畑村洋太郎のレビュー一覧
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サムスン成功の整理その2。
1.強いリーダーシップ。強い危機意識による変革。
2.戦略の明確化。成長市場である新興市場をターゲットとし、目標に合わせた戦略の策定。
(無いものは追わない、効率的・戦略的な順位付け)
3.日本企業は1,2ともに後手に回っている。危機意識と「変える」意志、
後追いではなく、それぞれが持つ能力を生かした戦略立案が必要。
・「3PI運動」=パーソナル・イノベーション、プロセス・イノベーション、
プロダクト・イノベーション
驕り、相互不信、個人や集団利己主義、権威主義や他律、日和見、無責任などの弊害の
改革のための3PI運動。当初は機能しなかったが、IMF危機による危機意識の高まりにより
改革が機能し始めた。
危機意識に本当に直面したかどうかの違いは大きい。
・トップの最大の役割は、戦略を考え、それを組織全体に示すこと。価値付けを行って
組織全体に徹底させること。どの方向に進むべきかという戦略。
・日本が生き残る道
サムソンは日本追従から強いリーダーシップで方針を変えた。新興国へ、マーケットインへ。
新興国・デジタルの製品作りの時代では、「表の競争力」(=デザインや価格など消費者から
よく見える部分での競争力)が最優先・効果的なことを見極めて、大きく舵を切った。
日本が強い「裏の競争力」(=品質や基礎技術)の追従は時間がかかるし、効率的でない。
今後、中国やインドの企業もサムスンのような戦略を採りうる。サムスンはブランド作りや
次の戦略構築により対策。
日本企業は「裏の競争力」を持っていることが利点。だが、この力が競争力に結びついていない。
結びつける戦略もないのが課題。技術を生かした企画開発力が要求されている。
サムスンのように新興市場に打って出るというのは1つの解に過ぎない。
企業それぞれが持っている能力によって、最適解はちがう。
かつての李健熙会長が持っていたような危機意識と、「変える」という強い意志が必要。
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Posted by ブクログ
わかるということは、自分の目の前で起こっている現象を観察する。どのような構成要素から成り立っているかを考える。その構成要素を摘出し、どの構成要素がどう絡まって現象の全体ができているのかを、構成要素の構造を考える。最後に、そうして構造化したものを頭の中で動かしてみて現実の現象と合致するかどうかを検証する。その動きがぴったり合った時に「わかった」となる。
たとえ知らなくても、作る努力をしなくてはいけない。必要な数は観たその場で作れなくてはいけない。
リーダーは全体像を把握していて、細かいこともわかっている。
いつでもどこでも愚直に徹底的に訓練し続けよ。
信号待ちでは、車を数えたり、待っている人を数えたりする。階段の段数も数える。地下鉄の深さは何メートルか割り出す。なんでも数にする。朝起きてから、見えたものは片っ端から数にする。「数にしないと気がすまない」というくらい自分を訓練付にして習慣にする。 -
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失敗とはどのようなものがあるかそれからどう学ぶべきかを技術的に分ける本
失敗にもいろんな物があってそれをうまくまとめている。
誰が失敗したのか、どの部分が悪いのかを考える指標になる
失敗とは人間が関わっていて望む結果が得られないことを言う。
社会を発展させた3大事故、タコマ橋:自励振動、コメット機:金属疲労、リバティー船:低温脆性
失敗には階層性がある、
未知への遭遇
社会システム不適合・行政政治の怠慢:組織怠慢・政治判断
企業経不良・組織運営不良:組織構造不良・企画不良・経営不良・運営不良
個々人の責任の失敗:無知・不注意・不遵守・誤判断・検討不足、条件の変化
失敗は隠れたがる、単純化したがる、原因が変わりたがる、神話化しやすい、ローカル化しやすい
客観的分析はあてにならない、知識化しないと伝わらない
失敗情報:事象、経過、原因、対処、総括
失敗に対して批判はしない
すべての技術は、萌芽期→発展期→成熟期→衰退期、を通る
致命的な失敗は技術が成熟していて、大増産もしくはコストダウンをしたところで起きる -
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著者は、感覚がボーダーレスでさまざまな人々を巻き込んでいく才覚のある人のようだ。大企業だろうと身内だろうと同じように謝意を表し、書いているうちに気づいたらまた感謝、などなかなかユニーク。フラットで率直、明快なミッション意識と熱い人柄がなせる業なのだろう。
回転ドアという代物が日本で独自の変化を遂げいつしかモンスターになってしまった経緯が興味深い。企業や行政・法律の問題点をもずばり指摘しており溜飲が下がる。
P35 自立分散型というのは、目的を一にするものに向かって各人が自分自身の立てた規範に従って行動することをいう。
P95 たとえ使用者自身に過失があったとしても、使用者の安全を守る技術は必要不可欠である。その反対に、完全なものを作りうる技術がまだ世の中にない場合には、「完全でないことがケシカラン」とする考え方もおかしいのではないだろうか。どこに危険が潜み、どうすれば安全が確保されるのかということは、本来は使用するものがきちんと考えておかなければならない。それを「当然のこと」と考えるような文化を作らないことには、本当の安全は保てないのだ。
P126 六本木の六歳児の事故は「衝突力軽減のために軽量化しなければならない」という重要な知識が忘れられてしまったことに根本的な原因があるといえる。なぜそのようなことになったかというと、新しい製品を設計・開発する者が「技術の来歴」の調査の必要性を感じていなかったからである。
これは設計や開発に携わるものにとっては大きな落とし穴である。既にあるものや技術を改良して何かをするときには、これをやらなければ、技術の変遷の中で消えていった重要な知識の存在に気づくことができないのは当然なのである。
P148 今回の実験結果を踏まえて私が「申し訳ないけど宗旨替えをする」というと、JR東日本の荒井さんも「はっきりそう言ってもらえると非常に助かります」と笑いながら答えていた。(中略)情報発信を行うときには変なプライドを捨てて正確に伝えることが大事であると再認識させられる機会になった。
P159 今回の実験を通じてわかったのは「手動のドアでは大きな力が発生し、自動のものでは小さな力しか発生しない」ということである。(中略)人間は「自動のものが危険で、手動のものは自分で動かすのだから安全だ」と考えがちだが、現実はそうではないのである。
P170 本当の検査をせずに問題を放置すると「手抜き、インチキは仕事のうち」と思う人たちが増えて勝手なことを始めるようになるのは世の常である。(中略)インチキを当然とする人たちがインチキをし、インチキに鈍感な人が検査を行うので、インチキに気づかないままエンドユーザーに渡されるというのが世の中の構図である。
P200 安全なもの、優れたものをつくるための重要なポイントは、つくり手が異なる業界の知見を自らの問題に関連づけて考えるような広い視点を持つことである。
P208 「原因の究明」と「責任の追及」を混同している日本の風土や文化に根ざしている問題ではないかと私は考えている。
本来、科学的な態度と社会的な道義責任の追求を明確に分けなければ、事故の真の原因を探ることはできない。
P210 多くの場合、危険性の認識がないことが免罪符になっているのだ。言葉はちょっと悪いが「賢い人や敏感な人は罪人にされ、バカや鈍感な人は無罪放免になる」というおかしなことが今の日本で現実にまかり通っているのである。
P244 従来の「失敗学」は、結果を分析する手法で失敗にアプローチするのが特徴だった。そこから一歩進めて、現在ある棄権にまで目を向け、起こっていない失敗にアプローチするときの考え方や手法を示すことができたのが「危険学」の最大の成果である。
P247 危険に対して真正面から向かい合う考え方が必要になる。従来の「マニュアル」や「べからず集」「失敗事例集」のようなものではダメで、どこにどのような危険が存在し、危険を防止するだめに何をすべきかを示した「危険地図」のようなものでなければ意味がないのである。