井上靖のレビュー一覧
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飛鳥時代の万葉歌人、2人の天皇から愛された上になんか挑戦的な歌を詠んだすごい美人、というイメージの額田王。でもこの小説では、それだけではない額田王の姿を描いている。
2人の男性に翻弄されたり、翻弄したりする恋多き女というイメージ、あるいは、高貴な人に求められたら拒むことのできない身分制度の中の女性の悲哀、というのでもない。もちろん、拒むことができず、奪われ、譲られ、扱われ方に自己を通すことができない悲しみはあるけれど、巫女として絶対に譲れないところを通し続ける凛とした強さが美しかった。
王朝ロマン文学らしく美しい文体でするする読ませてとても楽しかった。 -
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井上靖(1907~91年)氏は、北海道旭川町(現・旭川市)生まれ、京都帝大文学部哲学科卒の、戦後日本を代表する作家。1950年に『闘牛』で芥川賞を受賞し、社会小説から歴史小説、自伝的小説、風刺小説、心理小説・私小説など、幅広い作品を執筆した。日本芸術院賞、野間文芸賞、菊池寛賞、朝日賞等を受賞。文化勲章受章。
私は基本的に新書や(単行本・文庫でも)ノンフィクションものを好むのだが、最近は新古書店で目にした有名小説を読むことが増え、本書もその中の一冊である。
本作品は、名僧・鑒眞(鑑真)の来朝という、日本古代文化史上の大きな事実の裏に躍った、天平留学僧たちの運命を描いた歴史小説で、1957年に刊行 -
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いきなりだが、ここでワタクシめの「モンゴル」の知識をお披露目しよう
遊牧民、相撲、元寇、チンギス・ハーン、フビライ・ハーン…
以上である(ひどい)
そしてモンゴルのイメージ(失礼を重々承知で…)
粗野で野蛮な遊牧民…(モンゴルの方、並びに関係者の方、本当にごめんなさい)
ところが知れば知るほどモンゴルの歴史が面白いではないか
モンゴル帝国時代の統制力と経済力のレベルの高さ
力づくだけではない彼らの領土拡大の方法…興味がわく
先日読んだ「世界史とつなげて学ぶ中国全史」に面白いことが書いてあった
それは司馬遷の「史記」(匈奴列伝)からの抜粋
~匈奴は老人より健康な若者を大切 -
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ネタバレ目次
・楼蘭
・洪水
・異域の人
・狼災記(ろうさいき)
・羅刹女国(らせつにょこく)
・僧伽羅国縁起(そうからこくえんぎ)
・宦者中行説(かんじゃちゅうこうえつ)
・褒姒(ほうじ)の笑い
・幽鬼
・補陀落(ほだらく)渡海記
・小磐梯(こばんだい)
・北の駅路
表題作を読みたいと、ずっと思っていた。
中学校の国語の教科書にスウェン・ヘディンの『さまよえる湖』が載っていて、それに関してこの作品を先生から紹介されたので。
大きくなったら探検家になりたい!と熱い思いを抱かせるヘディンの行動を読んで、この『楼蘭』もさぞや熱い思いがあふれているのだろうと思っていたら、ノンフィクションのルポルタージュか -
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ネタバレ楼蘭の1つの国の趨勢、異域の人の班超の生涯、宦者中行説の匈奴で得た夢、何れも真に迫っていて、そこに西域や匈奴の風土を感じるかの様でした。班超が歿する前、故国に西域との繋がりを見、彼が「胡人」と呼ばれた描写には、彼の一生の軌跡が表れている様に思います。
狼へと変わった陸沈康とカレ族の女が出る狼災記、羅刹の棲む島を書いた羅刹女国では、言い伝えや伝承を基にした不可思議な出来事が現実味を帯びて書かれていて惹かれました。狼災記で狼となった2人が、獣の掟に従い獣として生きる様が、人の姿を喪い人で無くなった彼等が、既に人としての生き方が出来ないのだと訴えかけて来ている様に思われました。 -
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武田信玄の天才軍師、山本勘助が主人公
勘助が信玄に仕える場面〜川中島の合戦の途中(途中な理由は読めばわかります)までの歴史物語
勘助の成りは異形が理由で今川義元に召し抱えようとされなかったほど…
色黒で背が低く眼はすがめでちんば、指も1本ない
知恵だけが彼の人生を支えた
永く浪人だったがその知恵を活かし、武田晴信(信玄)の仕官となる
晴信はそんな異形の勘助を気に入る
常に孤独で人から疎まれてきた勘助
勘助自身も人を人とも思わない非人情な男だった
しかし自分を召し抱えてくれた晴信だけはこの世で唯一好感を持った
いつしか晴信のためなれ命も惜しくないと思うように…
晴信もまた、勘助に信頼を寄せ、周 -
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井上靖初読、映画は過去、樹木希林氏ご逝去の直後に観ていた。
著者の母が老い、主に認知症を進行させていく様を長男の立場でありながら極めて客観的に描く。
耄碌していく母は少女性を復活させ、我儘な振舞いを見せる。
人は歳を取る毎、ある一定の年齢を経ると子供へ還っていくと言うが、彼女の場合は無垢と狡猾がせめぎ合っている様だった。
淡々とした文章は、殆ど悲哀を介在させぬ。
靖自身はあくまで物書きとして実母を観察・取材していたのだ、と思う。
「全身小説家」と自称した井上光晴のみならず、近代の作家にはこう言ったタイプが多く見られる。
樹木氏は映画の見所を訊かれる事に辟易としていたが(没後展覧会の映像より