギャン《かぐわしき大地》ほか/第四章 白への憧憬 白磁大壺、長谷川等伯《松林図屏風》、純白のチマ・チョゴリほか/第五章 不可知なるもの マーク・ロスコ《シーグラム壁画》、パウル・クレー《想い出の絨毯》ほか/第六章 死と再生 ピーテル・ブリューゲル《死の勝利》《バベルの塔》《絞首台の上のカササギ》ほか/第七章 生きとし生けるもの 伊藤若冲《群鶏図》《貝甲図》、熊田千佳慕《メスを求めて》《恋のセレナーデ》《天敵》ほか/第八章 祈りの形 アルブレヒト・デューラー《祈りの手》、円空《尼僧》、ジャン=フランソワ・ミレー《晩鐘》ほか/第九章 浄土的なるもの 与謝蕪村《夜色楼台図》、ジャン=フランソワ・ミレー《春》、犬塚勉《暗く深き渓谷の入口I》ほか/第一〇章 受け入れる力 ルーシー・リーの白釉の陶器、ハンス・コパーのキクラデス・フォームの陶器、沈寿官《薩摩焼夏香炉》ほか/おわりに ここで生きる――デューラー《メレンコリア・1》に寄せて アルブレヒト・デューラー《メレンコリア・1》
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Posted by ブクログ
(2012/2/24)
悩む力がベストセラーになった姜尚中さんの新書。
NHKの日曜美術館の司会をやったのがもとでできたのがこの本のようで。
タイトルからはわからない、美術本。といっても姜尚中氏独特の自己内対話になっていて。
正直読み物としてはいまひとつ。
ただ、取り上げている絵は興味深い。
一番は今日のブログタイトルにもしたラスメニーニャス。ベラスケス。この絵の主役は画家だという指摘はうなづける。行きたいなぁ、プラド美術館。行こう。
Posted by ブクログ
2009年4月から2011年3月まで、NHK日曜美術館の司会をされていた姜尚中氏による美術に関する考察本。
美術はご専門ではなく、政治思想史が専門だが、在日であることからアイデンティティのあり方に悩んでいた時に出会った数々の絵や工芸品にどのようにして惹かれていったのかを語り、作家の心がどこにあったのかを考察した、大変興味深い本。
特に興味を持てたのは、次の美術品に対する考察。
ベラスケスの絵画「女官たち」
宮廷の中央に王女がいて、そのまわりに何人かの女官がかしづいてして、絵筆を持ったベラスケス自身も絵の中にいる。ベラスケス自身の心はどこにあるかというと、隅っこに描かれた矮人(体が小さく愛玩動物的に宮廷に住んでいた人)の女性と重ねていたのではないか。ユダヤ人であることを隠していたユダヤ人はマイノリティである矮人と心を重ねていたのではないか。
長谷川等伯「松林図屏風」
一面に靄がかかった中、濃く、薄く松が姿を表しているが、白の面積が多い“白の絵画“。白というのは空虚な色ではないと分かる。非常なる密度でさまざまな要素が詰め込まれ、凝縮され、その結果、白い輝きとして発光した色。
マーク・ロスコ「シーグラム壁画」
巨大なキャンバスに黒と臙脂だけを使って塗った抽象画。臙脂にも血のような赤や暗い褐色、黒にも紫のような黒や焦茶色のような黒がある。じっと見ていると自我が心地良く溶け出し、忘我の境地のようなところに入っていく。
世界大戦のころから人々は自分の物語と過去の物語が繋がらないことが多くなり、自分と世界が容易に結びつけられなくなってきた。もはや具体的な方法では自己表現が出来なくなり、抽象画が生まれた。
ブリューゲル「絞首台の上のカササギ」
絞首台の横で人々が手を繋いで踊っていて、その光景をカササギが見ている。不吉な場の絵だが、おそらく絞首台はもうその役目を果たしたものであって、雲の切れ間から光が指すような安堵感を感じられる。辛いことがあっても「再生」の時は必ずやってくるというメッセージがあるのではないか。
伊藤若冲「群鶏図」
真っ赤なとさかと色とりどりの尾を靡かせた鶏が大きな画面を覆い尽くしていて、圧巻。
絵のどこにも中心がない。遠近法は無視され、13羽のどの鶏にも焦点が合っている。生き物の写生というよりもデザイン画のよう。人間の目で鶏を描いたのではなく若冲自身が鶏の仲間になって絵筆を運んだのではないか。
美術はただ「綺麗」なものが尊ばれるのではなく技術的に「上手い」がいいとも限らず、文学や音楽のように奥深いと思った。絵が上手くなくても、美術に対する知識が無くても自分なりに美術を楽しみたいと思った。
Posted by ブクログ
面白い!
失礼ながら、テレビでよく見かける
気難しそうなコメンテーターに、
まさか、こんなにも分かりやすく、
そして、感動的に、
芸術の解説をしていただけるとは!
そもそも私は芸術に無知無関心だったのに、
このタイトルに吸い寄せられました。
少しだけ人間の幅が広がった気がします。
感謝です。
Posted by ブクログ
30年前、デューラーの《自画像》から身震いするような感動を覚え啓示を受けたと云う著者。ベラスケス、マネ、ブリューゲル、クリムト、ゴーギャン、ルーシー・リー、ハンス・コパー、円空、熊田千佳慕・・・などの絵画や陶器や彫刻という古今東西のアーティストの作品群を深い洞察力で綴っている。
福島を訪れた氏が戦慄的ながれきの山を目にした様子から、ブリューゲルの《死の勝利》《バベルの塔》について、失意と絶望の闇の中に、それでも希望のかすかな光が見える。再生の時が必ずやってくるのだ!というそうしたメッセージが認められている。
NHKEテレ『日曜美術館』の司会をやられていたのを拝見して好感を持っていたが、こんな細部まで観ているのかと・・・本書を読んで新たな絵の鑑賞法を学んだ。
Posted by ブクログ
美術本というよりは、数々の芸術作品から自分自身を捉えなおす哲学的要素の強い本。
時間をかけて読みたいと思える数少ない本。新書でこれだけ深い内容が盛り込まれてると超お得な気分。
震災や戦争などコントロール出来ないことが否応なく降りかかる時代、自分の物語が作れない。人間、理由の分からない意味不明なものの前にはただ立ち尽くすことしか出来ない。この不可知な世界をクレーやロスコは抽象画という手段で手探りで表現を試みた…
彼らの絵をみた姜尚中は、絵に吸い込まれて意識が溶けていくような感動を受けた。まるで人類補完計画。
深いわ。星6つ付けたい。
Posted by ブクログ
かつて日曜美術館の顔だった姜さん著作。
デューラーの自画像を筆頭に、鑑賞者に問いかける作品に出会える
ブリューゲルの"絞首台の上のカササギ"は衝撃
美術館に行きたくなる本
Posted by ブクログ
タイトルがいいと思う。
あなたは誰?と問われ
なんと応じましょう?
ちなみに相手は肖像画。
時代も文化も何もかも
違う相手。
まずは名乗ってみる?
いえいえそういうこと
ではなさそうです。
そう、問われてるのは
アイデンティティです。
見透かされてるんです、
ボンヤリ生きてること
を(¯―¯٥)・・・
さてさて、なんと応じ
ましょうか???
Posted by ブクログ
「美しさ」を感じた一冊。
私は美術館が好きで、年に数回ほど足を運んでいるのですが、鑑賞した作品を語る言葉を持ち合わせていませんでした。
なので、どんな風に、感じたことを言葉に置き換えて伝えることができるのかを知りたくて、この本を手に取りました。
感想は、
ただただ、美しい。
姜さんの表現に、世界観に、惹き込まれました。
こんな風に、世界に触れることができたならば。
こんな風に、芸術作品に触れられたならば。
どんどん「満たされていく」感じがしました。
文字による紹介が多い本書ですが、読後、姜さんのサポートのもと芸術作品を味わったかのような、充実感と満足感が心に残りました。
美術館に、また行こう。
Posted by ブクログ
美術体験による、著者の個人的な感動が綴られる。とにかく文章が上手い(流麗さが、やや過ぎると感じられるほど)ので、読まされる。こんなに自由に美術を語れるのか。特にロスコ、クレーなどの抽象絵画がいかに素晴らしいか、という語りが、力強くて印象に残った。
Posted by ブクログ
絵画の鑑賞が、実に個人的な体験であるということを感じさせてくれる。所謂絵画鑑賞の手引書的な内容では無いところが良い。アカデミックな鑑賞も意味の無いことでは無いが、観る者がその作品と対峙し、どのような感慨や影響を受けるかということは、筆者が記したような実に個人的な体験であることを思い出させてくれる。自らの経験や体験と、芸術作品が呼応するような瞬間を味わうことは、絵画のみならず芸術作品を鑑賞することの醍醐味である。
Posted by ブクログ
姜氏が司会をしていたNHK教育の“日曜美術館”は欠かさず観ていた。小一時間、姜氏の独特の雰囲気に浸りたいという不純な動機もあったけれど、画家や一枚の絵画に対する彼の感想には、必ず彼独自の見方や感じ方が紹介され、その内容はとても興味深く、かつその姿勢を好ましくも感じた。今回、とりわけ思い出深い芸術作品をとりあげての著作ということで、期待して購入。
姜氏の日本語にはどこか切ない美しさがある。そこはかとなく官能的といってもいい。在日という出自を背負った彼の淋しさや苦悩、自分自身への問いかけの日々が、時を重ねて熟成し、独特の芳香を放ち得ているのだろう。
いずれの作品の記述も興味深く読んだけれど、とりわけブリューゲルの“絞首台の上のカササギ”の考察は心に留まった。通常いわれる怖い絵との感想とは裏腹に、そこに再生や希望を見出したいという彼の願いは、辛苦の中にあって未だ人間への希望を捨てない、彼の人間讃歌の姿勢を見た思いがした。
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて買いました。とても読みやすく、私にしては珍しく一日で読み終えることができました。一回目は「芸術に対する鋭敏な鑑賞センス」に圧倒されましたが、二回目はタイトルのような「自己と絵画の存在関係」のテーマに沿って注読していきたいです。
「美術館めぐり」を趣味にしている方にはとてもお勧めできると思います。美術鑑賞のたのしさあるいは意義を共感あるいは発見することができると思います。
Posted by ブクログ
絵画を見て感動した、という記憶が、
どれだけ頭の中をびっくり返しても出てこない。
本物を見てないからかな?と思ったけれど、
ポスター見て心を射抜かれているのよね、
姜尚中さんは。
感性の問題か、やっぱり。
絵を見に行っても、つい解説を読んでしまう。
右脳、衰退しちゃってるかも。
今度、娘を美術館に連れてく約束をしてる。
期待はせず、予断を持たず、
フラットな気持ちで歩いてこようと思う。
Posted by ブクログ
芸術鑑賞論と哲学論の中間のような感じ。
人によって絵画彫刻の観方が違うので、人の着眼点を知るのは面白い。
同じ視点には共感し、知らなかった視点には気付きと
同じ物を見て自分はどう思うか試したい意欲が出てくる。
Posted by ブクログ
NHK「日曜美術館」の司会をしていた著者が、当時出会った絵画や美術品について書いている。
政治学者である著者は、芸術の専門家ではないので解説書ではなくあくまで著者自身の感想といったところ。
冒頭と末尾に出てくるアルブレヒト・デュラーの作品は、とても印象的だった。
最初と最後に持ってくるあたり、著者自身もこの絵画に大きな影響を受けたと思われる。
絵画は、語る。
それは、鑑賞者に向けてだけではなく、いやむしろ画家自身に向けてのメッセージなのかもしれない。
そんな風にも思った。
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政治学者の姜尚中が、絵画を中心に芸術作品から受けた啓示について語っています。
著者自身が、絵画から生きるための知恵と勇気を与えてもらった体験を中心に綴られているので、解釈が恣意的になってしまうのはやむをえないのかもしれません。中立的な立場からの芸術作品の鑑賞の手引きとは言い難いのですが、「わたしたちは今、どこにいるのか」と自問自答せざるをえない「近代」という時代においては、どこかで著者のような絵画からの触発を受け取ったことが、作品世界に深く分け入ろうとする動機となっているのではないかという気もします。
Posted by ブクログ
タイトルからしてはまった。尤も、絵画説明書だとは思ってもなかったが。でもそれでもよかった。共鳴した。
ヴィクトール・フランクルの指摘
〇人間の行為の3つ価値:
①「創造」、②「体験」、③「態度」
Posted by ブクログ
著者が日曜美術館の司会を通じて得た感動や自身の経験をもとに、まとめられた本。雑然とした毎日の中で、美しいものに触れたいという気分に、すんなり応えてくれた。また美術館に行って、本物を見てみたいなあ。
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美術作品と人生を結び付けて考える。自分への問いや自分との対話、そういった事を美術を通して行う。批評や鑑賞、感想というよりも著者の精神を感じる作品。
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姜氏の美術エッセイ。
「日曜美術館」で司会をされているためか、昨年展覧会で見た作品が多く取り上げられており、タイムリーに読めた。
作品の軽い解説・分析プラス姜氏の個人的な思い出といった感じで、軽く楽しめたがあまり深く印象に残る内容がなかった。
見たい作品:
ミレー「春」(ルーブル)
ブリューゲル「絞首台の上のカササギ」(ヘッセン州立美術館)(ダルムシュタット)
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NHK「日曜美術館」司会者であった著者が、思い入れ深い絵・陶芸とその作者について語る。語り口はわかりやすく、面白く読み進めたが、作品の写真がモノクロしかないのは致命的。テーマがテーマなのだから、作品の紹介の仕方にもっと力をそそぐべきだ。
ブリューゲルの「絞首台の上のカササギ」の解釈が『怖い絵』の中野さんとまったく異なり、生と平和への賛歌である…としたのは興味深い。
Posted by ブクログ
一人の人間、一つの出来事、一冊の本、そして一枚の絵が、人生に計り知れない影響を与えることがあります。
私の場合、そうした一枚の絵をあげるとすれば、それはアルブレヒト・デューラーの自画像でした。彼は何の予告もなく突然、目の前に姿を現し、そしていきなりわたしを叩きのめすほどの衝撃を与えたのです。
そう語る著者は、在日であるという出自、将来への不安など、とらえようのない憂鬱な気分を抱えていた学生時代にドイツの美術館で出会った500年前の青年画家の自画像から「わたしはここにいる、お前はどこに立っているのだ」
というメッセージを受け取ったそうです。
私たちが見るもの、そのすべては私たちの心が外の世界に映し出されたもの「投影」である、と言われます。
そうであるなら、表現者である画家自身の思想や想念が封印されている自画像を観て、私たちが感じるものは、言葉にならない言いようのない感覚、時として私たち自身気づいていないような
心の奥にしまいこんだ感情なのかもしれません。
慌しくストレスフルな日常のなかで私たちは、時として感情を切り離し、押し殺し、無かったことにして生活をしています。
それは、傷つきやすくて壊れやすいハートを守ろうとする心の作用なのですが、どんなに切り離して押し殺して無かったことにしてみても、
本当になくなったわけではない感情は、いつも出口を探してさまよっています。
抑圧された哀しみは、時として怒りとなって私たちの大切な人を傷つけることがあります。
癒されることを待っている心の痛みは、時としてその存在を示すように繰り返し起こる問題となって私たちを苦しめます。
絵画や音楽、演劇に触れる。
抑圧された感情や、言葉にならない感覚に気づく。
それもまた、心を癒す効果的な方法なのかもしれません。
Posted by ブクログ
作品との対話、芸術体験。筆者が作品と向き合うことでインスパイアされる何か。そういった作品の紹介。私の好きな作品も多々あって良かった。もうじき京都で開かれる犬塚勉展にはぜひ行きたい。
Posted by ブクログ
著者が伝えたいことは?
東日本大震災、その後の放射能汚染の恐怖が重なり、多くの人々がこれまで経験したことのない心の動揺や空虚感に苛まれている。
人間というのは、理由さえわかれば、相当つらいことにも耐えられるのですが、意味のわからないことには、耐えられない。あまりにも意味不明な打撃をこうむると、人は、虚脱上達に陥ってしまう。
そんな中でわたしたちが解放されるのは、著者が、一枚の絵をみた時の衝撃、つまり、感動のようなものこそが、まさにカギになるのではないか…
迷路の中で方向感覚を失った人間にとって、最後の切り札になるのではないか…
著者は、当時、それまでの自分から、日本から、そして在日から逃げるように、ドイツに渡り、何の束縛もない状態にあった。その時の状態は、ひとことでいうと憂鬱…とらえどころのない気分、煙りのように動く感情のようなもの。リアルな感覚から距離をおきながら、ふさぎ込んでいる状態であった。
そんな中、一枚の絵、アルブレヒト デューラーの自画像が著者を叩きのめすほどの衝撃を与えた。
そして、著者に対して生きる力を与えた。
そこで、著者は、無感動になってしまった人たちに、何らかの方法で、心を揺さぶり動かす祈りの芸術をみてもらうことを願う。
なぜなら、何かに感動する力というものは、取りも直さず、生きる力であるからである。
感動というのは、自分の中で自家発電的に起こせるものではなく、外から何かに触発されなければならない。