あらすじ
文芸業界の性、権力、暴力、愛。戦慄の長篇
性加害の告発が開けたパンドラの箱――
MeToo運動、マッチングアプリ、SNS……世界の急激な変化の中で溺れもがく人間たち。対立の果てに救いは訪れるのか?
「わかりあえないこと」のその先を描く、日本文学の最高到達点。
「変わりゆく世界を、共にサバイブしよう。」――金原ひとみ
文芸誌「叢雲(むらくも)」元編集長の木戸悠介、その息子で高校生の越山恵斗、編集部員の五松、五松が担当する小説家の長岡友梨奈、その恋人、別居中の夫、引きこもりの娘。ある女性がかつて木戸から性的搾取をされていたとネットで告発したことをきっかけに、加害者、被害者、その家族や周囲の日常が絡みあい、うねり、予想もつかないクライマックスへ――。
性、権力、暴力、愛が渦巻く現代社会を描ききる、著者史上最長、圧巻の1000枚。
『蛇にピアス』から22年、金原ひとみの集大成にして最高傑作!
感情タグBEST3
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金原ひとみはなんでこんなに、色んな世代の視点や立場を描けるんだろう、作家の観察眼て怖いわぁ。
ひとつの事案に対して、関わる人それぞれに解釈がある。当たり前なんだけど、何が正解なんだかわからなくなる、まさに真相は藪の中。
友梨奈は私と同世代なんだけど、この人もまた癖強い。フェミニストぽい事言うくせに、この人もしも男に生まれてたらめちゃくちゃマチズモ思想持ってそうだよな。
娘に対する態度ひどいしな。正しいことを言う時は控えめにする方がいい。って祝婚歌でも言ってるやつよね、それ一哉がたしなめてて、ほんとにいい彼氏だなーと。一哉が10代の頃から付き合ってたって、マジで木戸さんとは状況は違えど、紙一重よ。
そしてまさかの友梨奈が英雄になって死ぬ
祭りあげられる
この展開にはびっくり。
そして、木戸さんよね、世の中の50代男性に木戸さんはけっこういるんだろうな。
2度の離婚
うだつの上がらない仕事
マンションのローン
子供の養育費
妹の治療費
母親の老人施設費
と、各方面への支払いを強いられATM化している
文学インポと呼ばれる
からの性加害告発
自分の生きる意味も見失い、自殺を図る描写がすごい。実際こんな感じで死んでいく人、本当にいると思える。
きゃーー、もう後半は木戸さんを救いたいって気持ちにさせられたわ。
最後リコが全部いいとこ持ってゆく。
Posted by ブクログ
相変わらずわけわからん金原ひとみさん。
久々の長編だったが、飽きずに読み終えた。時間はかかったけど。
最後どうなったのかな?と思う登場人物もいたけど。
なぜこんなにも、世代の違う登場人物をうまく引き出せるのか?
才能やばい。
自分がこれから歳を取っていく中で、どこかで加害者にならないか…。
もはや加害者になっていて、これから告発されるのか…。
ありえないけど、絶対ないとは言えない。そんな想像をさせてしまう。
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生きていく上で誰しも加害性を持ち合わせて生きてるよなと思った。老若男女さまざまな年代の視点で描かれていて、すごく良かった。
長岡友梨奈のあの暴力的な正義感は読んでて辛いところもあるけど、現代で働く女性としては理解できる部分が多かった。
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長編小説を読むときには、脳内キャスティングすると読みやすいよと三宅香帆さんが言ってたから設定したけど、そんなのいらないくらい面白かった。
木戸悠介 光石研
越山恵斗 奥平大兼
五松武夫 仲野太賀
優美 河合優実
橋山美津 安藤サクラ
長岡友梨奈 木村佳乃
横山一哉 横浜流星
安住伽耶 永野芽郁
安住克己 長谷川博己
こうしてみると、まあまあ字面にひっぱられてるね。
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自戒と、価値観の絶え間ない更新への決意、及びそれでも時代観から乖離していくことの恐怖に震える。
どんな時代、世相になろうとも後世が良心を持ち続けて生けられることを切に願う。
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長岡友梨奈に1番考え方が近いかなと思った。世界は一人一人の意識でできていて、だからその1人である自分が正しく生きていなければいけない。そうでない人がいるとなぜ世界のためにそんなことをするのかと悩み勝手に苦しむ。
何も考えいない人は価値がないと思ってしまうけれども、それが社会をうまく生きていく方法なのかもしれないし、一度は戦おうとしたけど自分の力ではどうにもならないことを知って、賢く諦めたのかもしれない。
女性が仕事と家庭を両立し、仕事を片手間のようにするようになったから、仕事を全力でするのはダサいという風習が生まれた。職場という共同体にすがることしかできない人にとっては社会に属す場所がないように感じる事態なのに。
Posted by ブクログ
しばらく放心状態になるくらい、ストーリーの締めくくりは突然だった。(電子書籍で読んだから、紙と違って進捗状況が手にとってわからなかったせいもある)
明確な落とし所もなく、はっきり結論を出さないところが良かった。というのも、ストーリーの主軸となる出来事について、それを巡る人々の意見・主張・真実は十人十色であり、結論を提示しないことがよりリアルに感じだからである。
この小説がどんなものか、知らない人に紹介するのは難しい。読後の感想も、自分ではっきりと言語化できない。
だけどこの本を読んだ後、自分が誰かの被害者になること、加害者になることについて自覚的になることは難しいと感じた。
物事を多面的に考えることの難しさ、残酷さ、生きづらさを感じた。
性被害・性加害が関わった人へ与える影響が、如何にアンコントラブルであるかを知った。
如何に言葉を尽くして相手と関わったとしても、わかりあえないパーソナルな価値観・背景があることを知った。
「じゃあどうすればよかったんだ」と地団駄を踏む出来事によって、容赦なく自分の人生が変わっていく恐ろしさを知った。
読後に多くの感想が思い浮かぶこと、それこそがこの作品の面白さであり、おすすめしたい理由である。
あと、一つ。
この小説が進む大きな軸となっている【性加害】【性被害】の出来事。この文字面だけを見ればセンセーショナルな告発・報道・バッシングなどの展開が想起され、フェミニズム・ミソジニー・マッチョイズム・バックラッシュ・ハラスメント・コプライアンス・LGBTQなど、昨今の新しい基準と古い基準との対比・対立や男性女性の分断といったテーマが提示されるかと思いきや、それだけではない。
全ての登場人物には、現代を生きることへの苦悩・悲哀・絶望の通底した感情がある。それは性別・年齢・職業・ジェンダーに関わらず、誰しもが抱き、その感情を一時でも他人と共有する体験は、時に個人を狂わせてしまうほど耽美的であると提示している。
Posted by ブクログ
読み終わった後の、
なんとも言えないズーンっとした感情。
胸糞と思う人もきっといる。
フェミニズム、性、DV色々な「ギリギリのライン」の話。
登場人物全員の視点から話が進んでいく。
ある物事に対する見方が人によって180度異なると言うことを、本でリアルに体感できる。
登場人物全員が絶妙に狂ってて
絶妙に共感できないのに
絶妙に共感できたりもする。
なぜ面白いのかわからないのに面白いのが不思議。
それは多分この全てのギリギリ感なんだと思う。
ハマるハマらないが別れそうだけど、
私はめっちゃ好き。
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①むむむ、難しい⋯長岡さんのセリフが⋯私は頭の回転が遅いから、会話をしたら長岡さんに見下されるんだろうな、と、苦手意識を抱きながら読んだ。社会問題に強い憤りを持ち、怯まず世間にそれを訴える。恋人や家族という最も親しい人とへの熱量と、被害者やマイノリティ等の不利益を被っている人たちへの熱量が同じで、そういう人たちを助けることに労力を惜しまない。その必死さがなんだか痛々しくなってきて、憧れや尊敬と同時に、疎ましさの感情も沸き起こる。私は横山さん寄りの人間だけど、長岡さんのような人とは付き合いたくはないな⋯と。遠くで、あの人スゲーと言ってるくらいがちょうどいい。
②長岡さんがムエタイに惹かれ、五松に肘鉄をお見舞いし、老害的加害者に蹴りを入れ⋯というのは、作家としてどんなに言葉を尽くしても社会は変えられず、もっと分かりやすい、身体的なもの、暴力的なものに頼るしかなかった、やりきれなさみたいなものを感じた。皮肉なことに、暴力によって、確実に一人を救うことはできたけど、その救いは一時的なものであるかもしれないし、彼女の死によって恋人や家族は苦しむわけで⋯
③表のテーマは性暴力で、今まで隠蔽されていたこの問題自体がさらに明るみに出ていくべき。それは完全に同意。時代が変化していく中で、良いとされる価値観も変わり、今OKとかセーフとされていることがNGとかアウトになっていくわけで、それについていけない人が老害と呼ばれてしまうのかな、でもそれって自分も高確率でなりうる(あるいはなってる)な、と恐怖を感じる。アプデって、簡単ではない。そう思うと、デフォルトマンにも共感できるかも。
④しかし、金原ひとみ氏はすごい。登場人物ひとりひとりの心情を、それがあたかも自分自身が実際に感じたことがあるように書けるなんて。複数の人格が憑依したみたい。
⑤また読み直して、この物語をしっかりと理解したい。たぶん著書が伝えたいことを半分も理解できてないから。
Posted by ブクログ
30代になり、体力が落ちてきたり、若い世代の話題についていけなくなったことで、今までは全く意識していなかった「中年危機」という言葉が気になるようになってきた。
本の終盤である登場人物がある登場人物を
「あなたは時代を体現していて、だからこそこれからどうなっていくのが楽しみです」とった言葉で表現したのがとても印象的だった。僕らは生きてきた時代を体現していて、その時に染み付いてしまったものが、時代の変わりめ、常識が変化するタイミングで害と判断されて、SNSの発展も相まった罰せられる時代を生きていることを自覚しないといけないと思った。
常に自分の行動原理はどこからきているのかと問い、無思考で行動しないことが求められる、とてもしんどい時代を生きているなと思う。
クローズドで失敗が許容される場が必要だなと思うが、その場に敬意と配慮、ある程度の秩序がないと維持は難しいのだろうなとも。
Posted by ブクログ
途中から長岡友梨奈に自分を重ねていた。彼女は理不尽にあふれる社会に怒っているから。私も常に同じように社会に怒りを抱えて生きているから。
友梨奈は怒って怒って怒っている。ペンの力から実力へ。この世の理不尽とペンで闘っても正義は果たされない無力感。
セクハラ編集者や「ぶつかりおじさん」男性と闘うことになる経緯は私には痛切に伝わる。
40歳を過ぎたからこそ、ただ嘆くだけではなく、次の世代のために目に見える形で闘いたくなる。友梨奈のように破滅的に闘うことはできないけれど。
友梨奈の死後の木戸の気力復活は理解できていないので再読したい。
最後に出てくるリコちゃんは救い。
Posted by ブクログ
面白すぎて連続して2周読みました!!
年齢、性別、ジェンダーなど、様々な立場の人からの視点で、とある性被害告発事件を描いた物語。
こう書くと最近ありがちなテーマと思われがちですが、そこは金原さんの作品らしく、パンチがありすぎるキャラクター達によって刺激的な小説になっています。
どのキャラも、現実にいそうで、でも小説で客観視すると「うっ」となる要素があり。かつ、自分の中にもこういう考えあるかも、、、。と思わせてくれる絶妙さ。
かなりエグい描写もあるのですが、金原さんの文体はどこかラップにも感じるリズミカルさがあるため、ユーモアをあります。
もう一度最初から読み直そうかな。
Posted by ブクログ
(読んでる途中の感想)
この本にストーリーはない。
人々の心情描写があるのみだ。
もちろん、話は前に進んでいく。
でも、結局はそれも人々が経験した思いをかたっているだけであり、事実として進んでいくわけではない。
テーマは「時代とともに変化する価値観」なのかなと思った。
その時代、その文化の中にいれば生贄だってするかもしれない。
いまの価値観が絶対正しいとか、あの頃はよかった、ではなく、変化する価値観を受け入れろって話かと。
(読み終わった感想)
面白い、というと語弊があるが、面白かった。
続きが読みたいと思った。
それはなぜか?なぜだろう。
この人がなにを考えているかを知りたい、この人が何者なのかを知りたい、この人がどういう結末を辿るのかを知りたい、そんな好奇心が煽られる作品だった。
辛い描写は多いから人は選びそう。
でもみんなに読んでほしい。感想を言い合いたい。
素晴らしい小説だったからこそ、自分の感想の表現力のなさがしんどい。以上。
Posted by ブクログ
ミーツザ・ワールドの時も思ったけど、金原さんの文章って癖があんまりなくて綺麗、だけどめっちゃ力強い感じ。こういう世界を文章化できる稀有な人。
ラッパー金原ひとみって朝井リョウが言ってたのがよくわかる
性描写は結構グロかった
Posted by ブクログ
Audibleにて。
積読チャンネルにて紹介されて知った。
目まぐるしく変わる視点に振り落とされそうになりながらも、それぞれの言葉の立場で紡がれるおどろおどろしい心の内側は、ずっと怖いもの見たさを刺激し、消して短くはないが最後まで引っ張られた。
この語り口は芥川龍之介の藪の中をオマージュしているんだとおもうのだが、登場人物が多く、オーディオブックとの噛み合わせはあまりよくなかった。事前に積読チャンネルであらすじを知っていなければ、ついていけなかったとおもう。
40代男の自分は、元文芸雑誌編集長で、裏で文芸インポと揶揄されている木戸悠介に、一番心を重ねてしまうが、いかんせん辛すぎる。。。(他の登場人物もにたりよったりだが)もっとも刺さったのは、40になってからは、新しく感じることがなくなって、すべてこれまでの経験の中で類似したものに分類するようになった。そのときに自分は死んだ。というくだり。家族が離れていき、打ち込んできた仕事では自分の感性の限界にぶつかり、折り合いをつけながら生きていくなかで、新しい経験がないがただ生物学的には生きている、という状況が、ほんとうにちょっとしたことでそうなっていたかもしれない、これからそうなるかもしれない、とリアルに感じさせられた。
Posted by ブクログ
編集者、小説家、引きこもりの女子大生、高校生…それぞれの立場から。
ハラスメントの数々や暴力、突き動かされる怒りや愛の形。
人の怒りや思いが別々の方向へ向かって行く。同じ世界の住人でありながら、それぞれに戦っている。
何だか…繋がることも、壊れることも一瞬で、
という事があるんだなぁ。
あの様な最期を迎えたけれどとても真摯で共感できた。
すごい小説を読んでしまった!
という感想。2度読みです。敢えてとばしたページもあったけど。
Posted by ブクログ
2020年代になって急激な時代変化を自分自身の価値観と社会をサバイブ(生き抜く、生き残る)していくことが求められていると考える。
人間それぞれに価値観や考え方があって、作中登場人物も1人1人の価値観や考えが全く違う。
時代の変化で苦しむ者や今を生きる常識に苦しむ者。
改めて、人は分かり合えない。
だが、人をわかり合おうとすることはできると思った。
特に、長岡友梨奈の性被害者に対する思いには感化させられる。
性被害に遭って声もあげれず自殺する者、方や性被害を受け流す者。こうした内容がある中で現代でも性犯罪の認知件数と検挙件数の乖離が生まれるのは、被害者が損をする現代社会の総図である。
「こんなふうに生きるくらいなら死んだ方がいいなと思う境界線がとんでもなく下がってしまった」
この文の中で、小中高生の自殺が年々と上がっていることから考えられる死の境界線が下がったという言葉は、変わりゆく現代をサバイブしていかなくてはならない。
Posted by ブクログ
2025!な本だった。各登場人物の視点で描かれる性被害の内容は、どれも納得感があって、そりゃそうだよなと思ってしまった。本当に悪気があってやったこと以外に、本当に100%自分が悪いことなんてないのかもと。自分の言い分が介入することなんて当たり前で、その言い分も、相手がこうしたからこうと少しの言い訳をひっくるめて行動してるんだもの。どの言い分と真っ当に感じて、自分が気持ち悪くなったりも。立場を変えるだけで納得できてしまって、所詮自分も相手も人なんだなと、社会の様相や価値観が少しずつ変わってもそれについていける人といけない人、そしてその価値観が入り混じった状態がずっと続くのだもの、と。なんだか言葉にできないけれど、この圧倒的に言葉で価値観を表してくれるのが小説で、皆が言葉に持つようになったせいでぐちゃぐちゃになった世界が2025だと思う。大変粗雑で複雑だ。でも時代の変化があるときは、こんなふうになるのかもしれない。
p.33 あ、とスマホの通知に反応して溢れた言葉に一哉がうん?と反応する。付き合い始めて七年近くなる彼の、こういう丁寧なところが好きだ。彼は私の感情や意思を取りこぼさない。取りこ
ほされ続けてきた感情と意思が彼によって掬われるたび、私は胸の中でポップコーンのように小さな何かが爆ぜるのを感じてきた。彼が私の小さな変化や態度に気づくたび、私は自分が隅々まで感知され、正確に回収されることに歓喜する。それは私がずっと恋愛で得られなかった種類の喜びだった。
一哉は何か言いたそうだったけれど、私は気づかない振りをした。彼は私の意思を取りこぼさないのに、私はたまにこうして不誠実に彼の意思を無視する。もちろんいつもじゃない。今だけだ。今は都合が悪い。そうやって自分や他人に、嘘ではないからと言い訳をしながら嘘の一歩手前のようなことを言い、自分からも人からも用されない、いや、自分からも人からもどうでもいい存在として認識されていくのかもしれない。漠然と思いながら、「一旦アク取ろっか」と何かを割り切るように提案する。そうだねと丁寧にお玉でアクを掬った一哉は、エビの殻入れがなかったねと言いながらキッチンに立つ。他に何かいるものある?と聞かれ、麻辣のミル持ってきてと答えるとふふっと笑う声がした。
p.59
プライドが傷ついている人は、扱いを間違えると大変なことになる。繊細に、丁重に扱わなければ一転して他罰的になり、こちらに火の粉が降りかかる可能性もある。
p.80 笑えるし、YouTubeもよく見てます」
文化的素養のない人と日常会話をすることはよくある。美容師や、家族や親戚、大学時代からの親友の飛人もそうだ。俺は逆張りでもなんでもなく、こういう人たちを見ると「いいなあ」と思う。反知性主義とすら言えない、知性を嫌悪することすら考えない、ただ何も考えない人、例えばジャンプとかを読んで皆と「まじ泣けるよな!」と騒いだり、イエニスト茂吉の YouTube
を見て「ためになるから見てみ!」と本気で友達に勧めたりできるような人だ。一ミリたりともなりたいとは思わないが、「いいなあ」と思う。憧れとも違う。ただ漠然と「いいなあ」なのだ。
もしかしたらただ単に、他に感想が浮かばないだけかもしれないが。
p.76 いつ何時も、どの時代に於いても、金払いの悪い男は嫌われる。俺よりも収入が多かった昔の彼女は、たいていどこの食事代も進んで出してくれていたのに、別れ話を切り出した途端設しい
罵倒を繰り広げ、「いつも金なさすぎなんだよデートの日はデート代くらい下ろしてこい!毎回会計の時になって金がないとかこすいんだよお前!」と吐き捨て俺をレストランに一人置いていった。まだメインが出ていなかったため、その場にいた全ての客に「こすいやつwww」と思われながら一人食事を終え、ようやくお会計をしようとすると彼女が先に支払ったと知らされた。
あれは、自分が人生で目にした中で最もインパクトの強いアイロニーだった。お連れ様にお支払い頂いてますと言われ、一瞬ぽかんとして事態を飲み込んだ瞬間、すでに充分痛んでいた胸が突如落ちてきた巨大な砲丸に潰されたように染み渡った水っぽい痛みを覚えている。あの時メインが出てきて、しっかり食べ終えるまであの店に居座った自分の図太さとケチさ加減の競演を思うと泣きそうになる。
それ以来、ほとんどの店で俺は女性に奢り続けている。この間出してもらったから今度は私が、と付き合っている彼女に言われても、心の奥底では俺をこすいと思っているのではないか、本当は俺が「いいよいいよ」と財布を出すことを期待しているのでは、と考え、「いいよいいよ」と財布を出してしまう。そしてそうすれば女性たちは必ず「え、いいの?」と引き下がるのだ。まあ平均ではあるものの生年収は男の方が高いし、大手出版社勤務だし、と自分を納得させてはいるが、結局のところ俺は「こすいんだよお前!」の呪いにかかってしまったのだ。
正直、自分は個人主義の立場をとっていて、基本的には全てのお金を折半したいし、自分が興味ないことやりたくないこと、例えばバーベキューだったり遊園地だったりナイトプールだったりにお金を払いたくはない。行くことになればお金は出すが、本当は全く割りきれない思いでいる。正直にこの愚痴を言ったら、担当作家の長岡さんに「五松さんが付き合えば付き合うほど不幸な女性が増えるだけだから、恋愛やめたほうがいいと思いますよ。まあ五松さんには女を不幸にさせる程の魅力もないから大丈夫かもですけど」と笑われた。あまりにサラッと軽い口調で言われ、周囲がドッとウケていたから苦笑いで流したけど、時間が経てば経つほど思い出した時の怒りが増していく。男だったら分かってくれるだろうと、担当作家の七村さんに同じことを言ったら、「五松くんは誰かにお金や愛情を分け与えられるほど満たされてないんだろうね。まあ、どれだけ満たされてても与える器がない奴もいるけどね」と同情された。確かにそうなのかもしれなかった。自分は昔から、自分のものは自分のもの。で、お菓子もおもちゃも分け与えることができなかった。僕の!僕の!というのが口癖だったと、親に今も笑われる。お母さんお父さん、僕はいまだに僕のお金を女性に使うことにモヤモヤしてしまいます。それでもこすい奴と思われるのは嫌だから、いつもお金を払っています。課金もしています。でもどこかで「払ってやってる」という意識が働いてしまい、彼女達が自分に優しさや体で接待するのが当然だという思いを捨てきれません。自分が現代に於けるマッチョ的害悪であるという自覚はしています。でも自覚以上の境地にはまだ立てていません。
「牡蠣、三種食べ比べにしましょうか。五松さんは食べたいものは?」「最近野菜が足りてないから、この十五品目サラダ頼もうかな」
九八〇円也を選択する。十五品目で九八〇ということは、一品目あたり約六五円。ひよこ豆や…
p.85 ネトフリは趣味のない引きこもり予備軍が家に閉じこもるもっともらしい免罪符を与えてしまった気がしてならない。昔は「休みの日は家でネトフリ観てます」と言うとちょっと意識高い系の印象を持ったが、今は同じことを言う奴がただの趣味のない陰キャに見える。木戸さんみたいになりたくない、そう思いながらLINEをぐるぐるしてみるけれど、いつも誘われる側の自分が誘ったらなんか変な意味が生じてしまうかもと考える自分が面倒臭くなって、結局スマホをしまって、なんとなく手持ち無沙汰でコンビニで氷結を買い、飲みながら電車に乗った。
p.129 も彼もまた、私に搾取されていたと感じていたのかもしれません。自分はお金をかけた、時間をかけた、労力をかけた、と。ですが人は好意を持つ相手との関係には、その三つを自然にかけるものです。かけたものを「かけた」と相手に発言するかどうかで、その人の人としての器が測られるのだと思います。ですが、私が彼との関係にかけたのは、肉体であり若さです。お金、時間、労力と、肉体や若さはそもそもの性質が違うのではないかと思います。しかも私のそれらは、無自覚に搾取されたものです。愚かな若い女、と笑う人がたくさんいるであろうことは重々承知です。ですが、私はあの時、誰かに馬鹿にされるようなことを、笑われるようなことをしたとは、どうしても思えません。彼は私の窮状に、敢えてつけ込んできたとしか思えないのです。
そして唾液を飲ませることに性的快楽を抱けなくなった途端、雑な扱いをしてポイ捨てした。人を使い捨てにする社会と同じです。
p.165 彼女が煙草を吸いに外に出た時、課長がさっきはごめんねと謝ってきて、君の彼女は何か体の問題を抱えてるのかと聞いた。すぐに真意を察して「いや、彼女はただ、共感能力が僕の百倍くらい高いんです」と言うと、なるほど大変だね、とまるで病人を介護する人に言葉をかけるテンションで言った。いつの時代も、正しさや現代らしさは、病的なものと捉えられるのかもしれない。SDGS、環境保護、動物愛護、LGBTQ+、あらゆる運動の最先端にいる人たちが病的に見えるという意見も分からなくはない。それでも、気づいてしまった人、見えている人は、もう前に進むしかないのだろう。でも彼女は、共感しながら俯瞰していて、実際はどこにも本気で所属してはいないのだけど。そう思いながら、俺は課長の子供がピアノ教室に通い始めたというアルマジロの生態くらい興味のない話に一定間隔でへえ、と声を上げ続けた。
彼女がそうして周囲の人を凍りつかせた場面を、俺は他に何度も目撃してきた。「女なら一度は出産するべき」「あなたたちは顔が綺麗だからたくさん子供を作ったほうがいい」「ゲイには敷居を跨がせない」などなどの発言をした人に対する人格批判だ。彼女の言っていることはまともで、誰よりもまともで、誰も反論の余地はないだろう。でもその無自覚な相手を徹底的に論破しゴミクズに鋭く唾を吐き捨てるかの如き冷酷さは、見る者を不安にさせる。彼女は差別主義者、セクハラパワハラをする人、固定観念に捕われている人々を許さない。俺であっても伽耶ちゃんであっても誰であっても、そのような発言をしたら徹底的に、生まれてきたことを後悔させるほど強烈に叩きのめすだろう。もう脳震盪を起こして伸び切ったゴム人形みたいになった相手をいつまでも左右から殴り続けているかのような、そんなボコボコ感が、俺には耐えられないのだ。
もういいんだ殴らなくていいんだと、彼女を抱きしめたくなる。人がボコボコにされるのは、言葉によってでも、肉体によってでも見ていて辛い。でもきっと彼女は言うだろう。ボコボコにされたのは私の方だ。傷ついているのも私の方だ。あいつらは何一つ傷ついてない。でもそうじゃないと俺は思う。彼らもまた、彼女の思うような形でなくとも、それなりには傷ついているはずなのだ。そしてこれは口にはしないけど、俺もまた彼女が誰かをけちょんけちょんに魅めている時、ガラスの破片を踏みつけたような痛みを感じる。彼女の痛みに共鳴しているのか、それとも彼女にけちょんけちょんにされている人の痛みに共鳴しているのか、それとも二人がぶつかって
飛び散ったガラスを答んでいるだけなのか分からない。それでも誰にも露呈しない痛みではあるけど、俺の痛みもまた本物で、その痛みが彼女にとって取るに足らない痛みであると言う事実のまた、俺にとっては小さな苦痛だった。
p.188 ハラスメント講習会は、正直これがハラスメントになるということを教わらないとわからない人たちがいるのかという絶望の勉強にはなったなという内容で、紹介された参考にするべきサイトや相談窓口もその後見てみたけど、正直だから何って感じのサイトばっかりで、だから何って感じの感想しかなかった。
ハラスメント被害者の講演会は、途中で苦しくなって見るのを止めた。落ち着いてから見ようと思っていたけど、気がついたらアーカイブも期限を過ぎてしまっていた。私の弱さはこういうところなんだろうか。でも誰だって人の苦しかった話、誰かを強烈に恨んだ、憎んだ話なんて聞きたくないんじゃないだろうか。知るべき、考えるべき、学ぶべき、こうするべき、こうしない
べき、お母さんはいつもそういうことを言っていて、その「べき」の重さに、私はずっと不感を持ってきた。人が生きる上で、「べき」なんて一つもないはずだ。そんなのは、彼らの個人的な、あるいは組織的な美意識でしかない。私は全ての「べき」から自由でありたい。もし「ベき」を設けるのであればそれは自分にとってのみの「べき」、自分以外の人には一切当てはめない「べき」にしたい。お母さんは「べき」があまりに重すぎ、強すぎることを知らないし、「ベき」を使わない人間は念のない風見鶏だとでも言いたげに批判する。私の念は、そういう言
念じゃないんだ。あなたには念に見えないような脆弱なそれこそが、私の言念なんだ。それだけなのに、私の念が脆弱すぎるせいか伝わらない。
p.235 てよかった。
「お母さんて、どんな人?」
「うーん、理詰めの人。それで自分自身が理にがんじがらめになって、どうしようもなくなってる人。私も人のこと言えないけど、なんであんな面倒臭い人生を送ってるんだろうって思う。私は無性愛者だから、そもそも有性愛者の人たち皆ちょっと面倒くさそうって思ってる節もあるんだけどね」
「それは、無性有性関係ないんじゃない?性がないから単純でいられるってことでもないでし
よ?」
「まあ、確かに。でもなんか、猫って毛玉吐くの大変そうだなーとか思う感じ。本人にとっては普通のことなんだろうけど、私はそもそも毛繕い文化共有してないから、なんでそんなことするんだろ、絶対もっと合理的なやり方あるよね?って思っちゃうんだけどみたいな。まあ越山くんのいう通り、逆にそっちから見たら何でそんな生き方すんのめんどくさそー、って思われるんだろうけどね」
p.260 だ。それでも二年の引きこもりの後遺症は多少なりともあって、疲れやすいのに自分の疲れに無自覚だから、五コマや六コマ立て続けに授業を受けるとどっと倒れて半日くらい何もできなくなってしまったり、人と長時間話していると酸素が足りなくなってしまうのか、楽しくてもっと話したいのに息切れして目眩がしてきたり、あと笑えたのは二年間足の裏がふわふわだったのが外に出始めた瞬間からどっと硬くなったことだ。あのふわふわな足は多分、歩き始める前の赤ちゃんと引きこもりにしか手に入らないものなのだ、というトリビアをツイートしたら久しぶりにちょっとバズってなんかウケた。
p.270 あの子のお母さんが私のお母さんだったらという想像をしてみる。なかなかうまく想像できなくて、じゃあ私がレイプされて自殺したらという想像をしてみる。お母さんは発狂するだろう。お母さんは、不当なものが許せない人だからだ。え、それおかしくない?みたいなことが発生すると真っ先に声を上げ、おかしいことが是正されなければ所構わず相手を糾弾する。相手がおかしい主張や制度を撤回するまで、延々爛れた肌に容赦なく鞭を振るうように糾弾するのだ。それこそ、鞭を振るう彼女自身が壊れてしまうのではないかというほどに。撤回されるまで、彼女はまともな生活を送れない。結論を先延ばしにされようものなら、夜も眠れず「おかしい」で頭をいっぱいにさせ、犬が自分の尻尾を追いかけ回すようなループに入る。休学期間が二年までと決まっているところを、大学側に責任があるのだからと休学期間を延ばすよう要求した時もそうだった。私の娘の心はこの大学の教授に壊されたんです。うちの娘だけではありません。あらゆる子供達の夢が、幸福であったはずの大学生活が、安全が、大学が雇った教授によって奪われたんですよ。それで心を病んだ子供を休学二年までだからこれ以上休むなら退学処分、なんておかしいですよね?お母さんはそう主張し続け、すぐに弁護士に依頼して認められなければ訴訟を視野に入れると書面を提出、あっけなく休学期間延長の許可をもらった。今改めて思う。お母さんは、自分の思い通りにならない世界が息苦しくてつらすぎるから、小説を書いているんじゃないか。自分の思い通りになるフィクションを求めているんじゃないか。だとしたら、お母さんの主戦場はフィクションで、彼女にとっての現実は、余興的なものでしかないのかもしれない。だからこそ、あんな風に何にも忖度せず、自分の正しさに突き進めるのではないだろうか。そこで生きていく以外の選択肢がない人があんな風に戦えるとは、到底思えない。憂鬱と憂鬱をかけて、憂鬱と言う答えを出すような思考を繰り広げてしまった、そう思いながら、私はを大学の最寄り駅に到着した。電車から足を踏み出した。
Posted by ブクログ
リアルタイムで起こっているようで目を背けずに対峙しなければいけないと改めて思わされました。
一人称の気持ちでここまで違いがあるのかと怖く感じる部分もありました。
Posted by ブクログ
これだけ分厚い本を、よくぞ熱量を途切れさせることなく書き切れるな、と思った。
文学的に怒りをぶつけられた、という印象が強い。
そして今作も非常に強烈な性描写。
正直、自分でも少し気分の悪くなるシーンもあり、耐えながら読んだことも否定しない。
突然のロス以降の怒涛の思考、言葉の濁流には、大きな快感を覚えた。
それこそ性的な快感に似たもの、と言っても過言ではないかもしれない。
Posted by ブクログ
本当に体力がいる本
現実世界でも、1つの事実に対して、複数の真実があるって言うことを思い知らされる本
みんなそれぞれ気持ち悪いし、みんなそれぞれ正しいって言う人間の見られたくないところとかドロドロしたところっていうのが如実に描写されていて、人間て怖いなって思う本
ある人物のことを語るときに、自分から見えている側面しか言えないので、安易にその人のことを語らないように気をつけることが大事だなと思った。
世間は物語を信じこんだり、作ったりすることが好きなので、ある事実と事実をつなぎ合わせて、そこにストーリーを見出して、それにのめり込んだり、一方的に人を批判したりだとか、そういうことが起こり得るって言うことを実感した。
友梨奈と言う人物がとっても怒りと言う感情に満ち満ちている人物で、怒りと言う感情を持つのはとっても体力が要ることだし、自分はすごく小説に影響されやすいので、この本を読んでいるときは、とても怒りと言う感情を抱きやすくなったのでとても疲れた。
著者の金原ひとみさんが、怒りのレベルが同じ人に出会えたときの喜びとは筆舌に尽くしがたいと言う趣旨のことをお話しされていて、自分はそれまで怒りと言う感情があんまりなかったけど、一緒に怒ってくれる人とか同じポイントで怒ってくれる人って言う存在が貴重なことなんだな。そして尊いことなんだなと思った。一方的に怒りと言う感情は良くないものだと決めつけていたけど、そういう強調的な部分もあると言うことを初めて知れた作品だったかもしれない。
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五松武夫がその辺をウロウロしているかと思うと気持ち悪い。思考も行動も最悪。
しばらくは、どこかに五松武夫が潜んでないか疑心暗鬼になってしまいそう。
正義も度が過ぎるとしんどいな。
と思っていたら、まさかの展開で驚き。
かやちゃん、どうしてる?
中年の虚無。
救いはあるんか?
どうしよう。
YABUNONAKA読めて、万感の思いです。
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あ〜好き…♡
怒涛のように押し寄せる登場人物たちの感情に
飲み込まれながら…
どこで息継ぎするかを忘れるくらい…
夢中で読んだ!!
性加害にあったとネットで
告発をした者の視点だけじゃなく
加害者とされる側が
その時代に観て感じてきた想いも
しっかりと描かれていて…
若者から見る中年の見え方や
中年になった時に
その当時の自分を振り返る描写など…
おのおのの想いが伝わららないことで生じる
誤解やねじれがあることを痛感させられる!!
怖いくらい激烈に性搾取について語られる
正義感たっぷりなシーンは…
文字もビッシリで…
息苦しさを感じるほどだった!!
きっと…それも計算した上で
金原さんは描かれたのだろうな〜と
思いを馳せました
答えの出ない
強烈なメッセージを置いていく作品は…
やっぱり読んだ後の 充足感が半端ない!!
かなり体力をつかう読書だったけど…笑
これからも金原さんの作品は
追いかけていきたいと思いました♡
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物語のテーマが個人的には苦手ではあったけど、物事にはいろんな角度が存在するということを改めて気付かされた。その人の物語の時はその人に共感できるのに、違う人の視点から語られるとさっき共感してた人が何故か悪人に見えてしまう。でもみんな嘘ついてるわけではないし、間違ってもいない。まるでトリックアートのようで、人間関係って上手く行くのが奇跡なんじゃないかとも思った。自分は周りの人、芸能人のあの人をどの角度から見てるのだろう。そんなことを考えながら読み進めた。
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YABUNONAKA 金原ひとみ
繋がりが増えると無関係だった戦いの場と繋がる。
繋がりそして知ることで絶望し、また乗り越える術を見つける旅に出る。どこに答えが分からないけど。
まさにYABUNONAKA。
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性被害や、時代の移り変わりをテーマに描かれる群像劇。
章ごとにそれぞれの立場で描かれるのだが、
全然モノゴト捉え方とかが違って面白い。
それこそYABUNONAKAである。
また、文芸の世界や、編集者の世界が描かれておりリアリティを感じた。
色んな絶望のなか、
最後にみえた小さな希望もあった。
重たかったが、読み応えのある作品だった。
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お前はどう思うの?
読んでいるあいだ、ずっとそう問いかけられているような、高圧的な気配を感じた。それは小説の内容だけじゃなく、言葉遣いや文章のリズム、漢字の使い方からも伝わってくるし、中でも自分にとっては、改行の少なさが大きかった。視界に飛び込んでくる文字の量だけで、圧がすごい。笑 こんな表現もあるんだなぁ。(金原ひとみ小説初めてだったけど、いつもこんな感じなんだろうか。
章立ては登場人物の名前になっていて、それぞれの視点で物語が進んでいくけれど、時間軸は一直線。多重視点で描かれているから、それぞれに対して、共感や軽蔑、同情や憤り、その他いろんな感情を抱いて、読んでいて複雑な気持ちになる。
だけど、読み終えて思うのは、この小説の主人公は小説家として登場する長岡友梨奈であって、それは、長岡友梨奈があたかもこの小説を書いたかのように思わされるからかな?と考えたり。
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これほどまでに物事を多面的に捉えることの大事さを感じさせる小説はなかった!章が変わって話し手が変わるたびにそっちの味方をしてしまっていた自分がいた。
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なかなかのボリュームで読むのにめちゃくちゃエネルギーを使った。
現実でも度々問題になる性加害とか性的搾取を題材にした作品である。
犯罪はもちろんダメだが、たとえ当時は当事者間で受け入れていたことであっても、今のモラルによって一方的にジャッジされ断罪される恐ろしい時代になったんだなとこの作品や昨今の報道等でも実感する。
こういった問題はセンシティブであるが故に行為の内容はともかく被害を訴える人の感情を第一に考慮しなければならないところに対処の難しさがあるのだろう。
大きな声では言えないが面倒くさい世の中になったなあと思いつつ、ハラスメント人間に認定されないためには感覚をアップデートし続けなければ
ならないのだとも思う。