無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで201万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
米子市の「アジア博物館・井上靖記念館」を訪れた折、購入した本の内の一冊が「わが母の記」だった。「母」という存在は年齢を重ねれば重ねるほど大きく、そして、感謝の度合いも深まってくるものだ。その恩の最たる存在である「母」を井上靖はどんなふうに書き記しているのだろう、という思いから読み始めた。最初の方に父との最後の思いが書いてあったが、さもありなん、男同士というのは、そのようなものだろうということを感じ、自分も息子達からそのような思いを抱かれながら、この世を去っていくのだろうという思いを持った。
主題は「母」。「母」の脳が次第に壊れていくにつれ、記憶がどんどん消されていって、しまいに幼児、赤ちゃん化していく、そして、自分が産んだ子達さえ、その消去の中へ組み込まれていく。著者本人もしまいには「亡き者」にされてしまうが、その中であっても、淡々とした筆致の中に、母に対する著者の「母」への深い思いを感じた、というのも「母」の顔の表情やら行動の観察がとても細やかだったから。
現在の私には実母と義母の二人の母がおり、幸いに存命中だ。その二人の母のことが読書中、しばしば意識に昇ってきて、著者の母が老耄し、行動が変質していく姿に、著者と同じ思いを抱いたり、同苦したりした。私の二人の母は、やはり老齢による劣化は免れられず、変化していっている。変化の仕様が全く異なっているというのは、どんなことに生き甲斐を感じたのか、どのようなことに幸せを感じたのかにも依るのでは、と思う。中には、老耄の果て、別人格になってしまう人もいるということも聞く。我が身のことも含め、死ぬまで予断を許さないのが人生、ということを肝に銘じながら、「自己最優先」という「我」の膨張には特に注意を払い、人の中にあって、「生きる」ことの意味を学び続けていきたい。
Posted by ブクログ
最後まで健全で長寿を全うした曽祖母とボケて亡くなった祖母を思い出して、本当にそうだなぁと共感しながら読んだ。
愛想笑いを口辺に漂わせたがすぐ視線をあらぬ方に持って行った。どこかに鬱々としてまないところがあった。
いつからか知らないけれど、娘だとは思われなくなってしまっているわ。年とった召使ぐらいに思っているらしいの。
「人間は誰でも年をとれば、持っている荷物を一つずつおろしていく。母もおろしているのだ」
若いうちはたくさんの記憶や人間関係という「荷物」を抱えて生きていますが、あの世へ旅立つ準備として、母はただ荷物を軽くしているだけなのだという、温かくも切ない諦念が込められている
Posted by ブクログ
井上靖初読、映画は過去、樹木希林氏ご逝去の直後に観ていた。
著者の母が老い、主に認知症を進行させていく様を長男の立場でありながら極めて客観的に描く。
耄碌していく母は少女性を復活させ、我儘な振舞いを見せる。
人は歳を取る毎、ある一定の年齢を経ると子供へ還っていくと言うが、彼女の場合は無垢と狡猾がせめぎ合っている様だった。
淡々とした文章は、殆ど悲哀を介在させぬ。
靖自身はあくまで物書きとして実母を観察・取材していたのだ、と思う。
「全身小説家」と自称した井上光晴のみならず、近代の作家にはこう言ったタイプが多く見られる。
樹木氏は映画の見所を訊かれる事に辟易としていたが(没後展覧会の映像より)、本書にも同様の姿勢が窺えた。
昨今の過剰に情緒と泣き所を盛り込んだ小説の合間に読む事で、読書脳がリセットされた様な思いも。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。