【感想・ネタバレ】猟銃・闘牛のレビュー

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ 2023年08月30日

湊かなえの『告白』を読んだ時のような、書き方の新鮮さに衝撃を受ける。

3人の女の手紙から見える男の実態は、それが真実とは限らない。

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Posted by ブクログ 2019年11月21日

井上靖は本当に凄い。短編の鋭い切れ味に、恐れ入るしかない。
日本語の美しさ、その文字から伝わる日本の美しさ、そこに映し出されるあの時代の日本人の男女の孤独感。今も変わらぬ各人の自己中心的な悲哀が、井上靖によって際立つ。

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Posted by ブクログ 2016年07月18日

《猟銃》
妻・愛人・愛人の娘、その三通からの手紙から
浮き彫りにされる、恋愛をとりまく
さまざまな心もよう。

一つの事実に対して、その人の感情により、
立場により、こんなにも想いが
異なるという事実。
愛すること、愛されることの意味、
そして、そのことによって変わる人生の重み。

短編ではありなが...続きを読むら、読んだあと、
しみじみと考えさせられた。

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Posted by ブクログ 2011年07月18日

宮本輝さんが、雑誌の中で「人間同士の言うに言われん相性みたいなものを絶妙な言い方で表現していますね。…本当に名作ですよ」とおっしゃっていたので、手にとりました。本当にそのとおりでした。

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Posted by ブクログ 2024年04月20日

「エンタメ」の夜明け で闘牛が紹介されていたのがきっかけ。
井上靖はあすなろ物語を昔読んだくらいだったが、少し文章は固めに感じた。

猟銃:個人的には一部少しわざとらしくも感じた。
闘牛:この中では一番おもしろい。
比良のシャクナゲ:まぁまぁ。昔のエリート感。

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Posted by ブクログ 2016年03月28日

「猟銃」を読みました。
とても面白く、どんどん引き込まれた。
ひとりの男性像が3人の女性の視点から出来上がっていく。
愛されることと、愛すること、どちらが幸せなのか。その答えは・・・

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Posted by ブクログ 2016年03月06日

著者の初期作品から、『猟銃』『闘牛』『比良のシャクナゲ』の三編を収録しています。

『猟銃』は、三杉穣介という猟人から著者のもとに送られてきた手紙による、書簡体小説です。著者はある日、「白い川床」を歩くように、「ゆっくりと、静かに、冷たく」山のなかを歩んでいた三杉のすがたを目にし、その記憶に基づいて...続きを読む一つの散文詩を発表します。ところが、彼の詩を目にした三杉から送られてきた手紙には、彼の不倫とそれが引き起こした結末が語られていました。愛人の彩子、妻のみどり、そして彩子の娘の薔子の三人の手紙によって三杉の愛人関係がえがき出されています。

『闘牛』は、大阪の新聞社で編集局長を務める津上という男のもとを、田代捨松という興行師がおとずれ、闘牛大会開催の商談をもちかけるところから、物語がはじまります。田代や、彼を支える会社経営者の岡部弥太、さらに闘牛大会に食い込もうと目論む三浦吉之輔といった人びととの折衝を通して、かくされていた津上の「やくざ」な性分が表に現われるようになります。彼の愛人であるさき子は、そんな津上のすがたにふたたび心を熱くします。しかし一方の津上は、闘牛大会のために奔走を続ける中で、いったん表に現われたかに見えた彼の「やくざ」な性分は、雨に濡れて消されてしまうことになります。

『比良のシャクナゲ』は、解剖学と人類学の研究のために人生をかけてきた78歳の三池俊太郎の回想というかたちの小説です。妻や子どもたちにも理解されず、みずからの信じる学問のために邁進してきた三池の、ユーモアとペーソスにいろどられた独白がつづられています。

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Posted by ブクログ 2016年02月01日

表紙から売りという意味では、双方芥川賞候補になった「猟銃」VS「闘牛」という並びに味があるのだろうか。「闘牛」で芥川賞を受賞した時、選考委員の意見も多少別れたという。もう一篇、「比良のシャクナゲ」という作品もあるが、これは例外的で、ある意味無難な評価、皆似たような感想を持つと思う。
「猟銃」は、主人...続きを読む公である語り手(もっと正しい呼び方があるのかもしれない)が、一つの詩を書いたことから始まる。手紙を用い、それぞれの視点を、文章として、そのままに表すというのは、面白い書き方だと思う。そして、物語が、文章が、純粋に面白い。だが、三人目の手紙というのは、蛇足だったように思う。
「闘牛」は今のビジネス小説(あからさまな悪役を立てることによって対決させることや内輪揉めによる問題の発生など)とはまた異なったアプローチをして、これもまた面白い。ある男から商談を持ちかけられ、その企画を立ち上げるところから始まる、博打。仕事は蛮勇でなければならない、という根本的なものを思わせる。その結果を、主人公の心象や情景に溶かす描写は美しい。
技術的には、やはり「闘牛」の方が上に感じられるが、個人的には物語としても「猟銃」が好みだ。
「比良のシャクナゲ」は、老人の研究者を主人公に、残りの人生を研究に費やし、歴史に名前を残すことのみを目的に生き、過去から蔑ろにしてきた家族をより一層に省みずの姿は、それまでにあった過去の出来事を回想し、その事に偏屈者なりの文句が独白に込まれる構造は、亭主関白というものへの尊重と誹謗を意味しているのかと思いつつ、シャクナゲという花について調べる。

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Posted by ブクログ 2014年09月12日

『猟銃』の印象は割と薄かったのだが、『闘牛』はさすがの読後感だった。史実をもとにして淡々と進んでいくストーリーの中に、主人公津上と愛人さき子との先の見えぬ不安感を織り交ぜている。前者は物語を円滑に進める働きを持ち、後者は要所で物語に絡んで、ドラマチックな結末を生む大きな要素となっている。
闘牛の結...続きを読む果と二人の関係の終わりを重ねた最後の段落、特に最後の一文は凄まじい。

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Posted by ブクログ 2014年02月26日

友人に勧められて読んだ…久しぶりに小説らしい小説を読んだ気がした…翻って考えれば、純文学という領域が普遍性を鑑みない狭所に閉塞している現状もあるのだろう…面白かった。惹き込まれ一気に読まされた。

昭和24年第22回芥川賞受賞作「闘牛」を含む、著者初期作品による短編集…他「猟銃」「比良のシャクナゲ」...続きを読む所収。後に歴史物で名をなした著者であるが、ここに掲載されているのは、すべて現代物…登場人物の造形がしっかりされていて破綻がない。誰にも心情移入することができた。

たとえば「猟銃」では、不倫関係にある恋を、妻・愛人・愛人の娘の日記によって構成している…愛人は臨終の際にこのように記していたのだ…

―女が人生の終りで、静かに横たわって死の壁の方に顔を向ける時、愛された幸福を満喫した女と、幸せ少なかったが、私は愛したと言い切れる女と、果たして神はどちらに静かな休息を与えられるでしょうか。しかし一体この世に、神の前で私は愛しましたと言い切れる女があるもので御座いましょうか。いいえ、やはりあるに違いありません。

奇を衒わぬ書きぶりゆえに、激しく心動かされる文章…だと思う。芥川賞受賞作…とは云え、当時の作品は文庫からはずされているものが多い…本作は、長く読み継がれるものであろうと…ひしと感じられた。

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Posted by ブクログ 2011年12月11日

井上靖の初期3作品「猟銃」「闘牛」「比良のシャクナゲ」を収載。自分的には少し距離感のある作品群のように感じられたが、それぞれ、ストーリー構成が良いのと、3作品とも違った趣の文体であるので、それぞれの形で楽しめたと思う。
「猟銃」は妻と愛人と愛人の娘から送られた手紙を読むことで、全体の想いが詳らかにな...続きを読むるという意欲作だが、最後の愛人の想いに違和感があったのと、普通、その順番で読まないだろうという自分の中の意地悪な思いもあって(笑)、構成は面白いがいまひとつ馴染めなかった。
「闘牛」は割と動的な展開で、闘牛大会開催に向けてのとりつかれた情熱も伝わってくるのだが、ラストの展開は個人的には良いのだが、主人公の新聞記者のニヒリズムがいまひとつ伝わってこなかったように思う。むしろこれだけの展開があるのなら、長編にして丹念に心情を描いても良かったのかなと。愛人の使い方ももう少しもったいない。日本の闘牛は静的なイメージを持っていたので、結末の行方にある意味自分自身がニヒルに感じていたかもしれない。(笑)
「比良のシャクナゲ」は偏屈老人の戯言(笑)が書きつづられた作品だが、個人的には短編としてはなかなか良かった。人生のターニングポイントで訪れる比良の旅館の風情が主人公とよくマッチしている。偏屈老人(!)の心情をひたすら吐露する話であるが、学問にとりつかれた因業が良く出ている作品のように思う。
3作品とも部屋の窓から外を眺める(特に前2作品は愛人と)印象深いシーンが出てくるのは作者の強い思い入れがあるのだろうか。どの作品も失敗や挫折の中の孤独が1つのテーマとなっていると思われ、日常の中に潜む心の暗部をよく象徴している。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年03月07日

あなたは愛される一生を選ぶか、愛する一生を選ぶか。女学生だったヒロインたちの日常生活での一言は、その後の私の人生に大きな影響を与えた。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年11月12日

闘牛」は、井上靖の第二作目の作品である。処女作は『猟銃』で、芥川賞の候補には、この二作とも選はれていた。が、第二十二回の芥川賞は『聞牛」に決定している。

新聞社内部の実話をもとに

 『聞牛』は、新聞社内部を描いたモデル小説だと言われている。モデルとなったのは、新大阪新聞が行った闘牛大会である。作...続きを読む品では伏せ字にしたり名社を変えてはいるが、阪神球場というのは、西ノ宮球場。B新聞というのは、井上賭がいた毎日新聞社であり、大阪新夕刊というのが、新大阪新聞のことである。生人公津上は、新大阪新聞の小谷正一氏のことであるが、そこまで現実と重複(だぶ)らせては、ノンフイクション物になってしまう。この小説は、あくまで、 『闘牛大会』という背景を借りた、恋愛小説として勝むべきである。
 同じ新大阪新聞社の創立当時を扱った小説に『夕刊流星号」があり、作者の足立巻一も社員であった。内部から見たエピソードのひとつとして書かれている「闘牛大会」の部分を合わせ読むと、さらに興味深い。

終賭直後の生きる手懸りを”賭ける”

 編集局長である主人公は、たえず行動に駆り立てられながらも、行動の裏側には孤独とニヒリズムの影がまといつている。彼は、W市て年三回開かれる闘牛大会では、観衆の殆ど全部が牛の競技に賭けていると闘き、それだけで、社運を賭した闘牛大会をやろうと決める。
 『賭ける、これはいけると津上は思う。阪神の都会で行っても、W市と同じようにそこに集まる観衆のすべては賭けるだろう。終戦後の日本人にとっては生きる手懸かりといえば、まあこ人なところかも知れないと、津上は思う』
 彼は闘牛大会の実現に奔走する。久しぶりに会いに来た恋人のさき子さえ、じゃまあつかいに冷たくする。闘牛大会の初日、二日目と雨が降り、興行的には失敗する。が、津上は無感動に、競技を進行させている。これをみていたさき子は言う。
  『あなたは初めから何も賭けてはいないのよ、賭けれるような人ではないわ』
 しかし、反対に津上から、君はどう?と聞かれて、『もちろん、私も賭けてるわ』と 答える。実際さき子は賭けたのだ。いまリングの真中で行われている二匹の牛の闘争に 賭けたのだ。赤い牛が勝つたら津上と別れてしまおうと…。
  終戦直後に書かれた作品でありなが、今読んでも、不思議と古さを感じさせない。
 さき子の自立した生き方などは、現在そのものである。津上の生き方は、験争を深く体験した日木人の姿であり、五木寛之の作品に出てくる男の姿に似ているように思うのは、私だけだろうが。

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Posted by ブクログ 2010年07月02日

「闘牛」の題材になった定期興業は口蹄疫で約60年ぶりに中止に。代わりに読みました。それぞれの話で、みな孤独そうなのが良い。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

金持ちの孤独ってのが多いですね。何か思いいれでもあるんだろうか。それはともかく、どうしてこうも書簡形式の小説ってのは心ときめくんでしょう(猟銃)

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