井上靖のレビュー一覧
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児童書版では前半までしかおさめられておらず、ぬい婆との関係など、気になりすぎて購入。
ぬい婆とのなんてことない「生活」。
例えば、嵐の夜に握り飯をこさえて、見回りを待つ、みたいなこと。遅いだのなんだの文句を言うけど。
他人を見回る地縁の「他人事じゃない感覚」や「握り飯ひとつたべなされ、と振る舞う様子」に何か温もりを感じる。
村の誰が里帰りするだの、その人は出世しただの落ちぶれただのも他人事じゃない。
主人公とぬい婆が、都会に行くにも帰るにも、筒抜けで、好奇心まんまんで見送り、迎えが来る。それすら他人事ではない。
後半に、主人公がぬい婆にお土産にした羊羹を、ぬい婆が小さく切って、近所に配 -
購入済み
講談社の馬場さん経由
面白いです。
ブン屋崩れの頃の話で、芥川賞貰った闘牛とかと同じ頃の作品、お仕事です。
もちろん色々もっているのですが、もう、盛り盛りと。
その辺りも楽しい。
お好みで。 -
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約1000年前の、フィクションだけど、時を越えてくる物語。こんな壮大な体験が500円せずに味わえるって、本ってつくづく凄いと思う。中国大陸の奥深さ多様さ無常などを感じました。
地球儀で見てみると、主人公趙行徳が移り渡ってきた開封から敦煌は、ちょうど北海道から鹿児島くらい。意外にそんなに長くはない、いや長いかとか思ったり。仏教が中国に伝わってきたルートという意味では敦煌〜開封はぜんぜん一部でしかなく、インド〜敦煌もめちゃくちゃ長いし、インド自体もデカいし。あと、シルクロードという捉え方だとさらに長い。丸い地球儀だと中国から中東が見えない、当たり前だけど。
そんなふうに距離感を確認した上で、改 -
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中国、インド、日本が舞台の物語12編の短編集。
「薬屋のひとりごと」から西域に興味がわき調べてみると、「楼蘭て実際にあった国の名前なのか」「その楼蘭の小説があるのか」ということで買ってみた本。
【楼蘭】
かつてシルクロードの要衝として栄えた楼蘭は、大国や大いなる自然の力に翻弄され滅んでいったまるで蜃気楼のような都市。そこに生きた人々の営み、彼らの想像を超える苦悩と翻弄の歴史、そして悠久の時の流れの中に埋もれていった文明の儚さに深い哀愁とロマンを感じる。
楼蘭は漢の命により紀元前77年に鄯善と名前を変えて場所を移し、紀元5世紀ころまで続いたようだ。当たり前の事ではあるが、鄯善移住後すぐの世代 -
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「論語」は孔子の死後300年後に出来上がった、と言う。架空の愛弟子蔫薑(えんきょう)が物語る本書のように多くの弟子たちが教えを聞き伝えた事で可能となった書物なのだ。ちなみに約2500年前の中国春秋時代末期に生きた孔子と弟子・思想家が、14年間に及ぶ遊説で人々に教え伝えた思想知恵などを綴った書物である。気になった孔子の詩「60にして耳順う、70にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」60歳になったら人の言葉が素直に耳に入ってくるようになり、70歳になると自分の心の欲するように振る舞っても、道を踏み外すようなことは無くなった。即ち、聞くことに素直になると知恵と考えが人生経験から自信に変わる、と言う
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本作は発表当時も、またその後の読者にとっても、極めて読み辛く、評価が困難な作品であったと思われる。
文学賞こそ受賞しているが、同時代の評価としては ぐらいである。
理由としては簡単で小説の結構をとっていない。漢文の書き下し文が現代語訳なしで、そのまま挿入される。200箇所弱に及ぶ編注がつくほど、説明なしに当時のモンゴル語、高麗語の言葉が使用される。これはいったいどういうことか?
元寇に至るまでを高麗の立場で描く。朝鮮半島の人々に課せられた元による様々な苛斂誅求を辛くもくぐり抜けるが、言うまでもなく2回に及ぶ日本征討は失敗に帰し、高麗の全土は荒野と成り果てる。ここには何も希望も幸 -
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「自伝三部作」の第一弾。著者をモデルとした伊上洪作の小学校時代をえがいた作品です。
洪作は、両親のもとを離れて、曽祖父の妾だったおぬい婆さんのもとに預けられています。おぬい婆さんは、洪作の母である七重や、彼女の実家の「上の家」の人々に疎んじられており、彼女の愛情は洪作ひとりに注がれます。そのおぬい婆さんも、洪作が六年生のときにこの世を去ります。洪作は中学校への進学を間近にひかえており、彼の少年時代の終わりが訪れるところまでの成長が、洪作自身の視点からたどられています。
叔母のさき子の結婚と病死、親戚の「かみき」のわがままいっぱいにそだった姉妹に出会ったときの驚き、一つ年上の御料局のあき子と