角川書店のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
世界的に有名な日本の古典文学なのに、授業で習う部分くらいしか読んでこなかったなぁと思い手に取った本です。
初心者向けに解りやすく書かれているので最後まで読み終えることができたのですが、略されている部分も多いので、いつか全編読んでみたいなと思います。
内容や感想をまとめるのは難しいのですが、ひとつ言えるのは古典文学だから心情を理解できないだろうという思い込みはよくないなということです。
1000年以上前に描かれた登場人物の心情でも、十分に理解することができます。むしろ、1000年も前から人の考えることや悩むことの本質は変わっていないのではないかなと思います。
何を考えているのか解らない相手の気持 -
Posted by ブクログ
日本古典文学大系や、日本古典文学全集で読めば、全部読める、わけだが、あの漢字片仮名表記の本文に気持ちが萎えること早幾度。
ダイジェストでのおつきあいばかりとなっている。
田辺聖子さんのものは、本朝部を扱っていたと思う。
本書では、やはり本朝部が大半を占めるけれど、天竺部、震旦部からも採録されているのがいい。
きっと注釈をつけるのは大変なんだろうと思う。
臨終のお釈迦さまが、息子ラゴラに愛着を示したという話、法力で争った相手を呪い殺した弘法大師の話、相手の連れてきた識神を封じ込めた安倍清明の話などが印象深い。
後半は有名な話が多かったかな。 -
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平家の栄華と没落を主題とした『平家物語』は、「祇園精舎の鐘の声・・・」という書き出しがあまりにも有名だが、平易かつ流麗な名文で、平氏と源氏及び平安貴族の盛衰の中に見る人間模様を描き出した作品である。
本書は、一般に全12巻とされる大部の各章段を縮約するとともに、各巻を代表する説話を選び出して収め、『平家物語』の全体像が捉えられるように作られている。
いま改めて読み返すと、2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」のキャスト・場面が目に浮かぶのであるが、視聴率は記録的な低さだったものの、『平家物語』にある人間模様が表現された良いドラマだったと感じる。
『平家物語』は、基本的に史実に基づいて作られてお -
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出た! 平安朝こじらせ女!!
溢れる才知、輝く美貌、そしてむやみに高いプライド。
一体どういう扱いなら、この人満足するんだろう、と思ってしまう。
町の小路の女への「命はあらせて、わが思うふやうに、おりかへし物を思うはせばや、と思いひしを、さやうに(兼家の愛を失う)なりもていき、果ては、産みののしりし子さへ死ぬるものかは」、「わが思ふには、今少しうちまさりて嘆くらむと思ふに、今ぞ胸は空きたる。」という悪口を読むと、いかに身分差があったにせよ、ドン引きした。
が、不思議なことに、本を置いてみると、何かその率直さが悪くない感じがしてくる。
でも・・・これは作者の生前から流布した本なのだろうか。
これ -
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読書録「ビギナーズ・クラシックス徒然草」4
編・出版 角川書店
p210より引用
“ 何事も、自分の外に向かってあれこれ求
めてはならない。自分に目を向けて、自分が
やるべきことに全力を注げばよいのだ。”
目次から抜粋引用
“自己発見の道へ
旅は心のシャワー
独善の悲哀
利に群がる蟻人間
鏡に映る醜い顔”
日本の古典文学をわかりやすく記した作品
集の、徒然草を解説した一冊。
現代語訳・原文・解説と、作品に登場する
寺社仏閣や図や絵を交えて書かれています。
上記の引用は、灯台下暗しを戒めた話での
一節。自分の足場をしっかりと固め、少しず
つその範囲を広げることで、最終的に -
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元禄文化期に活躍した松尾芭蕉が、1689年5月に江戸深川を出発し、東北・北陸を巡る約2,400km、約150日間の旅を経て、美濃大垣を再び発つまでを描いた、日本の古典における代表的な紀行作品。芭蕉がこの旅で訪れた国は、武蔵、下野、岩代、陸前、陸中、出羽、越後、越中、加賀、越前、美濃である。
本作品は、有名な「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という序文より始まるが、芭蕉は『おくのほそ道』の旅の後、西国への旅に出て途上で没し、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という辞世の句を残した。まさに、芭蕉にとって、時は永遠の旅人であり、自らの人生もまた旅なのであった。
私が久し振りに本作品を -
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「竹取物語」が平安時代に書かれた物語で
当時の体制をかなり痛烈に風刺したものであるということは
この本にくわしく解説されている
しかし、というか、だからこそというか
その中心人物であるかぐや姫の残していった不死薬は
みかどの意思によって焼かれてしまうのだった
これをどう捉えるかが、個人的な解釈の分かれ目になるだろう
地下茎から一直線に月まで延びてゆくかぐや姫の生
それは、他者にはとりつくしまもない
自己完結した、一種の中空的存在なのである
ある意味、生きながら死んでいるとも呼べるだろうそれによって
もたらされた永遠の命を
みかどがけして受け入れようとしない、というのは
つまり、さんざん公家や