井上靖のレビュー一覧
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好きな本として挙げる人が多いので、手に取ってみた。あらすじによると、ひと昔前の地味目なお話のようで、どうして人気があるのか不思議だったけれど、読み終えてみると、やっぱり良かった。包容力のある時代とそこに生きる人々へのノスタルジーだろうか… 色々なハプニングはあるが、全体に静かな語り口で、読みながら、穏やかな懐かしいような気持ちになる。
書き出し(夕暮れどきに、しろばんばを追いかけながら戸外で遊びまわる子どもたちの情景描写)が美しい。大正時代の田舎の暮らしに自然と引き込まれていく。
人間描写が細やかで生き生きとしていて、会話もとても自然。子どもたちがやんちゃで、好奇心いっぱいで、繊細で、とても -
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クレマチスの丘にある井上靖文学館で観た10分ほどの映画がしろばんばと井上靖との出会いであった。600ページ弱の長編だがあっという間に読み終えた。作家の少年時代を読みやすく描いている。曾祖父の妾であるおぬい婆さんとの生活、村の子供達との触れ合い、両親や親せきの人達との関わりを通して洪作の成長していく姿、心の変化を表している。洪作の母は妹が生まれるとおぬい婆さんに洪作を預け、中学に上がるまで彼女と生活することになる。妾という存在であった彼女は本妻の家族の近くで暮らすことに肩身の狭い思いをしたと思うが、本来の負けん気で悪態をつきながらも礼儀や洪作に対する愛は本物であった。洪作は長ずるにつれ、明らかに
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平安末期から鎌倉初期、つまり院政期から武士の台頭、保元・平治の乱、平家全盛と没落から鎌倉幕府の時代、年代で言えば12世紀の日本の中央権力の有様を復習できる、またある程度わかっていないと読んでもなんのことかわからない。
院政の始まりの部分はいまいちわからない―中公文庫の「日本の歴史 6:武士の誕生」でわかった。道長から次の次の代ですでに院政の萌芽があったのだ。驕れる者は久しからず!
院政の権力自体にパワー的な無理があったから武士が台頭したのかな・・・たぶん。院政の守護者としての北面の武士。ということは道長の時代の武力はいかに存在していたのか、というテーマもまたある。
しかし、こうして歴史ものを -
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井上靖の本は学生時代によく読んだけど久しぶりに、未読のこの本を読んでみた。手持ちの本が掃けて読む本がなかったので息子の本棚にあったこれを手にした。
もっと子供っぽい内容かと思ったけど、全然そんな本ではなかった。あすなろ、がそういう意味とも知らなかった。
この時代を生きた男の幼少期から壮年期までを描いたもの。この頃の男子は誰しも一旗あげてやろうって思っていたんだろうな。そして、どの時代にも女性とのかかわりがあって、その様がとても印象的。これがテーマなのかな?
思いのほか良い本だった。古典というと大げさだけど、こういう定番の本もたまにはいいな、と思った。 -
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ネタバレ明日は檜になろうとする意志の象徴「あすなろ」
秀才肌の少年は、高校でやや落ちこぼれ、長じては平凡な新聞記者に。といっても、放蕩息子にはならない。
彼を取り巻く男女の「あすなろ」たちとの交流。未亡人にときめき、大胆な女たちに翻弄されそうにもなるが、決して危うい愛は渡らず、妻帯し、戦地も生き抜く。
面白みのない人生なのかもしれないが、周囲にそそぐまなざしの暖かさに好感がもてる。
いまの私小説にはもはやない爽やかさ。
克己を説いた大学生のでてくる、第一話が好き。
見上げた樹に教わるように、昔は身近な年上に人生を学んだもの。だからこそ、大人になるのが怖いとは思わなかったあろう。 -
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「わが母の記」には、著者が老耄の母への思いを記した「花の下」「月の光」「雪の面」の3編を収録しています。
著者には、『しろばんば』『夏草冬濤』『北の海』の自伝三部作があり、それらの作品のなかで著者の母は七重という名前で登場しています。おぬい婆さんと激しくやりあっていた気丈な著者の母が、若い頃へ向かって記憶を抹消していき、やがて著者の妹のもとで死を迎えるまでの叙述に、母に対する著者の静かな愛情が染みわたっているように感じました。
「墓地とえび芋」は、著者の作品のなかで個人的にもっとも好きなもののひとつです。京都の骨董屋に田黄の古印を買いに行った著者が、図らずも骨董屋の主人の葬式に参列すること