井上靖のレビュー一覧
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ネタバレ作中には、伊豆の景色や子どもたちの遊びなど、共通点のある光景が多く登場する。
小学生時代を伊豆で過ごしていた作者の記憶が、元になっているのだろうなと思った。
どの作品も視線が優しく、懐かしい感じがした。
田舎に住む少年の感情の動きが瑞々しく、私にとっては眩しさのようなものも感じた。
好きな作品ばかりだったが、特に好きだった作品の感想を書き留めておく。
『少年』
語り手は、自分が田舎の村の小学生だった頃を思い出していく。
村にやって来た都会の子どもたちへの憧れや羨ましさ、反抗的な気持ちを、否定せずに一つ一つ言葉にしていく姿に優しさを感じた。
息子たちを一ヶ月間田舎で生活させた際、東京で生まれ育った息子たちが、もしかしたら昔の自分と同じような感情を抱いているのかもしれない……と考える語り手は、彼らの姿から懐かしさや愛しさのようなものを感じているのだと思った。
眼差しが優しい作品だった。
『蜜柑畑』
孝次が抱いている兵太郎への感情が、複雑でとても良かった。
幾子が兵太郎と結婚した時に彼女への恋心を自覚したこと、それによる兵太郎への憎悪、それでも捨てきれない親しみ……。
それらが混ざり合って揺れ動いている孝次の感情は、不安定だが根っこの優しさのようなものを感じた。
『晩夏』
冒頭の夏の終わりの描写がとても好きだった。
風景がありありと想像でき、この時期特有の哀愁を感じさせられた。
避暑のために村へやって来たきぬ子への特別な感情が、夏の終わりとともに思い出になっていく様子がたまらなく切なく感じて良かった。
最後のシーンで、きぬ子が乗ったバスを追いかけて走る主人公たちの姿がとても眩しく、切なさをより強く感じた。
『投網』
巽辰吉に対する主人公の複雑な気持ちが、文章から表れていて大変良かった。
辰吉に恨みなどは持っていなかったが、投網をしている時の鋭く閃く彼の目を主人公はたまらなく嫌に感じており、似たような目の人物と会うと憎悪を抱き、自分自身もその目をしないよう努めていて、辰吉の存在、そして彼の鋭い目が、主人公の中に深く入り込んでいるのだと分かった。
嫌なものだと思っているのに考えるのをやめられない、それなのに辰吉の成功を聞くとほっとするような気持ちにもなる……。
それらの入り混じった感情を否定せず、懐かしがるような目で語られていたのも好みだった。
本の中で一番心に残っている作品。
『馬とばし』
記憶の中の景色を何度も思い出し、心の中で描くにつれて、それがより大きく、美しく、華やかに色づいていくということが、私たちにもあると思う。
今の自分の目で見たら「なんだ、こんなものだったのか」と思ってしまうような景色でも、思い出となって感情が乗ることで、変化し育っていく。
そういうことが作品の中で描かれていて、共感するとともにとても切なくなった。
とても好きな作品だった。
巻末付録の随筆『少年に与える言葉』も大変良かったので、ぜひ読んでもらいたい。 -
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鮎太が出会う人々みんなが鮎太という人をつくっていく。一人一人の存在が愛しく感じました。
あすは檜になろうと願うがなれない…。何がとは上手く言えないけどこの大きなテーマがやっぱり節々に見えて、切なく、優しい気持ちになりました。
この物語の登場人物たちはみんな何者かになろうとしていますが、鮎太が所々で言うように、そのもがく姿こそが"美しい”。
登場する女性たちみんなが輝いている!そんな人達が鮎太が一生抱えていくことになる寂しさとか愛しさとかそういうものを植え付けていく。良かった…。
鮎太を通して作者の人に対する愛をひしひしと感じることができる、とても心に染みる作品でした。
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教科書で読んだ名作。
文豪の時点的作品。幼少時代、軍医の父の赴任先でなく一人父の故郷、伊豆は下田街道沿いの湯ヶ島で曽祖父の妾のおぬい婆さんと土蔵で暮らす。
題名のしろばんばという白い虫を追いかける風景を始め、筆者の原風景と少年の成長が伊豆の景色景色と合わせて描かれる。
おぬい婆さんの死、少年は中学受験を控え故郷を離れ父母の赴任する浜松へ向かう。それは少年期の終わりでもある。
昔教科書で一部分は読んだことのある作品。おぬい婆さんに甘やかされながら少しずつ広がっていく世界、敬愛する姉のような存在の叔母の死、初恋など見事に描かれる。正に名作。
中年以降、人生の折り返し点を過ぎて読むとなおさらグッとくる作品のように思う。
さらに続編もあるので読んでみようと思う。 -
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井上さんの幼少期を描いたとして非常に有名な作品です。
大正時代の日常生活の様子が非常によくわかり、人と人との付き合い方が、主人公の洪作の目線、感情を通して描かれている部分が非常に興味深かったです。日常の一コマ一コマが描かれているのですが、洪作とおぬい婆さんの生活、やり取りが読み手を大正時代に引き込みます。あるいは、自分自身が幼少期だった頃の記憶へと導いていきます。
実際、自分自身も今は亡き大好きだった祖母を思い出しました。幼少期の夏休みに祖母の家で過ごしたこと、一緒に布団を並べて寝たことなど、大きな出来事ではなく、何でもない、ちょっとした祖母とのことを鮮明に思い出していました。 -
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ネタバレ63年も前の本。イギリスのボーイソプラノ合唱団Liberaが歌う「彼方の光」という美しい曲を今度演奏することになり、2006年のNHKドラマ「氷壁」の主題歌として作られた曲ということで、ドラマは観たことが無かったのでその原作はどんなだろうと興味を持って読んでみた。
山を愛する魚津と小坂という2人の男が中心となって話は進む。2人で雪山登山中にナイロン・ザイルが切れて滑落した小坂は亡くなってしまい、失意の中日常に戻った魚津は切れるはずのないナイロン・ザイルが何故切れたのかという追究を始める。行われた再現実験ではザイルは切れず、世間では2人の技術的な問題があったかどちらかが故意に切ったという憶測が広がる。雪解けシーズンを迎え遺体を収容してみると、ザイルは故意に切られたものではないということが分かった。ではなぜ切れたかということは判然としないまま夏になり、1人で事故後初めての登山をして、降りたところで事故後親しい仲になっていた小坂の妹かおると落ち合う計画を立てた。しかし予定を過ぎても魚津が姿を現す気配はなく、捜索したところ遭難して亡くなっていた。
登山用語など全然知らないので雰囲気で読み進めたところもあったけど、500頁超ずっと引き込まれるものがあった。ハッピーエンドではなく結局短期間のうちに2人も亡くなってしまうし、ザイルはなぜ切れたのか分からないままだし、物語に関わってくる2人の女性が握っているものもとても大きいのではと勘ぐらせる終わり方。「もしかして美那子がすべての厄の元なのでは?!」とか思ったり。そういうことや季節に応じた山の描写含め、とても想像力を掻きたてられる物語だった。63年も前の本だけあって、夫を立てる妻や男女の立場の描写などには流石に時代を感じた。
登場人物で一番いいなと思ったのは魚津の上司の常盤。豪胆だけど人を信じるということにおいて強靭な信念を持っている。無条件に自分を信じてくれる上司のもとで働けたのは魚津も幸せだっただろうと思う。 -
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米子市の「アジア博物館・井上靖記念館」を訪れた折、購入した本の内の一冊が「わが母の記」だった。「母」という存在は年齢を重ねれば重ねるほど大きく、そして、感謝の度合いも深まってくるものだ。その恩の最たる存在である「母」を井上靖はどんなふうに書き記しているのだろう、という思いから読み始めた。最初の方に父との最後の思いが書いてあったが、さもありなん、男同士というのは、そのようなものだろうということを感じ、自分も息子達からそのような思いを抱かれながら、この世を去っていくのだろうという思いを持った。
主題は「母」。「母」の脳が次第に壊れていくにつれ、記憶がどんどん消されていって、しまいに幼児、赤ちゃん化していく、そして、自分が産んだ子達さえ、その消去の中へ組み込まれていく。著者本人もしまいには「亡き者」にされてしまうが、その中であっても、淡々とした筆致の中に、母に対する著者の「母」への深い思いを感じた、というのも「母」の顔の表情やら行動の観察がとても細やかだったから。
現在の私には実母と義母の二人の母がおり、幸いに存命中だ。その二人の母のことが読書中、しばしば意識に昇ってきて、著者の母が老耄し、行動が変質していく姿に、著者と同じ思いを抱いたり、同苦したりした。私の二人の母は、やはり老齢による劣化は免れられず、変化していっている。変化の仕様が全く異なっているというのは、どんなことに生き甲斐を感じたのか、どのようなことに幸せを感じたのかにも依るのでは、と思う。中には、老耄の果て、別人格になってしまう人もいるということも聞く。我が身のことも含め、死ぬまで予断を許さないのが人生、ということを肝に銘じながら、「自己最優先」という「我」の膨張には特に注意を払い、人の中にあって、「生きる」ことの意味を学び続けていきたい。 -
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好きな本として挙げる人が多いので、手に取ってみた。あらすじによると、ひと昔前の地味目なお話のようで、どうして人気があるのか不思議だったけれど、読み終えてみると、やっぱり良かった。包容力のある時代とそこに生きる人々へのノスタルジーだろうか… 色々なハプニングはあるが、全体に静かな語り口で、読みながら、穏やかな懐かしいような気持ちになる。
書き出し(夕暮れどきに、しろばんばを追いかけながら戸外で遊びまわる子どもたちの情景描写)が美しい。大正時代の田舎の暮らしに自然と引き込まれていく。
人間描写が細やかで生き生きとしていて、会話もとても自然。子どもたちがやんちゃで、好奇心いっぱいで、繊細で、とても子どもらしく描かれていて、微笑ましい。村全体で大人も子どもも一緒になって盛り上がり、噂し合い、驚き、心配し、助け合い、笑いながら毎日を送っている。とても人間くさい暮らしだ。かつては、こうした村が、日本の色々なところにあったのだろう。今は過疎化が進んでしまったけれど…
家庭環境は複雑だが、明治や大正の戸主制度の下では、結構あり得ることだったのかもしれない。血のつながりのないおぬい婆さんと洪作の強い結びつきには、胸を打たれる。
周囲の人々の老いや死、未知の世界を見つめる主人公の心のうちが、丁寧に正直に描かれている。特に印象深かったのは、ある冷たい北風が吹く日に、おぬい婆さんが洪作の学校に羽織を届けに来る場面。小柄な老婆が風にあおられながら近づいて来る姿から、洪作は今まで気づかなかった老いを強烈に感じて、眼を離すことができなかった。おぬい婆さんの洪作への深い愛情が伝わって来る感動とともに、哀感が溢れていて、とても心に残った。それ以外にも、心に残る場面は多かった。他の作品も読んでみたい。 -
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クレマチスの丘にある井上靖文学館で観た10分ほどの映画がしろばんばと井上靖との出会いであった。600ページ弱の長編だがあっという間に読み終えた。作家の少年時代を読みやすく描いている。曾祖父の妾であるおぬい婆さんとの生活、村の子供達との触れ合い、両親や親せきの人達との関わりを通して洪作の成長していく姿、心の変化を表している。洪作の母は妹が生まれるとおぬい婆さんに洪作を預け、中学に上がるまで彼女と生活することになる。妾という存在であった彼女は本妻の家族の近くで暮らすことに肩身の狭い思いをしたと思うが、本来の負けん気で悪態をつきながらも礼儀や洪作に対する愛は本物であった。洪作は長ずるにつれ、明らかに老いてゆく彼女を見て労わる心や若くして死んだ叔母やまた最後には老いて死んでしまったおぬい婆さんを通して大切な人との死別というものを知り、また同世代の女の子への思慕など様々な経験を通して成長していく。そして村の子供達との別れがまた一層彼を成長させたことだろうと思う。ぜひ多くの人に読んでほしいと思った。
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平安末期から鎌倉初期、つまり院政期から武士の台頭、保元・平治の乱、平家全盛と没落から鎌倉幕府の時代、年代で言えば12世紀の日本の中央権力の有様を復習できる、またある程度わかっていないと読んでもなんのことかわからない。
院政の始まりの部分はいまいちわからない―中公文庫の「日本の歴史 6:武士の誕生」でわかった。道長から次の次の代ですでに院政の萌芽があったのだ。驕れる者は久しからず!
院政の権力自体にパワー的な無理があったから武士が台頭したのかな・・・たぶん。院政の守護者としての北面の武士。ということは道長の時代の武力はいかに存在していたのか、というテーマもまたある。
しかし、こうして歴史ものを読んでいくと江戸250年の平和の実現は相当にすごいことだ。250年も続く事自体が驚くべき。それは逆説的に「なぜ、それ以前の時代は平和が長続きしないのか」という問いを発することになる。鎌倉幕府も室町幕府も。
一番単純に言えば「辺境がある間は平和にはならない」という大胆なまとめかな。島国なので、まあ主な島だけに限ってでいいのだが、日本という国土の中に辺境がある間は、辺境の支配と中央の支配が別であるわけで、支配力と支配力の衝突は常に起こり平和にはならない。秀吉・家康によって辺境は消滅した。
世界に敷衍すれば・・・地続きに辺境があれば平和にはならないのだろう。山とか川とか自然の障壁があればそうでもないかもしれない。資本主義もまた同じか あるいは逆か