畑村洋太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
僕は、内視鏡を仕事にしているので、上手い医師の技術は「盗みたい」と常々思ってきました。
その一方で、疫学を教えるときは「上手く教えたら伝わるに違いない」という気持ちで、レクチャーや勉強会に臨んできました。
参加者の勉強の手間をはぶき、簡単に楽に学んで欲しかったのです。
内視鏡医としては「盗み」、疫学の教育者としては「楽して勉強してもらう」という、相反する立場が自分の中に混在していたのです。
この本の中で、
「 技術は「伝える」のではなく「伝わる」 」
のだと、畑村氏は書いています。
技術は「伝える」ということを正しくすると「伝わる」と私たちは思っている・・と本書にはあります。
でも少し違うのですね。
それは「伝える」側の立場で考えたことなのであって、技術は本来「伝わる」ものなのだと。
例えば「教育システムの充実」「資料の充実」「マニュアルの作成」・・・って大事ですよね?
でも、これは「伝える側の立場」からの方策なのです。
ただひたすら、システムや資料を作り続けた結果、あちこちで伝えることの形骸化が起きているのだ、と畑村氏は指摘しています。
確かに、病院でも使いもしないマニュアルなんて、山ほどありますからね。
疫学を教えていても、慣れてきて難しいポイントもそつなくこなせるようになればなるほど、少し違和感も感じていました。
本を読んで少しずつ前進していった、若かったときの「学びの楽しみ」「理解したときの快感」を、学び手から奪っているように思わないでもなかったのです。
そのせいでしょうか?
EBMワークショップの参加者が、スタッフになって一緒に教え方を工夫するようになったりは、なかなかないのです。
ICLSやACLSでも、大多数の参加者はスタッフになりません。
技術や知識を「伝えられた」ために、学びの魅力が無くなっていたのかもしれません。。
この本では、「受け入れ側の素地」なんてことを、言っちゃってます。
技術を受け止める側が、どれぐらいやる気があるのかが大事なんだよと。。
あ、それいっちゃあお終い・・・とも思いますが・・・・
でも、これを無視しすぎなのが今の医学部教育とも思うんです。
とにかく、底辺にフォーカスを合わせるのですが、やる気のある学生は勝手に全国を飛び回って勉強したりしている。
自分の学校にはほとんど寄りつかない。
学生は、教育者の熱意を見ていることが多いのです。
大学に寄りつかないのは、教えてやろうという熱意が感じられないからかもしれない。
脱線しましたが、
1、まず体験させろ
2、はじめに全体像をみせろ
3、やらせたことの結果を必ず確認しろ
4、一度に全部を伝える必要はない
5、個はそれぞれ違うことを認めろ
伝える側としては、こういうことが大事だよ、とのこと。
詳しくは本書を読んで下さい。
面白いです! -
Posted by ブクログ
物づくりの現場で、当然のこととして伝わっているであろう技術が、
伝わっていないことが、よくあります。
わたくしは本づくり(編集)が専門です。
本づくりの技術は、どこかで失われてしまっています。
これは日々、痛感します。
これは本じゃないよね、という本が平気で書店に並んでいます。
わたくしは小説も書くので、小説を書くという分野でも、
技術が伝わっていないのが、わかります。
これは小説とは言えないよね、というナニモノかが、
世の中に、あふれかえっています。
本も、小説も、人身事故を起こさないから、
社会的な問題になっていない、だけのことです。
生産現場での話だから、ワタシハ関係ナイと
思わないで、本の周辺に生息しているみなさんにも
ぜひ、読んでいただきたい1冊です。 -
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この本は、名著である。数学に対して何だか違和感があった処の根拠が示されている。「納得できないからワカラナイのである」し、「意味不明の概念を丸飲みさせられている気色悪さを感じる」とハッキリ記されている処が秀逸だ。その上、「わかる」ためには「受け取る人の頭の中にある型紙,テンプレート」に合うように説明しなければならない、ということが指摘されている。なぜ今まで誰も言ってくれなかったのだろう。よくよく考えれば、18世紀にカントが確立した認識論ではないか。哲学と数学では異なるとでも思っていたのだろうか。数学のもつモノを理解するツール性は、後追いのつじつま合わせでないテンプレートの提示が必要である事を高らかに宣言した書である。「教科書は解ける方程式しか取り上げない」ということは、小学校の算数から始まって自明のことだったのだ。一読をお薦めする。
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Posted by ブクログ
◆「技術の伝え方」
<ポイント>
技術は「伝えるもの」ではなく、「伝わるもの」。相手の立場に立って、「伝わる状態」をいかに作るか。
「暗黙知」の表出(←これは再認識。)
第7章 一度に伝える「共有知」
「同じことを30年も続ければそれなりにできるのは当たり前、そこを2,3年で獲得することに価値がある。」
「守・破・離」
「破」:作法・型を手に入れて、そこからさらに出ようと意識して行動した人だけが進歩できる。
「離」:試行錯誤を繰り返した人は、理解と経験に基づいて全く別のものを作り出せる。
制約条件の変化や外部からの新要求に対応して全体を作り変えられる
◆おまけ
「技術のつたえ方」の、p.111 印刷がにじんで読みにくい。
新書で、こんな印刷汚れは初体験。
おそるおそる印刷所を見るとT印刷だった。 -
Posted by ブクログ
読めば読むほど自分の顔が真っ青になっていくのが、手に取るように分かる本。
如何に自分が、『失敗』に対して無頓着で、というより、無関心で幼稚な捉え方をしていたのか、というのがよく分かりました。
だから、いつまで経っても同じ間違いを繰り返して、反省もせず次回にも活かすことをせず、また繰り返してしまうんだよな……
正直僕は何も取得も無いし、これといった特技も無いので、「失敗」というものに必要以上に敏感です。
だって失敗したら誰も相手にしなくなるかもしれないから。
それが逆に、無駄な動きとなって、ずれた解釈をし結果的にずれた行動をとってしまうこともままならず。
メンタル的な部分もありますが、結局「失敗をしないよう努力する」というのが抜け落ちていたんでしょう。
この本は、僕にとって戒めの一つです。お守り代わりにいいかもしれません。 -
Posted by ブクログ
ネタバレあらすじ
どれほど優秀な人間や組織であっても、失敗を完全にゼロにすることはできない。本書は、畑村洋太郎氏が打ち立てた「失敗学」の核心を、職場でミスやトラブルに直面する主人公たちの奮闘を通じてコミカライズした実践書である。著者は、失敗が起きたときに犯人探しをして個人の不注意を責め立てることの無意味さを説く。ミスを感情論で片づける組織では、情報の隠蔽や萎縮が生まれ、いずれ破滅的な大事故を招いてしまう。「失敗は予測できる局面に潜んでいる」「失敗の原因を客観的に解剖し、背後にあるメカニズムを突き止める」「失敗の情報を知識化して組織全体で共有する」といった手法を通じ、失敗を恐れて硬直する組織を、失敗を糧にして進化し続ける強靭なチームへと変革する知恵を明快に描き出す。
所感・深掘り
「失敗とは避けるべき悪ではなく、組織の盲点や構造的欠陥を教えてくれる最も客観的な学習データである」という本質を突きつけられ、日々の指導やトラブル対応の姿勢を根本から引き締め直される名著だった。
特に深く腑に落ちたのは、「感情的な叱責や犯人探しは、現場に隠蔽と萎縮という巨大な認知的負荷を強いる」という構造の罠だ。ミスをした人間を「なぜ注意しなかったのか」「気合が足りない」と精神論で責め立てても、再発防止には何一つ結びつかない。かえって「怒られないために失敗を隠そう」と余計な保身に頭のメモリを使わせ、組織を致命的な麻痺状態へと追い込んでしまう。重要なのは、「誰が悪いか」ではなく「どんな仕組みがそのミスを誘発したのか」という客観的な事実と因果関係に目を向けることだ。感情を排し、ミスの背後にある構造的な力学を冷静に解体することこそが、現場の無用な迷いを削ぎ落とす極めて合理的なアプローチなのだと痛感した。
また、自らの失敗や現場のトラブルをオープンにし、再発を防ぐ「共通の型」として周囲に手渡す姿勢は、指導者やリーダーにとって不可欠な利他の実践であると感じた。リーダー自身が失敗を隠さず、そこから得た教訓をナレッジとして還元する背中を見せること。その揺るぎない安定感と開かれた姿勢があってこそ、現場に確かな心理的安全性が生まれ、メンバー全員がミスを恐れずに挑戦と自走を続けられる強い集団へと育つのだと確信させられた。
犯人探しや曖昧な精神論を捨て、失敗を客観的なデータとして構造化し、組織の共有財産へと昇華し抜くこと。
トラブルへの対応に追われて現場が疲弊している人はもちろん、失敗を責めない組織文化を築き、関わるすべての人を迷いなく確かな成長と挑戦へと導く強固な仕組みをつくりたいすべてのリーダーにとって、常に傍らに置いて立ち返るべき組織防衛と学習の教科書だ。 -
Posted by ブクログ
失敗学の権威、提唱者(名づけ自体は立花隆らしい)とされる著者が80代半ばを迎えたいまの自分をなぞらえながら失敗学のエッセンスを述べている。
「失敗学」という言葉がひとり歩きしている感があるが、著者が提唱していることは失敗の有無に限らず物事への対処法ということだと思う。著者はシステム工学分野の人のよう。行動科学っぽい感じもしたり。こういう自分の苦手そうな工学とか理系っぽい領域で物事へのうまい対処法が研究されているのだから、文系の自分が要領悪いのもむべなるかな。
失敗学の基本は、落ち着いて真摯に取り組むことだと読み取った。それを体現するかのように生きてきた著者の筆致が穏やかでいながら教養厚く、また80代にして自分を的確にとらえつつ充実した人生を生きている様が伝わってきて読んでいて心地よかった。 -
Posted by ブクログ
忌み嫌われているにもかかわらず、誰しも避けては通れない。老いと失敗は似ている⁉️「老いにも扱い方次第で人々を良い方向に導く面がある」「老いの問題を考える上で、当事者の話を聞くことは不可欠」「コミュニケーション力の低下が様々な問題の大きな原因になっている」など。失敗の専門家が普段から利用している「失敗学」からのヒントを、自らの「老い」を通して解説【目次】人生それなりに楽しむ
第1章 「老い」と「失敗」(老いは失敗と似ている;失敗学の視点で老いの問題を見て気付いたこと)
第2章 「悪い老い」に気をつける(老いることで失われるもの、新たに得られるもの;失われることで見えてきた世界)
第3章 コミュニケーション力がカギになる(自動翻訳機から学んだこと;コミュニケーション力の低下が招く問題)
第4章 「老い方」は人それぞれ(老いによる問題は人によって異なる;体の衰えから私の身に起こっている様々な問題)
第5章 終わりから考える(まずくなったときの対処法をあらかじめ考える;「順演算」と「逆演算」
終わりに、ゲルニカと勝手脳⁉️