あらすじ
文芸業界の性、権力、暴力、愛。戦慄の長篇
性加害の告発が開けたパンドラの箱――
MeToo運動、マッチングアプリ、SNS……世界の急激な変化の中で溺れもがく人間たち。対立の果てに救いは訪れるのか?
「わかりあえないこと」のその先を描く、日本文学の最高到達点。
「変わりゆく世界を、共にサバイブしよう。」――金原ひとみ
文芸誌「叢雲(むらくも)」元編集長の木戸悠介、その息子で高校生の越山恵斗、編集部員の五松、五松が担当する小説家の長岡友梨奈、その恋人、別居中の夫、引きこもりの娘。ある女性がかつて木戸から性的搾取をされていたとネットで告発したことをきっかけに、加害者、被害者、その家族や周囲の日常が絡みあい、うねり、予想もつかないクライマックスへ――。
性、権力、暴力、愛が渦巻く現代社会を描ききる、著者史上最長、圧巻の1000枚。
『蛇にピアス』から22年、金原ひとみの集大成にして最高傑作!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
途中から長岡友梨奈に自分を重ねていた。彼女は理不尽にあふれる社会に怒っているから。私も常に同じように社会に怒りを抱えて生きているから。
友梨奈は怒って怒って怒っている。ペンの力から実力へ。この世の理不尽とペンで闘っても正義は果たされない無力感。
セクハラ編集者や「ぶつかりおじさん」男性と闘うことになる経緯は私には痛切に伝わる。
40歳を過ぎたからこそ、ただ嘆くだけではなく、次の世代のために目に見える形で闘いたくなる。友梨奈のように破滅的に闘うことはできないけれど。
友梨奈の死後の木戸の気力復活は理解できていないので再読したい。
最後に出てくるリコちゃんは救い。
Posted by ブクログ
面白すぎて連続して2周読みました!!
年齢、性別、ジェンダーなど、様々な立場の人からの視点で、とある性被害告発事件を描いた物語。
こう書くと最近ありがちなテーマと思われがちですが、そこは金原さんの作品らしく、パンチがありすぎるキャラクター達によって刺激的な小説になっています。
どのキャラも、現実にいそうで、でも小説で客観視すると「うっ」となる要素があり。かつ、自分の中にもこういう考えあるかも、、、。と思わせてくれる絶妙さ。
かなりエグい描写もあるのですが、金原さんの文体はどこかラップにも感じるリズミカルさがあるため、ユーモアをあります。
もう一度最初から読み直そうかな。
Posted by ブクログ
(読んでる途中の感想)
この本にストーリーはない。
人々の心情描写があるのみだ。
もちろん、話は前に進んでいく。
でも、結局はそれも人々が経験した思いをかたっているだけであり、事実として進んでいくわけではない。
テーマは「時代とともに変化する価値観」なのかなと思った。
その時代、その文化の中にいれば生贄だってするかもしれない。
いまの価値観が絶対正しいとか、あの頃はよかった、ではなく、変化する価値観を受け入れろって話かと。
(読み終わった感想)
面白い、というと語弊があるが、面白かった。
続きが読みたいと思った。
それはなぜか?なぜだろう。
この人がなにを考えているかを知りたい、この人が何者なのかを知りたい、この人がどういう結末を辿るのかを知りたい、そんな好奇心が煽られる作品だった。
辛い描写は多いから人は選びそう。
でもみんなに読んでほしい。感想を言い合いたい。
素晴らしい小説だったからこそ、自分の感想の表現力のなさがしんどい。以上。
Posted by ブクログ
ミーツザ・ワールドの時も思ったけど、金原さんの文章って癖があんまりなくて綺麗、だけどめっちゃ力強い感じ。こういう世界を文章化できる稀有な人。
ラッパー金原ひとみって朝井リョウが言ってたのがよくわかる
性描写は結構グロかった
Posted by ブクログ
編集者、小説家、引きこもりの女子大生、高校生…それぞれの立場から。
ハラスメントの数々や暴力、突き動かされる怒りや愛の形。
人の怒りや思いが別々の方向へ向かって行く。同じ世界の住人でありながら、それぞれに戦っている。
何だか…繋がることも、壊れることも一瞬で、
という事があるんだなぁ。
あの様な最期を迎えたけれどとても真摯で共感できた。
すごい小説を読んでしまった!
という感想。2度読みです。敢えてとばしたページもあったけど。
Posted by ブクログ
2020年代になって急激な時代変化を自分自身の価値観と社会をサバイブ(生き抜く、生き残る)していくことが求められていると考える。
人間それぞれに価値観や考え方があって、作中登場人物も1人1人の価値観や考えが全く違う。
時代の変化で苦しむ者や今を生きる常識に苦しむ者。
改めて、人は分かり合えない。
だが、人をわかり合おうとすることはできると思った。
特に、長岡友梨奈の性被害者に対する思いには感化させられる。
性被害に遭って声もあげれず自殺する者、方や性被害を受け流す者。こうした内容がある中で現代でも性犯罪の認知件数と検挙件数の乖離が生まれるのは、被害者が損をする現代社会の総図である。
「こんなふうに生きるくらいなら死んだ方がいいなと思う境界線がとんでもなく下がってしまった」
この文の中で、小中高生の自殺が年々と上がっていることから考えられる死の境界線が下がったという言葉は、変わりゆく現代をサバイブしていかなくてはならない。
Posted by ブクログ
こんな本が出てくる時代に生まれてよかったと思う。オーディブルで一気聞きした。
価値観のアップデートができてない人から終わり。
完全に共感できる人は1人もいないんだけど、自分にもこういう感覚はあるよなって思ったし、自分の中にはある程度思想だったり正義があるんだけど、振りかざして暴走して身近な大事な人を傷つけないようにはしないといけないよねと思った。
Posted by ブクログ
時代の最先端を走っていた20代が終わり30代になった今、徐々に徐々に、搾取する側の人間になっていくことが怖い。
私は価値観をアップデートし続けられるか?「私は理解できている」画面の下で古いOSが稼働してないか?
30代という絶妙な立ち位置の居心地の悪さを最大限に引き出してくれた(褒め言葉)。
なのでもっと若い頃に読んでいたら人生が変わっていたかもしれないと思った。
2025年に書かれたことに意味があるとわかりつつも、この物語を5〜10年前、20代のうちに読めていたら今よりもっと敏感に、繊細に物事を感じられるようになっていたかもしれない。
YouTubeのTBS CROSS DIG with Bloombergで金原ひとみさんと竹下さんの動画が上がっているので気になる人はぜひみてほしい…
Posted by ブクログ
#YABUNONAKA
#金原ひとみ
#朝井リョウ さんと#辻村深月 さんが対談の中で触れていたので読んでみたよ。
登場人物には、共感や反感を感じたり、考え方が異次元だと感じたり、たくさんの人が出てきて、作者の人間洞察力に畏怖すら覚える。これまでも内容に衝撃を受けた作品はあったけれど、本作は自分の生き方の方向を少し変えた気がする。
問題作という呼び方があまりに矮小に聞こえる作品。
#読書好きな人と繋がりたい
#YABUNONAKAーヤブノナカー
Posted by ブクログ
2025!な本だった。各登場人物の視点で描かれる性被害の内容は、どれも納得感があって、そりゃそうだよなと思ってしまった。本当に悪気があってやったこと以外に、本当に100%自分が悪いことなんてないのかもと。自分の言い分が介入することなんて当たり前で、その言い分も、相手がこうしたからこうと少しの言い訳をひっくるめて行動してるんだもの。どの言い分と真っ当に感じて、自分が気持ち悪くなったりも。立場を変えるだけで納得できてしまって、所詮自分も相手も人なんだなと、社会の様相や価値観が少しずつ変わってもそれについていける人といけない人、そしてその価値観が入り混じった状態がずっと続くのだもの、と。なんだか言葉にできないけれど、この圧倒的に言葉で価値観を表してくれるのが小説で、皆が言葉に持つようになったせいでぐちゃぐちゃになった世界が2025だと思う。大変粗雑で複雑だ。でも時代の変化があるときは、こんなふうになるのかもしれない。
p.33 あ、とスマホの通知に反応して溢れた言葉に一哉がうん?と反応する。付き合い始めて七年近くなる彼の、こういう丁寧なところが好きだ。彼は私の感情や意思を取りこぼさない。取りこ
ほされ続けてきた感情と意思が彼によって掬われるたび、私は胸の中でポップコーンのように小さな何かが爆ぜるのを感じてきた。彼が私の小さな変化や態度に気づくたび、私は自分が隅々まで感知され、正確に回収されることに歓喜する。それは私がずっと恋愛で得られなかった種類の喜びだった。
一哉は何か言いたそうだったけれど、私は気づかない振りをした。彼は私の意思を取りこぼさないのに、私はたまにこうして不誠実に彼の意思を無視する。もちろんいつもじゃない。今だけだ。今は都合が悪い。そうやって自分や他人に、嘘ではないからと言い訳をしながら嘘の一歩手前のようなことを言い、自分からも人からも用されない、いや、自分からも人からもどうでもいい存在として認識されていくのかもしれない。漠然と思いながら、「一旦アク取ろっか」と何かを割り切るように提案する。そうだねと丁寧にお玉でアクを掬った一哉は、エビの殻入れがなかったねと言いながらキッチンに立つ。他に何かいるものある?と聞かれ、麻辣のミル持ってきてと答えるとふふっと笑う声がした。
p.59
プライドが傷ついている人は、扱いを間違えると大変なことになる。繊細に、丁重に扱わなければ一転して他罰的になり、こちらに火の粉が降りかかる可能性もある。
p.80 笑えるし、YouTubeもよく見てます」
文化的素養のない人と日常会話をすることはよくある。美容師や、家族や親戚、大学時代からの親友の飛人もそうだ。俺は逆張りでもなんでもなく、こういう人たちを見ると「いいなあ」と思う。反知性主義とすら言えない、知性を嫌悪することすら考えない、ただ何も考えない人、例えばジャンプとかを読んで皆と「まじ泣けるよな!」と騒いだり、イエニスト茂吉の YouTube
を見て「ためになるから見てみ!」と本気で友達に勧めたりできるような人だ。一ミリたりともなりたいとは思わないが、「いいなあ」と思う。憧れとも違う。ただ漠然と「いいなあ」なのだ。
もしかしたらただ単に、他に感想が浮かばないだけかもしれないが。
p.76 いつ何時も、どの時代に於いても、金払いの悪い男は嫌われる。俺よりも収入が多かった昔の彼女は、たいていどこの食事代も進んで出してくれていたのに、別れ話を切り出した途端設しい
罵倒を繰り広げ、「いつも金なさすぎなんだよデートの日はデート代くらい下ろしてこい!毎回会計の時になって金がないとかこすいんだよお前!」と吐き捨て俺をレストランに一人置いていった。まだメインが出ていなかったため、その場にいた全ての客に「こすいやつwww」と思われながら一人食事を終え、ようやくお会計をしようとすると彼女が先に支払ったと知らされた。
あれは、自分が人生で目にした中で最もインパクトの強いアイロニーだった。お連れ様にお支払い頂いてますと言われ、一瞬ぽかんとして事態を飲み込んだ瞬間、すでに充分痛んでいた胸が突如落ちてきた巨大な砲丸に潰されたように染み渡った水っぽい痛みを覚えている。あの時メインが出てきて、しっかり食べ終えるまであの店に居座った自分の図太さとケチさ加減の競演を思うと泣きそうになる。
それ以来、ほとんどの店で俺は女性に奢り続けている。この間出してもらったから今度は私が、と付き合っている彼女に言われても、心の奥底では俺をこすいと思っているのではないか、本当は俺が「いいよいいよ」と財布を出すことを期待しているのでは、と考え、「いいよいいよ」と財布を出してしまう。そしてそうすれば女性たちは必ず「え、いいの?」と引き下がるのだ。まあ平均ではあるものの生年収は男の方が高いし、大手出版社勤務だし、と自分を納得させてはいるが、結局のところ俺は「こすいんだよお前!」の呪いにかかってしまったのだ。
正直、自分は個人主義の立場をとっていて、基本的には全てのお金を折半したいし、自分が興味ないことやりたくないこと、例えばバーベキューだったり遊園地だったりナイトプールだったりにお金を払いたくはない。行くことになればお金は出すが、本当は全く割りきれない思いでいる。正直にこの愚痴を言ったら、担当作家の長岡さんに「五松さんが付き合えば付き合うほど不幸な女性が増えるだけだから、恋愛やめたほうがいいと思いますよ。まあ五松さんには女を不幸にさせる程の魅力もないから大丈夫かもですけど」と笑われた。あまりにサラッと軽い口調で言われ、周囲がドッとウケていたから苦笑いで流したけど、時間が経てば経つほど思い出した時の怒りが増していく。男だったら分かってくれるだろうと、担当作家の七村さんに同じことを言ったら、「五松くんは誰かにお金や愛情を分け与えられるほど満たされてないんだろうね。まあ、どれだけ満たされてても与える器がない奴もいるけどね」と同情された。確かにそうなのかもしれなかった。自分は昔から、自分のものは自分のもの。で、お菓子もおもちゃも分け与えることができなかった。僕の!僕の!というのが口癖だったと、親に今も笑われる。お母さんお父さん、僕はいまだに僕のお金を女性に使うことにモヤモヤしてしまいます。それでもこすい奴と思われるのは嫌だから、いつもお金を払っています。課金もしています。でもどこかで「払ってやってる」という意識が働いてしまい、彼女達が自分に優しさや体で接待するのが当然だという思いを捨てきれません。自分が現代に於けるマッチョ的害悪であるという自覚はしています。でも自覚以上の境地にはまだ立てていません。
「牡蠣、三種食べ比べにしましょうか。五松さんは食べたいものは?」「最近野菜が足りてないから、この十五品目サラダ頼もうかな」
九八〇円也を選択する。十五品目で九八〇ということは、一品目あたり約六五円。ひよこ豆や…
p.85 ネトフリは趣味のない引きこもり予備軍が家に閉じこもるもっともらしい免罪符を与えてしまった気がしてならない。昔は「休みの日は家でネトフリ観てます」と言うとちょっと意識高い系の印象を持ったが、今は同じことを言う奴がただの趣味のない陰キャに見える。木戸さんみたいになりたくない、そう思いながらLINEをぐるぐるしてみるけれど、いつも誘われる側の自分が誘ったらなんか変な意味が生じてしまうかもと考える自分が面倒臭くなって、結局スマホをしまって、なんとなく手持ち無沙汰でコンビニで氷結を買い、飲みながら電車に乗った。
p.129 も彼もまた、私に搾取されていたと感じていたのかもしれません。自分はお金をかけた、時間をかけた、労力をかけた、と。ですが人は好意を持つ相手との関係には、その三つを自然にかけるものです。かけたものを「かけた」と相手に発言するかどうかで、その人の人としての器が測られるのだと思います。ですが、私が彼との関係にかけたのは、肉体であり若さです。お金、時間、労力と、肉体や若さはそもそもの性質が違うのではないかと思います。しかも私のそれらは、無自覚に搾取されたものです。愚かな若い女、と笑う人がたくさんいるであろうことは重々承知です。ですが、私はあの時、誰かに馬鹿にされるようなことを、笑われるようなことをしたとは、どうしても思えません。彼は私の窮状に、敢えてつけ込んできたとしか思えないのです。
そして唾液を飲ませることに性的快楽を抱けなくなった途端、雑な扱いをしてポイ捨てした。人を使い捨てにする社会と同じです。
p.165 彼女が煙草を吸いに外に出た時、課長がさっきはごめんねと謝ってきて、君の彼女は何か体の問題を抱えてるのかと聞いた。すぐに真意を察して「いや、彼女はただ、共感能力が僕の百倍くらい高いんです」と言うと、なるほど大変だね、とまるで病人を介護する人に言葉をかけるテンションで言った。いつの時代も、正しさや現代らしさは、病的なものと捉えられるのかもしれない。SDGS、環境保護、動物愛護、LGBTQ+、あらゆる運動の最先端にいる人たちが病的に見えるという意見も分からなくはない。それでも、気づいてしまった人、見えている人は、もう前に進むしかないのだろう。でも彼女は、共感しながら俯瞰していて、実際はどこにも本気で所属してはいないのだけど。そう思いながら、俺は課長の子供がピアノ教室に通い始めたというアルマジロの生態くらい興味のない話に一定間隔でへえ、と声を上げ続けた。
彼女がそうして周囲の人を凍りつかせた場面を、俺は他に何度も目撃してきた。「女なら一度は出産するべき」「あなたたちは顔が綺麗だからたくさん子供を作ったほうがいい」「ゲイには敷居を跨がせない」などなどの発言をした人に対する人格批判だ。彼女の言っていることはまともで、誰よりもまともで、誰も反論の余地はないだろう。でもその無自覚な相手を徹底的に論破しゴミクズに鋭く唾を吐き捨てるかの如き冷酷さは、見る者を不安にさせる。彼女は差別主義者、セクハラパワハラをする人、固定観念に捕われている人々を許さない。俺であっても伽耶ちゃんであっても誰であっても、そのような発言をしたら徹底的に、生まれてきたことを後悔させるほど強烈に叩きのめすだろう。もう脳震盪を起こして伸び切ったゴム人形みたいになった相手をいつまでも左右から殴り続けているかのような、そんなボコボコ感が、俺には耐えられないのだ。
もういいんだ殴らなくていいんだと、彼女を抱きしめたくなる。人がボコボコにされるのは、言葉によってでも、肉体によってでも見ていて辛い。でもきっと彼女は言うだろう。ボコボコにされたのは私の方だ。傷ついているのも私の方だ。あいつらは何一つ傷ついてない。でもそうじゃないと俺は思う。彼らもまた、彼女の思うような形でなくとも、それなりには傷ついているはずなのだ。そしてこれは口にはしないけど、俺もまた彼女が誰かをけちょんけちょんに魅めている時、ガラスの破片を踏みつけたような痛みを感じる。彼女の痛みに共鳴しているのか、それとも彼女にけちょんけちょんにされている人の痛みに共鳴しているのか、それとも二人がぶつかって
飛び散ったガラスを答んでいるだけなのか分からない。それでも誰にも露呈しない痛みではあるけど、俺の痛みもまた本物で、その痛みが彼女にとって取るに足らない痛みであると言う事実のまた、俺にとっては小さな苦痛だった。
p.188 ハラスメント講習会は、正直これがハラスメントになるということを教わらないとわからない人たちがいるのかという絶望の勉強にはなったなという内容で、紹介された参考にするべきサイトや相談窓口もその後見てみたけど、正直だから何って感じのサイトばっかりで、だから何って感じの感想しかなかった。
ハラスメント被害者の講演会は、途中で苦しくなって見るのを止めた。落ち着いてから見ようと思っていたけど、気がついたらアーカイブも期限を過ぎてしまっていた。私の弱さはこういうところなんだろうか。でも誰だって人の苦しかった話、誰かを強烈に恨んだ、憎んだ話なんて聞きたくないんじゃないだろうか。知るべき、考えるべき、学ぶべき、こうするべき、こうしない
べき、お母さんはいつもそういうことを言っていて、その「べき」の重さに、私はずっと不感を持ってきた。人が生きる上で、「べき」なんて一つもないはずだ。そんなのは、彼らの個人的な、あるいは組織的な美意識でしかない。私は全ての「べき」から自由でありたい。もし「ベき」を設けるのであればそれは自分にとってのみの「べき」、自分以外の人には一切当てはめない「べき」にしたい。お母さんは「べき」があまりに重すぎ、強すぎることを知らないし、「ベき」を使わない人間は念のない風見鶏だとでも言いたげに批判する。私の念は、そういう言
念じゃないんだ。あなたには念に見えないような脆弱なそれこそが、私の言念なんだ。それだけなのに、私の念が脆弱すぎるせいか伝わらない。
p.235 てよかった。
「お母さんて、どんな人?」
「うーん、理詰めの人。それで自分自身が理にがんじがらめになって、どうしようもなくなってる人。私も人のこと言えないけど、なんであんな面倒臭い人生を送ってるんだろうって思う。私は無性愛者だから、そもそも有性愛者の人たち皆ちょっと面倒くさそうって思ってる節もあるんだけどね」
「それは、無性有性関係ないんじゃない?性がないから単純でいられるってことでもないでし
よ?」
「まあ、確かに。でもなんか、猫って毛玉吐くの大変そうだなーとか思う感じ。本人にとっては普通のことなんだろうけど、私はそもそも毛繕い文化共有してないから、なんでそんなことするんだろ、絶対もっと合理的なやり方あるよね?って思っちゃうんだけどみたいな。まあ越山くんのいう通り、逆にそっちから見たら何でそんな生き方すんのめんどくさそー、って思われるんだろうけどね」
p.260 だ。それでも二年の引きこもりの後遺症は多少なりともあって、疲れやすいのに自分の疲れに無自覚だから、五コマや六コマ立て続けに授業を受けるとどっと倒れて半日くらい何もできなくなってしまったり、人と長時間話していると酸素が足りなくなってしまうのか、楽しくてもっと話したいのに息切れして目眩がしてきたり、あと笑えたのは二年間足の裏がふわふわだったのが外に出始めた瞬間からどっと硬くなったことだ。あのふわふわな足は多分、歩き始める前の赤ちゃんと引きこもりにしか手に入らないものなのだ、というトリビアをツイートしたら久しぶりにちょっとバズってなんかウケた。
p.270 あの子のお母さんが私のお母さんだったらという想像をしてみる。なかなかうまく想像できなくて、じゃあ私がレイプされて自殺したらという想像をしてみる。お母さんは発狂するだろう。お母さんは、不当なものが許せない人だからだ。え、それおかしくない?みたいなことが発生すると真っ先に声を上げ、おかしいことが是正されなければ所構わず相手を糾弾する。相手がおかしい主張や制度を撤回するまで、延々爛れた肌に容赦なく鞭を振るうように糾弾するのだ。それこそ、鞭を振るう彼女自身が壊れてしまうのではないかというほどに。撤回されるまで、彼女はまともな生活を送れない。結論を先延ばしにされようものなら、夜も眠れず「おかしい」で頭をいっぱいにさせ、犬が自分の尻尾を追いかけ回すようなループに入る。休学期間が二年までと決まっているところを、大学側に責任があるのだからと休学期間を延ばすよう要求した時もそうだった。私の娘の心はこの大学の教授に壊されたんです。うちの娘だけではありません。あらゆる子供達の夢が、幸福であったはずの大学生活が、安全が、大学が雇った教授によって奪われたんですよ。それで心を病んだ子供を休学二年までだからこれ以上休むなら退学処分、なんておかしいですよね?お母さんはそう主張し続け、すぐに弁護士に依頼して認められなければ訴訟を視野に入れると書面を提出、あっけなく休学期間延長の許可をもらった。今改めて思う。お母さんは、自分の思い通りにならない世界が息苦しくてつらすぎるから、小説を書いているんじゃないか。自分の思い通りになるフィクションを求めているんじゃないか。だとしたら、お母さんの主戦場はフィクションで、彼女にとっての現実は、余興的なものでしかないのかもしれない。だからこそ、あんな風に何にも忖度せず、自分の正しさに突き進めるのではないだろうか。そこで生きていく以外の選択肢がない人があんな風に戦えるとは、到底思えない。憂鬱と憂鬱をかけて、憂鬱と言う答えを出すような思考を繰り広げてしまった、そう思いながら、私はを大学の最寄り駅に到着した。電車から足を踏み出した。
Posted by ブクログ
久々に出会った傑作!こうやって一つの流れを色んな人の視点で見た時、愚かなもんでその人の感情や物語で語られた途端、なんだかスッとその思想のロジックに納得して共感してしまう。みんな可哀想だし、みんな気持ち悪かった。
真実はひとつではないって言うけれど、本当にそう。そりゃあ生まれ持ったステータスが、生きてきた年数が、時代が、獲得してきた情報が全く違うのに、世界の見え方が同じなはずがない。そんな中で、どれだけ違う他者への共感が求められるのだろう。
男女とか生まれ持ったどうしようもない違いに対しては必須?少なくともその違いを持って他者を侵害することは許されないよね。
時代によって形成された違いは?アップデートの必要はあるけど、情状酌量の余地あり的な?
特にそれぞれで違うのは、「何に怒りを持つのか」「何に絶望するのか」だよなと思った。楽しいこと、楽なことって強弱はあれ基本一緒なのにね。
だからこそ、怒りや絶望への共感ってメッチャむずいよなーー。でもその感情の本質を心から理解できないからといって、その人と通じ合っていないというわけではないのではないか。そもそも無理なんだから。そもそも無理、違うものって分かった上で、尊重することが大事なのかな。
ちなみに読み始めは、ゆりなとかずやの関係性が私たち夫婦すぎてビビった。でも周り最近多い、今っぽい。私も自意識と自尊心高いし、他人に求めることも多いし、その割にそんな自分や環境を俯瞰みる(笑)ことが得意だと思ってるし
あそこまで沸点低くないと思ってたけど、案外当事者になると、怒りも簡単に湧きそう。
あとはもうどんだけ読んでも金原先生だから裏切られることはないという自信で1000Pと思えないくらい秒で読んだ。
Posted by ブクログ
登場人物の視点を移しながら、ストーリーも進めていてとても上手いと思った。最後の章をリコにしたのも。誰が主人公とかないって金原さんは言うかもしれないけれど、私は長岡さんが圧倒的に主人公だと思った。でもきっと長岡さん視点で全てのストーリーを進めたら、息が詰まって読み切れる人が限られてしまうから色んな人を出していったのが多分上手いんだと思う。弱い女の役割を一度は求めてしまった自分とか、動けなくてクソみたいな存在から不可避で影響を受けてしまって出来上がった今の自分とか、世間とずっとずれてしまった自分のこととか、色んな怒りとか、愛情とか。
若者や五松あたりの言葉は私には到底かけないから金原さんの世界は広いなと思った。
木戸のように、アプデートに戸惑う人をたくさん知っているけれど、私はその気持ちの当事者ではないとはっきり感じた。金原さんのインタビュー対話で、本人かインタビュワーが木戸に共感する女性も多いって言っていたけれど、本当にそこまで男性社会内在化してしまったような女の人って多いのか、マジか?と不安になった。
救いたい、守りたい、守れるような強い人になって、無垢でしなやかで新しい人たちを守りたい、私もそう思う。
Posted by ブクログ
幼い子どもを除き、一方的な被害者や搾取だけされる存在はいないのではないかと思わされる。
それぐらいこの社会の中で関係性は混沌としていて、受け取る主体、受け取り方によって真実は無数に生まれる。女性として生きていれば多くの人が覚えのある犯罪にもならないからかいや脅し。それを「悪気はなかった」ですませる加害者たち。笑って済ませるしかなかった時代、なのに笑って済ませてきたから加害はなくならないとさらに責められる。誰がどうやっても加害も搾取もなくならないという絶望。まさに藪の中。
若い世代をこれからの希望として願い話は終わりを迎えるが、その若い世代にもうっすら気持ち悪さを感じてしまう私は搾取する側なのかもしれない。村田沙耶香作品に出てくるクリーンな人達、それが搾取も性加害もない世界には必要に思えてきて怖い。
メインテーマにあげずとも女性作家たちの作品の奥底に流れ続ける搾取や性加害への闘いを思い浮かべた
Posted by ブクログ
文学業界の話
語り手が次々替わり、ひとつ事にも見え方が異なり
言い分も違う
発端となるのは、作家志望のだった30歳の女性が、10年前に受けた性的搾取の加害者を、ネットで実名告発したこと
告発されたのは、50代大手出版社の文芸誌、元編集長、木戸悠介
2度の離婚で、ひとり暮らし
作家として登場するのは、長岡友梨奈42歳
娘、夫とは別居中
20歳の娘は2年間引きこもり中
離婚したいが応じてくれない夫と娘は2人暮らし
友梨奈は、愛する娘との関係もうまくゆかず、分かり合えずに苦しむ
社会の出来事に対する憤りで気分が悪くなる事は確かに有る
しかし友梨奈の「正義感」はあまりに強烈すぎて、本人も抑えが効かず、辛いストレスだらけの中で生きているのだろう
友梨奈の担当編集者 五松武夫
付き合う女性にはパワハラ、セクハラ満載で
手ひどくネット告発される
五松の視点で、特に気になったのは
p394
50代以上の人には特有のスマホ慣れてなさ を感じる
ちょっとした指遣いなんだろが、猿が機械持たされているような不自然さで、惨めだ!
世の中を、女性をナメているとんでもない男
全528ページ
1ページの中に描き込まれている内容が濃すぎて
じっくり向き合わないと、理解が追いつかない
ザッーとよ読むのはもったいなくてずいぶん時間がかかって読み終えた
自分では気づかず相手を傷つける事はあるだろう
むずかしい!
Posted by ブクログ
ある性加害事件を皮切りに様々な年代、性別、立場の人物達が巻き込まれる群像劇。人々はなぜこれほどまでに傷つけられ、怒りを抱えているのに連帯できないのだろう。どのような人であってもその内面には様々な側面を持っており、決して自分では自分自身の姿を目にすることはできない。様々な声が飛び交い、身動きをするだけで棘が肉を抉り出す現代社会の中で、私たちは時に流され、切り拓きながらサバイブしてゆくしかない。
Posted by ブクログ
金原ひとみさんの集大成であり、怒りや叫びが詰まっているような作品でした。
かなり筆致に勢いがあって、金原ひとみさんならではの鋭い言い回しに不思議とスッキリしたり、そ思わぬ展開が待っていて驚かされたりと感情がめちゃくちゃになりながら読みました。
Posted by ブクログ
五松武夫がその辺をウロウロしているかと思うと気持ち悪い。思考も行動も最悪。
しばらくは、どこかに五松武夫が潜んでないか疑心暗鬼になってしまいそう。
正義も度が過ぎるとしんどいな。
と思っていたら、まさかの展開で驚き。
かやちゃん、どうしてる?
中年の虚無。
救いはあるんか?
どうしよう。
YABUNONAKA読めて、万感の思いです。
Posted by ブクログ
あ〜好き…♡
怒涛のように押し寄せる登場人物たちの感情に
飲み込まれながら…
どこで息継ぎするかを忘れるくらい…
夢中で読んだ!!
性加害にあったとネットで
告発をした者の視点だけじゃなく
加害者とされる側が
その時代に観て感じてきた想いも
しっかりと描かれていて…
若者から見る中年の見え方や
中年になった時に
その当時の自分を振り返る描写など…
おのおのの想いが伝わららないことで生じる
誤解やねじれがあることを痛感させられる!!
怖いくらい激烈に性搾取について語られる
正義感たっぷりなシーンは…
文字もビッシリで…
息苦しさを感じるほどだった!!
きっと…それも計算した上で
金原さんは描かれたのだろうな〜と
思いを馳せました
答えの出ない
強烈なメッセージを置いていく作品は…
やっぱり読んだ後の 充足感が半端ない!!
かなり体力をつかう読書だったけど…笑
これからも金原さんの作品は
追いかけていきたいと思いました♡
Posted by ブクログ
物語のテーマが個人的には苦手ではあったけど、物事にはいろんな角度が存在するということを改めて気付かされた。その人の物語の時はその人に共感できるのに、違う人の視点から語られるとさっき共感してた人が何故か悪人に見えてしまう。でもみんな嘘ついてるわけではないし、間違ってもいない。まるでトリックアートのようで、人間関係って上手く行くのが奇跡なんじゃないかとも思った。自分は周りの人、芸能人のあの人をどの角度から見てるのだろう。そんなことを考えながら読み進めた。
Posted by ブクログ
YABUNONAKA 金原ひとみ
繋がりが増えると無関係だった戦いの場と繋がる。
繋がりそして知ることで絶望し、また乗り越える術を見つける旅に出る。どこに答えが分からないけど。
まさにYABUNONAKA。
Posted by ブクログ
性被害や、時代の移り変わりをテーマに描かれる群像劇。
章ごとにそれぞれの立場で描かれるのだが、
全然モノゴト捉え方とかが違って面白い。
それこそYABUNONAKAである。
また、文芸の世界や、編集者の世界が描かれておりリアリティを感じた。
色んな絶望のなか、
最後にみえた小さな希望もあった。
重たかったが、読み応えのある作品だった。
Posted by ブクログ
お前はどう思うの?
読んでいるあいだ、ずっとそう問いかけられているような、高圧的な気配を感じた。それは小説の内容だけじゃなく、言葉遣いや文章のリズム、漢字の使い方からも伝わってくるし、中でも自分にとっては、改行の少なさが大きかった。視界に飛び込んでくる文字の量だけで、圧がすごい。笑 こんな表現もあるんだなぁ。(金原ひとみ小説初めてだったけど、いつもこんな感じなんだろうか。
章立ては登場人物の名前になっていて、それぞれの視点で物語が進んでいくけれど、時間軸は一直線。多重視点で描かれているから、それぞれに対して、共感や軽蔑、同情や憤り、その他いろんな感情を抱いて、読んでいて複雑な気持ちになる。
だけど、読み終えて思うのは、この小説の主人公は小説家として登場する長岡友梨奈であって、それは、長岡友梨奈があたかもこの小説を書いたかのように思わされるからかな?と考えたり。
Posted by ブクログ
これほどまでに物事を多面的に捉えることの大事さを感じさせる小説はなかった!章が変わって話し手が変わるたびにそっちの味方をしてしまっていた自分がいた。
Posted by ブクログ
Audibleにて。
各章ごとに、一人の登場人物視点で物語が進んでいく作品。
共感できない人も数人居たけど、その時の登場人物の立場に立って見ていくと『この人は悪くない』みたいになって、章が変われば『えっ!あの人めっちゃ自分勝手じゃん』みたいになって(笑)
他人の思想や考えに配慮するって難しいなーと思った。とりあえず、長岡さんと別居中の旦那さんとの会話はイライラしました。笑
Posted by ブクログ
芥川の「藪の中」の手法で書かれた有吉佐和子さんの「悪女について」があまりに好きすぎて、この本が雑誌でおすすめされてるのを見かけて同じ匂いを嗅ぎ取り、条件反射で購入した。
様々な世代の男女の、恋愛や性愛だけじゃなくて仕事や人生、世の中の捉え方を含めるあらゆる考え方を覗けて、本当に面白かった。
毎日暇さえあれば眺めているXで、最近、「男、特に中年男性は存在だけですでにほんのり害悪」という雰囲気、風潮のようなものを感じ取ることがよくある。極端な例で言うと、電車でおじさんの隣、または女の子の隣のどちらも空いてたら、ほとんどの人が女の子の隣を選ぶ、みたいな。おじさんは足を広げて座るし、不機嫌をあらわにするし、ぶつかっても謝ってこないし生理的に色々無理だから、というようなことが理由だったりする。
この本はその部分を拡大して、いろんな人の視点から1人の中年男性と、彼の過去の恋愛沙汰を、俎板に上げて考えていくというのが大筋だ、と思う。
でも、読み進めていくとその中年男性の実情や心のうち、さらには自省なども知ることができて、なぜこんなに女が偉いみたいな世の中になっているんだろう?驕りすぎてない?ってちょっと反省できた。
というか長岡友梨奈がほんとにいけすかなくてイライラしたー!
最初は自分と同じ、育児丸投げの夫に愛想尽かして絶望して誰の助けもなかったんだーめちゃ共感!夫みたいな考え方するおっさん大っ嫌い!わかるー!って思っていたけど、いやコイツ違うやん、コイツ自身が育児丸投げして男と暮らしてるんやん男女逆転したらようあるやつやん、って気付いて、どんな正論を垂れようとなに抜かしとんねんとしか思えない事態になってしまった。
イライラすると同時に、友梨奈の生活が羨ましいと思っている自分にも気付いたりしてしまった。
最後は衝撃の展開で一気読みだった。
若者世代の考え方に救いを見出せるラストなのもよかった。また読み返したい。けど2ヶ月以上かかっちゃったー。読書ペースが落ちている、ちょっと危惧しないと。
Posted by ブクログ
昔は許されていたことで最近では許容されなくなっていることがあるのはなんとなくわかっていた。夫とも「最近はなんでもハラスメントになるから」という会話をしたことが何度かある。
その価値観のアップデート、それによって明確になるそれぞれの立ち位置など気付かされることがたくさんあった。
私自身は割と鈍感な方だけれど、繊細な心の持ち主には生きづらい世の中だろう。
Posted by ブクログ
物語終盤になるにつれ長岡友梨奈の
非排他主義者による排他的思考が激化する。
本質的に娘の同級生の死が引き金になったわけではないんだろうけど、なにが彼女をそうさせたのか。
・長岡友梨奈とかずやの関係への持たれるであろう疑問を彼女がどう考えているのか
・そもそも長岡友梨奈とかずやの出会いの詳細
・遺産を渡された娘の現在
この辺がすごく気になってしまった
最後の展開は集中できた、、多分読み終えて期間が開いてからようやくちゃんと感想が湧き出てくるはず。
Posted by ブクログ
いろんな意味で気持ち悪さを感じる一冊だった。
性加害の告発を題材にしており、告発する女性、告発される男性、そしてそれらの出来事に影響を受ける周囲の人々、誰もが「ここまで歪んでるのか」と思うほど過激に描かれている。感情や思考の描写が細かく、ところどころ共感できる部分もあるが、全体としては行き過ぎていて、読んでいて混乱するほどだった。
一方で、私が知らないだけで、現実にはこうした狂気じみた人間模様が存在するのかもしれないと思うと、今の社会そのものに吐き気を覚える。もちろん、男性が女性への扱いを改めるべきという主張は理解できる。実際、私もかなり気をつけている部分は大きい。しかし個人の感情や正義感に乗っ取られているような人々の姿にも、別の歪みを感じた。
また、正義感の強すぎる長岡に寄り添う存在として、イケイケな高校生の少年が描かれている点も奇妙だった。まるで「今の若くて綺麗な男性こそフェミニストの味方だ」と言いたげで、その構図にも妙な不快感があった。そうしたメッセージ性にも、女性特有のいやらしさのようなものが透けて見える気がする。
読後感は気持ち悪いが、だからこそ印象には強く残る。ただ、人に勧めたいかと言われると、正直ためらう一冊だった。