畑村洋太郎のレビュー一覧
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僕は、内視鏡を仕事にしているので、上手い医師の技術は「盗みたい」と常々思ってきました。
その一方で、疫学を教えるときは「上手く教えたら伝わるに違いない」という気持ちで、レクチャーや勉強会に臨んできました。
参加者の勉強の手間をはぶき、簡単に楽に学んで欲しかったのです。
内視鏡医としては「盗み」、疫学の教育者としては「楽して勉強してもらう」という、相反する立場が自分の中に混在していたのです。
この本の中で、
「 技術は「伝える」のではなく「伝わる」 」
のだと、畑村氏は書いています。
技術は「伝える」ということを正しくすると「伝わる」と私たちは思っている・・と本書にはあります。
でも少し違 -
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物づくりの現場で、当然のこととして伝わっているであろう技術が、
伝わっていないことが、よくあります。
わたくしは本づくり(編集)が専門です。
本づくりの技術は、どこかで失われてしまっています。
これは日々、痛感します。
これは本じゃないよね、という本が平気で書店に並んでいます。
わたくしは小説も書くので、小説を書くという分野でも、
技術が伝わっていないのが、わかります。
これは小説とは言えないよね、というナニモノかが、
世の中に、あふれかえっています。
本も、小説も、人身事故を起こさないから、
社会的な問題になっていない、だけのことです。
生産現場での話だから、 -
Posted by ブクログ
この本は、名著である。数学に対して何だか違和感があった処の根拠が示されている。「納得できないからワカラナイのである」し、「意味不明の概念を丸飲みさせられている気色悪さを感じる」とハッキリ記されている処が秀逸だ。その上、「わかる」ためには「受け取る人の頭の中にある型紙,テンプレート」に合うように説明しなければならない、ということが指摘されている。なぜ今まで誰も言ってくれなかったのだろう。よくよく考えれば、18世紀にカントが確立した認識論ではないか。哲学と数学では異なるとでも思っていたのだろうか。数学のもつモノを理解するツール性は、後追いのつじつま合わせでないテンプレートの提示が必要である事を高ら
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◆「技術の伝え方」
<ポイント>
技術は「伝えるもの」ではなく、「伝わるもの」。相手の立場に立って、「伝わる状態」をいかに作るか。
「暗黙知」の表出(←これは再認識。)
第7章 一度に伝える「共有知」
「同じことを30年も続ければそれなりにできるのは当たり前、そこを2,3年で獲得することに価値がある。」
「守・破・離」
「破」:作法・型を手に入れて、そこからさらに出ようと意識して行動した人だけが進歩できる。
「離」:試行錯誤を繰り返した人は、理解と経験に基づいて全く別のものを作り出せる。
制約条件の変化や外部からの新要求に対応して全体を作り変えられる
◆おまけ -
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読めば読むほど自分の顔が真っ青になっていくのが、手に取るように分かる本。
如何に自分が、『失敗』に対して無頓着で、というより、無関心で幼稚な捉え方をしていたのか、というのがよく分かりました。
だから、いつまで経っても同じ間違いを繰り返して、反省もせず次回にも活かすことをせず、また繰り返してしまうんだよな……
正直僕は何も取得も無いし、これといった特技も無いので、「失敗」というものに必要以上に敏感です。
だって失敗したら誰も相手にしなくなるかもしれないから。
それが逆に、無駄な動きとなって、ずれた解釈をし結果的にずれた行動をとってしまうこともままならず。
メンタル的な部分もありますが、結局「 -
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忌み嫌われているにもかかわらず、誰しも避けては通れない。老いと失敗は似ている⁉️「老いにも扱い方次第で人々を良い方向に導く面がある」「老いの問題を考える上で、当事者の話を聞くことは不可欠」「コミュニケーション力の低下が様々な問題の大きな原因になっている」など。失敗の専門家が普段から利用している「失敗学」からのヒントを、自らの「老い」を通して解説【目次】人生それなりに楽しむ
第1章 「老い」と「失敗」(老いは失敗と似ている;失敗学の視点で老いの問題を見て気付いたこと)
第2章 「悪い老い」に気をつける(老いることで失われるもの、新たに得られるもの;失われることで見えてきた世界)
第3章 コミュニ