井上靖のレビュー一覧
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難波遷都、半島出兵と白村江の会戦、その後の天智天皇の統治から壬申の乱への歴史の流れの中で、中大兄・大海人両皇子と額田女王との関係性や額田から十市皇女への想いや行動の移り変わりが非常に興味深かった。
額田なりの「神に仕える女としての誇り」を守るために、心を与えないとして振る舞ったことで、他の両皇子の妃からは独立した、自由人としての彼女の形ができたのかなぁと思う反面、母親になりきれなかった面もあったのでは?という感じ。そういう意味では、最終盤までは女としての役割や振る舞いが多かったかなと思います。最終盤、天智天皇崩御から、壬申の乱に至り、ここで初めて女としてよりも母親としての役割が前面に出て、神に仕える女から人間の女になれたのかな。
この時代をモチーフにした話を読むのは初めてでしたが、なかなか面白かったです。 -
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(*01)
虚言やハッタリが出世の初期設定になっている点で、加瀬あつし氏の漫画『カメレオン』の風貌がまず、勘助像として結ばれた。やぶにらみのせいもあるだろう、そのためか爬虫類を想起させ、「地を這う者」というイメージも抱いた。第1章の登場の場面の暗さ、他を殺めるときの醜さ、終盤で海野の戦場からの徒歩帰還(*02)などに粘着質でいてテカっているような、また陰険で執拗な感覚を勘助から得た。孤独という性質からきた印象なのかもしれない。
(*02)
彼、勘助は移動する人である。駿府での停滞では想像ばかりが飛躍していたのであろうが、信玄の下で機動力となって働き、足で稼いだ。小柄であること、目や脚や指にスティグマを負っていたことを反転させるかのように、常の居場所もなく動き回っているようであった。ということは移動に応じて頭(*03)も常に働いていたことになる。
トラベリングマンとしての勘助の重心あるいは中心には、古府の信玄というよりも、諏訪の由布姫がいるという配置である。また、風としての勘助、山としての由布姫というアナロジーも可能なのかもしれない。
(*03)
やたらとビックリマーク(!、エクスクラメーションマーク)の付けた文体である。シチュエーションが目まぐるしく展開し驚きが連続しているためというだけでなく、踊るようなリズムを文体で表現し、往時の口語表現の考証(*04)の困難を記号で補うテクニックでもあったようである。
「は」「え」「よし」「ふむ」などの短い相槌の科白まわしや、リフレインのような反復も多く、言葉がなす意味よりも、リズミカルな物語の運びに力点が置かれている。言い換えれば、劇的な効果、芝居的な演出を狙ったということでもある。
(*04)
史実と時代小説の関係については、新潮文庫版の吉田健一の解説が冴えている。そこに解かれた戦国の地理感覚とともに、小説的なロマンが切り開く世界の可能性を示唆している。 -
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著者の初期作品から、『猟銃』『闘牛』『比良のシャクナゲ』の三編を収録しています。
『猟銃』は、三杉穣介という猟人から著者のもとに送られてきた手紙による、書簡体小説です。著者はある日、「白い川床」を歩くように、「ゆっくりと、静かに、冷たく」山のなかを歩んでいた三杉のすがたを目にし、その記憶に基づいて一つの散文詩を発表します。ところが、彼の詩を目にした三杉から送られてきた手紙には、彼の不倫とそれが引き起こした結末が語られていました。愛人の彩子、妻のみどり、そして彩子の娘の薔子の三人の手紙によって三杉の愛人関係がえがき出されています。
『闘牛』は、大阪の新聞社で編集局長を務める津上という男のもとを、田代捨松という興行師がおとずれ、闘牛大会開催の商談をもちかけるところから、物語がはじまります。田代や、彼を支える会社経営者の岡部弥太、さらに闘牛大会に食い込もうと目論む三浦吉之輔といった人びととの折衝を通して、かくされていた津上の「やくざ」な性分が表に現われるようになります。彼の愛人であるさき子は、そんな津上のすがたにふたたび心を熱くします。しかし一方の津上は、闘牛大会のために奔走を続ける中で、いったん表に現われたかに見えた彼の「やくざ」な性分は、雨に濡れて消されてしまうことになります。
『比良のシャクナゲ』は、解剖学と人類学の研究のために人生をかけてきた78歳の三池俊太郎の回想というかたちの小説です。妻や子どもたちにも理解されず、みずからの信じる学問のために邁進してきた三池の、ユーモアとペーソスにいろどられた独白がつづられています。