角川書店のレビュー一覧
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日本古典文学大系や、日本古典文学全集で読めば、全部読める、わけだが、あの漢字片仮名表記の本文に気持ちが萎えること早幾度。
ダイジェストでのおつきあいばかりとなっている。
田辺聖子さんのものは、本朝部を扱っていたと思う。
本書では、やはり本朝部が大半を占めるけれど、天竺部、震旦部からも採録されているのがいい。
きっと注釈をつけるのは大変なんだろうと思う。
臨終のお釈迦さまが、息子ラゴラに愛着を示したという話、法力で争った相手を呪い殺した弘法大師の話、相手の連れてきた識神を封じ込めた安倍清明の話などが印象深い。
後半は有名な話が多かったかな。 -
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平家の栄華と没落を主題とした『平家物語』は、「祇園精舎の鐘の声・・・」という書き出しがあまりにも有名だが、平易かつ流麗な名文で、平氏と源氏及び平安貴族の盛衰の中に見る人間模様を描き出した作品である。
本書は、一般に全12巻とされる大部の各章段を縮約するとともに、各巻を代表する説話を選び出して収め、『平家物語』の全体像が捉えられるように作られている。
いま改めて読み返すと、2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」のキャスト・場面が目に浮かぶのであるが、視聴率は記録的な低さだったものの、『平家物語』にある人間模様が表現された良いドラマだったと感じる。
『平家物語』は、基本的に史実に基づいて作られており、多くの悲劇的な場面が登場するが、特に、17歳の敦盛(清盛の甥)が、「さては、汝がためにはよい敵ぞ。名乗らずとも首を取つて人に問へ。見知らうずるぞ」と宣って、源氏方の熊谷直実に討ち取られる場面、また、8歳の安徳天皇が祖母・二位(清盛の妻)に促されて、東の伊勢神宮に別れを告げ、さらに西の浄土に祈った後、入水する場面などは、胸に迫るものがある。
また、本書は解説で、『平家物語』が作られ、琵琶法師によって日本各地で伝承された背景を分析しているが、それによれば、時の摂政・関白だった九条兼実の実弟で、比叡山の座主(貫首)を務め、頼朝とも親交があったとされる慈円が、国を二分した源平の戦いの後、慰霊を通して、荒廃した人心を和らげ、国に秩序を回復するために行った事業であり、それは勝者となった頼朝としても望んだことであろうという。
本書の巻末には、更に、関連の書籍・資料、関連のインターネット情報、史跡の情報、地図、年表、家系図なども載っており、理解を深めるのに役立つ。 -
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出た! 平安朝こじらせ女!!
溢れる才知、輝く美貌、そしてむやみに高いプライド。
一体どういう扱いなら、この人満足するんだろう、と思ってしまう。
町の小路の女への「命はあらせて、わが思うふやうに、おりかへし物を思うはせばや、と思いひしを、さやうに(兼家の愛を失う)なりもていき、果ては、産みののしりし子さへ死ぬるものかは」、「わが思ふには、今少しうちまさりて嘆くらむと思ふに、今ぞ胸は空きたる。」という悪口を読むと、いかに身分差があったにせよ、ドン引きした。
が、不思議なことに、本を置いてみると、何かその率直さが悪くない感じがしてくる。
でも・・・これは作者の生前から流布した本なのだろうか。
これを読んで、関係者たちは、特に兼家はどう思ったのだろう?
中巻は物詣の場面が多く、自然描写に惹かれる。
大学で『蜻蛉日記』の講義を受けたことを思い出した。
当時は、そのお寺の由来やら、本尊がどんな仏かという話が続き、思わず睡魔に襲われたものだったが、今にして読み直すと、なぜ先生が上巻を飛ばして中巻、下巻を扱われたのかわかる気がした。 -
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読書録「ビギナーズ・クラシックス徒然草」4
編・出版 角川書店
p210より引用
“ 何事も、自分の外に向かってあれこれ求
めてはならない。自分に目を向けて、自分が
やるべきことに全力を注げばよいのだ。”
目次から抜粋引用
“自己発見の道へ
旅は心のシャワー
独善の悲哀
利に群がる蟻人間
鏡に映る醜い顔”
日本の古典文学をわかりやすく記した作品
集の、徒然草を解説した一冊。
現代語訳・原文・解説と、作品に登場する
寺社仏閣や図や絵を交えて書かれています。
上記の引用は、灯台下暗しを戒めた話での
一節。自分の足場をしっかりと固め、少しず
つその範囲を広げることで、最終的に大きな
事が出来るようになるとのことです。
いろんな事をしたいと思っても、自分の足場
をしっかりと固めるのも、なかなか上手く行
かないものです。
昔々の人々についての話ですが、どんなに
時代が変わっても、人のしていることの大き
な部分はあまり変わっていないのだなと思わ
ざるをえません。
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元禄文化期に活躍した松尾芭蕉が、1689年5月に江戸深川を出発し、東北・北陸を巡る約2,400km、約150日間の旅を経て、美濃大垣を再び発つまでを描いた、日本の古典における代表的な紀行作品。芭蕉がこの旅で訪れた国は、武蔵、下野、岩代、陸前、陸中、出羽、越後、越中、加賀、越前、美濃である。
本作品は、有名な「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」という序文より始まるが、芭蕉は『おくのほそ道』の旅の後、西国への旅に出て途上で没し、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という辞世の句を残した。まさに、芭蕉にとって、時は永遠の旅人であり、自らの人生もまた旅なのであった。
私が久し振りに本作品を手に取ったのは、奥州藤原氏の栄華の跡である平泉を訪れるにあたり、真っ先に「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出し、合わせて「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の立石寺も立ち寄りたいと考えたからであるが、東京から栃木、福島を経て(鈍行列車で)東北へ向かうにあたり、奥州へ向かう道すがら各地に立ち寄る様子が記された本作品は、格好の案内となった。事実、私は普通のガイドブックは持たずに本書だけを携えて旅をした。
殊に、芭蕉の旅のクライマックスのひとつであったと思われる、源義経の最期の地と言われる平泉・高館義経堂から見下す風景は、三百年以上の時を隔てていても、「夏草や・・・」という芭蕉の思いを共有できるものであった。
本書には地図や解説、足跡の最寄駅一覧まで載っており、訳書の中でも有用な一冊である。 -
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「竹取物語」が平安時代に書かれた物語で
当時の体制をかなり痛烈に風刺したものであるということは
この本にくわしく解説されている
しかし、というか、だからこそというか
その中心人物であるかぐや姫の残していった不死薬は
みかどの意思によって焼かれてしまうのだった
これをどう捉えるかが、個人的な解釈の分かれ目になるだろう
地下茎から一直線に月まで延びてゆくかぐや姫の生
それは、他者にはとりつくしまもない
自己完結した、一種の中空的存在なのである
ある意味、生きながら死んでいるとも呼べるだろうそれによって
もたらされた永遠の命を
みかどがけして受け入れようとしない、というのは
つまり、さんざん公家や武士をコケにしてきたこの作者が
最後の最後で、その悪や愚かさを含めての
人間肯定に転じたということだ
それを愛と取るか、嫌味と取るかは人それぞれじゃないかしら -
Posted by ブクログ
源氏物語はだいたいどのようなものか分かっているが、枕草子のことをまったくといっていいほど知らなかったので読んでみた。
とても面白かった。
1000年前も現在も人の心理は変わっていないんだなぁととても感慨深かった。
そして清少納言がすごく人間らしく好きだと思った。
ある子供が清少納言の物を壊しても、微笑みながら叱る親について、「憎い、しっかり注意したいけど親の前だし注意できない。」と書いているのがとても面白い。
現代人だからこそそういう問題があるのかと思えば、1000年前にも同じようなことがあったんだなぁと思った。
そんな日常生活を綴った微笑ましい書物なんだとおもった。