井上靖のレビュー一覧
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本書は8世紀の奈良時代に第九次遣唐使として留学する4人の日本人僧侶を中心にして、後半は6度にもわたる挑戦で訪日をはたす鑑真の物語です。当時の日本人にとっては海外に行くことは命がけで、しかも船はそんなに頻繁に出ていない。無事に唐に渡れても帰ることができるのは何十年後の可能性もあって、帰りも無事に帰れる保証はない。そんな中当時の日本人の中でも外国文化を日本に持ち帰る重要な役割を果たしていたのが僧侶でした。
本書の中では唐に渡る4人の日本人留学僧と、唐で写経をひたすら続けている業行という5人の日本人僧侶が中心になりますが、それぞれの性格が違っていて、自分だったら誰のタイプになるかなと考えさせられました。もちろん訪日を果たした鑑真和上の偉大さはわかるのですが、個人的には無名の日本人留学僧が積み上げてきたもの、あるいは無念となったものが歴史となって日本を形作ってきたと思います。本書は用語が難解なところもかなりありますが、無意識のうちに自分を留学僧の誰かに重ね合わせながら、自分自身が8世紀の奈良および唐にいるような気分になりました。 -
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単行本で再読時の感想---6年生の頃母が買ってくれた本。特別な日でもないのに読んでごらんと手渡され、思いがけない贈り物がとてもうれしかったのを覚えている。おもしろくて何度も読み返した大好きな作品。これをきっかけに中学生の間は井上作品を随分読んだ覚えがある。先日ふと思い立って30年ぶりくらいにこの本を読み始めた。1975年の中央公論社刊、活字の小ささに驚いたが、すぐにおもしろさに引き込まれた。読みながらふと、子どもの頃と同じように心がうきたつのを感じ、旧知の登場人物たちに再会できた喜びをかみしめながら、本というもののありがたさやこの作品を送り出してくれた作家への感謝の思いで胸が熱くなった。----
16年ぶり再読---三部作を順に読んだのは初めて、幸せな読書の時間だった。 -
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読みにくかったなぁ。
言葉使いの難しさ、人名の読みにくさ。
文学というより記録文ではないかと思うようなデータの記述。
もう途中で投げ出そうかと一度だけ思った。
不思議なことに一度きりで、そのあとは読みにくいと感じながらも話が普照と鑑真の日本渡来に絞られてくると、多くの身内からさえも白眼視されるその目的を果たすための彼らの命がけの熱意が私にページをめくらせてくれました。
そうか、鑑真が日本に渡って仏教の何たるかを教えたからこそ日本における仏教が本物のものになったのか。
小学校で習ったかなあ?
視力を失った鑑真和上像の写真が思い出されるだけだ。 -
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大黒屋光太夫を船頭とした17人を乗せた「神昌丸」は駿河沖で時化に会いロシアのアレウト列島(アリューシャン列島)のアムチトカ島に乗り付ける。母国日本へ帰りたい一心でロシアの厳しい生活に耐え、ロシア国内を大移動しながら本国送還を願い続け、10年後許しが出て既に死去した12人とロシア正教に帰依した2人を除いた3人が帰国する。
アリューシャン列島のアムチトカ島からカムチャツカ半島を経てオホーツクへ渡り、陸路ヤクーツク、イルクーツク、モスクワ、ペテルブルクとなんと10,000キロに及ぶ未知の国、風雪の中の流浪の旅は彼らにとってどんなに厳しかったことか。
地図と見比べながら彼らの姿を追えばその辛い旅がより思いやられる。
しかしあれほど帰ることを望んだ日本は、ロシアで艱難辛苦を乗り越えて、あるいはロシア政府やロシア人の助けを享受して生きながらえるうちに、今までの人生では見ることのなかった世界と人々を知った彼らにとって、旧弊な決まりにとらわれて身動きのままならない居心地の悪い他国のようになっていた。
さらに母国に帰ったにもかかわらず彼らは自国内を自由に移動することさえも許される事はなく定められた土地に一生住むことにされた。見聞きしたことは他言無用ということなのか。
人間にとって自分という者の居場所が確定して、自分の存在が周囲にとって有益な存在であるという事は生きていく上で欠くことのできないものであると思う。
彼ら漂流民はそれを求めて10年の長きを耐えたにもかかわらず、彼らが帰ってきた母国はそれらを取り上げてしまった。
帰国する前に「もしかしたらこのままロシアの地に留まった方が良いのかもしれない」と思った彼らにとってその仕打ちはあまりにも残酷だ。
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1900年初め、王円籙という道士が窟の一つからたまたま発見した空洞の中には、経巻類が大量に収められていた。
学がなく、字が読めなかった王円籙は、地方官に報告するも「適当に処理しておけ」と言われるだけであった。
しかしその大量の文書群は、唐代以前の非常に貴重な資料で、遺失した書物の復活ができた歴史的な大発見だった。
この文書"敦煌文献"の発見という史実を元に、なぜこれほど大量の貴重な文書が洞窟に封じ込まれていたのか、その経緯を描いた歴史小説です。
なお、敦煌文献が封じ込まれていた経緯については2つの説がありますが、今日では"不要なものをとりあえず置いておいただけ"であるという説が定説となっています。
本小説に書かれているのはもう一方の説で、五代十国時代の終期、中国西北部を支配した夏(西夏)王朝が敦煌を占領する際に、西夏に破壊され、焼き捨てられることを恐れた人々が、貴重な文献を隠したという説が採用されています。
それは今から1000年近い昔の出来事で、その頃に生きた人々のドラマが栄枯盛衰し、忘れ去られてしまった後に発掘されるという、なんとも壮大な展開になっています。
井上靖によって書かれた敦煌は、大部分は創作ですが、敦煌文献で判明した史実や、実在したとされる人物名が登場しています。
中国史に興味が無くても、読めば長い時間を飛び越えた歴史ドラマを感じることができると思います。
主人公は趙行徳という青年です。
非常に頭脳明晰で、三十二歳で進士試験(官吏任用試験)に挑んだのですが、最終試験の一つ前の試験で不覚にも眠りこけてしまい、大事な試験を自ら放棄してしまったことに気づきます。
絶望にいた彼はただ歩きに歩いたのですが、狭い路地の中で、西夏出身という女が生きたまま切り売りに売られている場面に出くわします。
これを見た行徳は回鶻の男から女を買い取り、自由にしてやりました。
ただで自由になったことを嫌がる女は、唯一の持ち物だという西夏の文字が書かれた布切れを渡します。
その出来事に運命を感じた行徳は、そこに書かれた"西夏の文字"を学ぶために西へと旅立つという展開です。
難しい文体、表現が出てきて、スイスイ読めるような作品ではないですが、文章は簡潔で、ある程度読めば慣れると思います。
歴史が積み重ねられ、中国という国自体も大きく変遷し、忘れ去られた先に発見された文献、その発掘物では伝わらない物語が描かれています。
特に終盤、敦煌文献が生まれた軌跡が刻まれるプロセスは見事で、ドラマティックでした。
井上靖氏の中国西域ものとして著名な作品ですが、一冊の小説としてシンプルに楽しめる名作です。 -
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井上靖の歴史小説として代表的な作品。
井上靖は小説家としての自身の想いや情景を描いたもの、自伝的なものと歴史小説の3つに大別される優れた小説を多数書きました。
歴史小説では、日本を舞台したもの、中国を中心としたものを多く執筆していて、本作は大別するのであれば井上靖の中国歴史モノの代表作であり、氏の作品全体としても代表的な一作です。
氏が芥川賞を受賞したのが1950年の『闘牛』、『天平の甍』は1957年刊行なので、初中期の作品と言えますが、1907年に生まれたため、遅咲きの作家であったといえると思います。
『天平の甍』は天平5年(733年)の遣唐使として唐に渡った若い留学僧たち、とりわけ普照と栄叡を中心とした物語となっています。
仏教はあるにはあるが、課役を逃れるため百姓の出家が流亡しており、法を整備しても歯止めは効かなかった。
また、僧尼の行儀の堕落も甚だしく、社会現象となっており、国は仏教に帰人した者が守るべき規範を必要としていました。
そんな折、白羽の矢が立ったのが4人の留学僧で、普照、栄叡もその4人の内の2人です。
鑒眞(鑑真)の来朝という、古代日本おける歴史的な出来事を実現させるため、荒波に揉まれる僧侶たちの運命を描いた作品となっています。
普照や栄叡は実在の人物で、鑑真来朝における苦難の日々は史実が元になっています。
鑑真という人物や、日本の仏教の起こりは中学社会の教科書でもおなじみですが、その舞台裏にこういった壮大なドラマがあったというのは読んでいて興味深かったです。
東シナ海には激しい海流があり、季節風の知識もない当時、遣唐使の航行は文字通り命がけだったそうです。
船は度々難破し、多くの人が命を落としました。
高僧を連れて帰る指名を帯びた普照たちが鑑真と巡り会えたのも長い年月を経た上でしたが、辿り着けるかもわからないような日本へ連れて帰ることを嫌う弟子の密告等があったりして渡日は難航します。
また、渡日にこぎ着けても、過酷な船旅も何度も死にそうになりながら失敗を繰り返し、体調も崩れてゆく。
それでも、日本へ向かうという強い意思が感じられる、壮絶な歴史ドラマでした。
長い作品ではないですが文体は難しく、読むには骨が折れます。
ただ、登場する僧たちのそれぞれの選択、生き様も多種多様で、楽しんで読み進められました。
特に「業行」という僧の最後は本当に悲痛で、怨詛の声が聞こえてきそうな迫力を感じます。
"凄まじい"という形容詞がピッタリくるような、歴史文学小説でした。 -
ネタバレ
歴史小説のお手本。
もう何度も読んだのに、やっぱり手元に持っていたくて、電子書籍にて購入しました。
一応大河ドラマの原作扱いに成っていますが、余りそこには拘らなくて良いかと思います。
自分の武田好きは、中井貴一さんの方の『武田信玄』から始まっているのですが、ドラマ先行で原作を読んだせいか、新田次郎と云う作家の感性とはちょっと合わない部分を感じました。
その後の『武田勝頼』も読みました。
「つまらない」「嫌い」というのではなく、「合わないなぁ」という感じです。
と云う訳で本書は、初め殆ど期待せずに読んだのですが、この文量でこの物語の芳醇さは何処から出てくるのか、本当に唸らされました。
決して(お話の)視界が狭い訳でもなく、キチンと目配せの利いた人物の扱い方をしているし、
それでいて合戦シーンみちゃんと書き込まれています。川中島の「風」さえ感じられたと言っては褒め過ぎかなw。
こういう「手練れ」の作品に出会ったのは、その当時殆んど無かったので、一読して驚きました。由布姫と勘助の関係も、変にベタベタしていないところが素晴らしい。寧ろ大河ドラマの内野聖陽さんの方が力みかえって演じられていたので、原作の良さが活かされていない感が有りました。
とにかく武田好きの方には、絶対に読んでほしい名作だと思います。
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いや何とも面白くそして悲しい史実に基づいた物語だった。江戸時代に、商船が難破してロシアに流れ着いた船員たちが一人欠け、二人欠けしながら10年近くかけてようやく光太夫と磯吉の二人だけが日本に帰り着いたという話。
ところが話はそこでは終わらない。ようやく帰り着いた日本で、二人は故郷の伊勢に戻ることが許されず江戸で不自由な後半生を送ったという。日本に帰り着いた際の日本側の対処やその後の二人の半生を知るだに、この国って昔から狭量だったんだなあと思うばかり。ロシア正教に帰依してロシアに残ることになった庄蔵と新蔵のほうがある意味、思い切れて幸せに生きたかもしれない。
もともとは十数人だった船員たち。十人十色でこういう苦境に陥ったとき、どのようにとらえるかでその後が変わっていくものだと思う。うじうじ変えられずにいる人もいれば、あっけらかんと現状を受け入れられる人もいる。 -
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実際にあった出来事の、ロシア革命より更に前の18世紀。
江戸時代の伊勢から漂流した船に乗った人々が
ロシアという異国で10年どう生きたかどう感じたかをまとめた歴史小説。
極寒の異国地に漂流し、そこから更に色んな箇所へ移動され
亡くなる人やロシアに帰依する人や、それでも日本に戻る為に最善を尽くす人がいて
当時のロシア女帝エカチェリーナ2世との対面まで行ったのに
やっとの思いで、いざ日本に着けばなんかものすごく虚しい。
虚しさというより空虚、何だったのだろうか今までの体験はって思い知らされた。
全く通じない言葉とか身振り手振りだったり、それでも色んな仕事を手伝いたいとか
自分らは漂流したとはいえ、もう立派にロシアに馴染んでいたからこそ
当時の鎖国していた日本が非常に狭く見えたんだと思う
しかし終身里にも帰れず、ずっと幽閉の身とは
なんとも嘆かわしや。
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ネタバレ高僧を日本に連れてくる使命を受け、遣唐船に乗って普照ら若い僧4人は荒れる海を渡り、唐に留学した。無事に帰国できるか、何者かになれるかもわからない。4人僧の、そして写経に没頭する貧相な中年の日本人僧の運命は…
史実の詳細が物語のスケールの大きさを感じさせてくれます。仏教の用語や唐の時代の中国の地名が多く、1ページ目を開いた瞬間くじけそうになりましたが、地図をみながら主人公たちの足取りをたどりながら読み進めました。
くじけそうな人はネタバレを読んでから本を読んだ方がいいかもしれません。
学ぶことって何だろう。自分にできることってなんだろう。人の価値観ってなんだろう。
考えさせてくれます。