加藤諦三のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
感情を出すといってどんなことを思い浮かべるだろうか。
嫌いなことは嫌いという、嫌なことは嫌という、好きなことは好きだという。
ただそんな小さなことを加藤諦三は話をしたいのではないのだ。
もっと根本の表層に現れる感情ではなく、その奥にある隠された感情についてこの本では話をしている。
自分自身の感情がどんな感情なのか、どのうなことが原因でこの感情が起こっているのか。
そういった内面の奥底から考えだしていき、その上でどのように感情をだしていくのか、不安な自分、怖い自分、弱い自分そんな自分を丸っと受け入れた上で感情をだしていい。
そんな奥深く考えるきっかけをくれる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ特に心に響くのは、「劣等感を克服しようとする努力が、かえってあなたを苦しめている」という逆転の視点。
劣等感は単なる自己嫌悪ではなく、“人生を地獄に追いやる力”を持つ深刻な心理構造であることを、著者は優しくも鋭く指摘します
加藤諦三氏は東京大学卒で元ハーバード大学研究員、現早稲田大学名誉教授という経歴を持ち、心理学的基盤と豊富な臨床経験にもとづいた説得力ある語り口が特徴。
『自分にうけいれ方』や『心の休ませ方』などのベストセラーにも通じる“自分の弱さとの折り合い方”を問うテーマは、本書でも健在です
劣等感や生きづらさに悩む多くの人にとって、自分を責めずに心の重荷を軽くする手がかりが満載。
人生相談の名手による“心のガイドブック”として、悩めるビジネスパーソンや若者だけでなく、あらゆる世代に寄り添う一冊といえるでしょう。 -
Posted by ブクログ
生きることがイヤになる人。
自分からしたいこともない、かといって何もしないでいるのも辛い。生きるのがイヤなのに対処法もわからない。食べたいものがない。見たいものもない。映画や演劇にも行きたくない。会いたい人もいない。でも家にいても退屈でやりきれない。
この人生には何かあるだろうと、一生懸命生きてきたのに気がついたら生きることに疲れていた。
まさにそう、と思って読み始めた。本の中で一貫して言っていることは、そんな自分を認めて、今はただ休んでいいんだよ、ってこと。
自分に刺さる内容が多くて、感情が揺さぶられた。時間をあけてまた読み返したい。
以下メモ
・誰かが自分を守ってくれた体験を持つ人は安心して生きていける。その経験のない人は、ただ生きているだけでエネルギーを消耗させる。
・小さいころ自分が甘えたい人(親)から甘えられた経験がある人も同上
(生成AI補足:親から甘えられる、親に愛情を搾取されるとは?感情を共有してもらえない、本音を言えない雰囲気、期待に応えないといけないと感じる)
・認めてもらいたいという欲求は心の底に憎しみを貯めていく
・生きることに疲れた=憎しみを抑圧するのに疲れた
・認められる、と、褒められる、は違う
・心に憎しみがあると、人を信じる、愛を信じることが難しい。
・疲れている人の風刺:デパートの前に開店前から(真面目に)並んでいれば、商品(幸せ)がもらえると思っている。後から来た人がお金を払って(人を信じること)で、商品(幸せ)を買っていることに気が付いていない。
・大人の幸せとは、自分の心の中で自分が広げていくもの。もらうものではない。
・一番大きなストレスは幼児的願望(認めてほしい)が満たされていないこと。
・休むことも生きること。
・休み方:好きな音楽を聴く、心の世界の歴史を書く、自分の心の憎しみの感情を認める。
最後に、、、普通の人は人の言うことをその場に応じて適当に解釈し、適当に対処する、って書かれていて「えっ、そうなの?」と驚き。言われた一言に悩んだり傷ついたりしたときには、相手は適当かもしれない、と思うのも良いかも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの本のが身に染みる話が多かった気がする。
創作の現場はこれに尽きるのでは。
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「同じて和せずの関係 人はどうして親しくなるか。それは自己開示するから。弱さを出せることが、親しいということである。 当たりがいい、愛想がいい、ということと、コミュニケーションができている、ということは違う。「愛想がいい」ということは「演じている」ことである。演技が無理になったところで挫折する。つまり、うつ病とか無気力とかノイローゼとかになる。 感じたことを表現できない。自分を出せない。嫌いだけど、嫌いと言えない。こういう場合、お互いに愛想がよくても親しくはない。 嫌いと言っても捨てられない、嫌なことを嫌と言っても関係が切れない。そう感じていることを親しいという。 捨てられる不安がない心理的な関係を「親しさ」と呼ぶ。 ホントのことを言っても相手は傷つかない。逆に相手が自分をけなしても自分のことを好きだと知っている。それが親しさ。 相手が何かを話している。その話題に関心がない。そのときに「私は関心がない」という顔をしながら聞けること。それが親しさ。 もちろん状況によっては、それは社会性がないということになる。 たとえば、「風邪だから休みたい」と上司に言えない。それは親しい関係ではない。頼まれたことを断れない。それは親しい関係ではない。 自由に議論しているとき、人は心がふれ合っている。 論語に、「君子は和して同ぜず」とあるが、それはふれ合っているということである。「小人は同じて和せず」とあるが、「執着性格者は同じて和せず」である。それは、迎合するけれど心がふれ合わない、ということである。 先に書いた「嫌いだけれども仲の良い関係」ということである。 同じ意見であることが、ふれ合うことではない。それは迎合タイプの従順にしかすぎないことがある。」