井上靖のレビュー一覧
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奈良飛鳥〜平安時代に興味があるのと、井上靖って読んだことないなというチョイスで以前からリストに入れていた本作を読んだ。
鑑真和上が日本に渡来した出来事を、唐への日本留学僧の視点から描いている。
主人公の普照は秀才と呼ばれる僧だが、自分ではそう呼ばれるのを嫌い、そう評されるのはただ自分がほぼ机から離れないだけだからだ、と弁えている。そんな彼が留学僧に選ばれ、それなりに不安を覚えながら唐に渡る。
そこで唐に留学に来て幾ら勉強しても自分は大したことはなかった、ならば経典をひたすら写し日本に持ち帰ることをおのれの使命とするという日本人僧の業行に出会ったり、一緒に留学に来たものの唐で還俗してしまったり、唐や諸外国を見て回りたいと遍路したり、唐の高僧(鑑真)を日本に招来するのが使命とする同期の僧たちの選択と決意を見る。
普照は当初はっきりした自分の目標はないのだが、結果的にその友人たちの意志を継ぐことを残りの人生をかけて叶えることになる。
すごいなー。人生を一つのことに掛けて生きる人生。
アリストテレスが「幸福とは一生かけて実現する一つのこと」みたいなことを論じているようだけど、まさにいつ自分の人生が終わるかわからない昔の時代を生きてきた人々の、せめても何かを成し遂げようとする人生の輝き。
使命を果たした人も、運命によって果たせなかった人も、双方含めて遠い昔の人たちに尊敬の念を覚えることのできる、まさにそんな歴史小説。
とはいえ、漫画日本の歴史で鑑真が日本に教えを広めようと渡来するまでに悪天候での難破で漂流など5度くらい日本に来るのに失敗している、という経緯を知っていてもなお、この本は学術本か?というくらい難しい。
ある程度学術本も好きで、この時代に興味がある私でも、知らない仏教の専門用語(小説なのに巻末に大量にの注釈がある)、当時の中国の地理や、日本と中国の、あまり知られていない歴史上の人物、そして平成、令和の小説では廃れてしまった古くて意味が取れない昭和の言葉遣いに、調べながら読むという、最初手に取ったときは薄いな〜と思ってたのに予想以上にハイカロリー本だった。
今の時代の歴史小説はエンタメ寄りだったりもっと内面描写が多いけど、昭和の大人はこんな難しい歴史小説を読んでたんですか??
これと比べると直前に読んだ太宰治は口語体だしめちゃくちゃ読みやすい笑
また、歴史上の人物や行動の記録と、小説に齟齬が出ないように井上氏が死ぬほど綿密に調べながら本作を書いたことも伝わってくる。
さらに、事実の羅列だけでなく、記録には残っていない、主人公やその周囲の友人や人々の考えや思惑、努力を最大限小説化して読者に伝えようとしているのもさすが。
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Posted by ブクログ
・猟銃
ある男の13年に渡る不倫の恋を3人からの手紙という視点で描いている。自分と相思相愛だと思っていた不倫相手が実は元旦那の不貞を忘れたくて自分との不貞行為を行ってたというのは現代でもよく聞く気がする。愛される、愛するどちらを選ぶかという選択は愛される幸せを望む人がほとんどだがホントの幸福は愛する方にあるのでは、と死んでいく不倫相手が悲しかった。やっぱりちゃんと一人の人を愛する、というのが幸福なんだろうな。
・闘牛
社運をかけた闘牛大会に奔走する新聞記者の話。戦後すぐもう金持ちたちは動き始めて成功していたんだなあ、天候によって人生が左右される様子がハラハラした。
・比良のシャクナゲ
周りから老害と言われそうな孤独な老人を癒すのは比良の石楠花と無垢な少女だけなんだなあ。 -
Posted by ブクログ
淡々とした描写が大陸の歴史の壮大さをかえって引き立たせる。行徳が流れ流れて敦煌にたどり着いたように、大量の経巻も千年の時を越えて現代に届けられる運命にあった。無数の人々が行き交い、悲喜交々の人生があるなかで、何か大きなものの意思によって人間は動かされているのかもしれない。そんな歴史の因果を感じさせる小説だった。
この小説ではフィクションとして経巻が保存された経緯がドラマチックに描かれているが、これが真実でないとしても、千年以上の昔に保存しようとした人がいたことは間違いないわけで、それだけでも尊い行為だ。何とか自分たちの時代の知識を次の世代へ繋ぎたい、存在していたという証を残したいという人間の意志。 -
Posted by ブクログ
唐招提寺に行く予定があるので、予習。
昔の歴史小説は硬派ですね。
ドラマチックな場面も淡々と、言い方を変えれば無駄なあおりもなく語られていきます。
今の作家ならもっとエンタメに寄せるんじゃないかなと思います。そうなると、文庫本3-4冊分くらいはいくんじゃないでしょうか。そんな内容がおよそ200ページに収まっています。エンタメ部分は自分の脳内で膨らませながら読みました。また、中国の人物や地理を調べながらの読書になりました。
そういうことで、短い小説ですが、結構読むのに時間がかかりました。
これで唐招提寺参拝を、小説聖地巡礼として行くことができます。 -
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井上靖の作品は、少ししか読んでこなかった。
「しろばんば」が一番最初かな。
歴史ものでは「額田王」と「孔子」。
「孔子」は自分の孔子のイメージの大方を作っている。
それ以来だから、20年近くご無沙汰状態だった。
まず一番印象に残っているのは簡潔な文体。
今の歴史小説を書く作家さんとはどこか違う。
今の作家さんなら、万葉集などの古典籍を引用するにしても、必ず訳を添えたり、人物や語り手に言い換えさせたりと読者に配慮するだろう。
あるいはそもそもそういうものを引用しないとか。
そういう配慮がまるでないというか、読者もある程度そうしたものを読みこなすだろうという期待があるのか。
すがすがしいまでの簡潔さ。
さて、この小説では第九次遣唐使として唐に渡った僧たちが、鑒真を招来するまでが描かれる。
簡単に言ってしまったが、20年近い年月が描かれる。
何しろ当時の唐への旅は、天候次第。
ただ、この作品では唐へ行くより、日本へ帰る海路の方が大変なような印象を受けたが、実際のところはどうなのだろうか?
同時に唐に渡って普照、栄叡、戒融、玄朗の四人の留学僧たち。
最初は群像劇なのかと思い、そんなに覚えられないぞ、と焦ったが、人物もきっかり書き分けられており、それだけにそれぞれの人物のたどる運命も胸に迫る。
彼らより先に唐に滞在していた業行の写経への没頭ぶりも強烈に印象づけられる。
何を考えているかわからないような仲麻呂の人物像も、登場場面は少ないながらも、妙に頭に残る。
人物像といえば鑒真もまた印象深い。
法を伝えるために日本に行くものはいないか、と弟子たちに尋ね、誰も行くものがいないことを見て取ると、お前たちが行かないならば、自分が行く、と渡日を決断する。
その後の困難はよく知られた通り、だが、一体どうしてそこまでできるのか。
日本に仏教を持ち帰るには、いろいろな方法があったのか、とも初めて気づく。
自分が経典を学ぶだけではなく、鑒真のような高僧を招く方法もあれば、業行のように手に入りうる経典を写すことに専念し、それを持ち帰ることも一つ。
物語ではそれぞれの人の資質により、これらが選び取られていくことになるのだが、国を背負って留学した人々の、自分の人生をかけてできることは何かという問いは、今の私たちには想像もつかない重さがあったのだろう。
(一方では何も持ち帰らない、帰ることもしないという人物たちのことも描いているのも面白いが。)
資料の少ない時代を舞台とするだけに、相当な研究を重ねて書かれた作品のようだ。
難解な仏教用語が多いが、郡司勝義さんによる巻末の注解があり、ありがたい。 -
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児童書版では前半までしかおさめられておらず、ぬい婆との関係など、気になりすぎて購入。
ぬい婆とのなんてことない「生活」。
例えば、嵐の夜に握り飯をこさえて、見回りを待つ、みたいなこと。遅いだのなんだの文句を言うけど。
他人を見回る地縁の「他人事じゃない感覚」や「握り飯ひとつたべなされ、と振る舞う様子」に何か温もりを感じる。
村の誰が里帰りするだの、その人は出世しただの落ちぶれただのも他人事じゃない。
主人公とぬい婆が、都会に行くにも帰るにも、筒抜けで、好奇心まんまんで見送り、迎えが来る。それすら他人事ではない。
後半に、主人公がぬい婆にお土産にした羊羹を、ぬい婆が小さく切って、近所に配る。実母は「もうろくして恥ずかしい」と配った家に弁明しにいく。(その丁寧さもすごい)
主人公の羊羹は、ぬい婆にとっては自慢の宝物で、自慢したくてたまらない。自分は少ししか食べなくてもその、誇らしさを知らせたくて、共有したい。
どんどんぬい婆は、年老いていくのだけど、そうした一つ一つになんか愛を感じる。
蕎麦がきを作る場面で、泣いてしまった。
生活の様子をみずみずしい視点で重ね合わせていく小説なのだけど。
そこに確かに人の情と温かさを感じる。 -
購入済み
講談社の馬場さん経由
面白いです。
ブン屋崩れの頃の話で、芥川賞貰った闘牛とかと同じ頃の作品、お仕事です。
もちろん色々もっているのですが、もう、盛り盛りと。
その辺りも楽しい。
お好みで。 -
Posted by ブクログ
約1000年前の、フィクションだけど、時を越えてくる物語。こんな壮大な体験が500円せずに味わえるって、本ってつくづく凄いと思う。中国大陸の奥深さ多様さ無常などを感じました。
地球儀で見てみると、主人公趙行徳が移り渡ってきた開封から敦煌は、ちょうど北海道から鹿児島くらい。意外にそんなに長くはない、いや長いかとか思ったり。仏教が中国に伝わってきたルートという意味では敦煌〜開封はぜんぜん一部でしかなく、インド〜敦煌もめちゃくちゃ長いし、インド自体もデカいし。あと、シルクロードという捉え方だとさらに長い。丸い地球儀だと中国から中東が見えない、当たり前だけど。
そんなふうに距離感を確認した上で、改めて開封から敦煌まで移動しながら生涯を送った趙行徳の波乱に浸ったり、そしてやはりそんな彼の生涯も(フィクションだけど)長い長い歴史で見れば点でしかない、けど今に繋がっている、みたいな読後の感慨が楽しい一冊でした。 -
Posted by ブクログ
中国、インド、日本が舞台の物語12編の短編集。
「薬屋のひとりごと」から西域に興味がわき調べてみると、「楼蘭て実際にあった国の名前なのか」「その楼蘭の小説があるのか」ということで買ってみた本。
【楼蘭】
かつてシルクロードの要衝として栄えた楼蘭は、大国や大いなる自然の力に翻弄され滅んでいったまるで蜃気楼のような都市。そこに生きた人々の営み、彼らの想像を超える苦悩と翻弄の歴史、そして悠久の時の流れの中に埋もれていった文明の儚さに深い哀愁とロマンを感じる。
楼蘭は漢の命により紀元前77年に鄯善と名前を変えて場所を移し、紀元5世紀ころまで続いたようだ。当たり前の事ではあるが、鄯善移住後すぐの世代と何百年か後の世代では、楼蘭の地への想いは違うし、そもそも楼蘭を知らない人々もたくさんいる。淡々と語られる静かな筆致も相まって、時の流れの無情さを感じられてとても良い。
物語の最後は、悠久の時を越えて1900年頃スウェーデンの探検家スウェン・ヘディンらによって女性のミイラが発見されたところで締めくくられている。「楼蘭」は昭和33年発表の作品なので本書には書かれていないが、その後も何体かこの地で若い女性のミイラが発見されていて、Wikipediaで「楼蘭の美女」と調べると1980年と2004年に発掘されたミイラの画像をみることができる。調査の結果では紀元前19世紀頃に埋葬されたもののようで、楼蘭が歴史に登場する紀元前2世紀よりも遥か昔からこの地で生きていた人々がいたことがわかる。時代が全く違うのだがこのミイラの穏やかな表情は、物語に登場する自殺した王女を思わせる。
【補陀落渡海記】
表題の楼蘭以外で特に気に入った話。日本の補陀洛寺が舞台。覚悟もないまま流れで補陀落渡海(要は舟に乗って海上で死ぬこと)をすることになってしまった僧の壮絶な心情が淡々と描かれている。物語の最後、一度嵐で島まで戻されてしまったあと、有無を言わさず箱に閉じ込められてまた海に流されてしまう場面は自分も殺されるような気分になりとても恐ろしかった。
その他では、「狼災記」「褒じの笑い」「幽鬼」が面白かった。