◾️record memo
そういう「女性性」の塊のような粘液をマグマのごとく溜め込んでいる彼女のサバサバアピールを目にすると、今や虚しささえ感じる。
「幸せとか不幸とか、そういう定義もう止めない?幸せとか不幸とか、羨ましいとか可哀想とか、そういう相対的な考え方、身を滅ぼすよ」
自分のあまりの滑稽さに、自分がくしゃっとした茶色いゴミ屑になってコロリと道路に転がる様子が頭に浮かぶ。もう誰か早く轢き殺してと願っても、ゴミ屑は小さすぎて中々車のタイヤに当たらない。
「え……さっきの子たち、長い付き合いなんでしょ?三人はお互いのこと何でも知ってるって、美玖ちゃんが言ってたじゃん」
「お互いのこと何でも知ってるなんて言い切るの、どうかしてるよね。あの子自分のことだってよく分かっていないのに」
もう誰も私が何者であるかを知らない。幽霊のように、誰も私が存在する理由を知らない。私でさえ、私が何者であるのかを知らないし、なぜ存在するのかも知らない。何故かは分からない。これまでも私は、結婚しても妻を演じただけだったし、子供ができても母親を演じただけだったし、同年代の女性の前では女友達を演じただけだった。ベッドから出て、ドアを静かに開ける。そこには当たり前のように、誰もいない世界がある。誰もいない世界で、何者も演じずにいる自分を演じる。
山本医師の喋り方は気取っているわけではなく、気質的なものだ。この人の元に初めてカウンセリングに来たのは四年前、この喋り方と口調を聞いて直感的にこの人は美容整形外科に向いていないと分かった。生き馬の目を抜くこの業界で、こいつのこの押しの弱さ、当たりの柔らかさは致命的だと思った。しかし何故かこのクリニックはなかなかにシステムが商業的で何だかんだで儲けは大きそうだった。もしかするとこの院長よりも経営の才能があるブレーンや共同経営者がいるのかもしれない。人の欲望に寄り添い搾取することに長けた商業のシステムとこのへなちょこ感のある院長とのちぐはぐ感が気に入って、私はここに通い続けている。
弟と相談していたらしき長男がリビングに戻ってきて甘えたように「パパが帰ってきたら夕飯外に食べに行かない?」と言う。虚無に陥りかけていた私は途端に強烈に腹を立て、そうだねと笑顔で答えるとスマホを手に取る。「子供たちへの説明責任はどうした?今すぐ帰ってきて自分一人で子供たちに離婚の事実とその経緯を説明しろ。さっきの薄汚い女を連れてきてあの女との同居でも提案してみろそれでもいいって言ってくれたんだろ?」とメッセージを入れた。顔が強張り今にも叫び出しそうなほどの怒りが竜巻のように身体中をかき回している。全ての臓物がミキサーにかけられているようなお祭り状態だった。もう皺もたるみもどうでも良かった。夫に一ミリでも綺麗だと思ってもらうことを諦めた私は、鬼になることを選んだ。「慰謝料払え。女にも請求するからな」。
私は条件が揃うと、爆発する。コントロール不能、完全なる無力、客観と主観の八百長ゲーム。こんな面倒臭い人間に誰がした。そうやって責任主体を外に見出すところ何とかならないのか。そういうとこだぞ。私の半分と半分がせめぎ合う。こうとしか生きられない自分と、そうとしか生きられない自分に批判的な自分、でもそれは単純に半々なのではなく、それぞれがそれぞれの性質を半分ずつ持ち合わせているから分断できるものでないということが問題なのだ。
鰹のタタキがやけに血なまぐさく、追加で薬味を口に放り込む。二人がちらっと視線を交わしたのが分かったけど、気づかない振りをして向こうの方で何故か昔のジャニーズの歌を合唱している中年グループの方に視線をやる。無駄に楽しそうでいいなと思うけれど、彼らの楽しさを私は一生共有できないだろうという確信もある。この疎外感を、幼い頃から感じていた。
必死に検索しながら、はたと気づく。奥さんは、恋愛にうつつを抜かし舞い上がり続けていた私をこの地に引き摺り下ろすために慰謝料請求をしたんだ。私と彼が天空みたいなところでセックスを楽しんでいるのを、とにかく下界に引き摺り下ろして、お前らの恋愛は夢物語でしかないと知らしめるためにこの書類を送ってきたんだ。お前のしていることは慰謝料、和解金、示談、弁護士、起訴、そういう禍々しいワードに満ちた泥臭い現実なんだぞという主張なのだ。
いつも彼の陰には奥さんがいて、目を光らせ、彼めがけて飛んでくる害虫をエアガンで撃ち落とし続けているのだ。私は彼と付き合っていたというよりも、彼プラスαと付き合っていたのだ。結婚している男というのは、どうやってもそれ単体で存在しようがないのだ。
「通知書拝受しました。有責側のくせにそっちから離婚要求してくるなんて信じられない。何度も言うけど離婚は絶対にしない。不倫して子供置いて勝手に出て行って、不倫相手と暮らしながら離婚要求してくるなんて狂ってる。そんな道理は通らない。この世の厳しさを思い知らせてやる。あんたが上司とか仕事相手に対して漏らしてた悪口も全て暴露してやる。あんたが何月何日に女とどこのホテルに行ってたかも全部暴露してやる。お前も女も会社にいられなくしてやる。こんな辱めを受けるなんて絶対に許さない。今日を機に我慢してきた全てをぶちまけてあんたの人生をめちゃくちゃにすることだけを考えて生きていく。お前も女も社会的に抹殺してやる。お前らの所業を全て白日のもとに晒してやる。死んで詫びろクソ野郎!」
女が夫をせっついてるのかもしれない、早く離婚してくれなきゃ別れるなどと抜かされて焦っているのかもしれない、でもだとしても許されることではない。彼は新しいオモチャを手にいれるために、古いオモチャを捨てようとしているだけだ。人をオモチャ扱いする人は結局もっと面白いオモチャが手に入るとなればいくらでも今あるオモチャを捨てる。
当社比ではあるが、人生に於いて恋愛の比重が高い人は一人の人と添い遂げることができない。恋愛をし続け、離婚と結婚を繰り返す。この人だと思った人と大恋愛をして結ばれたとしても、またしばらくすると別の大恋愛を始めて離婚して結婚する。そしてまた大恋愛をする。これは彼らが恋愛をするのが難しい歳になるまで続く。色々なパターンがあるけれど、恋愛の占める割合の高い人々の末路は大概こんなもんだ。恋愛に狂う奴は、どれだけ誰かに狂ったとしても、喉元過ぎればまた別の誰かに狂い始め、抑えが利かなくなるのだ。これも当社比だがそういう奴らは永遠に狂っているか微睡んでいるか焦がれていて、永遠に幸せにはなれない。
「メンタルは?」
「ないよ」
「何が?」
「何もない。変わってない。救いもない癒しもない。恒常的に辛くて、もう皮膚がボロボロになってあちこちパカパカ割れてるのに毎日塩酸に手浸してるみたい。両手が腫れ上がってグローブになってるみたい」
昔、付き合いのあった文芸編集者が、そういう小説のことをポルノと表現していた。泣かせるために作られたフィクションは、勃起させるために作られたポルノと同じだ。一時的な快楽を得ることはできても、そこから本質的な問いや力を得ることはできない。
「生前評価されずに死んでいった人と、売れまくって豪遊して死んでいった人とどっちが幸せか、いや、そもそも誰の幸不幸も一元的に判断するべきじゃない。お金があれば幸せ、売れたら幸せ、っていうのは、お金も名声も地位も持たない人々の幻想でしかないよ。」
「自分の中の大切なもの、守るべきものは誰も守ってくれないし、自分でそれを守り抜くには理論武装が必要だよ。センスがあれば大切なものとくだらないものの判断くらいはできるけど、そこを自分自身に対しても世間に対しても論理的に説明できないと、人は簡単に誑かされて落ちてくからね。言葉は剣であり盾だよ」
この壮太という男は、ユリが結婚していることを知っても、訴えたりなどしないだろう。偽名を使って欺いていたと知っても、責めたりしないだろう。皆上手くやっている。金持ちを最大限に利用したモモも、広く浅く手を出しては男を乗り換えるユリも、隣でアフターの誘いにどうしよっかなーともじもじしながら悩んでいる風だけどアフターは同伴と違って時給換算の加点に繋がらないから最終的には絶対に断るヒナちゃんも、この世の中を各々サーフィンしながら生きている。私だけが、貧相なビート板で波に乗ろうと、ハードモードで挑んでいる。
迷いが加速していく。今日ここで三人で家に帰って破綻してしまった家庭を再演したところで、夫はまたすぐに消え失せるのだ。一瞬の夢を見て、夢から醒めた時、幸人は自分がどれだけ傷つくか分かっていない。父親が出て行き、パパはしばらく帰ってこないと伝えてから、幸人は何日も夜ベッドに入った後一人で泣いていた。
夫が彰人の肩に手を載せてそう言うと、彰人は突然大声で泣き始めた。泣いているというよりも、吠えているに近いかもしれない。幸人は豹変した兄に慄いている。大きな怪我をしてようやく家に帰ってきたのに家庭がこんなにガチャついていて可哀想に、とこんな時まで幸人の精神を心配してしまうのは何故なのだろう。そんな思考回路でいるから、彰人はこうして限界まで全てを自分の中に詰め込み爆発させたのかもしれない。そう思いながら、彰人に歩み寄り、抱きしめる。吠える彰人の体の震えが、私にも共鳴する。これが家族の壊れる音なのか。ギャー!という彰人の叫び声を全身で受け止めながら、どこかで冷静にそう思う。
彰人が大声で泣きたい気持ちを、きっとずっと抑えつけていたことに、私は自分を見るような思いになった。もっと早く言えばいいのに、言葉にすればいいのに、寂しいと、辛いと、もう限界なのだと、言えばいいのにと人には思う自分が狡いような気がしたけれど、自分にはできないと分かっているからこそ、私と彰人はこんなことになっているのだとも思う。
ざまあみろという気持ちもなくはない。数日前だったらそのざまあみろ感はより強かっただろう。不倫する奴は総じて死ね。私の基本スタンスはそれで、それは一生覆ることはないし、実際に総じて死んで世界の人口が三分の一くらいになったらどれだけ清々しい世界になるだろうと本気で思う。
「自分の怒りを原動力にして人を痛めつけられる、場合によっては殺せる人でありたい」
閉口してユリを見やる。すっぴんのユリは、別人みたいだ。彼女はこんなことを言う人だっただろうか。いや、これは彼女の一面に過ぎない。何かのきっかけで裂け目ができて、その中が覗いている瞬間に違いない、と反射的に思う。今ユリには、裂け目が生じているのだ。いつもは見えないところが、見えているだけなのだ。
世界の俗悪さを、自分の愚かさを、世の中の残酷さを、自分の中の軽薄さを、人々の卑しさを、自分自身の狡猾さを、私は憎んでいる。だからそういう社会や自分の中にあるあらゆる卑俗なものを感じずにいられる家庭が、私にとって唯一の安全な場所なのだ。
私たちは悲しくも今に囚われている。今の私は今の私でしかあり得ない。これ程の不自由があるだろうか。目の前にいる人が何者なのか、自分が何者なのかという命題から逃れられないのも、私たちはそれぞれ確固とした個人であるという幻想に囚われているからに違いない。確固とした私というものが存在すると思い込んでいる人に向けて、何を語るべきなのか見当がつかない。
何となく、何かがリセットされたような気分でもあった。諸行無常、弓子とユリと話す中で感じていたものを言葉にするとそんな感じで、人と人との違い、感情のかけ違い、求めているものの違い、気持ちや感情を言葉に変換する時のそれぞれの癖、不完全なもの同士がぶつかり合うピンボールのような偶然性によって、私たちは人や人を取り巻く事象に満足したり幻滅したりするのだという、諦念に近いものを感じる会だった。
「胡桃がユリでも胡桃でも構わんよ。どんな過去があってもいいし、既婚者でも子供がいても、何でもいい。どんな胡桃でも、ユリでも俺は全部受け止めたいし、受け止めさせて欲しいし、受け止める度量がないって胡桃が言うならちゃんとその度量作る努力するよ。あなたが求めるものには全部応える。応えられんかったら応える努力を全力でする。収入とかそういうのは限界あるかもしらんけど、できることは何でもするから。だから捨てんで。絶対に幸せにするから」
「これからは何て呼んだらいい?」
「ユリかな」
「分かった。何でもええんよ、そんなんお惣菜パンに貼られた『ツナコーンパン』みたいなことやろ?砂糖多めで甘めに味付けされて卵で艶出しされたふわふわのパンに、ツナとコーンとマヨネーズとパセリが載って焼き付けられてるってこと俺は知ってんねん。それでそれがどれだけ美味しいのか知ってんねんから」
「あれはもう死ぬ気で頑張ってあれだから。普段は私以外の人とは必要最低限の会話しかしないもん」
ユリの言葉を私は、きっと弓子も、どこか話半分に聞いている。彼女が本当にまだ壮太くんと付き合っているのか、胡桃ちゃんと壮太くんを本当に会わせたのか、胡桃ちゃんは本当に存在するのか、私たちには分からない。それでももう、私たちは彼女の核心に迫ることはしない。今居酒屋で目の前にいるユリだけが、私たちにとってのユリなのだ。
私たちは為す術もなく、おしなべてこの何が起こるか分からない人生の奴隷なのだと思う。