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日本の中世を代表する知の巨人、兼好が見つめる自然や世相。その底に潜む無常観。たゆまない求道精神に貫かれた随想のエキスを、こなれた現代語訳と原文で楽しむ本。現代語訳にも原文にも総ルビ付き。 ※本作品は紙版の書籍から口絵または挿絵の一部が未収録となっています。あらかじめご了承ください。
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Posted by ブクログ
289P 源氏物語をきっかけに日本古典文学読み漁ってるけど、めっちゃ面白い。 「ちなみに、ギリシャ語「スコレ( schole)」は「暇( leisure)」の意であったが、のちに「学校( school)」を意味するようになったという。ゆとりのある時間という点で「つれづれ」と相通じるものがある。思...続きを読むいの外「つれづれ」はグローバルな側面をもっているようだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「やがて、退屈だ、ひまだ、という否定的な判断が入る。『徒然草』の作者兼好は、そうした否定的な意味を、逆転させて、積極的な精神活動のきっかけに用いた。そこに、新しい発想の転換がみられる。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「男の身に付けたいことは、政治・法律に関する実学、漢詩・和歌を作り、管弦楽器を演奏する芸術である。さらに、朝廷内のさまざまな規則や慣例などに詳しくて、人の模範となるのは、すばらしいことだ。字は達筆で、すらすらと書き、宴席にあっては美声で拍子をとり、酒は遠慮するものの、ちゃんと相手をする。これが最上の男である。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「家柄と容姿は、生まれつきでどうにもならない。だから、後天的な努力で、男の夢を実現しようと思ったら、学問と社交術を身に付けることだという。学問は人に敬意を表され、社交術は人に好意を抱かせる。酒は、ほどほどに嗜み、歌もうまいほうがよいとなれば、現代にも十分通用する出世の本道ではないか。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「ここに登場するプレイボーイは、やはり『源氏物語』の主人公を思わせる。恋多き光源氏もまた、ハントの成功率は百パーセントではなかった。絶世の美男子も、振られることがあった。ただ、失敗しても、女性を恨まない。女性を人間として愛するからだ。そんな、こだわりのない明るさと、自然な若気の至りとが、彼の魅力の源泉である。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「命あるもので、人間ほど長生きなものはない。かげろうのように朝生まれて夕べには死に、夏蟬のように夏だけで春秋の季節美を知らない短命な生物もいる。それに比べたら、人間の場合は心安らかに一年間を送れるというだけでも、なんとものどかな話ではないか。もしも命に執着すると、たとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。どうせ、永遠には住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になろうか。長生きすると、恥かくことも多くなる。長くとも、四十そこそこで死ぬのが無難というものだ。 その年齢を過ぎると、容貌の衰えを恥じる気持ちがなくなり、平気で人前に出て、社交的にふるまおうとする。さらに、日没の太陽のような老齢の身で、子孫を溺愛し、彼らの繁栄を見届けようと、長命を望み、世俗の欲望ばかりが強くなり、深い感動の味わいもわからなくなっていくのは、なんとも救いがたい気がする。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 四十そこそこで死ぬのが理想的だ、とは長命者に無礼であろうか。ただ、兼好の時代は、平均寿命およそ三十歳。四十歳にもなると、四十の賀という長寿の祝いをした。だから、この点を割り引いて考えよう。 問題は、長寿が肉体的な若さよりも精神的な若さを失うことの恐さを指摘していることにある。心身の老化によって、恥じる心をなくし、本能を抑えきれなくなることへの嘆きが伝わってくる。長命は必ずしも長寿とは言いがたいのが現実なのだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【コラム】 栗栖野 栗栖野は、京都市山科区内にある。この栗栖野の近く、山城の国山科の小野庄(京都市山科区山科)に、兼好の隠棲の地があったとされる。一三一三年九月に、水田一町を九十貫文で買い取った文書が残っていて、小野庄はその水田の所在地であった(一三二二年に売却)。水田の権利書には、「兼好御房」と記されてあり、この時点で、すでに出家をしていたことがわかる。年齢は、推定三十一歳である。コラム「財テクに励んだか」参照*。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【コラム】 筧・閼伽棚 筧(懸樋)は、山間・山麓などの井戸を掘りにくい場所に、谷川の水を引くための給水装置。竹を二つに割って、節を取ったものや、木をくり抜いたものを用いる。「閼伽」は、もと梵語で、水の意。インドでは、供物を捧げるときに水を添える習慣があり、そこから供養の水を意味するようになった。中国では、供物を入れる容器を指したが、やがて仏に献ずる浄水を意味するようになった。閼伽棚は、おもに建物の西側に寄せて、高さ約一メートルの位置に作り、その中に供物の水を入れた器「閼伽桶」などを置く。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「気持ちのぴったり合うような相手と、心静かに語り合い、おもしろい話題や人の世の無常などを取り上げ、本音を吐いてすっきりするのは、楽しいに決まっている。しかし、そんな相手はいるはずもないので、相手の意に反しないように、気を遣いながら向かい合っているとしたら、逆に孤独感が湧いてくるのではないだろうか。 互いに言いたいことを言い合うと、相手の意見が、なるほどと耳を傾ける価値はあるけれども、自分と少し異なる場合もある。そういう相手とは、「自分はそうは思わない」などと反論し、「そういうわけでそうなのだ」などと論じ合ったら、退屈しのぎにはよいだろうと思う。けれども、実際には、人の世を嘆く話題のときでも、自分と少し合わない相手の場合、雑談している間は我慢できるが、ほんとうの心の友に比べると、遠く及ばないものだと思い知らされて、なんとも寂しくなってしまう。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「独り灯火のもとで読書して、作者や登場人物など、知らない昔の人を友とするのは、何よりも心が安らぐ。 書は、『文選』の感銘深い巻々や『白氏文集』『老子』『荘子』などがふさわしい。我が国の博士たちの書いた本も、昔のは心にしみる内容のものが多い。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 ひとり旅でも、ふたり旅でも、家族旅行でもかまわない。自分の住みかをちょっと離れて、よその土地をのぞくだけで、日常生活でたるんだ心がしゃっきりする。未知のものに向かい合うときの、新鮮な心のたかぶりが、旅の魅力であることを、兼好は言い当てている。 あれこれ旅費を工面し、その揚げ句が疲労困憊であっても、旅が心の垢を落とす意義は変わらない。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「どこでもよい、ちょっと小さな旅をすると、目が覚めるような新鮮な気分になるものだ。 あちこち見て回ると、自分の住んでいる所とはずいぶん違うものだと、改めて感じさせられることが多い。そんな旅の思いが、残してきた家族への情愛をかきたてて、「ああしろ、あれを忘れるな」などと、気配りの細かい便りを書かせるのだ。 楽しい旅のなかでは、何にでも心配りが細やかになってくる。携帯品までも引き立って見え、才能ある人や美しい人などは、ふだんよりいっそうすばらしく見えるものだ。 遠く離れた寺院・神社などに誰にも言わず出かけて、泊まりがけで祈願するのもなかなかいいものだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「話題を季節に戻そう。冬枯れの景色は、秋に優るとも劣らない。庭の池の水際に紅葉が散りとどまっていて、その上に霜が真っ白に降りている朝、遣水から水蒸気が煙のように立ちのぼる光景は、なんとも風情がある。 年も押し詰まって、誰もがみな、忙しく動き回っている時分は、じつに感慨深いものだ。また、荒涼たるものとして誰も目もくれない師走の月が、寒々と澄んだ光を放つ二十日過ぎの空は、心に深くしみてくる感じがする。 宮中では、御仏名の法会が行われ、また、荷前の勅使が出発するなど、おごそかで胸に迫るものがある。このころは、公の儀式・行事が集中していて、新年の諸行事の準備に重ねるようにして催される光景は、すばらしいの一語に尽きる。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 ちょっと、こむずかしい話になるが、季節の移り変わりを賞美することは、四季それぞれを単独に賞美することと、根本的に違う。春・夏・秋・冬の四季の美を、個別に味わうのではない。春夏秋冬の連続した季節の流れに、心身をまかせて、季節との一体感を味わおうというのである。この態度こそが、日本人独特の自然観を形作っているといえる。 移り変わる自然のすがた、流転・流動する人の世のすがた、何もかもが無常である。しかし、この無常に、悲哀だけを感じるとすれば、それは偏見でしかない。兼好にとって、無常は人間が生きる世界の本質なのであり、逆らうことなく、心身をあずけるべきものなのだ。 無常だから、どうだというのか。涙しても、笑っても、そうした人間の感情とは、いっさい関わらないからこそ、無常の価値はある。言い換えれば、無常の前では、人間皆、平等である。あらゆる差別を超えて、同じ出発点から、人生を始めることができる。それを保証するのが、無常観なのだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「心静かに思い出にふけると、何事につけ、過ぎた昔の恋しさだけがどうしようもなくつのってくる。 人の寝静まった後、秋の夜長の暇つぶしに、雑多な身の回りの品々を整理して、保存する必要のない書き損じの紙などを破り棄てる。その中に、今は亡き人が文字や絵を遊び書きしたものを見つけると、一瞬にして心はその人が生きていた当時に戻ってしまう。 今生きている人の手紙でさえ、月日がたって、これをもらったのはいつの年でどんな時だったか、と思いをめぐらすうちに、しみじみとした気分に引き込まれる。 まして故人の使いなれた道具類が、人情とは無関係に、いつまでも当時のまま残っているのを見るのは、たまらなくせつないものだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 『徒然草』全段のなかでも異彩を放つ章段だ。兼好は自分が逆立ちしてもかなわない人物を紹介する。事細かに盛親僧都の行動を描いているのを見ても、羨むどころか、兼好は憧れさえ感じているようだ。盛親僧都は実在したことは確かだが、伝記の詳細は不明である。兼好は実際に見て知っている人物なのかもしれない。それほど生き生きした人間像が描かれている。自分がなろうと努力しても及ばない理想の自由人を、盛親僧都に見いだしたのだ。尊敬と憧憬の念がすなおに伝わってくる名文だ。末尾の一文「徳の至れりけるにや」に兼好の思いのすべてがこもる。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「 人の名を聞くと、すぐにその人の顔が心に浮かんでくるような気がするのに、本人と実際に会って見ると、想像どおりの顔をした人はいないものだ。 遠い過去を記した物語を聞いても、現在ある人の家の、あの付近で起こった出来事だろうかと推測され、登場人物についても、現にいる実在人物になぞらえてしまうのは、人間誰もがこんなふうな心理になるものなのだろうか。 また、何かの機会に、今、人が言っていることも、我が目で見ている物も、我が心に浮かぶことも、いつだったか、過去にあったという気がする。確かな時間は思い出せないけれど、確実に存在したという気持ちがするのは、自分だけだろうか。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「話すそばから、「うそ」がばれるのも気にしないで、口から出まかせにしゃべり散らすのは、すぐに信頼できない話と判断される。また、自分でも事実らしくないと疑いながら、他人の話をそのまま、小鼻をぴくつかせながら、得意げに受け売りするのは、彼自身に「うそ」の罪はない。一方、こういう軽薄な「うそ」に対して、危険な「うそ」がある。いかにも事実らしく、話のところどころを自信なさそうによくわからないふりをして、そのくせ、話の筋道はきちんと合わせて語る「うそ」は、誰もが信用するので、恐ろしい。また、自分にとって名誉になるように、他人から言われた「うそ」の場合、言われた当人は、文句をつけて全部否定することはしない。また、誰もが喜ぶような「うそ」は、自分独りだけ「事実とは違うのに」と否定してみたところで、逆に白眼視され否定されそうな危険があるので、黙って聞いているうちに、話の証人にまでされて、「うそ」は、ますます事実として確定していく。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【コラム】 兼好と吉田 兼好の血筋は、吉田神社の神主卜部氏につながっている。神官の名門卜部氏の分家筋に当たり、祖父・父とも宮廷に仕えている。平安京の守護神として春日明神を祭る吉田神社(京都市左京区)にちなみ、後世、吉田氏に改姓した。ただし、それは兼好の死後のことだから、卜部兼好が正しく、吉田兼好は江戸時代の俗称である。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「時間をもてあます人の気が知れない。何の用事もなくて、独りでいるのが、人間にとっては最高なのだ。 世の中のしきたりに合わせると、欲に振り回されて迷いやすい。人と話をすると、ついつい相手のペースに合わせ、自分の本心とは違った話をしてしまう。世間とのつき合いでは、一喜一憂することばかりで、平常心を保つことはできない。あれこれ妄想がわいてきて、損得の計算ばかりする。完全に自分を見失い、酔っぱらいと同じだ。酔っぱらって夢を見ているようなものだ。せかせか動き回り、自分を見失い、ほんとうにやるべきことを忘れている。それは、人間誰にもあてはまることだ。 まだこの世の真理を悟ることはできなくとも、煩わしい関係を整理して静かに暮らし、世間づきあいを止めて、ゆったりした気持ちでほんらいの自分をとりもどす。これこそが、ほんの短い間でも、真理に近づく喜びを味わうといってよいのである。 日常の雑事、義理づきあい、もろもろの術、我利勉なんかとは縁を切れ、というふうに『摩訶止観』(中国天台宗の根本聖典)にも書いてありますよ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 人間、一人ぼっちじゃ生きられない。が、社会人として、他人といっしょに生活すると、今度は自分を貫くことがむずかしくなる。そこで、ぜひとも「つれづれ」の時間を、自覚的に確保することが必要だ。「つれづれ」を活用して、自分の置かれている立場をチェックしてみよう。そのうえでなら、大いにエンジョイしてもかまわない。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「ほんとうに教養のある人間は、知ったかぶりをしない。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 いわゆる完全主義を批判した一段である。中途半端で手抜きだと見えるが、じつは完成によって終わるのをきらい、ものの命が永く続くように願う心から出たのだ。不完全なものには、後で完全なものになるという楽しみがある。これは祝意をこめた人生の知恵だ。 ほんらい金ぴかなはずの仏像よりも、金箔の剝げた黒ずんだほうをありがたがるのは、命の長さを尊んだからだ。不祝儀の金額が割り切れる偶数で、祝儀のは奇数にするのも同じ発想だ。奇数には、割り切れて終わるまで、先の命がある。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 ことわざ「朱に交われば赤くなる」の応用編である。 愚者が、自分を絶対基準にして他人を評価するのは、よくある話だ。自分だけがすべてだから、愚者は相手をまねる余裕もない。ただ、中傷と憎悪に終始する。 さて、まねる余裕のある人間は、どうすればよいか。そのとき、善事をまねるか、悪事をまねるかで、人間の価値は決まると、兼好は言う。 実際に何をまねるかが問題なのだ。人格は、まねることによって、向上するからだ。ちなみに、「まねる」は「学ぶ」の語源である。 偽善とか偽悪とか、言葉のあやに騙されてはならない。偽善には否定的な臭いがあるが、うそでも善事を積み重ねれば、人格者へと向上していく。偽悪の場合も同じで、冷やかし半分で悪友とつきあっているうちに、犯罪者の仲間入りをしてしまう。──人間の本性にある弱点をとり出して注意を促している。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「偽善とか偽悪とか、言葉のあやに騙されてはならない。偽善には否定的な臭いがあるが、うそでも善事を積み重ねれば、人格者へと向上していく。偽悪の場合も同じで、冷やかし半分で悪友とつきあっているうちに、犯罪者の仲間入りをしてしまう。──人間の本性にある弱点をとり出して注意を促している。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「 「山奥に猫またという怪獣がいて、人を食うそうだ」という噂がたつと、それに輪をかけて、「何も山奥でなくても、この街中だって、猫が年取ると、猫またになって、人の命を奪るというのになあ」と言う者までいる。この噂を聞いて、何阿弥陀仏とかいう名の、連歌で暮らしをたてていた、行願寺付近に住む法師が、独り歩きが多いから気をつけなくっちゃ、と心配していた。 そんな折も折、ある所で連歌の会があり、深夜遅くなって一人で帰ることになった。ちょうど、家の近くの小川のほとりで、あの噂の猫またが、その通りすうっと足元に近づくと、ぱっと飛びついて首の辺りに嚙みついた。完全に正気を失った法師は、振り払う力もなくして、腰が抜けてしまい、「助けてくれ。猫まただあ。猫まただあ」と叫んだので、近所の家々から、大勢明かりをともして、駆けつけると、何と近所に住む僧ではないか。「どうされた」と言って、川の中から助け起こすと、連歌の賞品の扇や小箱などを懐中にしまい込んでいたが、それもみな、川の中に落としてしまった。法師は、九死に一生を得たかっこうで、這いずりながら家にたどりついた。──実は、法師の飼い犬が、主人の帰りを知って、喜んで飛びついたんだとさ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「男は、人々のあざけりを無視して、続けて言うには、「そういうわけで、人間誰しも、死ぬのがいやならば、だからこそ、今ある命を愛するべきなのだ。命ながらえる喜びを、毎日たいせつに楽しまなくてはいけない。愚かな人間は、この楽しみを知らず、物欲に振り回されてあくせくしている。命という宝を忘れて、やたらと快楽や金銭という別の宝ばかり追い求めていては、いつまでたっても心満たされることはない。そんなふうにして、生きている時に、生きる喜びを楽しまないで、いざ死ぬ時になって死を恐れるならば、私の言う理屈とは合わない生き方をしていることになる。 つまり、誰もが生きる喜びを楽しもうとしないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないからではなく、人間はいつも死と隣り合わせに生きているという自覚がないからなのだ。あるいはまた、それが、生きるとか死ぬとかいう次元にとらわれないで生きているというのならば、それこそは人生の真理を悟っているといってよい」と語ると、人々はいっそう男をばかにして笑った。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【コラム】 財テクに励んだか―土地売買証書 * 1 * 2 兼好は、世捨て人といっても浮浪者ではないから、ある意味では悠々自適の生活を楽しむ自由人である。しかし、実家は神道の名家であっても富裕ではないので、生活費をどうやって工面したか気にかかるところだ。 兼好三十一歳、一三一三(正和二)年九月一日付の土地売券が残っていて、それによれば兼好は六条三位有忠から、山科小野庄(京都市山科区山科)の田一町を銭九十貫で買い取っている。九十貫という大金を持っていたことに驚くが、厳しい契約条件をつけているのに二度びっくりする。免税対象にすること、契約破棄の徳政令を適用しないこと、契約違反したら元金の一・五倍を支払うこと、延滞したら備中国(岡山県)の土地を引き渡すこと、など。まるで不動産屋顔負けだが、財テクに励む経済人兼好の一面をうかがわせて興味深い。 証書は当時の業者が作成したとしても、兼好が私たちの先入観以上に資産家だったことは確かだ。銭一貫 =米一石(百五十キロ)という当時の条例をもとにして、今の標準米価十キロ四千円をあてはめれば(大ざっぱだが)、約五百四十万円となる。田の一町は約九十九アール(約三千坪)。田圃が安いかどうかは、現在と金銭感覚が違うので判断できないが、いわゆる隠者といっても無一文の生活ではないことがわかる。 親友頓阿に米銭をねだる歌が残っているが(コラム「よき友、頓阿」参照*)、金のある人間ほどケチだそうだから、それとこれとは矛盾しない。晩年に金持ちの権勢者と交遊していることからも、体面を保つだけの資産は持ち合わせていたとみてよい。親兄弟ともに教養も地位もある人物だから、実家からそれなりの財産分与を受けたのかとも想像する。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「木登りの名人といわれた男が、人に指図して、高い木に登らせ、枝を切らせた時のことである。 非常に危険だと思われた間は、何も言わず、切り終わって降りてきて、軒の高さほどになった時に、「足を踏みはずすんじゃないぞ。注意して降りろよ」と、声をかけた。そこで、「これくらいの高さなら、飛び降りたってちゃんと降りられるだろうに。どうしてそんなことを言うのかい」と聞いてみた。すると、この名人は、「それなんですよ。高くて目がくらみ、枝が折れそうに危ないときは、本人自身が慎重ですから、注意する必要がありません。失敗というものはきまって、なんでもないところで、やらかすものなんですよ」と答えた。 地位も教養もない男だが、言うことは聖人の教えに一致している。蹴鞠も、難しい鞠をうまく当てた後で、気を抜くと、必ず蹴りはずし、落としてしまうということだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「彼らに対して、醜い顔を取り替えろとか、取った年を取り戻して若返れとか、無理な注文をつけているのではない。芸の衰えを自覚したなら、どうして直ちに引退しないのか。年の衰えを自覚したなら、どうして閑静な生活に移って、体を休めないのか。修行の怠惰を自覚したなら、どうして原因は自分にあると、自己批判しないのか。 だいたい、人に好かれないのに、大勢の中に入ってつきあうというのは恥なのだ。容貌が醜く、思慮に欠けるのに公務につき、無学なのに博学の人とつきあい、芸が未熟なのに達人の座に加わり、白髪頭なのに血気盛んな若者と張り合い、まして、自力では不可能なことを求めて、思いどおりにいかないことを悩み、実現しそうもないことを期待して、おどおどしたり、ぺこぺこしたりするのは、他人から与えられた恥ではなくて、自分の強欲に引きずられて、自分で自分自身を辱めているのだ。しかも、この強欲が消えない原因は、死(無常)という大事が、今目前に迫っていることを、はっきり自覚しないからだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「彼らに対して、醜い顔を取り替えろとか、取った年を取り戻して若返れとか、無理な注文をつけているのではない。芸の衰えを自覚したなら、どうして直ちに引退しないのか。年の衰えを自覚したなら、どうして閑静な生活に移って、体を休めないのか。修行の怠惰を自覚したなら、どうして原因は自分にあると、自己批判しないのか。 だいたい、人に好かれないのに、大勢の中に入ってつきあうというのは恥なのだ。容貌が醜く、思慮に欠けるのに公務につき、無学なのに博学の人とつきあい、芸が未熟なのに達人の座に加わり、白髪頭なのに血気盛んな若者と張り合い、まして、自力では不可能なことを求めて、思いどおりにいかないことを悩み、実現しそうもないことを期待して、おどおどしたり、ぺこぺこしたりするのは、他人から与えられた恥ではなくて、自分の強欲に引きずられて、自分で自分自身を辱めているのだ。しかも、この強欲が消えない原因は、死(無常)という大事が、今目前に迫っていることを、はっきり自覚しないからだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 鏡に映るわが醜貌に衝撃を受けた高僧が、以後、人前に姿を現さなかったという。この僧の行動をどう評価するか、意見は分かれよう。醜貌と社交とは別問題として、僧の行動を否定することもできる。しかし、兼好は、己の恥を自覚する人間として、高く評価した。あまりにも自己批判のない人間、恥知らずの人間が多すぎる。ソクラテスではないが、人生究極の課題は、汝自身を知れ、という言葉に尽きる。そして、この鋭い舌鋒を、最終的に、兼好は自己自身に向けているのだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 満開の桜や輝く満月だけを追いかけるようでは、美に対するセンスがない。ほんとうの美は、肉眼よりもむしろ心眼によって、心の銀幕に映し出される。その景色は、自分の心が能動的に描き上げたものだ。それに比べると、屋外の景色は、外から押しつけられた単なる受動的な映像にすぎない。目を閉じて、まぶたの裏に花や月のさまざまな情景を自由自在に描いてこそ、自然の美を心底から自分のものにしたといえる。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「いったい、桜や月を、そんなふうにばかり肉眼で見て楽しむものだろうか。桜咲く春は家から花見に出かけないでも、明月の秋の夜は寝室にこもったままでも、心眼で桜や月を見て楽しむほうが、むしろ天候に左右されず自由に想像できる点で心強く、楽しみが増すというものだ。教養人は露骨に愛好心を見せず、興味を示す態度もあっさりしている。反対に、無教養な人間に限って、何事もしつこく興味をあらわにする。花見の時も、桜の木に大げさな身ぶりで、やたらと体を寄せて、じっとねちこく見つめ、また、酒を飲み連歌をして、どんちゃん騒ぎをする。しまいには、桜の大きな枝を何のためらいもなく折ってしまう。こういう連中は、野山に遊ぶと湧いている清水に手足を突っ込み、雪が降ると地面に降りて足跡をつけたがる。どんなものでも、そのものに触れずにあるがままに見て楽しむことができない。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【寸評】 祭見物の描写だが、現代にもそのまま通用する。祭ほど人間の品格をあらわにするものはない。目をむいてかぶりつくように見る人間と、むっつりと眠っているようにしている人間と、この二つのタイプは、いつの時代にも存在する。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「【コラム】 無常の美とその鑑賞法 ものの盛りの美しさだけに、最高の評価を与えてよいものだろうか。ものの始めや終わりは、たんなる未熟や衰退でしかないのであろうか。いや、最盛の美は必ずしも最高の美ではない、と兼好は断言する。「よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ」と、始めの美も盛りを含み、終わりの美も盛りを蔵し、そして最盛の美も始め・終わりの美を包んでいることを指摘した。 始め・盛り・終わりの三態を総合した全体美こそが無常の美なのだ。だが、その美は肉眼で視覚的に堪能できる種類のものではない。磨き上げられた心眼によってしか味わうことのできない美である。兼好は、単なる盛りの美が肉体的・感覚的な快楽美であり、その閉じられた美にとらわれて、精神的・理知的な美を追求しようとしない怠惰を叱ったのだ。美の鑑賞は、あくまでも主体的な心眼によらなければならない、と。 こうした美の鑑賞法は、兼好の独創ではなく多くの先覚がいる。ただ、兼好のように理路整然と説いて、その普及に努めた者はいなかった。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「およそ人情味がないように見える者でも、味のある一言を吐くことがあるものだ。 ある恐ろしい顔つきをした関東の荒武者が、仲間に向かって、「お子さんはおいでか」と尋ねたところ、「一人もいません」と答えたので、「それでは、そなたは人間の情愛はおわかりにならないな。薄情な方だと思うと、恐い気がする。子どものいるおかげで、情愛というものについて、自然に自覚できるようになるものですよ」と話していたが、まさに当然のことである。 確かに、親子の情愛の道に心を尽くさなければ、こんな荒武者の心に思いやりが生まれるはずもない。親不孝者でも、自分で子どもを持ってはじめて、自分に対する親の情愛の深さというのを自覚するのだ。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「人間というものは、生活が安定しないと、平常心を失ってしまう。だから、経済的に追いつめられると、盗みを働くようになる。政治が乱れて、経済生活が破綻すれば、犯罪者は急増する。人々を経済的に苦しめ、その結果、犯罪に導いておきながら、それを罰するのは人々にとって気の毒だ。 では、どのようにして人々に政治の恩恵を与えればよいかというと、政治家や官僚が、贅沢や浪費をやめて、人々の生活に目を向けて、農業(基幹産業)を奨励すれば、間違いなく人々の生活は潤うようになる。 経済的に不自由しないのに、欲にかられて悪事をする人間こそ、ほんものの盗人といってよい。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著 「大した用事もないのに、人を訪ねるのはよくない。たとえ用事があって訪ねたとしても、用が済んだらさっさと帰るのがよい。そこに長居するのは、相手にとって非常に迷惑なものだ。 他人と向かい合って話していると、相手に合わせる気持ちが無意識に働いて、つい言葉数が多くなる。そのために、体も疲れるし神経も休まらない。やがて、いろんなことに支障が起きはじめ、心の通わない時間が流れていく。お互いに無益なことだ。だからといって、いやそうな顔をして話すのも感心できない。用があるのに長居されたりして、気分が乗らない場合は、我慢するよりも、かえって素直に都合の悪い事情を説明したほうがよい。 ただし、自分と気が合って相手になってくれればよいが、と期待している相手側の主人が、うまいぐあいに用事もなく時間が空いていて、「もうしばらく、いらっしゃい。今日はゆっくり話しましょう」などと言ってくれる場合は、早々に引き揚げる必要はない。古代中国の賢人、阮籍は親友が訪ねると青い眼をして歓迎したというが、そういうことは誰にでもあることだ。 ちなみに、これといった用事もないのに親しい友人が顔を見せて、のんびりと世間話をして帰って行くのは、訪ねる楽しみと訪ねられる楽しみとが一致してじつに快い。また、手紙の場合も同様で、「久しく御無沙汰いたしまして」などと、近況報告だけ記してあるものは、面倒な頼みごとがなくて大歓迎である。」 —『徒然草 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』角川書店著
何度読んだことだろう。 下手な人生論より徒然草。 徒然草は無常の一言。 無常とは人間の力ではどうにもならないさま。 だからこそ一瞬一瞬を大切に生きること。 全くその通りだなと深く思う。
兼好法師の人生観と信念の在り方について書かれた随筆である。時代は日本の中世だが、現代の私たちも考えることについて書かれているので、読みやすい。優秀な人の日記をのぞき込んでいる感覚で読める。 無常感が兼好に大きく影響を与えている。例えば、季節の移り変わりは急に起こるのではなく、次の季節が徐々に進...続きを読むんだ結果であること。出来事(本書では祭り)のピークだけでなく、始まりの準備段階や終わりの静けさまで味わってこそ、真の出来事を見て体験したことになると言っている。これには、共感の声が多数上がるのではないかと思う。最近だと「エモい」という言葉の一部に包含されてしまぅている気もするが、振り返ることも出来事の体験だと考えると、私たちは数ある物語を今も体験し続けていて、撚糸のように数ある出来事の延長線上に生きているのだろう。つまり、一生をかけて出来事を紡ぎ合わせていくのだ。 また、自分との対話が真の友人との会話なのだと兼好は主張する。万人に当てはまるとは思わないが、言わんとしていることは分かる。誰も話を聞いてくれない、話をする人がいないと嘆く大人は多い。それは、今の友人関係では話しづらい内容だと自覚していると言っているのと同じだ。そんなことを言ったら、いつまでも思いは募るばかりである。だったら、自分に発散させれば気兼ねなく、会話をすることができるというものなのだろう。 兼好法師は、無常観を存分に味わうことが人間のあるべき姿だと考えているのではないだろうか。それゆえに、人生の無駄をそぎ落としスマートな生き方を良しとしている気がする。目標達成のためには時間を大切にし、人間関係では無駄な主張を抑え、五感を感じるように生きることを本書から学ぶことができた。
吉田兼好こと、卜部兼好とされている。兼好法師の死後、草庵に残っていたものを、まとめたもので、243段あり。 ビギナーズ・クラシックスは、よい部分の抜粋で、しかも、現代訳と原文、解説となっていて、比べながら読める。 文庫版もあって、すきなところ、感じるところ、ぱらぱらと辞書感覚で気軽に読めるのがい...続きを読むい。 冒頭しか知らなくても、こういったダイジェスト版で拾い読みをして、やがては作品全体を知ろうとするものです。 また、各段も、すべてが大事ではく、そのところどころを読むだけでも十分役に立てるかと存じます。 序段 つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて、心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ 今日はこれといった用事もない。のんびりと独りくつろいで、一日中机に向かって、心をよぎる気まぐれなことを、なんのあてもなく書きつけてみる。すると、しだいに現実感覚がなくなって、なんだか不思議の世界に引き込まれていくような気分になる 3段 よろづにいみじくとも、色好まらざらむ男は、いとさうざうしく、玉のさかづきの当なき心地どすべき どんなにすばらしくても、恋の真味を知らない男は、非常に物足りない、みごとな玉製の盃の底が抜けたように、見かけだけで男の魅力が欠けている 8段 世の人の心惑はすこと、色欲にはしかず、人の心は愚かなるものかな 色欲ほど人間を迷わせるものはない、なんて人間はばかなんだろう 19段 折節の移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ 四季の移り変わるようすは、何につけても心にしみるものがある 29段 静かに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞ、せむかたなき 心静かに思い出にふけると、何事につけ、過ぎた昔の恋しさだけがどうしようもなくつのってくる 30段 人の亡き後ばかり悲しきはなし 人の死後ほど、悲しいものはない 75段 つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ 紛るる方なく、ただ独りあるのみこそよけれ 時間を持て余す人の気がしれない 何の用事ものかくて、独りでいるのが、人間にとっては最高なのだ 79段 よき人は知りたることとて、さのみ知り顔には言う 立派な人は知っていても、知ったかぶりをしないものだ 108段 寸陰惜しむ人なし 短い時間を積み重ねて大切に使う人はいないものだ 109段 過ちは、やすき所になりて、必ず、仕ることに候ふ 失敗というものはきまって、なんでもないところで、やらかすものなんです 155段 世に従はむ人は、先づ機嫌を知るべし 世の中の動きにうまく合わせようとするなら、なんといっても時期を見逃さないことだ 170段 さしたることなくて人のがり行くは、よからぬことなり 大した用事もないのに、人を訪ねるのはよくない 175段 世には心得ぬことの多きなり この世の中には、わけのわからないことが多いものだ 233段 よろづのとがあらじと思はば、何事にもまことありて、人を分かずうやうやしく、言葉少なからむにはしかじ。 人前でどんな過失もないようにしたい、と思ったら、何事にも誠意をもって当たり、人を差別せず礼儀正しく、よけいな口をきかないのが最上である 243段 問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ 問い詰められて、応えられなくなりました (兼好の父が、8歳の兼好に問い詰められたのをかたっています) 了 目次 ()は段数 自己発見の道へ つれづれなるままに(序) 出世の本道とは いでや、この世に生まれては(1) 政治の倫理規正 いにしへの聖(2) いい男の条件 よろづにいみじくとも(3) 長寿への警鐘 あだし野の露(7) 女の色香の威力 世の人の心(8) 住まいは人なり 家居の、つきづきしく(10) 蜜柑の木を囲う独占欲 神無月のころ(11) 友あれど心の友はなし 同じ心ならむ人(12) 読書は古人との対話 独りともし火のもとに(13) 旅は心のシャワー いづくにもあれ(15) 四季の移り変わり 折節の移り変はるこそ(19) むなしい欲望の遺跡 飛鳥川の淵瀬(25) 思い出は心をうるおす 静かに思へば(29) 葬儀と後日談 人の亡き後ばかり(30) 月見る女の心配り 9月20日のころ(32) 悪筆は個性の表現 手のわろき人の(35) ばかを嘲る大ばかもの 5月5日、賀茂の競べ馬(41) 独善の悲哀 仁和寺にある法師(52) 住まいは夏向きに 家の作りやうは(55) 会話のマナー 久しく隔たりて(56) 求道者の覚悟 大事を思ひ立たむ人(59) 芋代に財産食いつぶす 真乗院に、盛親僧都とて(60) 謎文字の歌 延政門院いときなく(62) 既視体験のふしぎ 名を聞くより(71) 「うそ」の分析 世に語り伝ふること(73) 利に群がる蟻人間 蟻のごとくに(74) 孤独の哲学 つれつれわぶる人(75) 軽薄人間の定義 今様のこととも(78) 無能の能ということ 何事も入り立たぬ(79) 未完の完ということ 羅の表紙は(82) 偽善も善、偽悪も悪 人の心素直ならねば(85) 滑稽なる骨董品 ある者、小野道風の書ける(88) 怪獣猫またの正体 奥山に猫また(89) 決心即実行の難しさ ある人、弓射ること(92) 生と死は隠れたコンビ 牛を売る者(93) 過度の執心は破滅のもと その物に付きて(97) 生き字引の翁又五郎 尹大納言光忠入道(102) 男は女に磨かれる 女のもの言ひ掛けたる(107) 女の本性ねじけ論 かく人の恥ぢらるる女(107) 人生はこの一瞬の積み重ね 寸陰惜しむ人(108) 安心にひそむ危険 高名の木登り(109) 勝つ思うな、負けぬと思え 双六の上手(110) 分相応にふるまえ 40にも余りぬる人(113) 良友と悪友の条件 友とするにわろきもの(117) 鰹の生食の始まり 鎌倉の海に(119) ペット飼育批判 養ひ飼ふ物には(121) 男子の必修科目 人の才能は(122) 鏡に映る醜い顔 高倉院の法華堂の三昧僧(134) 始めと終わりの美学 花は盛りに(137) 生前の心得 身死して財残る(140) 京・関東の比較論 悲田院の尭蓮上人は(141) 家族愛の政治論 心なしと見ゆる者(142) ありのままの死 人の終焉のありさま(143) 理想の老境 ある人のいはく(151) 無常迅速ということ 世に従はむ人(155) 春の日の雪仏 人間の営みあへるわざ(166) 訪問のマナー さしたることなくて(170) 自己本位を貫け 貝を覆ふ人の(171) 酔いどれ百態 世には心得ぬこと(175) 人生は一点突破 ある者、子を法師に(188) 独身礼賛論 妻というものこそ(190) 夜の輝き 夜に入りて(191) 「うそ」と人間鑑定 達人の人を見る眼(194) 非理には非理を 人の田を論ずる者(209) 味噌の酒肴 平宣時朝臣、老いののち(215) 貧富平等論 ある大福長者(217) 技と道具との連携 よき細工は(229) 無技巧の技巧 園の別当入道は(231) 社交の極意 よろづのとがあらじ(233) 主体ある精神を 主ある家には(235) ずっこけた感涙 丹波に出雲という所(236) すり寄る美女をかわす意地 2月15日、月明かき夜(238) 父と問答の思い出 八つになりし年(243) 解説 兼好と「徒然草」 作者・作品の紹介 付録 「徒然草」探求情報 兼好略年譜 「徒然草」参考系図 卜部氏系図 天皇家略系図 平氏(北条・大仏・金沢)略系図 堀川家系図 「徒然草」関係京都略地図 ISBN:9784043574087 出版社:KADOKAWA 判型:文庫 ページ数:306ページ 定価:720円(本体) 発行年月日:2002年01月 発売日:2002年01月25日初版 発売日:2015年08月25日39版
つまみ読みだけど、とても面白かった。手にとって良かったと思える一冊。 印象的なのは特にこの二つ。 ●人生は、長くも思えるが、実際は今この一瞬の積み重ねである。何かしたいのであれば、今日の夜、明日の朝と思わず、今この一瞬に行動せよ! ●目の前の一事に全力であたれ (弓2本のくだり)怠け心が出てく...続きを読むる隙も与えず、やろうと思ったその瞬間からすぐさま実行せよ。 人生訓的な内容がとても心に刺さる。 当時の余談もめちゃくちゃ面白い。高官のラブレター代筆とか。 あと兼好法師は女性に厳しい。
わかりやすい!読みやすい。訳の後にある一言が、おもしろかったり新たな視点だったり解説だったり。それが、読者にとっての徒然草に幅をもたせてくれる。 繰り返し読んでもっと咀嚼してみたい。
兼好さんの考える生き方考え方振舞い方指南本。今に通じる話ばかりでなかなか刺さるものがあります。ちょっとひとと話すときに気をつけねばと考えさせられました。
古文への最初の出会いとその後の一般的な付き合い方が、日本人を古典から決定的に引き離していると思います。 「ビギナーズ・クラシックス」シリーズは、原文の直訳だけではなく、訳文の中に解説的な補足と文意をより理解しやくする表現を加筆してくれています。 例えば有名な序段の一文。訳文の括弧内は、訳者の配慮で...続きを読む加筆されたと思われる表現です。 原文 つれづれなるままに、日暮し硯に向かひて、心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ。 訳文 (今日はこれといった用事もない。のんびりと独りくつろいで、)一日中机に向かって、心をよぎる気まぐれなことを、なんのあてもなく書きつけてみる。すると、(しだいに現実感覚がなくなって、)なんだか不思議の世界に引き込まれていくような気分になる。 括弧内の有無で理解が全然違います。 鎌倉時代に書かれたエッセイが、こんなに自由な主張をしていたとは全然知りませんでした。無常観を底にした随筆ですから、これを特に高校生のような時期――散漫で、傷つきやすく、知識も浅いとき――に、「高尚な」文学として紹介してしまえば、古典との修復不可能な関係と、致命的な眠気に導くこと簡単です。 しかし実際には、くだらない話や自慢話も収められた、フランクに触れられる内容です。 なんだか、おじさんのFacebookへの投稿みたいな感じですよ。
改めて勉強してみた。やはり吉田兼好の視点はいいね。ビジネス社会でも役に立つ。弟子が難しい仕事をしているときは師匠は見守り、簡単なところになると「気をつけろ」とアドバイスをするくだりなど、なかなかいい視点だ。もう一度読みたい。
徒然草の内容に関心があっても、古文は苦手という人にオススメ。先に意訳があり、内容を楽しんだ後に原文を眺める、という仕様になっており、各段に解説もあってわかり易い。個人的には、先に古文がある方が読み慣れているので、少々心地悪かったが、読み終わる頃には古文の意味合いがスムーズに入ってくるようになったので...続きを読む、古文の練習としてもある程度意味のある本なのだと思う。兼好法師の鋭利且つ独特な視点は、現代にも十分通ずる内容だ。
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ビギナーズ・クラシックス 日本の古典
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